こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

みなさまの幸せのために話すには

2023年05月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
雨は今日も降り続き、梅雨の走りのようだ。
空は暗く色がなく、緑がなければまるで白黒写真のようだ。
気温もあまり上がらないらしく、長袖とジャンパーを着込んできた。
明日からは天気も回復して今度は夏日となるらしく、お天道様も忙しい。

月末の講演まであと二週間を切って、いよいよプレッシャーを感じるようになってきた。
昔ある臨床系の講演を聴いた時、結構尊敬していた某大学の教授が、薬屋さん準備したスライドを棒読みしているのがわかってがっかりしたことがある。
一口に”講演”といっても色々だ。
自分で作ったとわかるスライドを使った講演は淀みなく進む。少々滑舌が悪くても、演者が全体の構成を把握して話していたら、聴く方の理解は進む。
一方、他人が用意したスライドを読んでいるような講演はほとんどがチンプンカンプンだ。
本人の血肉を話しているわけではないので、伝わってくるものはない。
資料を配ってくれた方がいいぐらいだ。
コロナ禍の間、リモート講演が多く、そんな棒読み原稿も少なくなかっただろうが、対面式の学会に戻るとそれは苦しいものとなるに違いない。

私は、他人が用意した講演スライドを使ったことはない。
一度、駆け出しの時、本当に最初の学会発表で、先輩が用意してくれたスライド原稿を丸暗記して棒読みしたことがあった。
私が研究した結果の発表だったが、発表のイロハがわからない状況だったので致し方なかったかもしれないが、今でもその時のことは色々な意味で忘れられないでいる。

今度の講演では私のこれまでの診断、研究でコツコツ貯めてきたものを寄せ集めて話す。
少なくない数のスライドをテーマに合わせて並べ替え、字体をチェックし、内容に凸凹がないようにスムーズにしていく。
話のネタになりそうなことがあれば、トピックとしてそれを付け加える。
話すことは大体理解していて、読み原稿を作る必要がないのは年の功といえるだろう。

似たようなテーマで話すのはコロナ禍前の4年前の6月
あの頃はちょうどモテ期で講演する機会が多かったが、最近はそれもめっきり減り、話し方も忘れてしまった。
空白の4年は大きい。

その日のエントリーを読んだら、

 会場に来ている人みんなを好きだと思い、みんなを幸せにするために話す

という、私がたどりついた講演の極意のようなことが書いてあった。
私の講演は私のためではなく聴きに来て下さった方達のためのもの。
講演が終わるまでその気持ちを高め、どうしたらいいかを考えながら過ごしたい。
すべての人に感謝の気持ちを

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!