昨日とは打って変わっての曇天。夜には雨になった。
野菜を育てていると大量の芋虫を退治しないといけない。日々、肉や魚を食べているのに、いざ自分が食べる野菜のために虫を殺さなくてはならなくなると罪悪感のようなものを感じてしまう。豚や牛、鶏を育てるために大量の飼料を与える。そうして得られる私たち人間の命とはどれほどの価値のあるものだろうかという疑問に至る。
生きることに必死なのは虫とて、植物とて一緒だ。それは”半”生命体のようなウイルスですらそれは同じだ。今、全世界を恐怖恐慌に陥れているCOVID-19がどこでどうやって生まれてきたかはわからないが、”半”生命体であっても一旦この世に生を受けた存在として”生き続けること”は存在命題となる。ウイルスだって生き残るのに必死だ。そして今のところ、戦況はCOVID-19の圧倒的勝利となっている。症状が重篤となるのは、糖尿病などの基礎疾患、喫煙者、そして高齢者だ。ウイルスにとって、こういう人よりも若く元気な人間に次々取り付いていけば生きながらえることができる。そういう人間を宿主にしている限りは問題ないのだ。
庭いじりをして、大小の命のことを考えるようになった。鳥に餌付けしているのだが、それをリスが食べに来る。いや、ドバトも来るし、カラスも来る。昨日のトンビももしかしたらスズメの餌を食べに来たのかもしれない。生きるのに必死なのは人間だけではない。
これまで生きてきて、こんなことに気がつかなかったということがたくさんある。医者というのは人間が生きること、人間が生き延びることだけを考えていればよかった。科学の進歩は多くの実験動物の命の上にある。ファージ、大腸菌、マウス、猿、その他諸々の命が人間のために費やされてきている。そして、私はそれらの命の上にある医学という学問の一翼を担い、人の命のことを考え、助けることをしている。
私の人生とは、いや、人間の存在というのは一体何なのだろう。
私は必死に生きてきたか