最近、父ともっと話したかったと思うことがある。
父には私がしたいこと、なりたいと思うものをことごとく反対され、私はずいぶん恨んだ。父が亡くなった今となっては、恨みつらみを言うこともできない。そのせいか、もう、恨みもないし、自分の人生を受け入れて生きていくしかないと思うようになった。
父と2人で話したことで覚えていることといえば、進路のこと、部活選びのこと、あとは学業成績が悪かった時(これは何度もあった)ぐらい。生き方とか、趣味とか、そういったことはあまり話した覚えがない。
6月に父が亡くなって初めて、人間というのはどう生きるべきか、どう生きたらいいのだろうと、不安な時に話したい相手がいなくなったことを知った。やっぱり寂しいものだ。
休みの今日は、喪中のお知らせのハガキの宛名書き。100枚あまりとそう多くない。息子たちを見ると年賀状そのもののやりとりがなく、この先どんどん減っていくだけだろう。この先もう、職場での年賀状のやりとりが増えることもない。
ただ、今年の年賀状を読み直してみると、自分のことを気にかけてくださっているのだなと思えてありがたく思う。なかなかお会いすることもままならない状況で、今年はこちらの状況をお知らせするだけとなるのは残念だが仕方ない。
近況は書けず
私は父とじっくり話した覚えがありません。進路も成績も部活も。毎日顔はあわせましたが、テレビ番組や野球がどうこうといった、表面的・断片的なことだけでした。要するに、語る中味がなかったんだと思います。
もちろん、そういう生き方も人格も、私が口出しすることではないのですが、思春期の私は大いに不満で、父をバカにするようになりました。父も私のようなのが息子で不運だったと思います。
父親としての重みがコロ健さんのお父上とずいぶん違うようです。
それではまた。
父へのコンプレックスを多少なりとも感じながら生きてきたように思います。私にとって父が偉大だったのか、それが主にだったのか、今となっては、それがよかったのか悪かったのかはわかりません。そして、そのコンプレックスも父がなくなてしまったことで消えてしまいました。
自宅でゆっくりと死んでいった父には、人が死ぬということを教えてもらいました。そのことは、とても立派なことだったと思っています。
すみません、なんだか文章がまとまりませんね。まだ、まとめるには早すぎるのかもしれません。