マルチーズのコロ(15歳、24日で16歳)、昨夜は寝る前に痛み止めは飲ませておいたが、切れてしまったようで、2時過ぎから鳴き出してしまい、獣医さんから出しておいてもらった痛み止めの注射を打って、3時半ごろにやっと静かになって眠ることができた。
昨日コロの面倒は老犬の介護士さんに見てもった。
以前、フラットコーテッドレトリバーのナイトが明日をもしれないという時にもきてもらったことがあり、コロとはそれ以来の顔見知りの仲。
留守番中のおやつを探していたら、泉屋のクッキーの猫パッケージというのを妻が見つけた。
包装紙はほぼ普通なのに見つけてしまうというように、こういうことに関し、ものすごい才能をもっている。
その老犬の介護士さん、猫が大好きで、思った通り喜んでくれて、缶の絵とクッキーの写真を送ってくれた。
私は、人の介護というものを経験したことがない。
この先、母の介護が必要になったら、いろいろなことが必要になるのだろうと思いながらコロの面倒を見ているが、ありがたいことに今のところは母はとても元気で将来そんなことが必要になるなんて到底思えない。
もちろん、私が介護してもらうことになった時はどんなか、妻の介護をすることになったらどんなかということもうっすらと考える。
人間、上手く死ぬということは難しい。
以前、民生病棟のある病院で仕事をしたことがあるのでわかるが、たいていの人は死ぬ前に見つかってしまうので、野垂れ死など、まず無理だ。
そうなると、今の日本ではどうにかこうにか誰かに見守ってもらいながら死ぬこととなる。
私は、できたら自宅でうまい具合(動けなくなってから一週間ぐらいで)に看取ってもらいたいが、そんなことコントロールできるわけがない。
結局のところ、最後まで自分がよりよく生きようとする意志が大事なんじゃないかと思いながら、今日も明日も生きていくしかない。
人生ああよかったと思えるか
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死ぬ時に、ああ、いい人生だったと思えたらいいですね。
全く知らない介護士さんより、
顔見知りというだけでも、
コロちゃんはリラックス出来ると思います。
遅かれ早かれ、誰もが死を迎えるので、多少の覚悟しているつもりですが、
強欲というか、ワガママというか、
生きたい!という感情が強いので、
もう少し先のことであって欲しい!との勝手な思いから、
「死」については、あまり深くは考えないようにしていました。
上手く死ぬこと、、、じっくり考えてみます。
母は今のところすこぶる元気で、あと10年はそのような話は出ないだろうと思っています。でも、絶対はないですよね。
父を自宅で見送ることができてよかったと皆思っていますが、母はどうしてほしいのかは聞いていません。
ちゃんと聞いておかなくてはいけませんね。
不安ながらも自宅へ帰った。
ソーシャルワーカーさんの選択してくれた看護師さんはすばらしかった。癌研で働いていた50代。毎日来てもらい、医師も隔日毎。
多くの友人知人が見舞いに来てくれて、娘は外食、買い物をした。診たての倍の月日を家で過ごし旅立った。
今の介護制度は行き届いています。安心して母上をどうぞ。病院を嫌った娘に添えてよかった。最後まで自分らしく自由に過ごせた。遺族も悔いはない。