夜中に、ごうごういう風の音で目が覚め、外を見たらソヨゴが今にも折れそうにしなっていた。房のように咲いた花が白くぼうっと浮かび上がっていたので、どうしたのかと空を見上げたら、ものすごい速さで流れる雲の間から丸い月が見えた。そういえば、昨晩は満潮となるから、水害に十分気をつけるようにとニュースで言っていたのを思い出した。
おとといの日曜日、ご近所までお届け物をしにでかけたら、鶴岡八幡宮の鳥居に七夕飾りがあったので、舞殿までお参りした。舞殿の先、大石段の下、すなわち大銀杏の前に茅野輪があったので妻とくぐった。どうしてまだ茅野輪がまだあるのだろうと不思議に思ったが、そこには人形(ひとがた)も置いてあり、”新型コロナウイルス感染症の影響で大祓いの儀式は取りやめ、参拝した人それぞれが納めることにしたというような説明書きがあった。頭と体を撫で、息を吹きかけ、横に置いてあった小さな赤い箱に奉納した。
神の服をせっせと作っていた織姫と、これまたせっせと牛の世話をしていた牽牛とを、神が夫婦にしたら働かなくなり、怒った神が引き離し、悲しく余計に働かなくなって、困った神が二人を年に一度だけ合わせるようになったそうだ。もともと労基署がやってきそうなブラック企業で、職場結婚させられて、それでも幸せを掴んだら、今度は、片方が単身赴任。会えるのは年に一度、というなんだか切ない話だ。どこかにあったそんな話が物語になったのだろうか。
昨晩の満月は妻も見ていたようで、”今夜も雨だから、あの月明かりを頼りに二人は一晩早く、会っていたのかしら”などと今朝言っていた。今夜も雨は上がっているけれど、やはり星は見えない。そうだとしたら、なかなか二人もしたたかだ。
それはさておき、その織姫のような技術・技能が手に入るようにという願いを込めるようになったのが、七夕の願い。舞殿の横にはそんな願いを書いた短冊がたくさん下がっていた。
日本各地の七夕祭りも新型コロナウイルス感染症に加え、大水害でそれどころではなくなっているだろう。医療施設の被災も報じられていて、受付には家庭に飾るよりはずっと大きな笹が多くの短冊で飾られていただろうかと思うと、悲しくなる。
この国に、どうしたらいいかわからないという状況が目の前に突きつけられている。
世の中の役に立つ病理医になれますように