こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人の心に寄り添うのはとても難しい

2023年08月16日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
台風7号の余波の強風が一晩中吹いていて、時々目が覚めるほどだった。
鎌倉あたりには昼ごろに雨雲がかかる様で、今日も水やりは要らないから助かると妻とちょっと喜びあって出てきた。

妻とは家計を一つにし、長らくともに暮らしてきたものの、妻の思っていることがわかっていなかったと愕然とすることがある。
以心伝心、あ・うんの呼吸など、実は自分にとっての都合のいい解釈に過ぎないのではないかと思う。
もちろん、力を合わせて何か同じ目標に向かっているのなら、ある部分については同じことを考えているから、そこは理解できるものの、そうでない場合はどうか。

最近、様々な局面で、人の心に寄り添うという言葉が使われるが、どうもそれには胡散臭さというか、曖昧さを感じる。
寄り添う、という行為はあくまでもバイ・スタンダーすなわち傍観者によるものの様に思えるからだ。

いろいろな状況があるので、一概に言えないが、たとえば、理不尽ないじめが起きている場面。
登場人物は、いじめっ子、いじめられっ子、そしていじめっ子の取り巻きといじめられっ子のシンパ。
この時各人に求められる行為を考えてみる。
ただムカつくからといじめるいじめっ子に求められるのは、じめられっ子の立場になって考えること。
いじめられっ子に求められるのは、誰かに助けを求めること。
いじめっ子の取り巻きに求められるのは、自分がいじめに加担しているという自覚とそこから立ち去り、いじめっ子を孤立させること。
いじめられっ子のシンパに求められるのは、いじめられっ子の心に寄り添って慰めることではなく、どうしたらいじめを止めることができるかを考え、いじめをやめさせることだと思う。

人間関係なんて、私とあなたとあいつとこいつ、ぐらいのものだから、登場人物はこれぐらいでいいだろう。
個人レベルから国家レベルまで様々あって、学校でのいじめから、ロシアウクライナ中国ベラルーシ日米欧の戦争のことまでどれも同じ様なものに感じる。

いじめられっ子にとってはいくら話を聞いてもらっても、結局は次のいじめは避けられないわけで、寄り添ってくれるだけでは問題の解決には何もつながっていない。
無力な人にできるのことは寄り添うことが精一杯だし、いじめられっ子に加勢して自分もいじめられる様になってはたまらないと思うのは仕方ない。

人の心に寄り添うという耳触りのいい言葉は使いやすいが、意味は曖昧だ。
自分ではその意味をどう捉えるかということを、よくよく考えて使い、実行しなくてはいけない。
気軽に使うな

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