Eテレの「世界の哲学者に人生相談」という番組を観ていたら”良心を取るか、自分の夢を取るか”という”思考実験”が行われていて、その中でのゲストの哀川翔さんの「そいういうものだと考えますから」という言葉が印象に残った。観ている途中で夕食となり最後まで観なかったのでどんな風に終わったかはわからなかったけど、感心した。彼の言いたいことそのままではないだろうけど、『人生というものは、そういう状況になったとしても、自分の選択が正しいか間違っているか、というものではなく、ある意味運命論的にそのようになるものなのだと受け入れる』ということなのだと解釈した。
運命は決まっているものではないし、自分でその都度選択していくことはできる。それは今日読み終えたクリスマスキャロルのスクルージにしてもそう。
私にしてみても、ブログを始めて10年目にして初めて、昨日の記事の中で自分の専門領域を明らかにした。これはこれで結構な決断だったけど、後悔はしていない。潮時、というかそんなものなのだったのだろう。
以前、同僚と話していたら「こんなものですよ」と言われたことがあった。その時はなんだか投げやりな人だと思ったけど、本当はそう考えて、起こったことを受け入れいていたのだとあとでわかった。
他者への期待とか、そういうものではなくって、全ては自分で全てを受け入れる。その都度の決断が正しいとか間違っているとかではない。
人生なるようにしかならない、とも似ているけど、ちょっと違うような気がする。”なるようにしかならない”より”こういうものなんだ”の方がちょっとだけ、人生をより主体的に捉えているような気がする。”なるようにしかならない”は「放っておいてもなんとかなる」だけど、”こういうものなんだ”は「努力をしても、時に報われないこともあるが受け入れる」という感じだ。
努力をしても、良心にしたがって生きても、その思いが報われないことはしばしばある。それよりも、努力するべき目標があること、良心を発揮すべき局面がある人生であることを受け入れ感謝して生きることが大切だということだろうか。
すべてを受け入れる