こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

実存主義と南無阿弥陀仏・・・2021年3月の読書記録

2021年04月02日 | 読書、映画、音楽、美術

昨日、所用があり休みを取って早めに職場を出た。約束の時間までには余裕があったので桜を見に近くの公園に寄り道した。たくさんの花をつけた見事な大木に圧倒されつつ、今年の桜もこれで見納めだなと美しさを目に焼き付けておいた。来年再び見ることができるという保証などどこにもないわけで、2度と見ることもないかもしれない。そういう意味では桜の花というのは人生の儚さを表しているようにも見える。
以前、息子から勤め先の病院の桜の古木が軒並み伐採されたという話を聞いた。私も好きな場所だったが、なんでも近隣住民からの落ち葉に対する苦情への対応のためということだそうだ。先日、引越しの手伝いに行ったら、大量虐殺の跡よろしく無数の切り株だけが残っていた。この春もたくさんの花をつけようとしていた木々にとては藪から棒に次々と切り倒され、その命を続けることを突然中断させられたのだからたまったものではなかっただろう。私のかつての勤務先でもバッサリ切られた桜の木があったが、人間の身勝手さにはほとほと呆れる(桜の木の伐採 -2012年4月4日 )。それにしても近所の何人の人が伐採を要望したのだろう。
先月は『嘔吐』と『歎異抄』。

『嘔吐』の主人公のロカンタン氏は『雪国』の島村と同様の高等遊民。生活にあくせくしているような人では小説という非現実世界の語り手にはなれないようだ。虚構とはいえ、そういう人たちが考える思考というものを一般化させることは果たしてできるのだろうか。少なくとも私は働かなくてはいけない身、そんな人間がこんな小説を理解できるのだろうか。なんて、まあ、ただのひがみかもしれない。
宗教のことを分かったように書くと、信者の方に怒られてしまうかもしれない。ただ、新聞1面に「無人島に持っていくなら歎異抄」という広告がたびたび掲載されるのをみるにつけ、ならば読んでみようと思っていたがなかなか手に取る機会がなかった。サルトルを読み終えて、次は何を読もうかと書店で本を探していたら『歎異抄』が目に入った。薄い本で、『嵐が丘』、『嘔吐』と大作続きだったのでこれ幸いと手に取った。他力本願、悪人正機、そういうことがどういう意味なのかを垣間見ることができたし、戦国時代のことも想像できるようになった。昨年の大河ドラマ(麒麟が来る)の前に読んでおけばより面白かったろうにと思うとちょっと残念。

読んだ本の数:2
読んだページ数:499
ナイス数:28

南無阿弥陀仏 この本を読んでやっと一向一揆のことがわかった。解説文は丁寧に書かれていて、出てくる言葉をググるとあれこれわかる。便利な世の中になったものだ。 そんなに時代が変遷して念仏を唱えることの意味は不変。 あまりにコテコテの関西弁で、わかりにくいところもあったけど、何度か読み直してみよう。
読了日:03月26日 著者:唯円

わかりやすい訳のおかげで読み通すことができた。主人公に感情移入することはできず、”吐き気”を理解することは最後までできなかったし、”存在”というものも自分のものにすることはできなかった。”単独者”については自分なりに理解できた。自分もそうだからか。 公園の変態、独学者の性癖は作品にリアリティーをもたらした。
読了日:03月23日 著者:J‐P・サルトル


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