新型コロナウイルス感染症に対する持続化給付金に関連した詐欺が次々と明るみに出ている。事業家面をして詐欺を指南していた人物は国外に高飛びし、国内に取り残された末端構成員が次々と捕まっている。また、民間人はもとより、経済産業省、国税庁からも犯罪者が出ているのは、役人の質の低下を示している。人様のことをあれこれあげつらう資格は私にはないが、普段からバカ高い税金を徴収している国、特に国税庁としては、インチキ申請を草の根分けても、そして5年10年かかっても摘発し続け、税金を取り戻してくれないと困る。そうでないとコロナで困っている人のためにと納税している正直者が馬鹿を見る。ただ、悪用の手口にもっとも通じているのが当の国税庁にいるのだから、あきれてしまう。5兆円余りを給付したというが、果たしてどれだけがまともなものだったのだろうか。
正直者が馬鹿を見る世の中というのは必ず劣化する。ルールに従ってあらたな事業、開発ができない、不正腐敗がはびこるようでは、ルールを破ることを前提とした社会となる。正直とか善良、そうあればそれが正しい生き方であるとは言えない国になってしまった可能性がある。善良であればそれは正しい生き方であるということに疑念を持たざるを得ないのが、今の日本だ。
善良な人というのにたまに出会うことがある。私自身が後ろぐらいところがあるので、同様に後ろぐらいところのある人と話すと、その人の後ろぐらさが伝わってくるのだが、善良な人は後ろぐらさの微塵もない。若い人の中にそんな”希望の光”にも似たものを見出すことがたまにあるが、今回の給付金詐欺ではその若い人の多くが不正受給を申請したということなのは残念な限り。これは、特殊詐欺の受け子を未成年者がやっていることとも通じる。残念ながら、こういう人たちにはある程度の烙印を押して、後に続く人が出ないようにする措置も必要ではないか。それにしても、一度でも泡銭を持ってしまうと、その記憶を消すのは容易ではなく、彼ら彼女らの未来が気の毒だ。
人の生き方が多様となり、善良であることとはどのようなことなのかが曖昧になっている。国民の模範として尊敬されるべき政治家は自浄能力を失い、総理大臣、国会の議長までがいい加減なこと、甘えた言動を平然と行い、官僚は政治家に忖度することで自らを劣化させ、人材不足に陥っている。これでは国民はどう生きたらいいかわからない。せめてその時々信念を持っていたらその信念が拠り所になるが、この時代はそれすら持つことが難しくなっている。日本は善良であることが正しいとはいえない国になってしまったのだ。
それでも私はこの国で生きていかなくてはならない。後悔の多い人生だったが、善良であろうという思いを失ってはさらにその後悔は増えるばかりだ。何が善良で何がそうでないということも定義することは難しいが、他人は他人、私は私として、信じるように生きていくことが大切だ。
損して得を取れるか