英語で論文を書いた仕上げに英文校正にだす。私のような非native speakerが書いた英文を、native speakerに英語らしく直してもらうのだ。
そういう私の英語レベルはというと、仕事内容の細かいところまでは難しいけど、専門領域のことなら会話までは大丈夫。論文なら90%程度理解できるが、新聞英語は半分もわからない。そして、書くのは冠詞が滅茶苦茶といったところ。この程度の英語力だけど、中学高校で習った英語が役に立っていることは否定できない。まあ、通っていたのは進学校とはいえ、成績は中の上ぐらいだった。
英語教育開始年齢がどんどん低学年化していることについて、いろいろな意見が出ている。将来、英語を使う人にはその準備として意義があるだろうけど、そうでない人の役には立たない。けど、誰が将来英語を必要とするかはわからないので、判断は難しい。ただ、英語が公用語化されない限り、非nativeがいくら英語を学んでも、native speakerにはなれない。正しい英語が使えても、正しいニュアンスとか、今使われている英語が使えるようにはならないからだ。それは、日本語を上手に話す外国人と会話したらよくわかる。また、小さい時からバイリンガルを目指して日本語も英語も同じ程度学んだからといって、どちらも流暢に話せるようにはならない。難しいものだ。
英語教育に関しては課題がいろいろあるだろうけど、1つだけたしかなことは、英語を学校の成績に結びつけている間はなかなか日本人の英語アレルギーは消えないだろうということ。たしかにアメリカに行って、英語が使えないと能力の低い人間として扱われてしまうが、それは世界中どこの非英語圏の人も共通のことだ。
だから、TOEICとかTOEFLといった英語技能検定がある。こういった、公平な英語力を評価する試験をもう少し有効に使ったらどうだろう。学校の定期試験のテストの点数、とか大学入試とかでの差ではなく、英語だけはすべての学生、社会人を同じテストで評価する。英語に学校別、職業別の独自性は不要だろう。技能検定試験のスコアが高い人は高い、そうでない人はそれなりにということだ。
今の教育システムでは、英語ができない→劣等感の増幅→学校生活がつまらない→いじめ、不登校、ということにつながりかねない。それよりは、外部の公的試験のスコアは各自で管理し、学校では英語の授業だけ行えばいい。スコアの管理はもちろん厳重でなくてはいけない。
結局のところ、英語を公用語にするのは難しく、今のまま学校教育で英語が通じるようになる準備をしておくしかないだろう。
グローバル化に備え、すべての日本人が英語を話せるようにしたいのなら英語を公用語化するのが一番手っ取り早く、確実だ。役所や銀行、公共交通機関では英語での対応可能とする。そうすれば、世界中から人が集まってくるだろうけど、日本語が駆逐されてしまわないか心配になる。
われわれ日 本人が日本語を捨てて、英語で生活するようになれば、100年もしたら誰でも英語を当たり前に話すようになる。言葉なんてそんなものだ。ただ、日本語は地上から消滅してしまう。 そんなこと、誰も望んでいない。日本語があって、日本文化がある。言語とはそういうものだ。
まず、日本語を