四時頃目が覚めたのは新聞配達のバイクの音のせいかと思ったら、低い音が聞こえる。妻に「カミナリの音、聞こえる?」と言われ、その低い音が雷の音だと知った。その時はまだ雨は降っていなかったので、窓をほんの少しあけてみると、小鳥たちの控えめに朝の挨拶が雷の音と一緒に聞こえてきた。彼らにも遠雷は聞こえていたのだろうか、やがてそのさえずりもだんだんと近づいてくる雷の音に遠慮するかのようにやんでしまった。ほどなく大粒の雨が降りだし、稲光も加わった。眠りに戻れず小一時間ほど、そんな空をウトウトしながら眺めているうち、いつもの起床時間となった。
すでに雨はやみ、青空がのぞいてる。このところの蒸し暑さとは違って涼しい空気が満ちていた。寝ている間にも、外の世界では色んなことが起きている。時間というものが前にしか進まず、今ある記憶はすべて瞬間瞬間に作られている虚構とすれば、寝ている間というのはさしずめ記憶作りのための脳のメンテナンス時間といえようか。
そうすると、雷の鳴っていた間のウトウトしていたまどろみは、PCの起動前のじれったいけれども必要な時間ということになる。寝ている間というのが人にとって、短い死だとさえいう人がいるがその表現はあまり好きにはなれない。スッキリと目覚めることで、毎日新しい朝を迎えることができるようにしたい。
でも、まだ5月。
五月(皐月)晴れの爽やかな日でした。
ラジオの解説によるとこれもイマイチとのこと。
俳句の世界では爽(さわ)やかな季節は秋と決まっているとのこと。
爽やかを清々(すがすが)しいに言いかえてました。
その後、NHKのテレビでのお天気お姉さん、きちんと「清々しい朝ですね。」
って、言ってました。
「爽やかな朝だなー」
「清々しい朝だなー」
どっちでもいいと思うけど…(笑)