朝からの大雨は一日続くような勢いだったが、幸い、夜にはあがって傘の世話にはならずに済んだ。
このところの寒さのせいか、電車内でも咳き込む声が聞こえてくるし、心なしか一時期よりもマスクをしている人が多い。
かく言う私も、喉が痛いのでマスクをして保湿に努めている。
さすがに今朝の横須賀線には暖房が入っていた。
暖かくて快適で、これならもうちょっと早くから入れてくれてもよかったのにと思う。
ブログではこれまでに何度も病理医という仕事について紹介してきた。
そこそこ長く書いているが、この間、病理医を辞めようと思ったことはない。
これまでには相当嫌な思いをしたこともあったが、仕事としての病理医を辞めようと考えたことはなかった。
もちろん、いい年までやって、それなりのキャリアを積んでいたし、養わなくてはならない家族もいたから、臨床を一から始めるというリスクを取ることはできなかった。
だが、病理医を続けるため、職場が嫌なら他所に行けばいいと思っていたし、実際、こちらから辞めたこともあった(先方は追い出せたと思っているかもしれないが)。
私は病理診断という仕事が好きなようだ。
標本に半ば格闘するように取り組み、わからない時にはあれこれ本や論文を渉猟し、高名な病理医のコンサルトを仰いだりして病気の本質に迫ろうとする仕事。
言葉にすると大袈裟に聞こえるが、そう大したことをしているわけではない。
まあ、私なりには頑張っている。
将来は外科、産婦人科、小児科、精神科などを考えていたし、なにも人間が嫌いで病理医になったわけではない。
たまたま、父(内科医)の勤務先に非常勤で仕事に来ていた病理の先生が、私の医科大学のスタッフとして赴任され、その後知り合い、病理学の魅力を聞いているうち、研究の道に進もうと考えたのだ。
それに、勉強嫌いだった私が嫌でも勉強するようになるには、勉強が仕事になる病理医は魅力的だった。
研究者として大成はしなかったが、病理医としてなんとかやってくることができたし、もう少しやらなくてはならないことがある。
私にとって、一人で病理診断をしている時が一番気楽で幸せだ。
一人病理医というと良くないイメージがあるが、私は院内唯一の病理のスペシャリストとして大切にされていたのはそう悪いことではなかった。
ずいぶん昔、病理医として一人立ちし、外の病院に初めて出されてしばらく経った頃、今でも恩を感じている大学時代の指導教官だった先生に、
健ちゃん、、、先生以外に病理のこと知っている人が病院内にいないからって、勉強しないで仕事を疎かにしちゃダメだよ。
と、釘を刺されたのは今でもよく覚えていて、ことあるごとに戒めとして蘇ってくる。
スーパースペシャリストである病理医の慢心は病院のレベルの低下に直結する。
そんなことを自覚しながら日々送っているなんて、患者さんは誰も知らないし、事務方もあまりわからないだろう。
臨床医のように多くの人からの賞賛を得ることはないものの、臨床医がドアをノックしながら、
先生、ちょっといいですか?
と言ってきてくれるごと、正直、嬉しさを感じる。
気張るつもりはないけれど
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