立春。まだまだ寒いけれども、いつの間にか日は長くなっている。いよいよ楽しみな春がやって来る。ミツマタの香りが嬉しい。
通勤時、住宅街を歩いていたらほうぼうの家の前に、豆が落ちていた。節分の豆まきの豆だろう。昨夜は、わが家でも親子四人、そろって豆まきをした。
鬼は外、鬼は外、鬼は外。福は内。
豆まきのとき、これまでの私はなにも考えずに漠然と鬼を縁起の悪いもの、忌むべきこと思っていたのだが、鬼とは一体どんなもので、一体どこにいるのか。
そんなことを、急に考えた。
鬼は誰の心の中にもいる。昨日、有名な元プロ野球選手が覚せい剤取締法違反で逮捕された。つい先日には安倍政権の重要閣僚の一人が裏金問題で大臣を辞職した。売れっ子タレントと人気歌手の不倫問題がニュースにもなった。覚せい剤、裏金、不倫。いずれも処罰の対象となったり、倫理的に許されなかったりすることで、少なくともそれなりの立場にある分別ある大人がするべきことではない。捕まったり、非難されたりしている人たちだって、そんなこと判っていた。百も承知だっただろう。けれども心の中に鬼がいた。
鬼に魅入られる瞬間というのは誰にでもある。誰の心の中にも、鬼は小さくなって潜んでいる。そして、鬼はいつも少しずつ顔出している。暗く寂しいとき、感謝の気持ちを忘れて傲慢になったとき、人の気持ちや愛情が見えなくなったとき、思わぬ時に鬼は突然大きくなり、気づいたときには、心の中を支配している。
だからこそ、人間はそんな鬼に心を乗っ取られたりしないように、心を正しく持って生きていなくてはならない。私たちは、鬼を大きくしないために注意深く生きているけれど、それはとても難しく、くじけそうになることだ。
だから、私たちは“鬼は外”と心の中の鬼を払う。そして、春の訪れを“福は内”と喜び、弱くなりがちな心を明るく、楽しく元気づける。
わが家の前は鳩だらけ