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往復の時間の大半は音楽を聴いている。
こういうのを趣味と言えるかわからないが、好きで楽しんでいるのだからそうしておいていいだろう。
Apple Musicを使うと、色々勝手に選んで揃えて出してくれる。
ここ最近は、「朝の・・・」といれて、クラシック、ジャズなどを集めたリストが出てくる。
クラシックを選ぶとそこそこアップテンポの曲が集められてそれなりにいいのだが、ペールギュントがいつも入っていて、そのレーベルを見るのに飽きてしまって最近は他のジャンルを選んでいる。
今朝は「朝のハワイアン」を選んだ。
冷たい風が吹く鎌倉駅のホームの上で、のんびりしたウクレレの音色が流れ、
この寒さでハワイかよ
と、選曲を失敗したと別のを探そうとしたが、
目を瞑ればここもハワイよ
と、そのまま聴いた。
帰りは気分によって色々。
クラシックが中心だが、BGMとして一楽章を切り抜いて聴くというのがどうも、曲に対して失礼なような気がしてしまう。
全体を聴くことが受け止めることができると思うのだが、まあ、駅の発車の合図のメロディーが混じっているのだからそう気にすることもあるまい。
他にも、眠くなる曲だの心穏やかになる曲だののなかから選んだり、自分で集めた曲で作ったプレイリストから選んだりする。
昨日は疲れていたので、眠くなる曲というのを選びたかったが、勉強しながら帰るからと、これではいけないと「邦楽マイヒット」というプレイリストを選んで帰った。
私の10代〜30代、すなわち、1970年後半から1990年代のいわゆる”メガヒット”が並んでいて、それぞれの曲ごとに印象的な出来事が蘇った。
昨夜はNHKで高橋幸宏の追悼番組が放送されていた。
YMOの出現に立ち会えたというのは幸せだったなあなどと妻と話しながらみた。
ジョンレノンが亡くなった時にも感じたことだが、YMOももう2度と再現されないのかと喪失感を覚えた。
ロック、ポップス、そういったジャンルの名曲も、オリジナルのメンバーが亡くなったのちには、クラシック音楽のように若い人がカバーするのが当たり前のようになるのだろうか。
もしかしたら、この間のAIユーミンのようなものが次々と出現して歌うようになり、そのうちには擬人格のようなものを持つようになるのかもしれない。
ただ、似たような曲を作ることはできるかもしれないが、新たな曲を創造することは難しいだろう。
才能はその人一代限りだし、AIが人間の創造性を超えることはあり得ないように思う。
新しい曲についていけない
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