![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/93/776796d60ec3538d5f764e6b09496263.jpg)
今日は、7月並みの気温になるそうだが、まだ6月3日。先が思いやられる。世の中の話題がコロナ禍と東京オリンピック・パラリンピックに占められるようになり、最近ではもうエントリーする気力が失せつつある。だからと言って止めることもあるまいと、過去の書きかけのテーマを使おうかと見直したがどうも面白くない。これらの多くはボツ記事に行ってしまうのだろう。それでも何か思いつかないかと考えてひねり出したのが今日のテーマ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/de/e13e76bc1de36164c60a2480d7c26b94.jpg)
書くべきことというのは日々変動し、その時々に心に浮かんだこと、考えたことを反映させることこそがブログを生きたものとしている。そんな言葉たちを、いったん掴むことができたらしばらくの間離さずにいて、そこから考えが広がるかを吟味する。そして次の言葉が出てくるようであったら書き始める。一度生まれた言葉の命は大切に扱ってあげなくてはならない。
その時、思ったこと、それに引き続いて浮かんでくる言葉というものは生きていて、その命はほんのわずかな時間しかない。ブログには普遍的なことを書いているつもりなのだけど、今ではその言葉の普遍性がコロナ禍による影響を少なからず受けるようになってしまった。新型コロナウイルス感染症は瞬間的な社会変動ではなく、ウィズコロナ時代としてこの社会を丸ごと飲み込んでしまった。もう、これに抗うというよりは、ともに生きていかなくてはいけないだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/bc/5c0a1a2952bd07b19baaefbf6a0cda23.jpg)
先日、私がよく読ませていただいていたブロ友さんが”アクセス数を上げたかったら、まずは高校生ぐらいが書く(読みやすい)文章にすること”と書いていた。なるほど平易な語で、理解する努力の必要のない文章の方が読む方は楽だ。アクセス数の多い=多くの人の共感を呼ぶ文章、というものを書くことができる人というのは羨ましいが、残念ながら私にはそんな文章を書く技量は無く、いつもくどくどとあれこれ書き連ねてしまう。ただ、自分から生まれてきた言葉というものをどうやって大切に扱うことができるか、それを考えることをやめてはいけないと考え、日々過ごしている。
てにをは誤字脱字
頭で分かっていても、文章を書き始めると、ついつい、あれも言いたい、これも表現したいと長々と駄文を綴ってしまいます。
ご指摘は、耳の痛いお話です。