人のことを憎むより、ゆるすことのほうが難しいように感じる。
でも、ゆるすことが難しいのなら、言い方を変えてみてはどうだろう。
「ゆるす」ではなく、「相手に対する考え方を変える」としてみたらどうか。
誰かに理不尽な意地悪をされた、裏切られた、というようなことがあったら、私はその人のことを恨めしく思ったり、仕返ししたいと憎しみの心を抱くだろう。こういった、恨めしい気持ち、憎しみの気持ちというのが、どれほど負のエネルギーを自分に荷してくるかがわかっていてもそうしてしまう。そして、その憤怒から得られる麻薬のような快楽にしばしば身を委ねてしまうだろう。そして、その快感が途切れると、次なる快楽を求めて魂はさまよい、また次のターゲットを求めてしまう。これでは、いつまでたっても幸せになることはできない。
人から嫌なことをされたとき、相手を憎むのではなく、そのことをプラス方向の考え方に変える。まず、そこから始めてみたい。人生には人それぞれいろんなシチュエーションがあるので、どんな時を想定するのがいいかわからないけど、それぞれの局面でそのように考えてみたらいい。
”こうなったからこうなった” の後ろの方の、”こうなった”はプラスにも、マイナスにも表現できる。もちろん、そこにプラスの言葉をいれたら、きっと幸せな気持ちになれるだろう。
そして、それが人をゆるすという心になっていくのではないかと思う。
誰も神様ではないのだから