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こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

"さくらんぼ計算"をめぐる議論に思う

2018年11月15日 | 電脳化社会
小学校低学年の算数の足し算、引き算の指導に”さくらんぼ計算”というのがあるそうだ(1算数のつまずきを克服!『さくらんぼ計算』のやり方&教え方)。
10に対する補数を利用して計算して、繰り上がり繰り下がりを理解することらしいが、算数がそう得意でない私に、本質的なことを説明することは困難なので、専門のサイトの論文などを参照していただきたい。

私がこのさくらんぼ計算というのを知ったのは、つい昨日のこと、ツイッターで「”さくらんぼ計算”をしなかったら弟が減点されてた」というツイート読んでのことだ。

”さくらんぼ計算”に対して批判的な人がいて、これに対抗して”さくらんぼ計算を指導すること”を肯定的に捉えている人との間の議論になっていた。

 ”さくらんぼ計算”を批判する人は、計算能力は個人個人が自由に獲得していくべきものだという立場のようで、型にはめることで優秀な子まで割りを食う、というようなことを言っている。

それはそうかもしれないが、その前にそういう人たちは”さくらんぼ計算”の意図をまず理解して批判していたのかと疑問に思う。

補数という概念は、理系脳の最も大事な考え方だ。

というのも、私が中学に入った時に衝撃を受けたのが、この補数の概念で、数学研究会に入っていた同級生が補数を使って大きな数の掛け算を、まるでクイズを解くかのようにやすやすとやるのを聞かされて、”ああ、なるほど”と思ったものだ。

(私が思いつくのは、例えば”970かける7”で、この場合、1000かける7と引く30かける7に分けて、7000引く210をした方が掛け算の繰り上がりがなくて楽に、6790という答えが導き出せる、というようなもの、かな?)。

数学が得意な息子も同じような考え方をもともとやっていて、私と違う考え方(手順ではない)で計算をしているので驚いた。

補数を使いこなすことができるというのは確かに理系脳の一つの特徴のように思う(理系脳がいいとか悪いとかではない)。

教育の現場で理系脳的な発想を訓練することは素晴らしいことで、たとえそれが身につかなくても、こういう概念があるということを知っておくのは無駄ではない。

私は、公文式で四則計算を”訓練”によって覚えたけど、さくらんぼ計算の方がむしろ概念的でいいようにも見える。

息子も公文式をやっていたが、それはそれ、理系脳の息子は理系脳的な考え方がもともとあったようだった。

だから、公文式とさくらんぼ計算は別次元の問題で、両者が合体すればより効果的となる。

”さくらんぼ計算”だろうが”公文式”だろうが数学のできる子はやっぱりできるし、理系脳になれない(私のような)子でもその概念を知ることができる。

”さくらんぼ計算”を知ることで理系脳が覚醒する子だっているかもしれない。

”さくらんぼ計算を指導すること”を肯定的に捉えている人は、教育方針の議論と勘違いしていたようで、両者の議論はそもそも噛み合っていなかった。

そこで心配になったのが、ツイッターという匿名の世界で、誰もが自由に自分の主張をしていく過程で、”相手の立場で考える”ということをしているかということ。

私も、最初”さくらんぼ計算”に関する批判的なツイートを読んだ時には大いに同意したけど、ちょっとそれって何?と考えて、調べてみたら、そう悪いものでもない。

批判の動機となったのは、方法論への本質的な議論ではなくて、『”さくらんぼ計算?”、それって何?知らない、自分たちが習ってきた学習法が一番』という立場であり、未知の教育方法への拒否反応というか恐怖であったのではないか。

さらには、教育という公権力による強制に対する反発心もあったように思う(文科省は関わっていないらしい)。

匿名の世界では、発言内容はとめどなく過激になっていく。

互いに相手の意図するところを理解しないままだったりすると、内容はトンチンカンにな方向へと進んで収拾がつかなくなる。

くだんの議論では、”さくらんぼ計算を指導すること”を肯定的に捉えている人が、議論のすれ違いに気がついて話は収まった。

”さくらんぼ計算”に批判的な人は、”さくらんぼ計算”を自分でやってみたのだろうか?例えば、長谷川式簡易知能評価スケールで最初につまずく93引く7。

この場合、7を3と4に分けるのだろうか?そうすると、66はすぐでてくるが、気合いで引き算をやっていると、なかなか答えは出てこない。

”さくらんぼ計算”についての議論はしばらく続くだろう。”さくらんぼ計算”そのものの良し悪しは別として、初等教育について大人が議論するということはいいことだし、大人の目が子供たちに目が行くようにもなる。

最も重要なのは、なんでもそうだが、議論する場合は議論していることが何かを知らなくてはいけない、ということだ。

相手に対する理解、議論の内容の理解をしなくては、議論は成立しないという常識が、私たち電脳社会で生きる人間に、定着することだと思う。

相手の立場に立つ

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風邪ぎみだ

2018年11月14日 | 日々思うこと、考えること

この数日、気温がどんどん下がっている上、雨がちで空も暗い。昨日は大相撲の稀勢の里ATPツアーファイナルで錦織圭も惨敗。こういう時は気分も落ち込みぎみとなり、免疫力が下がって体調を崩しやすい。



先週末から同僚が風邪気味で見るからに調子が良くない。そして私も。少しムカムカして、鼻水と咽頭痛に加え、お腹の調子も今ひとつ。妻も同じような症状のようで、曰く”つわり”のよう。
「なんだかきもち悪いんだよねー」というと、「それが”つわり”よ。あなたもつわりのつらさがこれでわかるわね」とのこと。なるほど、こんなのが二ヶ月近く続いたら、さぞかし辛いだろう。

そんなわけでつわりのような気持ち悪さを感じながら書いている。風邪は妻の周りでも流行っているそうで、同じような症状の人がちらほらいるらしい。

こういう時は、一日仕事を休んでぐったりしていたいのだけど、そうもいかない。私が診断を出さなくては困る、患者さんが今日も何人もいる。顔は見えないけど、色んな患者さんがそれぞれの立場で私の診断を待っている。そう思うと、なんとかなるようならばなんとかして頑張ろうと思う。

せめて暖かくして

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踏ん張れキセノン

2018年11月13日 | スポーツ・健康・ダイエット

ロンドンで開催中のテニスのATPツアーファイナルで、今年、怪我から不死鳥のごとく復活を遂げて出場している錦織圭がロジャー・フェデラーにストレート勝ちした。予選とはいえ、上位選手になかなか勝てなかったなか、これは嬉しいニュースだ。フェデラーには4年ぶりの勝利、6連敗中だったそうだ。ぜひ、次戦も勝って決勝トーナメントに進出して1つでも2つでもランキングを上げ、今年のツアーを終えて欲しい。

いっぽう、国内では横綱稀勢の里が初日から2連敗。日本中の相撲ファンの少なく見積もっても半分はがっかりしただろう。外国出身横綱が欠場したからチャンスとか、そういうことではない、みんな稀勢の里が好きなんだ。いつもしかめっ面をしているけど、本当は優しい笑顔を知っているから。力はあるのに、なかなか本領発揮できない忸怩たる思い、そんなどこか自分に通じる思いが稀勢の里を応援させる。負けたくて負けてるんじゃない、必死になってぶつかってくる相手力士に、なんでだろう、負けてしまう。

テニスにしても相撲にしても一対一の勝負。私はバスケットボールという団体競技をやっていたから、”タイマン”の恐怖というのは本質的にはわからない。自分の心が折れた時、どこかでチームメイトに頼っていた。そういう点からみると、こういう個人競技をやっている選手というのはすごいなと思う。稀勢の里も、高い運動能力を持っているのだからラグビーとかやっていたら別な意味でスーパースターになっていたかもしれない。でも、相撲道に足を踏み入れてしまった。そこでも横綱になったのだから大したものだ。

3日目の今日こそは気分を入れ替えて、頑張ってほしい。横綱大関で2連勝は弟弟子の高安だけだ。まだまだ、優勝の目はあるし、高安を援護射撃してあげるだけでも十分だ。キセノン、君は強いのだから、力の限りを尽くして勝利してくれ!

やった!大谷、新人王

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ああ、そんなこともあった

2018年11月12日 | あの頃のこと…思い出話

昨日、55歳を記念しての中学高校の同窓会があった。前回は2016年だったから、開催頻度は高い。それでも50人近くの人が集まり、盛会となった。

同窓会の企画といえば、思い出話に思い出の品といったところだけど、今回もそれなりに面白い話や品物が出てきて楽しませてもらうことができた。

中1の時、私が校内誌に新入の喜びを書いていた記事が出てきた(下欄に添付)。この時から書いている調子が基本的に今と大して変わらないので笑ってしまった。”たり”の使い方が間違っているなど、推敲の跡がほとんどないという点でも今と変わらず、情けなくなる。文章というものは残るものだ。どんなものでも心して書かねばならない。それにしても、ずいぶんな喜びようだ。

再認識したのが担任の先生方が若かったということ。学年主任の先生はすでに50近かったはずだが、その他の先生たちはせいぜい30歳だったということ。私の中一の時の担任の先生は母校に就職してから初めて担任として受け持ったクラスだったというし、他のクラスの先生も副担任の先生たちも同じ様な年だった。そう考えてみると、よくあんな生意気な中学生を曲がりなりにもコントロールしていたものだと思う。学校の先生というのは大したものだ。

多くの先生が定年まで勤めあげられたが、高三の時の担任の先生は早期退職で陶芸家となり、山あいの集落で作陶に励んでいらっしゃる。先生の人生もいろいろある。

10年近く前に私たちが学んだ校舎は取り壊されてしまったので、かつての面影は校門へのアプローチに植わっているイチョウの木だけとなってしまった。それでも、ここに立つと新しい校舎の向こうにかつて私たちがかけずり回ったグラウンドが浮かび上がってくる。6年間毎日通った思い出が褪せることはない。

次は還暦を記念して会うことを約束して別れた。

健康に気をつけて

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電脳世界の中で交錯する人生

2018年11月11日 | 電脳化社会

他の方のブログの読者登録をしていたら、いつの間にか100人を越えていた。

いろんな考えのひとがいるものだ。それぞれの人がそれぞれの考えを持っていて、それを”割とひかえめに”ブログに書いている。

 


ブログの内容が過激な人もいるけど、それはだいたい自分のことよりも、社会一般のこととかを匿名という前提で書いていて、自分のことはほとんど書いていない。いくらもっともなことを書いていても、所詮は匿名、そういう人のブログにはあまり興味は湧いてこないのでほとんど読まない。私にしても匿名なのだから同じ穴の狢、読み飛ばしていただいても、しょうがない。

さまざまななブログを読んでいると、いろんなものがある。その中にはほぼ写真だけというブログもある。そういうブログからはその人の人柄とか人生で起きる諸事への対応を垣間見ることができるので私はよく見る。時々、コメントを入れてブログ主さんから返事がくると嬉しくなる。


ブログに書いてあることは、その人が実生活で考えていることではないかもしれない。それでも、頭の中で考えたことなのだから、やっぱりその人の人生の一部だろうと思うのだ。 いろいろな人生があって、ネットの上で交錯している。単なるネット上の匿名者同士の中傷合戦ではなくて、互いに良い感情をシェアすることが起こっている。ブログをとおして、電脳世界に足を踏み入れた頃はそんなこと起こらないと思っていたけど、最近ではそれもありかと思うようになった。脳内環境が順応してきたからなのだろうか。

現実世界と等価になるか

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リウマチ性疾患と腎臓

2018年11月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

外科病理、という言葉があるほどで、病理診断の主戦場は外科が切除してきた組織における癌診断となる。それは例えば、胃癌、大腸癌、肺癌、乳癌、子宮癌、前立腺癌などだ。私の日常診断業務も癌診断が多くを占めるが、それ以外の疾患も少なからずある。その一つが腎臓の診断。腎生検診断がそれで、腎病理は私の専門分野だ。腎臓は全身状態をよく反映する臓器で、全身性慢性疾患のほとんどで腎臓に症状が出る。たまたまだけど、リウマチ性疾患と腎臓の関係について勉強することになったので、この場を借りてまとめてみたい。

リウマチ性疾患とは、免疫機構の不調によって生じる病気の総称で、多数の疾患が含まれる。免疫機構とは元来、細菌とかウイルスから身体を守るシステムで、人間ではとくに発達している。でもこのシステムが崩れて、身体各所が自分自身の免疫機構によって攻撃を受ける様になって生じるのがリウマチ性疾患だ(下参照)。関節はリウマチ性疾患の標的臓器として代表的なもので、リウマチ=関節の病気と思われがちだが、関節以外の臓器にも症状は出現するし、それらもリウマチ性疾患だ。中高年の病気とも捉えられてしまうけど、それは長年の障害の結果、関節に症状が出てくるからそう考えられてしまうだけで、小児にも発症する。

仕事のことですみません

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リウマチ性疾患

1。関節リウマチおよびその類縁疾患:

関節リウマチ(RA)、悪性関節リウマチ(MRA)、フェルティー(Felty)症候群、成人スティル病(成人Still病)、若年性特発性関節炎(JIA)*、リウマチ性多発筋痛症(PMR)、RS3PE(remitting seronegative symmetrical synovitis with pitting edema)症候群、回帰性リウマチ(PR)

 

2。脊椎関節炎およびその類縁疾患:

強直性脊椎炎(AS)、乾癬性関節炎(PsA),

SAPHO(synovitis, acne, pustulosis, huperostosis, osteitis)症候群、反応性関節炎(ReA)、炎症性腸疾患関連関節炎

 

3。全身性自己免疫性疾患:

全身性エリテマトーデス(SLE)*、抗リン脂質抗体症候群(APS)*、シェーグレン症候群(SS)*、全身性強皮症(SSc)/強皮症、多発性筋炎/皮膚筋炎(PM/DM)*、混合性結合組織病(MCTD)*、重複(overlap)症候群

 

4。血管炎*:

大型血管炎[高安動脈炎、巨細胞性動脈炎(GCA)(側頭動脈炎;TA)]、中型血管炎[川崎病(MCLS)、結節性多発動脈炎(PAN)]、小型血管炎[好中球細胞質抗体(ANCA)関連血管炎(AAV)[多発血管炎性肉芽腫症(GPA)、顕微鏡的多発血管炎(MPA)、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(EGPA)]、免疫複合体性血管炎[クリオグロブリン血症(CV)、過敏性血管炎(皮膚白血球破砕性血管炎;CLCV)、IgA血管炎、抗糸球体基底膜(抗GBM)病、低補体血症性蕁麻疹様血管炎(抗C1q血管炎)]]、多様な血管を侵す血管炎[ベーチェット病、コーガン症候群]、単一臓器血管炎[皮膚限局血管炎、中枢神経系血管炎]、バージャー(Buerger)病(閉塞性血栓血管炎)、全身性疾患関連血管炎[SLE,RA, サルコイドーシス]、推定病変を有する血管炎

 

5。変形性関節症:

変形性関節症(OA)、全身性変形性関節症・びらん性変形性関節炎

 

6。結晶誘発性関節症:

痛風、ピロリン酸カルシウム(CPPD)結晶沈着(偽痛風)、その他の結晶誘発性関節症

 

7。感染性関節炎:

細菌性関節炎、抗酸菌性関節炎、真菌性関節炎、スピロヘータ関節炎、ウイルス性関節炎、嫌気性菌による関節炎

 

8。全身性疾患に伴う関節炎:

サルコイドーシス、内分泌・代謝疾患(甲状腺疾患、副甲状腺疾患に伴う骨関節症など)、悪性腫瘍、血液疾患(肥大性骨関節症、血友病性関節症など)、アミロイドーシス

 

9。骨疾患:

骨粗鬆症、骨壊死、骨過形成性症候群(MDS)など

 

10。その他:

ベーチェット病*、再発性多発軟骨炎(RPC)、リウマチ熱(RF)、線維筋痛症(FM)、複合性局所疼痛症候群(CRPS)、好酸球性筋膜炎、神経病性関節症、結節性紅斑をきたすリウマチ性疾患、肥厚(大)性骨関節症、肥厚性硬膜炎、絞扼性神経障害(正中神経障害など)、自己炎症性症候群(地中海熱など)、IgG4関連疾患

*:小児でも多い疾患。

アンダーライン:腎症状がしばしば問題となる疾患。


話の上手い人の技術を学ぶ

2018年11月09日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

天声人語に、鎌倉の台風による塩害の話が書いてあった。天声人語はブログのようなものだから、2日に一度は読んでいる。いい文章の時には感心するし、駄文の時は”これなら私の方が上手”と内心ほくそ笑む(天声人語がライバルというわけではないけど 2012年07月13日)。それはさておき、仕事でも趣味でもなんでもそうだけど、自分が日々行なっていること、どうせやるなら上手くなりたい。でも、そのためには”努力”が必要だ。どの程度の努力が必要かというとそれは人それぞれ、向き不向き、才能の有無などがあって一概には言えないが、上手な人の真似をするというのは最も簡単で、最も難しい努力だ。

私が一番上手くなりたいのは話術。といっても、テーブルトークとか、職場での伝達などではなくて講演で上手く話すこと。今さらながらの話だけど、これまでにも幾度となくこのテーマはここに書いてきている(不発に終った「私のプレゼンテーション考」 2018年07月05日)。ありがたいことにいまでも、年に数度は講演の依頼が入ってくるので、そうそうつまらない話をしているのではないと思うけど、それは内容がニッチな領域だからで、話術としては平均的なものだろう。それでも、せっかく話すのだから自分なりに上手に話したい。ならば、上手な人から話し方を学べばいい。

先日、講演がとても上手な先生の話を聴く機会があった。せっかくのチャンス、どんなイントロ、どんな話の展開、聴衆と内容のバランス、そういったことはどんな風にしているのかを学ぼうと思った。聴いてみるとやっぱり素晴らしくて、どれも90点以上の出来栄え。終了が予定された時刻より少し超過してしまったけど、それは進行の遅れがあり、その分だけなので、問題にはならない。でも結論は、その先生の話術はその先生独自のものであって、私が真似をしたところで、それはしょせん猿真似にしかならないと感じた。

そして改めて気づいたのは、学術講演はやっぱり内容1番、話の上手な人は皆さんよく勉強している。理論武装ができているから、”堂々と””ゆったり””人の顔を見て”話すことができる。スライドは2番そして話術は3番だ。この冬は人前で話す機会が少なからずある。個々の内容についてよく勉強するのが上手に話すための1番の近道となる。

まずは文献

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コロ健版 新語・流行語大賞 2018年

2018年11月08日 | 日々思うこと、考えること

ユーキャン新語・流行語大賞 2018年ノミネート語が昨日発表された。アメリカの中間選挙が終わって上下院がねじれることになったということで、トランプ大統領が一体どんな行動に出るのか予想ができなくなったのか、それとももともと民主党びいきでホッとしたのか、日本のマスコミは選挙結果にはあまり深くは突っ込まず、昨日の番組はこのノミネート語の話が目立っていた。

ホームページから引用したのが以下の30語。知らない言葉はネットで引いてリンクを張った。

No.01あおり運転、No.02悪質タックル、No.03eスポーツ、No.04(大迫)半端ないってNo.05おっさんずラブ、No.06GAFA(ガーファ)、No.07仮想通貨/ダークウェブ、No.08金足農旋風、No.09カメ止め、No.10君たちはどう生きるか、No.11筋肉は裏切らない、No.12グレイヘア、No.13計画運休、No.14高プロ(高度プロフェッショナル制度)、No.15ご飯論法、No.16災害級の暑さ、No.17時短ハラスメント(ジタハラ)、No.18首相案件、No.19翔タイム、No.20スーパーボランティア、No.21そだねー、No.22ダサかっこいい/U.S.A.、No.23TikTok、No.24なおみ節、No.25奈良判定、No.26ひょっこりはん、No.27ブラックアウト、No.28ボーっと生きてんじゃねえよ!、No.29#MeToo、No.30もぐもぐタイム

おっさんずラブとTikTokというのは初耳だったが、ほかは説明を読んでなんとなく理解できたというか経験していた。おっさんずラブというのはテレビドラマらしく、見たことはないけど、それなら「植物男子ラベンダー」の方がいいだろうと調べてみたら、こちらの方はずいぶん昔からやっていた。TikTokというのは、ユーチューブとの違いがわからない。そもそもユーチューブをあまりみない私にはちょっとついていけそうにない。


世の中はそんな、新語・流行語で賑わっているので、私も新語・流行語をと思ったのだけど、30も挙げるのは難しいので、10個挙げてみた。仕事関連のこととか、個人的なこととなると書けないこともあるので、こんきもでとりあげた語の中から選んでみた。

No.1 トンネル、No.2 体調不良/帯状疱疹、No.3 ナイト、No.4 青森、No.5 リュウゼツラン(竜舌蘭)、No.6 笑顔、No.7 もりかけ、No.8 カンボジア、No.9 医学部不正入試、No.10 自然災害

それぞれの言葉については、それぞれの記事にリンクを貼ったのでそれをご覧ください。新語というよりは1年の振り返りみたいになってしまった。

それにしても、1年、あっという間だけどいろんなことがある。いい言葉ならいいけど、この先あまり悪い言葉にお目にかかりたくはない。

あっという間かまだまだなのか

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●No.1 トンネル:”人生”という大きくて長いトンネルの中で(1)”人生”という大きくて長いトンネルの中で(2)”人生”という大きくて長いトンネルの中で(3)

●No.2 帯状疱疹:年には勝てないとはこのことほぼ完調

●No.3 ナイト:ナイトの手術のことナイトの半年と私たち人間の半年

●No.4 青森:今年の夏休みは(1)秋田犬と弘前ねぷた祭り今年の夏休みは(2)日本海と十二湖青池今年の夏休みは(3)三内丸山遺跡と青森ねぶた

●No.5 リュウゼツラン(竜舌蘭):フゾクのリュウゼツラン(竜舌蘭)

●No.6 笑顔:笑顔は無敵笑顔、忘れかけていた。

●No.7 もりかけ:若者を食い物にする残念な大人たちが潰す日本の未来

●No.8 カンボジア:ミッション1日目 in カンボジア

●No.9 医学部不正入試:日本の医療問題の行き着いた先医学部入試の得点調整で考えること

●No.10 自然災害:天災は他人事ではなく、自分のことJR首都圏在来線は午後8時からすべて運休秋の空に鳥の声、木々には塩害の痕



多様性に気づき、尊重する

2018年11月07日 | 日々思うこと、考えること

車椅子を使っている人が電車に乗ってきた。乗った後も上手にコントロールして通路を空けている。私は車椅子に座ることはできるけど、生活の一部として使うことはできない。車椅子を上手に使える人がいて、あまり上手ではない人もいる。パラリンピックに出ることができるぐらい車椅子を早く走らせることができる人もいる。私が将来車椅子を使うようになった時には、そんな、上手な人のことを尊敬することになるだろう。

妻が数年前から手話を習っている。ボランティアをしたいというのと、難聴になった時への備えだそうだ。検定試験も受けているほどだからなかなか本格的で、私にはほとんどわからない。手話は一つの言語だから上手下手がある。手話ニュースをみていると流れるようにやっているが、それを一緒にみている妻はついていくのが大変だと嘆いている。

何か一つの行為があれば、それをより良くしようとする意識が働き内容は改善され、進化する。そして、その道に秀でた人というのが生まれる。”オンリーワン”に通じることで、そういう秀れたことは正しく評価されなくてはいけない。それは自分の埒外、みたいな感じでいると、そういったことに気がつくこともできない。

いつも相手のこと、相手の立場を考えていたら、その人の行動の理由がわかってくるし、その中には高く評価すべきことが含まれているということがわかる。

世界中を覆いつつある分断化の流れは、民族対民族、国対国、貧富、ジェンダーなど様々な問題を露わにしてきているが、最終的には自分たち自身の首を絞めることになることを知っておかなくてはいけない。日本はまだ、完全な分断化には陥ってはいない。与党である自民党が問題を抱えつつも内部に多様な人材を飲み込んでいるうちは大丈夫なのかもしれない。それでも、自民党の中で今以上にリーダーシップを強める方向に進み、反主流派が露骨に疎んじられるようになったら、どうなるかわからない。

社会の分断化を止めるには、世の中には色々な考え方があり行動があって、私たちはそれぞれに気づき、それぞれを尊重することを心がけて生きていくことが必要だ。

社会を分断してはいけない

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コロとのお遊び

2018年11月06日 | 犬との暮らし

今日は朝から調子が悪い。窓を開けて、身支度をしていたら急に大雨(鎌倉市の上だけに雨雲)、朝食を食べていたら昨夜の残りの肉ジャガのジャガイモが器にポッチャンして返り討ちに遭うわ(ジャガイモが大きすぎた)、さらには前開きセーターのファスナーがちょうど真ん中あたりでで壊れてしまうわ(慌てて着た時にずれていた)で、どうにも幸先が悪い(改札を通る前に定期がカバンの中で1分ほど行方不明にもなった)。そんなわけで、いつものため息交じりの記事はやめ、笑顔と元気が出るようにマルチーズのコロのことを。

マルチーズのコロは年男。フラットコーテッドレトリバーのナイトの兄に相当する。気難しいところがあって、いざ遊ぼうと声をかけてもなかなか応じてくれないが機嫌がいいと、陽気に付き合ってくれる(機嫌が悪いと、奥のハウスに閉じこもってウーウーうなっている)。

この間は機嫌が良くて、オモチャをこちらに出してきて遊べと(たいていの場合、命令調)。

コロにはお気に入りのオモチャが数種類あり、現在主人不在の娘の部屋(の床)にはコロのオモチャが散乱している。その一部を廊下に出してきて遊ぶ。この豚のぬいぐるみもお気に入りの一つで、投げると猛ダッシュで取りに行くのだけど私に直接返してくれることはない。

悔しいので、別のオモチャを取り出した。

しばらくの間、このサンタ犬のぬいぐるみのオモチャと私の顔を見比べて固まっている。スマホを構えると嫌がって目をそらすのだけど、この時はそんなこともなかった。

ためしに前から撮ってみても固まっている。

いつもいつもこうやってオモチャ越しに写真を撮ればいいというわけではない。まずはお気に入りのオモチャでなければできない。さらに難しいのはコロのご機嫌を推し量りながら遊ばなくてはいけないということ。あんまりお預けばかりしていると機嫌が悪くなる。

だんだんと目つきが険しくなってきたので、撮影会はこの辺で終わり。

コロと本気で遊ぶとなったら、片手におもちゃ、片手にスマホ、なんていう状態では無理。両膝をついて両手で”がちで”相手しないと満足してくれない。

でもそこはシニア犬、せいぜい1、2分で疲れる。この日も満足したのか、適当なところでハウスの中に入ってしまった。

ナイトは今日化学療法3回目

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必要なのはプライドではない

2018年11月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理医の仕事が、世間一般にはまだまだ知られていないということを思い知らされ、ずいぶん落ち込んだけど、そんな必要などなかったのだと考えた。

私が今やらなくてはいけないことは、他人から見られた自分の境遇が、自分が思っていたのと違ったからといって落ち込むことではない。するべきことは、日々質の高い病理診断をすること、わかっていないことを私なりに研究していくこと、そして後進を育てること。

まだまだ知らない病気は多い。たとえそれが希少疾患だとしても、その病気に苦しむ人が一人でもいたら、その人の役に立つ仕事をする。

わからないことがあったら、その本体を知る努力をする。

そして、今年で55。もう現役として残されている時間はほとんどない。少しでも私の知っていること、それがたとえ微々たるものであっても、価値のあるものであれば後輩に伝える。病理の知名度が低くて後に続く人間が少ないということは、そのためにはマイナス要因だけど、現実は現実として受け入れるしかない。何か別の方法を考えよう。

だから、私の仕事(病理診断)が世の中でそれほど知られていないからといって、そのことでいちいち落ち込んでいるわけにはいかないのだ。自分の一生を賭けると誓ったこの仕事について、プライドが傷ついたとか、医師免許が必要な仕事なのか?というようなおかしな疑問を持つ必要など無い。そういうことはしょせん取るに足らない瑣末なことなのだ。必要なのはプライドでは無い、自分がなすべきすることをなすことだ。

私がやらなくてはいけないことが何かを考え、仲間と一緒に前に進もう。

笑顔も忘れずに

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今さらながら落ち込んだ

2018年11月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

友人に「(病理医って)国家試験に通った医者である必要あるの?」と真顔で聞かれた。自分が30年近く医者としてやってきたことが否定されたようで、少しムッとしながら、病理医の仕事を説明し、医学教育を受けたうえで国家試験に合格した有資格者でなければ病理医はできないと説明した。心を落ち着けながら話したいつもりだったけど、私の怒りともなんともいえない思いが顔に出てしまっていないか、少し心配になった。

今さら病理診断は医行為(医師が行う行為)だからなんだということを言ったところで仕方がない。病理医の仕事を一から知らしめていくしかないのだ。

それにしても、相当落ち込んだ。以前から付き合いのある友人ですらこうなのだから、病理医なんて聞いたことのない人、例えば、このブログの読者の方にだって、我が友人と同じように私が医者なのだか、医者でなくてもできる仕事を好き好んでしているのだかわかっていない人もたくさんいるのだろうと思うといたたまれない気持ちになる。

もう、10年以上このブログで病理のことを書いてきたけど、まったく、本当にまったく病理の知名度を上げることに役立っていなかったというのも残念な気持ちに拍車をかける。もちろん、知名度は多少上がったかもしれないが、その仕事の内容はほとんど理解されていなかった。患者と接することがないために知名度は上がらず、人気も出ない。病理医を増やすことがいかに大変であるかを思い知らされた。

さあどうしよう

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秋を短くしている現代人

2018年11月03日 | 日々思うこと、考えること

病理診断科がある部屋から別棟にある自分の部屋まで行くのに、院内の入り組んだ廊下を通っていくと結構時間がかかる。それよりも、病院の外に一度出てから建物の間の道を歩いた方が近いので、大抵はそうしている。昨日の夕方少し時間があったのでちょっと書き物をしようと部屋まで行くので外を歩いたら、ずいぶん寒かった。日の入りが早いので、午後5時過ぎは真っ暗だから、日が差している朝の出勤時よりもあたりはずっと冷えている。

考えてみると、朝の8時半過ぎに出勤して病院に一旦入ってしまえばあとは夜、仕事が終わるまで出ることはない。多分、ここ数日のような秋晴れの中を昼間にのんびり歩いていたら、”ああ、やっぱり秋はいいなあ”などとしみじみ感じるのだろうけど、私に限らず現代人は朝から晩まで建物の中にこもって、外を歩くのは朝と夜しかないような生活をしているから、そんなことを感じることはほぼ無い。だからそんな生活をしていたら、気がついたら朝も昼も夜も寒い冬ということになる。これでは夏と冬しかないことになる。夏の夜はやっぱり暑いし、冬の夜は寒いから、これらだけはわかりやすい。秋が短くなったのではなくて、人間が自分で短くしているのだ。

今日は秋らしい日和を味わいたかったのだけど、あいにくの曇りで残念だった。

夜は渋谷。同期会好きの奴が考えた55歳の会、曰くゴーゴー会、というのを開くための幹事会。飲みながらの会でいつも最後は飲み会だかなんだかわからなくなるのだけど、それの集まり。あまり遅くならないうちに終わらせた。渋谷はやっぱり物凄い人出で、あまり寒さを感じることはなかった。

いよいよ来週

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匿名性の暴走

2018年11月02日 | 電脳化社会

立って半畳、寝て一畳の例えのとおり、人一人が物理的に締めることのできる空間などたかが知れている。電脳空間の拡大によって一人が占めることのできるスペースというのが広がっているようにみえる。みえる、というのは実際のところはどれほどツイートされても、PV数が多い記事を書いても、そのこと自体を行なっている人は結局のところ一人の人間だ。

所詮一人の人間でしかないのに、複数のアカウントを持ったりして実数以上に多くの人間がいたりするように見せかけることができる。電脳空間は広いようで狭いから、その中で過激な意見、排他的な意見が増幅してしまうことがある。今のところそれを抑止する方法はないけれど、今は過渡期、近い将来には暴力的な匿名性を排除する方法が開発されるだろう。実際、Googleアナリティクスでは、Webページを詳細に解析することができるのだから、例えば攻撃的な意見を書いている人のことをある程度特定することはすでに可能となっている。

先月末はハロウィーンの騒ぎで渋谷がずいぶんクローズアップされていた。”仮装”という匿名化が暴徒化を招くという分析をされていたけど、仮装行列は昔からある行事で、それがコントロールされているかいないかの問題だ。コントロールされないようにある程度自制しないと、そのうちハロウィーン禁止、みたいなことになるから、気をつけないといけないけど、多分それは難しいだろう。来年の渋谷はどうなっているだろうか。

鎌倉の面掛行列は古くは被差別民の人の無礼講だったという話がある(面掛行列)。仮装行列とか仮面舞踏会とか、素性を”半ば”隠して行うことは人間を大胆にする。電脳化社会も同じで、”思考の無礼講”のような状態だ。人間はしょせん同じ穴のムジナ、考えることにそれほど大きな差はない。快不快、善悪の基準もそう大きくは違わない。だから、ネット上での攻撃といった事態に至るのだ。でも、人を傷つけてはいけない。匿名であっても、それぞれの人には心がある。匿名性をいいことに”論破して”人の上に立ったなどというのは勘違いに過ぎない。互いに納得できる意見交換が行われて初めて議論は有益なものとなる。

自分自身で制限を

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気がつけば11月

2018年11月01日 | 日々思うこと、考えること

起床時間と夜明けの時間が同じになってきた。もう、11月。24節気では10月23日が霜降で、11月7日は立冬だそうで、今日11月1日はその中間だ。私は今の暦で9、10、11月を秋だと区切っているので、11月は晩秋だ。なお正しくは11月4日からをいうらしい。雲が高くなって、朝晩の冷え込みを感じるようになってきた。セーター1枚で出てきてしまったが、失敗だったかもしれない。ただ、電車の中では厚着は辛いので、しばらくは衣服による温度調整が難しい。

コロは始めはクッションで寝ているのだが、夜中になると、ベッドの上に上げろと言ってくる。マルチーズには被毛しかないので寒いのだ。引っ張り上げて、背中に手を乗せてやっていると、おとなしく寝てしまう。でも、気がつくといつのまにか遠くの方に移動している。空気がずいぶん乾燥してきた。湿度は33%前後と、つい2ヶ月ほど前の100%に近かった頃とは全く違ってきた。朝起きると喉が少し、ヒリヒリする。あとひと月もしたらマスクをして歩く人が目につき出すだろう。

臨時国会が始まって、代表質問をニュースで聞いていると、話題は消費税、改憲、外国人労働者、政治とカネ、森カケなど、だが野党はそれぞれが同じような質問をそれぞれがしていて、”それ昨日もどこかが質問していなかった?”というのが繰り返される。原稿を準備する役人は同じような答弁書を用意したらいいだけだし、安倍さんは日を追うごとに答弁が滑らかになっていく。安倍自民の長期一党独裁は、緊張感、自浄能力が消失してしまうということで決して歓迎されるものではないが、それを”自民以外”の政治家がみんなで後押ししているのだから世話がない。自民党という巨大な政党の中で不満があっても我慢して政権を維持しようという意思のある人たちと、そうではなく、他とは妥協できない、ある意味こらえることのできない人たちとの差が、現在の政治状況を招いているという一面を図らずも感じてしまった。

この人あの人もこの話

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