こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

母校の近くの嫁の実家へ

2020年11月15日 | 家族のこと
今日も暖かで穏やか。
コロの散歩をしたあと、少しのんびりしてから、8月に結婚した息子の嫁の実家に妻と遊びに行った。
ご実家は都内の住宅街にあるが、私の母校の近くなので、久しぶりにその前を通った。校舎は何年も前に建て替えられていて、思い出は全くない。たまに同窓会で使うので、多少は愛着はあるが、教室の様子は知らない。周囲の建物も随分変わっているが、変わらない街並みも残っていて、懐かしかった。
昨日の今日でお邪魔したので、すでに予定が入っていたお父さんには残念ながらお会いできなかったが、お母さんと3人でひとしきりお話しができた。
それにしても東京は人が多い。
通勤の時は、乗り換えるだけなわけだが、駅の周りはすごい人だし、住宅街でもけっこう人とすれ違う。これでは新型コロナウイルス(COVID-19)がはやるのも仕方ないか。
結婚したのは当人同士だけど

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落掌、シャープのマスク

2020年11月14日 | 自然災害・事故・感染症
神奈川の新規感染者は147人、東京では352人、全国で1731人。新型コロナウイルス 感染症(COVID-19)もいよいよ第3波がやってきたみたいだ。そんな中、わが家にシャープのマスクがやってきた。こういうものは得てして忘れた頃にやってくると言うが、まさしくそうだった。今さら不織布マスクを使うのも辛いが、今回のコロナ禍でのマスク騒動を象徴するものの一つではあるので、せっかく当選したので購入した。

冬になるとコロナウイルス感染が活発になるとか、ウイルスの感染力が強くなっているとかいわれている。いまだに不織布マスクと布マスクの性能比較が行われているが、つけているかいないか、それが問題だから、まあ、あまり意味がないだろうと思う。気をつけていくしかあるまい。アメリカでは、1日あたりの新規感染者が18万人を超えているという。人口が日本の倍として計算すると50倍。結構な数だ。

今日も温かい1日だった。こんなに穏やかなのに、新型コロナウイルス感染症がどこかで広がっているのかと思うと、感染症の恐ろしさをひしひしと感じる。私の場合、基本的には妻が作ってくれる布マスクを使っている。2ヶ月ほど前にコストコで不織布マスクを買ったが、娘が留学に持って行ってしまったので、少々心もとない。シャープのマスク、せっかくなので少しずつ使っていくつもりだ。
布マスクと併用

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今週を振り返る

2020年11月13日 | 日々思うこと、考えること
13日の金曜日。今週ももう金曜日。電車の窓から見える紅葉は一週間のうちにずいぶん進んだ。この前、NHKの”チコちゃんに叱られる”を視ていたら、『落葉樹の葉が紅葉して落ちるのは、春から夏にかけて散々光合成を行わせて酷使した後、太陽光が弱まりその能力が低下した葉から栄養を引き上げ、落としてしまうから』というような話をしていた。まるきりブラック企業だが、生物としてはこれが当然のあり方なのだろう、社会性というものが存在しない生物が生きるためには本当のところ情け容赦などない。

今週を振り返るといえば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染状況の悪化と、アメリカ大統領選挙の迷走、大相撲など。

・新型コロナウイルスについては”新しい生活様式”を皆が守っていたら抑え込むことが可能なのに、油断している人が少なくないのだろう。全年齢層に広がっているということだから、もう、だれが感染していてもおかしくないと考えなくてはいけない。
  1. 適切な手指衛生の遵守
  2. ユニバーサルマスクの遵守
  3. 3密の回避
  4. 孤食の徹底
  5. 感染リスクの5つの回避(飲食を伴う懇親会など、大人数や長時間に及ぶ飲食、マスクなしでの会話、狭い空間での共同生活、居場所の切り替わり)
を守っていたら、大丈夫なわけで、辛抱するしかない。もちろん私にとっても他人ごとではない。自分を守るのは自分。

・アメリカ大統領選挙の行方は不透明だが、最終的にはバイデンさんに落ち着くのだろう、というかこれでトランプさんが逆転したりしたらあの国は大変なことになってしまうのではないか、心配になる。香港では民主派の議員が職を解かれた。この機に乗じて自国に有利な操作を行おうという動きは世界中でますます活発化するのではなかろうか。この点も心配。

・朝乃山に続いて新大関正代も休場。ただ1人残った貴景勝には怪我なく後半戦も頑張ってほしい。それにしても、照ノ富士強い。早くも一騎打ちの様相を呈しているが、両方とも気が強そうで千秋楽が今から楽しみ。

・臨時国会では何が話し合われているのだろう。菅さん、加藤さんの顔は毎日ちらっと見るが、そのほかの方の顔はあまり見ない。日本学術会議の問題を放っておけとは言わないが、コロナ関連の問題について斬新な提案なり議論なりがあっていいのではないか。在宅であっても、少しでも多くの人が収入を得られるシステムの構築を急いでほしい。そういうのを考えるのが政治家の役割のはずだ。緊急事態宣言から半年、野党の人たちは一体何をやってきたのか。勉強不足ではないか。

・かくいう私もこれというほどの進歩はなかった。忙しいからと言い訳するのは簡単だけど、なにかできたはず。人間は日々進歩できるのに、そうすることを怠ると後には虚しさばかりが残る。人様のことをあれこれ言う前に、自分はどうであったか、そのことを日々考えて生きたい。

・そういえば、昨日、今日は日本病理学会の秋の学術集会。一人病理医なので、ウィークデイにもちろん休みなんか取れないのだが幸いリモート併用なので、少しだけ参加させていただいた。
毎日を大切に

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見えないところでしっかりと・・・球根に見習う

2020年11月12日 | ガーデニング・菜園・花・緑
この冬一番の寒さ、とのこと。今朝の鎌倉は8度。たしかに寒かった。空気の入れ替えのために開けてある電車の窓が恨めしい。
天気がいい日には一度はお日様を拝みたいところだが、神奈川東京、朝のうちは曇りがちのようだ。いったん病院に入ってしまうと、夜まで外の空気には触れることはない。昼間は太陽が顔を出して暖かい1日になったようだけど、帰りには真っ暗。だから朝の天気予報、私にはあまり関係ない。

ひと月ほど前から、医局のデスクでミニチューリップの水苔栽培をしている。園芸店を訪れた時、そこでやっていた水栽培を見て、これならと挑戦することにしたのだった。家で水苔を作って、病院に器を持っていって、球根を3、4個ずつ植えた、というか置いた。球根をこうやって育てるのは小学生三年生ごろにやったヒヤシンス以来だ。もしかしたら、子供達が家で育てたかもしれないが定かではない。

私の机は窓際にあって真南を向いている。窓越しには公園の林が見えて、このところ紅葉が美しい。日中は窓ガラス越しとはいえ、陽の光がたっぷり入ってくる。たっぷりどころか、暑くて困るほどなのだが、植物の成育には問題はないはず。問題ないはず、というのは入職してすぐに置いたフランスゴムの木がカイガラムシにやられて大変なことになったというのがあったから。この木は家に持ち帰って鉢増しして毎日水をたっぷりかけていたら元気になった。もしかしたら、園芸店にあった時点でカイガラムシが付いていたのかもしれない。

しばらく前から、ガラスコップのほうでは、根が随分と伸びてきているのがよく見えるようになった。ヒヤシンスを思い出したら驚くようなことではないのだが、上から見ていると何も変化がないので、その差に驚いた。見えないところで、まずはしっかり根を張って、そこから芽を出していく。当たり前のことをしっかりとやっている。
そんな姿を見ると、遅まきながら、私も球根のように生きていこうと考える。たとえ、60近くなっていまさら何をと言っては何も始まらない。今からでも蓄えることができるだろうし、そこから新たに出発することなどやろうと思えばできるのだから。
今が一番若いから

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寓話にするには時期尚早でした

2020年11月11日 | 料理・グルメ
大統領選挙で、どうやら負けが決まったらしいトランプさんは、それでも法廷闘争に持ち込み、いよいよ意気軒昂のようだ。ネット上には、彼が最後っ屁のような形でいろいろな”遺産”を残していくかもしれないというようなことが書かれているが、果たしてどうなるだろう。これで、”手続き的に”トランプさんが大統領に居座ることになったら、一体あの国はどうなってしまうのか。何より、その国民が固唾を飲んで見守っていることだろう。
そのトランプさん、型破りな人であることは間違い無い。話を聞くと、波乱万丈の人生を歩んできている。今回の大統領選挙でジ・エンドとなって大団円といくかと思っていたが、そんなことはなさそうだ。2024年を見越してか、共和党もトランプさんの法廷闘争を容認するようで、世の中そんなに簡単に話はおさまらない。
こんな話なかったかな?とおもって、昔話を思い出そうとしたが、ぴったりくる話はなくて、では自分で寓話を作ってみようと思った。
むかし、あるところに1人の若い男がいました。男の家は裕福で、お金に困ったことはありませんでした。子供の頃から体も大きく、喧嘩で負けるようなことはありませんでした。気が強く、負けず嫌いで、言い争いになってもあれこれ言って相手を言い負かしていました。大人になっても、お金があって、喧嘩が強くて、口も達者ということで、子分もたくさんできました。男は偉くなりたいと思いました。

偉くなるにはどうしたらいいか、男は考えました。もっと金持ちになる、もっと喧嘩に強くなる、もっと有名になる。いろんなことを考えましたが、もともと欲張りだったので、考えれば考えるほどあれもこれも欲しくなってしまいました。「どうしたらいいか、わかりきっている。それはこの国の王様になることだ。世界で一番裕福で戦争の強い国の王様になったら、お金も戦争も手に入るし、よその国も屈服させることができる。そうだ、王様になって世界を支配しよう。」男はそう思い立って、その国の王様になることにしました。

その国の王様は代わり番こに話し合いで選ばれていました。話し合いにはすべての国民が参加して行われます。男はそれまで溜め込んだお金を惜しげも無く宣伝につぎ込み、ついには王様に選ばれました。こうして、男は世界で一番裕福で戦争にも強い国の王様になってしまいました。王様になった男は、それまでのしきたりをいっさい変えることにしました。その国は世界で一番裕福だったので、よその国から物を買ってやったり、世界中に軍隊を送って支配していたので、尊敬されたり、怖れられたりしていましたが、そういったことをやめたのです。そして、自分の国がもっと裕福になるようにしたのです。外国のことなどどうでもいいと思っていた一部の国民は大喜びで男を応援しました。でも、その国は、外国からあまり尊敬されなくなりました。

国王になった男は思い通りの政治を行って、有頂天になっていました。ところが、世界中を巻き込む疫病が流行して、多くの国民の命が失われました。疫病がまん延するなか、何年かぶりに国王を選ぶ話し合いが行われました。話し合って王様を決めることだけは、昔から”当然のこと”であり、男もそれを止めさせることはできませんでした・・・。
これが、あらすじ。
このあとは、皆様ご存知の通りで、決着はついていないので、わからない。創作なのだから、自分の思った通りにしてしまえばいいかもしれないが、事実は小説よりも奇なり、で、本物の迫力には遠く及ばない。そして、寓話にするには、主人公の男のキャラクターを織り込まないといけないのだが、まだ生きている人について直接知りもしないのにあることないこと書くのは卑怯なことだ。
「話し合いで、男は選ばれず、王様ではなくなりました。それでも男は、ひるまず、話し合いはインチキだと言って、それまで住んでいた王宮を去ることなくいすわりました。国民は絶望しましたが、男はそんなことどこ吹く風で、幸せに暮らしましたとさ、メデタシメデタシ・・・」なんてことになるかもしれない。

いずれにしても、まさに動いている歴史を寓話にするのはどうやら無理なようだ。
さて、どうなることやら

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車窓からの初冬の景色

2020年11月10日 | 通勤・交通・旅行
最低気温が10度を下回るようになり、鉢植えたちにも冬の準備をさせはじめた。木枯らしが吹き、立冬も過ぎたのだから当然といえば当然か。
一昨日には霜対策として、数年前にほとんど枯らしてしまった(けど、今年不死鳥のように蘇った)ハイビスカスなどを軒下に移動させた。近所に園芸好きの方がいて、植え替えだからと抜いたベゴニアをうちの砂漠地帯(何を植えてもすぐ枯れてしまうエリア)に何十も植えてくれた。もうすぐ枯れてしまうだろうけど、それまでは楽しめるでしょうから、とのこと。ありがたい。

通勤電車の窓からは、初冬の景色が見える。何よりも冠雪がずいぶんと目立つようになった富士山。手前に目を落とせば、ススキとセイタカアワダチソウ、どちらもそろそろ終わりだ。多摩川を渡るときには紅葉の進んだ多摩川台公園の森が見える。都内に入ると緑はほとんど見えないので、季節感はずいぶんと薄れてしまう。それでも小さな公園や小学校の校庭に紅葉した木を見つけると嬉しい。
一つ一つ、写真に撮ってここに載せたいほどなのだが、車内からでは残念ながら、それはままならないし、撮れたとしても思ったほどいいものにはならない。人間の認知能力というのは優れていて、富士山なら富士山、ススキならススキをピンポイントでピックアップしているからよく見えるのであって、スマホのカメラで捉えた風景はそれに比べるととても平面的なものになってしまうので、どのみちうまくいかない。
コートの出番か

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寝落ちしちゃった

2020年11月09日 | 日々思うこと、考えること
昨日も1日のんびり過ごしてしまった。新型コロナウイルス(COVID19)流行以降、土日に仕事関連のことをすることはほぼない。仕事関連のメールがときどき入ってくるので、それには目を通すが、よほどのことがない限り返信はしない。迅速診断や病理解剖の予約は電話で直接くるから、さすがにこれには対応する。このところ、毎週のようにいろいろな予約が入るので、仕事のことをすっかり忘れることが出来るわけではないが、勉強はしなくなった。

多くの学会、研究会がリモート化してしまい、どこかに勉強に出る機会が失われたうえに、怠け癖までついてしまったみたいだ。とくに、製薬会社が援助してくれている各種の研究会が延期または中止になったのは影響が大きい。よその先生のお話を聞いたり、たまには、自分が講師になって話したりすることがどれほど自分のためになっていたのかと、いまさらながら思い知らされている。

そんなこんなで、週末は99%オフ。これではいけないと自らを鼓舞するのだが、せっついてくれるものがないとどうもダメみたいだ。なんて自堕落だと思いつつ、土いじりと紅葉が進む近所の散歩とで1日の半分を費やしてしまう。

ブログだって書こうと思えばしっかり書く時間はあるのに、週末になるとテンションが変わってしまう。そして、昨日のエントリーは大失敗。

スーパーに買い物に行ったら帰りが遅くなってしまい、エントリーは夕食後に書くことにした。ところが、缶ビール1本と白ワイン2杯を飲んでしまったら、あっという間に前後不覚。大して疲れてもいないのに、PCを抱えたまま眠ってしまった。

少し目が覚めたら、イギリスにいる娘と妻がビデオ通話をしているのが聞こえた。私が寝落ちしてしまっているのかと妻に聞く声がした。ちなみに、イギリスの政府機関は”ロックダウン”は聞こえが悪いらしく、レベル3だとか4だとかと表現しているらしい。でも、普通の人は普通にロックダウンを使っているみたいだ。ロックダウン中でも大学院の講義は対面で行われているとのこと。クラスターにならなければいいのだろうか。

そんなわけで、昨日のエントリーはとても中途半端なものになってしまった。どのみち、ネット上では時間は関係なくなるからそこは4次元だ”、などという、ただでさえ眠くなる、どうやってまとめていいのかわからないようなテーマだったから、仕方がなかったのかもしれない。というか、そんなのだから眠くなってしまったのかもしれないし、結局のところ同じような結論になったような気もするが。ただ、こういうのはピンと来たら書き留めておかないと忘れてしまうので、自分としては初期の目的は達することができた。
あらためて、決着をつけようと思います。
シャキッとしよう

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143.5×70.9mmの世界の住民(後)電脳世界は4次元世界

2020年11月08日 | 電脳化社会
自分が、スマホの小さな画面上の住民の1人になっているということに気がつき、続けて考えたことがその世界の広がりだった。
いくら頑張っても、画面内のものを画面上に実体化することはできないが、バーチャル技術によってあたかもその様にすることは可能なので、スターウォーズで見た様なホログラム化は十分あるだろう。仮にそこに3次元の世界が形成されていると考えた場合、ネット上に時間というものはないも同然だから、時間を超えて移動することが可能となる。すなわちその世界は4次元。

自分のアバターをその世界に住まわせて生活させる。そして自分の大脳が死ぬまで生きる。
それが繰り返される様になればやがて人間の生命そのものも関係なくなる。そんな時代がやってくるかもしれない、ではなくやってくるに違いない。
そうすると、時間の概念そのものが必要なくなる。百年後、二百年後、アバターたちが歴史を作るようになれば時間そのものに意味がなくなる。過去の偉人たちに想像上の命を吹き込むことができるようになれば、時間の関係のない4次元の世界の中で行ったり来たりできる。
何に応用できるか

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143.5×70.9mmの世界の住民(前)

2020年11月07日 | 電脳化社会
ここ数日、いつのまにか自分もこの世界の住民になっていたのだと気がついた。ネットの世界が向こうからやってきたのか、私の方から足を突っ込んでしまったのかはわからない。互いに歩み寄ったというよりは、そこにある世界に私が手を触れたことから新しい世界が開けたのだろう。触れないでいることも難しかったに違いない。

ブロ友の女性が亡くなり、ネットを通じての人間関係を考える、私はネット内での関係を構築できているか、この先もっといい関係にすることができるかということを考えている。こんなことを考えていたら、そのうちネット内でストレスを感じる様になるだろう。すでに、炎上だのネット叩きなんていうことは日常茶飯事であり、これで私も落ち込むことを書き込まれたことはある。

ブログへのアクセスのほとんどはモバイルを介してのものとなっている。私も自分のエントリーはPCで書いているけれどほかの方のものはスマホで読ませてもらっている。ある意味、私が知る世界はこの枠の中にとどまっている。もちろんその先は無限といっていいほどの電脳空間が広がっているのだが、その大きさを生身の人間が体感できる様になるにはまだ時間が必要だと思う。

インターネット黎明期に生きていた私たちの世代はすでに、旧世代であり、使用方法やそれぞれのアプリの使い方も若い人たちとは大きく異なるだろう。だが、ハード面での概念はピークに達してしまい、これ以上の進歩がないと言うことはなんだかずいぶん大きな壁に突き当たっている様な気もする。この先、革新的と言われる様なアプリが開発されたら、また次の展開があるかもしれない。

そもそも、ネットをプラットフォームとして捉え、そこに付加価値を付け加えていくという発想ができないことができないということこそが”旧世代”である証しであるのだろう。(明日に続く)
4次元の世界

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単純化された情報の波に流されない

2020年11月06日 | 電脳化社会
空気が澄んでくるこの時期、夜明けが美しく、つい刻々移り変わる空の様子を表現したくなる。今朝のこの空だったら、”日の出直前、朝比奈の山の向こうにまだ隠れている太陽は、高く浮いている小さめの無数の雲を薄い桃色から橙色に染めている。遠くの空は青と黄色が溶け合ったようで、山と紅葉の目立ってきたケヤキの影を黒々と浮かび上がらせている。”とでもなるか。でも、なんだかくどい。もう少し上手にまとめたいといつも思う。”晩秋の薄明は朝比奈の稜線を浮かび上がらせ、空に浮かぶうろこ雲は曙光を浴びて桃色に返照していた。ケヤキもずいぶん色づいてきた。”などと言い換えることができたらいいな、などと思うが、そうすると今度は訳が分からなくなる。

こういう表現を生み出すには、多くの文章に接して用法を理解していなければできない。重要なのは、語彙数の問題ではない、こういう言葉をどうやって使うかを知っているかどうかということによる。そしてこういう言葉を扱うことができるかは、こういう概念を知っているかということに通じる。スマホを便利に使うことができる様になった現代社会、多くの人がスマホニュースから情報を得ている。それらの情報は即時性が高く、取捨選択も容易である意味ユーザーフレンドリーだ。そこで使われている言葉は平易でわかりやすい。でも、それらは単純化された”単純化された情報”だ。単純化された情報の中には情報こそあれ、概念はない。

単に風景だの季節を表現する程度だったらいいが、いざ、政治的なこと、哲学的なことを表現するとなったら、そういった概念を知らなくてはそれらの生み出す自分にとっての有用なことを得ることはできない。概念を得るのとスマホアプリのいじり方を覚えるのとではわけが違う。自由という概念を知らなければ自由になることはできない。民主主義を知らなければ自らの手で指導者を選ぶことはできない。自由が何か、民主主義が何か、独裁が何か、そういったことのは義務教育でとっくに学んでいるが、人間は学んだことを容易に忘れてしまう。忘れることが悪いわけではなく、RAMには一定量しか保存できないのだから仕方がない。だが、ハードディスクに保存したデータをいつまでも塩漬けにしていたら、それらの”本当はいつも考えていなくてはいけない”重要な概念が消滅してしまう危険がある。最悪なのはファイル名だけ覚えていて、その内容を忘れてしまっていること。うろ覚えのファイルの中身を勝手に想像して、自分なりの自由だ民主主義だといっていると、それらはずいぶん曲解されたものになっているはずだ。
無学な人、というのはそうやって知識の更新をしない、すなわちそんな勉強しない人のことを指すのではないか。そして、スマホの情報ばかりに頼った思考を続けていると、自分も無学な人間に堕落してしまうかもしれないと、不安になる。
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”時計時間”と宇宙の時間

2020年11月05日 | 生き方について考える
目がさめる時刻が夜明けの時間を追い越した。
流れる時間に楯突くかのように人間は勝手に時間、”時計時間”とでもいうようなものを作り、1日、1週間、1ヶ月そして1年と時間を区切って、日々慌ただしく過ごしている。そんな時計時間に縛られてがんじがらめになっている人間に比べて、宇宙はゆったりと時間に身を任せているようにみえる。私が立つ地球も、月も、太陽もそれぞれふわふわと宇宙の中を絶妙のバランスに基づき、相互に影響しあいながら動いている。人間の定めた時計時間と、宇宙に流れゆく時間とは似て非なるものだ。

人間の言う”永遠”は、実際のところ、”命ある限り”、ということと同義だろう。すなわち永遠の愛とは、命ある限りの愛。結婚に際し、”死が2人を分かつまで”という言い回しがあるほどだ。それにくらべて宇宙は、始まりも終わりも人間には想像できないほどの存在だけど、それでも時間に支配されている。なにものも時間に抗うことはできない。
月も地球も太陽も、そして宇宙にしても、やがて(おそらくいつかは)消えて無くなる。宇宙が消えて無くなる時が時間の終わりなのかどうかはわからないが、それでもその先に時間はあって、流れていく。だから宇宙の消滅すらも時間の流れの中の一つの現象であり、自然なことだ。今、人間が地表にさまざまなものを貼り付けるかのように建てたり、地面深くに穴を掘ったりしたところで、時間の流れを変えることはできない。
そんな時間に対して生命は命をつなぐというささやかな抵抗を繰り返し試みているが、その時間は宇宙の時間の流れからみれば、ほんの少しのものでしかない。そして、日々の営為など、いくら頑張っても仕方のないものなのだけど、それでも遅刻しないように出勤し、店を開け、約束の時間に仕事をする。そうやって日々頑張るしかない。不思議というか、滑稽というか。
24時間365日という概念が不要な機械のほうが、人間よりよほど時計時間から自由なところにいる。多くの機械はタイマーがセットされているが、それは人間が利用するもので、そのおかげで機械の都合が良くなるというわけではない。
一番新しいターミネーターでは年老いたシュワルツェネッガー演じるT-800をポンコツロボットに見立てていて秀逸だった。タイムトラベルのなかでもターミネーターは時間の流れとは別のところにいたが、朽ちていくのは万物共通の摂理だった。
しょせんはすべて塵芥

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今日のもやもや、悩ましいこと

2020年11月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
朝日がまぶしい。写真を撮る時間に気をつけないと昇ってくる太陽で何もわからなくなってしまう。いよいよ冬の足音が聞こえてきた。車の温度計は12度を示している。木枯らしもそろそろ吹き始めそうだ。週の半ばの水曜日は、少しだけ電車が空いている。通勤が少しでも楽になるといいし、できたらリモートワークをもっと増やしたいのだが、病理はそれがなかなかうまくいかない。

バーチャルスライドシステムといって、病理標本をデジタル化する技術があり、診断もその画像を利用したらいいだろうという人もいるが、簡単なことではないのだ。病理診断では、細胞の核1つ1つの所見まで診る。個々の細胞の所見を判断するだけならいいのだが、隣り合った細胞同士、さらにその細胞集団同士での比較となると、標本の上下左右をくまなく移動し、低倍率から高倍率までそれこそ縦横無尽に顕微鏡を操作しなくてはならない。顕微鏡ならスイッチを入れただけで直ぐにそれができるのだが、コンピューターを使っての作業となるとそう簡単にはいかないのだ。もともとデジタル化されている画像を診断する放射線診断とは全く質が異なる。それなのに、病理は画像診断だから遠隔診断も可能だろう、いつまでも顕微鏡にしがみついているなんてIT時代に乗り遅れている、と思い込んでいる人が多いのにはもやもやした気分になる。
まずはやってみてよ、と言いたいのだが、一人前の病理医になるには少なくとも5年はかかる。土台無理な話か。

それはさておき今日も1日顕微鏡にしがみついて病理診断。難しい症例のことをいつまでも考えていても仕方ないので、わかる範囲で診断して、担当医に連絡してディスカッションした。病理ならすべてがわかるはず、なんてことはない、PHSを切りながら自分の力の無さにため息をつく。
会議の時間が変更となって、開始が遅くなり、それまでの間にと熱心な臨床医がやってきた。もう、半年ぐらい付き合っているが、なかなか結論が出ない。それでも一緒に顕微鏡像を見てあれこれ話している。遅く始まった会議が終わって部屋に戻ったら、まだ顕微鏡を覗き込んでいた。ディスカッションの内容がかみ合わず、私の方が音を上げて今日のところは終わりにしてもらった。熱心なことを無下にもできず、まあ仕方ない。

昨日知ったブロ友さんの死。訃報は親族の方がアップしてくれたようだ。一晩たっても私の頭の中に悲しい気持ち、残念な気持ち、喪失感、不安といったものがないまぜになって渦巻いていて、少なからず混乱している。コメントのやり取りをしたのはほんの数度だが、私のブログをよく読んでいただいていたのはリアクションボタンでわかっていた。そのリアクションが数日前からぱったりなくなってしまっている。読んでくださってなくとも、その方のエントリーがあれば読みにいっていたが、それももう更新されることはない。そう考えると心にぽっかりと穴が空いてしまったような気がする。
疲れるのはなぜだろう

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ネット時代のお別れは

2020年11月03日 | 電脳化社会
 文化の日。
 
 せっかくの休みだから寝坊をしようと思っても、体はいつも通りに目がさめる。さらにはスマホを手にとって、gooブログを開いて、ダッシュボードとかアクセス解析だのをとりあえず順に開いてみる。今日は休みだからと、ブロ友さんのエントリーもパラパラ読んでいたら、よくいいねを押してくれる方のエントリーのタイトルに”訃報”とあった。
 誰かが亡くなったことを書いているのかと思って開いたら、その方自身が亡くなられたということだった。ご家族が知らせてくれたのだろうか。しばらく前から体調を崩していたとはエントリーにあったのだが、まさかこんなことになるとは。とても寂しく、悲しい気持ちでいっぱいになった。

 もっと元気なうちに、コメントを入れたり、いいねをもっと押したりしていたらよかったのにと後悔する。
 ネット時代では、直接本人と会うことはまずない。それどころか、本人の顔形を知ることもできない。そして何より、相手は自分と同じことを考え、同じようなことに共鳴することのできる親しみを持つことのできる人である。そんな方が、亡くなったということを知ると寂しく思うのは当然だろう。
 それぞれの人がアバターを作り、それがネット上で社会生活を営むようになり、やがてその人本人が亡くなるとアバターも消失する。そんな時代がもう直ぐやってくるのだろう。

ご冥福をお祈りいたします

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東京の日の出は6時4分

2020年11月02日 | 日々思うこと、考えること
今日の東京の日の出は6時4分と、天気予報士が話しているのが聞こえた。横浜・鎌倉もほぼ同じ時刻だから、そうするといつのまにか自分がお日様よりも早起きになったことを知った。身支度をしているうちに雲の間から朝日が差し込んできたので写真を撮ったけど、天気は下り坂で午後には雨という予報だった。少しだけ青空ものぞいたので、朝のうちは大丈夫だろうと、午後の雨は置き傘をあてに家を出たらにわか雨に降られてしまい、妻が送ってくれた車から降りてから駅まで走った。朝夕の混雑時は駅前のロータリーは自家用車は入っていけないので、若宮大路から7、80メートルある。

昨日、大阪都構想の是非を問う住民投票が行われ、僅差で反対派が勝利したそうだ。都内で育った人間としては、区があって、都があるということに違和感を感じないでいたので、それはそれでいいと思っていたし、変わらなくてもいいのかと思っていた。結果はまさにそんな感じとなったわけか。あくまでもイメージだが、東京が奥多摩、島しょ部を含めた広範囲をカバーする自治体であるのに対して、大阪府は府内どこもアクセスがよく、ずいぶん状況は違う。それも今回の結果に関連したのではないだろうか。あと、賛成の多い地域、反対の多い地域がそれぞれ固まっているのはなんでだろう。大阪市役所、梅田は北区、大阪城は中央区、そして新大阪は淀川区にある。北区も中央区も淀川区もろくに知らないが、南北問題のようなことがあったのだろうか。
(ウィキペディアより)
今日は飛び石連休の谷間の月曜日。先週末に標本がたくさん仕上がってきたのでまずはそれらを片付けなくてはいけなかったのだが、どれも難しい。今日は特に移植関連の診断で手間取った。
(実朝)
管理業務もすんなりいかないものが多く、そして、なんだかスッキリしないまま、1日が終わった。
病院のあたりは昼まで雨は降っていなかったのだが、帰りに外に出たらまあまあ降っていた。
自分自身を見つめよう

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鎌倉文学館のバラ

2020年11月01日 | 鎌倉暮らし
長谷の鎌倉文学館まで散歩。昨日ほどの晴天ではなかったけれど、気温はむしろ高く、いい気持ちだった。鎌倉文学館は、旧前田侯爵家の別荘で、寄贈されて今は鎌倉市が管理している。
散歩の目当てはここのバラ園。先週に引き続いてバラを楽しもうとやってきた。
バラ園からは、立派な洋館が見える。
そして、建物からは海が。久しぶりに海を見た。
鎌倉に住んでいるといっても山の方に住んでいると、海を見ることはあまりない。子供が小さかった頃はほぼ毎週末海をみにきていたのだが、今やナイトもいなくなってしまい、わざわざ来ることもなくなった。といっても、今日も遠望しただけだが。

ちょうど川端康成の企画展を行なっていた。鎌倉には鎌倉文士と言われる作家、評論家がたくさんいて、川端康成もその1人だった。
1時間ほどバラと展示を楽しんで帰った。
天気は下り坂

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