こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

マスクを外せるようになりそうで

2023年02月13日 | 自然災害・事故・感染症
雨上がりの朝、といっても雲は取れていなくて空気はひんやりしている。
今朝の気温が最高であとは下がる一方で、週の半ばにはずいぶん寒くなるそうだ。
そう考えると、やっぱり昨日一昨日の暖かさはありがたかったし、なによりおかげで十分体を休めることができた。

第8波は収束に向かっているみたいで、新型コロナウイルス感染症の感染者数が、ガクッと減った。
これまでの累積感染者数は3千万人あまりで、集団免疫の獲得まではまだこの倍は必要になるが、ワクチン接種による免疫能を信じるならば、集団免疫獲得に到達しつつあるのではないかとも思う。
そんな状況下、マスク着用 “3月13日からは個人の判断で”と、政府が決定したそうだ。

医療機関受診時は、感染者がきている可能性があるので仕方ない。
高齢者施設というのも、重症者、死者の大部分が60代以上ということを考えたらやむを得ないだろう。
通勤時の電車、バス内でもというのは仕方がないが、乗り換え時に階段を上り下りすると結構息が切れて窒息しそうになるので、他人との距離が十分保たれているホーム上では外したい。
私の場合、仕事中目の前にいるのは患者さん、コメディカルではなく顕微鏡と標本ということでマスクフリーでやっているのでコロナ前とあまり変わらない。

ただ、これから花粉症のシーズンとなると、別の意味でマスクが必要となる。
そろそろフッと鼻水が出ることがあり、そんな時は、花粉がちょっと飛び始めたのだろうと思う。
ただ、コロナ感染防止と違って、花粉対策のマスクは、効果が実感できるので、つけることへの抵抗感はない。
とりあえず、花粉さらには黄砂対策ということで4月ごろまではマスクをつけるだろうから、それで様子もわかる
9波が起きなかったらそのまま、マスクフリーになるかもしれず、そんな日が来るのが楽しみだ。
とはいえ、私もそろそろリスクが高くなる年、少なくも口角泡を飛ばして、なんていうディスカッションができるようにはならないだろう。
とても楽なんだけど

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のんびりした1日

2023年02月12日 | 日々思うこと、考えること
午前中、晴れ時々曇りというよりは曇り時々晴れという空模様で、昨日より気温が上がるといってもお日様が当たらないとなかなか暖かく感じられない。
庭仕事をする気にもならず、アイロンがけをしていたらあっという間に半日たった。
午後も別にすることもなく、気がつけば夕方。

のんびり過ごした
たまにはいいか。
疲れていた

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スマホ依存にガーデニング

2023年02月11日 | ガーデニング・菜園・花・緑
昨日とはうって変わっての晴天。
今日明日はこんなポカポカ陽気だが、月曜からは寒の戻り。
日が高くなるのを待ってから草木を色々手入れした。

ガーデニングは無心になってストレスを解消できるのがいいのだが、実はこれが私のスマホ依存症に対する治療になっていると気がついた。
というのも、給水とか手洗いとかで部屋に戻るたび、これといって用もないのにその都度スマホを開いている。
そんな自分に何度目かで気がついた。
私はスマホ依存症で、ガーデニングがスマホ依存を中断させてくれている。

先日、ギャンブル依存症の人がジョギングだのバドミントンだののスポーツ療法で治療しているのをテレビで見た。
私も依存症の気がある。
当然のことながら、パチンコ、パチスロ、麻雀といったものには一通りハマったし、タバコは20年以上吸った。
ゲーム依存はもちろんあったし、数年前にはポケモンGOに一時期凝った。
今は、依存体質は無くなったと思っていたが、そんなわけでスマホ依存。
スマホ依存といってもその中のアプリに依存しているので、本質的には若干異なるがまあそんなところだ。

で、その依存症がガーデニングで解消された。
スマホ依存に対する有効な治療法だといえる。
スマホ依存、スマホとの戦いというのはなかなか難しい。
こうやって毎日ブログを書き綴るのだってある意味依存だが、何依存になるだろう。
いずれにしても自分が思考する時間というのを持っていたい。
明日もいい天気

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グッドタイミングで依頼がきた

2023年02月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
関東地方は”災害級の”大雪になるかもしれないという天気予報のせいか、電車は普段の2、3割空いていた。
通勤時よく見かける制服を見ないのは休校にでもしたのか。
そんな大雪では学生はもとより先生たちの通勤も心配になる。
迅速診断や剖検があるわけではなく、こんな天候で無理をして出る必要もなさそうだが、昨晩帰りがけに出来上がってきた標本の診断だけはやってしまおうと、風花の舞う中出勤した。
都内の病院に着いたらあたりはもうすっかり白かった。

一時期、執筆時間捻出のためブログをやめるかどうしようかとまで思い詰めていた自著の改訂第二版。
ちょっと手こずっていた原稿を1本片付けることができ、なんだかんだで少しずつ準備を始めた(時間を作り出すためにブログのスタイルを変えるのはどうか 2022年11月9日)。
始めたといっても、まずは知識のアップデートが必要で、初版発行後に出た重要な論文を、これはさすがに隅から隅まで熟読している。
本質的なことはどれもわかっていたことで、病態についての概念が変わったわけではないが、この領域の病理診断学のトレンドを知って、”時代遅れ”な本を出さないようにしたいと考えている。

とはいえ、論文や教科書を読んだからといって何が進むというわけでもなくこのままで大丈夫かという不安というか焦りを感じていた矢先、天の助けかと思えるようなことがおこった。
というのも昨日、専門が同じずっと昔から懇意にしてもらっている病理医が、講演の依頼をしてきてくれた。
コロナ禍が始まってからか、私の旬が過ぎたからかわからないが、講演はめっきり減って、去年一昨年それぞれリモートの1回ずつしかなかった。
だが、今度は対面でやるというから、ウィズコロナを実感する。

講演は結構疲れる。
もう1時間も話すエネルギーを捻出するのもしんどくなってきたので、そろそろ終わりにしたいと思っていたところだったが、今回ばかりは渡りに船、まさにグッドタイミング。
依頼の話をしながら、これは改訂版の準備になると考え直し、ありがたくお受けすることにした。

病理学の世界も、他の臨床科と同様細分化されている。
おもに臓器によって分けられるが、病態によって得意分野が微妙に異なる。
私が依頼を受けた内容は、以前から取り組んできたところで、話すネタはたくさんある。
初版本でも相当数のページを割いていたところだが、今の病院に移ってきてからはちょっとご無沙汰している。
他の部分と同様アップデートが必要なので、まずはここを勉強しようと思う。
もうひと踏ん張り

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お金にまつわるあれこれを見聞きし思うこと

2023年02月09日 | 日々思うこと、考えること
少し北風が強く、体感温度は低いものの明るくて、まずまずの朝。
目が覚めると同時に通勤の億劫さが頭に浮かび、仕事には行かず、このまま寝ていたいがエイッと、まずは顔を洗いに体を起こす。
ちょっと手こずっている症例があるし、午後には外科との月一回のカンファレンスもある。
私を必要としてくれている場所に行かなくてはいけない。
などと自らを鼓舞しながらでなくてはならないものの、いつもの木曜日が始まった。

テレビをつけたら、NBAレイカーズのレブロンジェームズが歴代通算最高得点をマークしたというニュースが流れていた。
なんでもその試合でのペアのコートサイドチケットが2400万円ほどだったということも報じられていた。
お金というのは持っている人は持っている、あるところにはあるものだ。

それはそれで、天声人語を読んだら、今日は2017年に森友学園事件の第一報が報じられた日だと書かれていた  (Wikipediaを読むともう少し以前から出ていたようだが・・・)。
土地の値段が実勢価格よりも8億円だかそれぐらい安くなっていたとかで、それは土壌汚染があって生徒募集に関わるとかなんとかいろいろな理由があったらしい。
大方のことがわかった今から考えると、さっさとすべてを明らかにしておけばよかったのに、あれもこれも隠蔽しようとしたばかりに、自殺者まで出したものの結局真相は藪の中に終わることになるの残念だ。

東京オリンピックでの談合事件では逮捕者がずいぶん出ている。
業者をさっさと決めて、準備に入りたかっただけだったとしても、ルールはルールということだろうが、それより本丸は
不透明な入札に、便宜を図ったというようなことがあったかどうかということではないか。
私としては、そのようなことがなかったことを祈るばかりだ。

特殊詐欺の首謀者4人が相次いで日本に強制送還され、逮捕された。
どこまで証拠が残っているのかわからないが、フィリピンでの豪勢な生活の原資がなんであったのかが明らかになれば色々なことが自ずとわかるように思う。
ことは、多額の金を騙し取られた多くの高齢者に関わることだ、必ず真相を明らかにしてほしい。

お金にまつわるあれこれの話題は、いずれも私には手のとどこないことであったり、縁がなかったりすることがほとんどだ。
自分にできることは日々真面目に与えられた仕事を、そんな責務があること幸いとしてコツコツと果たしていくことしかなさそうだ。
そして分相応な生活を

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バーチャル世界と現実世界を上手に生きる

2023年02月08日 | 電脳化社会
昨晩の雨の予報は空振りだったが、今夜は本当に降るらしい。
さらに週末には降雪の予報がでている。
関東では雪といえば2月に降るものだという感覚だが、今年もそんなことになりそうだ。

昨晩はあるブロ友さんと会食をして、あれこれ話をした。
私とはずいぶん異なる生涯を送ってきた方で、ずいぶん興味深い話をしてくれる。
とはいうものの、その方と考え方を共有できるのはほんのわずかな部分だが、全く異なる境遇の人が接点を持つという意味でブログの世界はこれまで私が経験したことのないものを提供してくれた。

いくつかのブログを定期的に長く読んでいると、それぞれのブログ主さんの人となりが伝わってくる。
実際にお会いしたらまた違う面も見えるが、少なくとも”ブログでの顔”はその人の本音で、嘘はない。
他にもお会いしたい方はいくらでもいて、そうしようと思えばそうできる人もいるが、いまのところ他にはまだそうしてはいない。

自分というものと社会との関わりというものは浅く広い。
だれかとの関係がいかに深いものに感じられても、完全に一致することはない。
ないどころか自分一人でいる時間の方が圧倒的に長く、自分以外の存在との関係はほんの一瞬のものだ。
そうしてみると、一期一会を大切に、というのも一つの真理ではあるが、それぞれの人に深くはまり込むのは危険を伴う。

とはいえ、バーチャルな世界と現実の世界は私が考えているよりよほどボーダーレスになっている。
実際、政治家、芸能人、スポーツ選手といった著名人のなかにはそういう環境を上手に使っている人が多い。
こういった環境下でうまくいく行かない、ではなく、適応していかなくてはならない時代、あまく考えていてはいけないだろう。

まだ現実社会を優先

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人間の際限ない残虐性とそれへの審判

2023年02月07日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
夕方から雨模様ということでちょっと残念だが、それはそれ、空に悪気はない。
それに朝のうちは少し太陽も顔を出している。
今夜は恵みの雨をありがたく受け止めよう。

先日、ロシアで村上春樹の本が発禁になると聞いて、それは「ねじまき鳥クロニクル」だろうと思っていたら、「スプートニクの恋人」だった。
なぜ、私が「ねじまき鳥クロニクル」ではないかと思ったかというと、その中でソ連軍人の残虐な行為が描かれていたからで、てっきりそれに対しロシアのプーチン大統領が怒ったのだと思ったからだった。
ただ、何も残虐なのはロシア人だけではなく、どこの国の人であっても残虐性は持っている。

人間はひどいことを考えるのは得意だ。
それは自分がされて嫌なことだったらいくらでも思いつくからで、それを実行に移すだけでいくらでも残虐なことはできる。
例えば、「ねじまき鳥・・・」にも出てくる皮剥ぎ。
私など、中指の先のほんの小さなささくれですら痛くて嫌なのに、全身の皮を剥がれたりしたらあまりの痛みで失神し、そのまま絶命してしまうに違いない。
でも、この刑を受けた人はミケランジェの最後の審判にも描かれている(それもイエスのすぐ足元に!)のだから、結構古典的な刑だったのだろう。
こんなことを当たり前のように思いつく人間というのは根源的に残虐で残酷な生き物だ。

今、世間を騒がせている特殊詐欺・強盗殺人の首謀者たちも、血も涙もないような輩だ。
60億を超える金を騙し取っただけでも、万死に値するが、それも面倒だとばかりについに強盗に切り替え、人の命まで奪った。
自分が手を下さないものだからいくらでも酷いことを考えつく。
だが、その彼らも年貢の納め時で、いよいよ日本に強制送還させられる。
警察、検察はその威信にかけてしっかり調べ、罪を償わせてもらいたい。

その罪の償いは裁判官がきめるわけで、その刑は重すぎても軽すぎてもいけない。
刑罰というのは交通違反の反則金程度しか知らないが、どんな場合でもその軽重の判断は難しい。
終身刑がなぜ残酷なのか、死刑はなぜ廃止すべきであるか、私が生きているうちにそれらの議論に決着がつくことはないだろう。
犯罪そのものに同情の余地はないが、それを行った人に対する刑罰はどこまで正当化されるべきなのか。
裁判官や法律の専門家であれば私よりはよほど詳しく説明できるのだろうが、それでも人類にとって普遍的な解答はないだろう。
まず自らを律する

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死者が戦争の意味を語ることはない

2023年02月06日 | 日本のこと、世界のこと
昨日に引き続き今日も寒い。
底冷え、というか地面から、そして家そのものが冷えている。
昨日程度の少々の日の光では気温は上がらないところまで寒くなっているということだろう。
酷寒の中、ウクライナで電力不足に苦しんでいる方達の艱難辛苦を思うとやりきれない気持ちになる。
ロシアが攻め込んでから、もうすぐ1年になるというが、大規模侵攻などせず、どうか早く戦争が終わらせてくれることを望む。

戦争というものがいかに無意味なものかは誰もが容易に理解できるのに、そのことがわからずに始めてしまう。
攻め込んでいる国の人が苦しんでいるのはもとより、攻めている自国の兵士の命も失っているというのは客観的に見たらきわめて矛盾している。
そして、戦争では相手の人数を殺すことによって減らすということのみならず、死という恐怖感を相手に植え付けることのも行われる。
いつ爆弾が落ちてくるか、どこに爆弾が落とされるか、そんな恐怖を感じながら送る日常の愚かさ、馬鹿馬鹿しさこそが戦争であるのに、なぜそれを終わらせることができないのだろう。

なんのための戦争か、戦っている当事者はその意味を知っていたのだろうか。
なんのために命令され、なんのために殺し合い、なんのために殺されるのか。

そう、死者が戦争の意味を語ることはないのだ。

生まれてきたことに意味があったとしたら、戦争で死ぬことに意味があったのだろうか。
価値観の違いこそあれ、人はみな、幸せになるために生きている。
その幸せを得るための方法が戦争であることはない。
人に殺し合いをさせることに戦争の意義を見出す為政者はいるかもしれないが、殺し合いをやらされた人に、その意義はわからないだろう。

人間は戦争という愚かな行為を、ずっと昔から繰り返してきた。
反省をいくら繰り返しても、戦争を繰り返す。
いつまでこんなことが続くのか、答えを知っている人はいるだろうか。
残酷であることが許容できる

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意外と寒く風の強い1日で

2023年02月05日 | 日々思うこと、考えること
いい天気で日差しもたっぷりあったのだが、風が強く、どうも寒い1日だった。
特にすることもなく過ごした。
テレビもつけないでいたら、ずいぶん静かな1日だった。

夕方になって、ブログを開いたら、笑点新メンバー決定というエントリーを書いている人がいた。
おおこれは、と日テレをつけたら、春風亭一之輔という人が出ていた。
結構な男前で、これまでのメンバーたちとはひとあじ違う雰囲気。

そのままテレビをつけていたらまた強盗の話。
彼らを支配している人物がいて、彼らが捕まったところで、またぞろ同じような人間が集められ、同じような実行犯が集められるのだろう。
家にはそんなにものはないので

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妻のリボーンベジタブル(リボベジ)をみて思うこと

2023年02月04日 | ガーデニング・菜園・花・緑
立春。
この日を待っていたかのように、気温は上がり出し、庭のあちこちに植えておいたチューリップの芽もずいぶん目立ってきた。
今日は昼過ぎまで仕事をし、(渋滞に巻き込まれつつ)鎌倉に帰ってきたら今日もずいぶんな人出、いったいここに何をしにやってくるのだろうかと思うが、どの人もニコニコしながら歩いているので、きっととても楽しいのだろう。
明るいうちにパンジーの花殻を摘んだり、土が足りなかった鉢に土増ししたりして、部屋に入り、キッチンの流し台で手を洗ったら、にんじんやらネギやらが水につけてあるのが目に入った。
キッチンでこのような水栽培をするのは豆苗やにんじんでよく知られているし、豆苗など3サイクルくらいは食べいる。
ネギを水栽培をみて、果たしてどうなるのだろうかと思っている。
アボカドはもう、何十個も種から育てていて、鉢植えまでもっていっているが残念ながら実はまだできていない。
キッチン周りにこのようなものを見るのは楽しい。

ところで、こういうものをリボーンベジタブル、略してリボベジとかいうそうだが、こんな言葉初めて聞いた。
ずいぶんおかしな名前をつけたものだと思う。
リスキリングにしてもそうだが、なんでいちいち”Re-”ナントカにしなくてはいけないのだろう。
人間、常に前向きに生きていたら、それは”Re-"ではなく、なんでも常に新しいものだと突っ込みたくなる。
仮に、それまで学ぶチャンスがなかったとしても、そこから始めることにこそ意義があるのであって”Re-”は不要だ。

先日、岸田総理が”育休をとった人もリスキリングを”、などと(これはこれで、育児を馬鹿にしているというか、知らない人の発想だと思うが)言って、炎上していたが、そのことはさておき、育休をとるような若い世代にまで”Re-"ナントカというのは、おかしいのではないだろうか。
もうちょっとセンスのいい言葉を考える必要があるのではないかと思う。
ちょっとズレてしまったかな

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なぜ死ぬことが怖いのかそして嫌なのか(下)・・・死ぬ時に死ぬことを思い出す

2023年02月03日 | 生き方について考える
冬型の気圧配置が崩れるとかで、空はどんよりしている。
季節の変わり目となる今日は節分。
寒さは底を打ったようで、あとは暖かくなるらしい。
今年の冬もなんとか乗り切ることができそうだ。

天寿をまっとうするというのは難しいということで、話がおわった一昨日からの続き
生きている限り、自分の意のままにならない死というものが訪れる可能性がある。
無事(?)に自分の家で死を迎えるためにはどうしたらいいかと考えたが、そんなことは土台無理だと思ったほうがいい。
いつどこで大怪我を負うかわかないし、いつ癌が見つかるかもしれない。
その都度それらを乗り越えなくてはならないと考えるか、それともそれらを受け入れて生きてく方が楽だろう。
痛かったり苦しかったりと体の自由がきかない辛さはあるが、それに立ち向かうのではなく、その状況を生きる、その状況と共存する、それこそがうまい生き方だろう。
機能障害があっても、生きる。

そして、いつも死を覚悟して生きる。
それが難しいからこそ、死を考え、恐れおののくわけだが、死から目を背けて生きていては、突然の死に立ち向かうことはできない。
かといっていつも死ぬことを考えて生きるのも馬鹿馬鹿しい。
ただ、その瞬間、

ああ、自分という人間はいつかこうして死ぬ存在だった、そしてその時がいまなのだ

と死を思い、受け入れ、とにかくここまで生きてくることができて、いい人生だったと思えるのではないか。
そうやって、自分の死を客観視することは可能かもしれないが、では死による別離はどうするかというと、こればかりはどうしようもなく、やはり死はやっかいなものである。
これが宿命か

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岸田総理の"新しい資本主義"はいまどこに

2023年02月02日 | 日々思うこと、考えること
昨日の南風とは打って変わり今日は北風。
暖かさは少し残っていて出かける時間は比較的楽だった。
雨は相変わらず少ない。
年末に買ったウサギの絵の書いてあるワイン、一年間飾っておくつもりだったのに、昨晩つい、抜栓してしまった。
そんなに高いものではないが、ラベルをろくにみることもせずに開けているような調子だから、酒量がなかなか減らない。


ニュースで流されるものでしかしらないが、岸田総理の国会での相変わらずの朗読答弁を聞いているのがだんだん嫌になってきた。
岸田総理が”新しい資本主義”を打ち出した時、それを読んで私はそれなりにいいことだと思った。
だが、どうもあれはそれまでに考えていた自説のまとめで、あれが彼の精一杯だったのかと思うようになった。

私なんぞでも、専門家として持っているネタはそれほど多くない。
”引き出しの多い人”というのもいるが、専門分野はしょせん一つで、それを深くやっているかどうかという程度だ。
一つのことを極めるとそれに関連して大きな裾野を持つことになるので、それで話を引っ張ることができるが、それも2度3度やったらマンネリになる。
”新しい資本主義”も岸田総理のとっておきのネタだったのだろうが、あとが続かない。
凡庸な人間というのはいくらでもいるので、私を含め大概はそうなってしまうが、総理大臣たろうという人であればそんなことはあるまいと期待していたので、失望感が拭えない。

”新しい資本主義”は従来型の資本主義を大きく転換する新しい経済概念だったはずなのに、それは尻切れトンボとなってしまった。
故安倍元総理がアベノミクスに固執したような頑固さもなく、”新しい資本主義”はどこへいったのかももはや見えなくなりつつある。

あれ(”新しい資本主義”)はどうなったの?
と岸田総理に問うたら、もちろん、

基本的政策方針として堅持している

と返答するだろうが、その姿がなかなか見えないのが残念だ。
とっておきのネタを出したらこれまでで、応用も何も効かなかったわけでしょせんこんなものだったのかと諦めるしかない。

まあ、私にしても3日続けて自分の死生観を開陳したかったができず、自分の凡庸さを嘆くばかりであり、しょせんこんな程度の人間がない知恵を絞って右往左往しているだけなのだろう。
そんなのが戦争を起こしてはいけない

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なぜ死ぬことが怖いのかそして嫌なのか(中)・・・老衰で亡くなる日本人は10%

2023年02月01日 | 生き方について考える
2月1日。
東京神奈川の中学受験が始まる。
子育て支援策が国会で議論されているが、受験にかかる費用というのも子育ての負担になっており、こういった点も含めどうしていくつもりだろう。
秘書官に抜擢した息子すらしっかりコントロールできない岸田総理にそういったことまで含めた考えがあるのか疑問に思う。

実際のところ、日本人にとって死はどのようなところにあるのだろうかと、死因を調べてみたら、日本人の死因の上位はがんが25%、心疾患が15%そして老衰が10%ということだ(厚労省の人口動態統計)。
80、90と齢を重ね、もう十分生きてきたよ、死ぬ時にそう自分の死を納得し、それを受け入れることができたらいいだろうし、それが老衰による死だと思う。

老衰による死を目指すことで、死ぬ準備はできるが、それでもそれまでにはいくつもの辛いことを乗り越えていかなくてはならない。
もっとも辛いのは死による別離だ。
死は不可逆的で取り戻すことはできない。

私の親族は今のところ、順番に逝っていて、私の番も見えてきたところだ。
そんなわけで、その人たちとの別れは受け入れやすい状況にあるが、それでも喪失感は大きい。

生命の仕組みがまだよくわかっていなかった頃、死神が命を持ち去ると思われていただろうが、今だって大して変わらない。
私は病理医で、解剖を通じてその人の死因を診断するのが仕事の一つだ。

この人は何が原因で、呼吸機能が低下し、全身が低酸素に陥り、やがて心機能が停止したのか、を考え、診断する。
これまで数百人の人の死因を考えてきて、死のメカニズムはわかっているのに、死に対する感覚がいまだに理解できない。

おそらく、生きようという思いがあるうちは、不慮の事故、病気による身体活動の制限と停止などに対する拒否反応があるのだろう。
そこで思うのは、天寿をまっとうするというのは難しいということだ。
この話、あとちょっと考えてみたい。
(この項続く)
腰痛がつらい

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