消費税増税と自民党型政治⑥ 首相2代が財務相経験者
民主党政権は、2代続いて財務相経験者が首相に就きました。
2010年1月7日、藤井裕久財務相(当時)が体調不良を理由に交代しました。新しく財務相に任命されたのは、菅直人元首相でした。
菅財務相(当時)は同年1月18日に開かれた税制調査会で、「1年間の展望を、場合によったら3年、4年という展望の中で、今後の日本を考えて、どのような税制が必要であるかということをこの場で議論をし、決めていくことが必要になる」と決意を示しました。
その後、鳩山由紀夫元首相の退陣を受けて菅財務相が首相に就任しました。10月6日の税制調査会で菅首相(当時)は、「社会保障改革の全体像について、必要とされるサービスの水準、内容を含め、国民にわかりやすい選択肢を提示した上で、その財源をどう確保するか、消費税を含む税制全体の議論を一体的に行う必要があります」と発言していました。このとき、財務相だったのが野田佳彦議員でした。「社会保障全体の改革と合わせた税のあり方という大きな命題もございます」と発言していました。菅内閣の下、社会保障の財源確保の名目で、消費税増税計画が練られていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/c8/c5f09b55edf7c020fdd9da8e370d256b.jpg)
財界3団体の新年祝賀パーティーに出席する野田首相(中央)=1月5日
財界の夢実現
翌年の3月11日には東日本大震災が発生。8月30日に菅内閣が総辞職したのを受けて誕生したのが野田内閣でした。
経団連の米倉弘昌会長は、野田内閣の誕生について「ジャパンドリームの実現だ」と絶賛。それは「野田内閣であれば、財界が望む政策を実行できるから」(財界事務局)でした。
実は、経団連は、早い段階から野田氏との懇談会を開き親密な関係を築いてきました。
05年4月7日、東京・大手町の経団連会館で「民主党と政策を語る会」を開催したさい、ネクスト(次期)財務相として野田佳彦氏が参加し意見交換。経団連が主催する企業人政治フォーラムは、08年5月に、野田氏との懇談会を開催していました。企業人政治フォーラムは、経団連が1996年5月に「企業人が積極的に政治に発言し、政治家と企業人との相互理解を進めるために」設立したものです。
財界3団体(経団連、経済同友会、日本商工会議所)は、年の初めに、恒例の「新年祝賀パーティー」を開催します。今年は、野田首相の姿がそこにありました。
会場となったホテルの宴会場には、財界団体の会員企業代表者や政界の要人など約1600人が出席。野田首相があいさつに立ち、一体改革」について、「野党にも真摯(しんし)に協議を呼びかけ、何としても年度内に法案を提出したい」と決意を披露しました。
1月6日に開かれた日本生産性本部の新年互礼会では、牛尾治朗会長(ウシオ電機会長)が「(首相の決意を)大変たのもしく聞いた。さわやかな気持ちになった」と、財界3団体で行った野田首相のあいさつを持ち上げていました。
自民党工作も
財界による自民党への工作も水面下で進んでいました。今年に入ってからも谷垣禎一自民党前総裁を囲む会が2回開かれました。その席で財界側は、「自民党の方から(一体改革関連)法案を出し、リーダーシップをとってやってほしい」と求めていたのです。
安住淳前財務相は「財務大臣を経験し、日本の財務状況を一番知っている政治家が今、首相と野党第1党の党首です。『この時に合意しなくていつ合意するんですか』、と言いたい」(「日経ビジネス」6月18日号)と雑誌のインタビューに答えていました。
ある財務事務次官経験者は、「民主党は政権入りすることで、現実に認識が変わってきたんですよ」と話します。民主党政権は財界と財務省による「説得工作」に屈していったのです。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年12月4日付掲載
本当のドジョウ鍋ならいいんですが、アメリカ言いなり、財界中心を地で行くドジョウの野田さんではたまったものではありません。
新年早々、財界に招かれて祝賀会に出席とは。「コンクリートから人へ」は微塵と砕け散ってしまいました。
民主党政権は、2代続いて財務相経験者が首相に就きました。
2010年1月7日、藤井裕久財務相(当時)が体調不良を理由に交代しました。新しく財務相に任命されたのは、菅直人元首相でした。
菅財務相(当時)は同年1月18日に開かれた税制調査会で、「1年間の展望を、場合によったら3年、4年という展望の中で、今後の日本を考えて、どのような税制が必要であるかということをこの場で議論をし、決めていくことが必要になる」と決意を示しました。
その後、鳩山由紀夫元首相の退陣を受けて菅財務相が首相に就任しました。10月6日の税制調査会で菅首相(当時)は、「社会保障改革の全体像について、必要とされるサービスの水準、内容を含め、国民にわかりやすい選択肢を提示した上で、その財源をどう確保するか、消費税を含む税制全体の議論を一体的に行う必要があります」と発言していました。このとき、財務相だったのが野田佳彦議員でした。「社会保障全体の改革と合わせた税のあり方という大きな命題もございます」と発言していました。菅内閣の下、社会保障の財源確保の名目で、消費税増税計画が練られていきます。
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財界3団体の新年祝賀パーティーに出席する野田首相(中央)=1月5日
財界の夢実現
翌年の3月11日には東日本大震災が発生。8月30日に菅内閣が総辞職したのを受けて誕生したのが野田内閣でした。
経団連の米倉弘昌会長は、野田内閣の誕生について「ジャパンドリームの実現だ」と絶賛。それは「野田内閣であれば、財界が望む政策を実行できるから」(財界事務局)でした。
実は、経団連は、早い段階から野田氏との懇談会を開き親密な関係を築いてきました。
05年4月7日、東京・大手町の経団連会館で「民主党と政策を語る会」を開催したさい、ネクスト(次期)財務相として野田佳彦氏が参加し意見交換。経団連が主催する企業人政治フォーラムは、08年5月に、野田氏との懇談会を開催していました。企業人政治フォーラムは、経団連が1996年5月に「企業人が積極的に政治に発言し、政治家と企業人との相互理解を進めるために」設立したものです。
財界3団体(経団連、経済同友会、日本商工会議所)は、年の初めに、恒例の「新年祝賀パーティー」を開催します。今年は、野田首相の姿がそこにありました。
会場となったホテルの宴会場には、財界団体の会員企業代表者や政界の要人など約1600人が出席。野田首相があいさつに立ち、一体改革」について、「野党にも真摯(しんし)に協議を呼びかけ、何としても年度内に法案を提出したい」と決意を披露しました。
1月6日に開かれた日本生産性本部の新年互礼会では、牛尾治朗会長(ウシオ電機会長)が「(首相の決意を)大変たのもしく聞いた。さわやかな気持ちになった」と、財界3団体で行った野田首相のあいさつを持ち上げていました。
自民党工作も
財界による自民党への工作も水面下で進んでいました。今年に入ってからも谷垣禎一自民党前総裁を囲む会が2回開かれました。その席で財界側は、「自民党の方から(一体改革関連)法案を出し、リーダーシップをとってやってほしい」と求めていたのです。
安住淳前財務相は「財務大臣を経験し、日本の財務状況を一番知っている政治家が今、首相と野党第1党の党首です。『この時に合意しなくていつ合意するんですか』、と言いたい」(「日経ビジネス」6月18日号)と雑誌のインタビューに答えていました。
ある財務事務次官経験者は、「民主党は政権入りすることで、現実に認識が変わってきたんですよ」と話します。民主党政権は財界と財務省による「説得工作」に屈していったのです。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年12月4日付掲載
本当のドジョウ鍋ならいいんですが、アメリカ言いなり、財界中心を地で行くドジョウの野田さんではたまったものではありません。
新年早々、財界に招かれて祝賀会に出席とは。「コンクリートから人へ」は微塵と砕け散ってしまいました。