きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

非核「神戸方式」決議39周年記念のつどい に参加しました

2014-03-21 22:22:32 | 平和・憲法・歴史問題について
非核「神戸方式」決議39周年記念のつどい に参加しました

1975年3月18日、神戸市議会が「核兵器積載艦船の神戸港入港拒否に関する決議」を全会一致で採択しました。
それを記念して、毎年、神戸市民の手で記念の集いをやってきました。
今年の集いは、昨年末に秘密保護法は採択され、安倍政権が「戦争のできる国づくり」を進める中での大事な集いとなりました。


基調報告
基調報告 posted by (C)きんちゃん
最初に、兵庫県原水協の梶本さんが基調報告を行いました。
【梶本さんの基調報告(クリックすると音声を再生します)】

記念講演 新原昭治_0
続いて、国際問題研究者の新原昭治さんが記念講演を行いました。
アメリカが日本に核兵器を持ちこむ時、まさに「歴史の現場を見てきた人」として、アメリカがいかに自由に核兵器を扱いたかったか、日本の世論をいかに気にしていたかがよくわかります。

「核兵器の所在を否定も肯定もしない政策」(NCND=Neither Confirm Nor Deny)は、強いように見えますが、実際は、非核「神戸方式」のもとでは、全く機能しないことが分かります。

秘密保護法もとでも、非核「神戸方式」はその対象となりえないと新原さんは分析します。
米軍の核兵器機密情報を“盗む”わけでもなければ、米国の核兵器情報の「共有」を求めることをも意味しない。非核「神戸方式」は、秘密を見せてくれっていうものではないので、秘密保護法に縛られないって事である。

【新原講演(クリックすると音声を再生します(約1時間30分)】

記念講演 新原昭治_02

記念講演 新原昭治_03


集会アピール
39周年記念集会のアピールを採択しました。


波よひろがれ 合唱(非核「神戸方式」39周年)

非核「神戸方式」を記念してつくられた曲、「波よひろがれ」をみんなで合唱しました。

閉会あいさつ
兵庫労連議長の津川さんが閉会あいさつをしました。
横文字は苦手だけど、今回はNCND「核兵器の所在を否定も肯定もしない政策」(NCND=Neither Confirm Nor Deny)の脆さがよくわかりました。
非核「神戸方式」を守り発展させていく決意を述べました。



最後に、新原さんの講演のレジメを添付しておきます。

非核「神戸方式」とこれからの日本・アジア
講師 国際問題研究者 新原昭治


〔1〕60年前の世界と神戸における核兵器をめぐる「事件簿」から
―1954年(昭和29年)に人々が経験したことをふりかえる

□この年、核兵器を主題にした名作が米国で爆発的人気を呼んだ
*ウイバーリー作『その日ニューヨーク侵略さる』
(『小鼠ニューヨークを侵略』創元推理文庫。のちに映画化)
アルプス連峰の中の人口6000人の小国が、米国への最大の輸出商品葡萄酒の販売を米業者の廉価な偽造品生産で妨害された。それに抗議するも、米政府はナシのつぶて。
憤慨した同国は米国に宣戦布告。中世の武装で身を固めた数十人の軍隊が小船でニューヨークに「攻め上る」。だがニューヨーク市全市、核攻撃の避難訓練でからっぽ。
ただ超水爆を開発した老科学者とその娘だけが、避難命令に従わずにいたのを見つけて、“爆発したら地球全体が壊れる”という超水爆もろとも、戦利品として分捕り、意気揚々帰国した。米ソはじめ世界中の国々は大騒動になる。困り果てる世界の首脳らに対し、この小国が核兵器の廃絶を断固迫るという意表をつくフィクション作品。

□1954年3月1日、太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁で米水爆実験(15メガトン)・「第五福竜丸」など一千隻の日本漁船等が被曝。マーシャル島民がひどい被曝。
*半年後、無線長だった久保山愛吉無線長は亡くなった。「原水爆の犠牲者はわたしを最後にしてほしい」という言葉を残して・…。
・日本全国に核兵器への恐怖が走り、原水爆禁止の運動がたちまち全国にひろがった

□当時、アイゼンハワー政権は「核兵器を通常兵器と同様に使う」との戦略を決定していた(「ニュールック戦略」1953年10月)

▼米国は、アメリカと軍事同盟を結ぶ諸国に対し核兵器の持ち込みを開始した。
日本では前年の1953年10月から核持ち込みが始まった=“核持ち込み元年”
・最初の核兵器積載空母オリスカニは、横須賀や佐世保のほか神戸にも寄港した
<1954年1月23日「神戸第5突堤に接岸」→同年1月30日神戸港を出港>
(第5突堤、第6突堤は、神戸港全体の中で水深、広さ、設備などが優良の突堤)
・当時、フランスのベトナム植民地復活戦争の最中だったが、窮地に直面したフランス軍を助けるため、アメリカは核兵器投下による支援を計画中だった。
空母オリスカニも南シナ海入りするなど、ディエンビエンフーでの核兵器使用作戦に参加しようとしていたと見られる形跡がある。(ディエンビエンフーは1954年5月7日、ベトミン〔ベトナム独立同盟〕の猛攻により陥落した。)

〔2〕核戦争の恐るべき危険を直感して、日本国民は核兵器廃絶のため立ち上がった
―水爆実験の“死の灰”被曝を機に、日本国民の反核世論と運動が大きくひろがった。
日本は米国の世界的核戦略にとり、最も深刻で鋭い矛盾の焦点となった

□日本ではその2年前まで、米占領軍が原爆問題の報道や言論を完全に禁圧していた
・『アサヒグラフ』1952年8月6日号原爆写真特集が事実上初めての原爆写真として全国的に大反響を呼んだ。(沖縄では、『アサヒグラフ』の街頭写真展までが弾圧された)

*アイゼンハワー政権は核兵器使用反対の国際世論を、あらゆる方法で「克服」することを最重要な“国策”にした
―米国家安全保障会議特別会議の秘密決定=「原子兵器の使用を取り巻くタブーは、ぜひどうにかして抹殺しなければならない」(1953年3月31日)

□国民はビキニ水爆実験を通じて、“核兵器とは何か”を事実上初めて深く知った
▼日本国民の核兵器反対運動と世論が、米国の戦略にとって「頭痛の種」となり続けた
・最新の米解禁文書で、第五福竜丸の焼津帰還(1954.3.15)直後からアメリカ政府が日本政府に対してビキニ水爆対策で強い圧力を加えていた事実が明るみに出た

・広田重道著『第五福竜丸』(白石書店1977年)から―
「1954年3月23日、コール米上下両院合同原子力委員長は『日本人漁船および漁夫がうけた傷害についての報道は誇張されているし、これら日本人が漁業以外の目的で実験区域へきたことも考えられる』と暗にスパイ目的を言外ににおわせている。」
「3月25日の国会答弁で当時の岡崎勝男外務大臣は、『水爆実験は自由国家の仲間入りした日本としては、これに協力するのは当然』と公言。」
「これをきっかけに、外務省は当時の国家警察、公安調査庁等の治安当局にCIC(米犯罪調査局)と協力し、第五福竜丸の“スパイ事実”を洗えと依頼した。」

□3年後(1957年)、米政府は世界の米軍基地国の調査結果をまとめた(ナッシュ報告)この秘密報告は「核兵器問題でほとんど病的と言える感情的態度が幅をきかせている唯一の国は日本」と指摘し、その抑え込みを課題にした。【p7資料二「ナッシュ報告」参照】

●米政権挙げて、「日本の核アレルギー対策」をとりはじた
①西ヨーロッパ諸国では、集団的自衛権にもとつく「拡大核抑止」戦略と称して、半ば公然と核持ち込みが開始された。これを通じて、欧州では核兵器を同盟国の“守護神”の意識に伴われながら、核持ち込み容認の気運が意識的に醸成された。
②「日本だけが特殊事情」と認識した米政府は“日本の核アレルギー”阻止と核持ち込み秘匿のため、NCND(核兵器の所在を否定も肯定もしない)政策を策定した。
*NCND政策の策定は、1958年1月2日。ナッシュ秘密報告がアイゼンハワーに提出された翌月。

〔3〕「核兵器の所在を否定も肯定もしない政策」の本質、そしてその脆さ
「核兵器の所在を否定も肯定もしない政策」(NCND=Neither Confirm Nor Deny)は、
▼日本の国内世論と同じような核兵器反対の世論を、他国で絶対につくらせない
▼日本発の新たな“飛び火”を避けるためにも、日本での問題発生を極力抑えることを、大きな狙いとしていたことが、元政府高官の証言から明らかである。

◎元国家安全保障会議高官のモートン・ハルペリンは、ワシントン・ポストに次のように書いた(1971年7月15日付)。
「核兵器の存在を否定も肯定もしない政策は、同盟国の国民にねらいを定めたものである。米政府当局者がある国に対し、核兵器の存否をめぐる質問に答えたら、他の多くの同盟国政府に、答えを得てそれを公開しようという恐ろしいほどの圧力がかかるだろう。こうして、自国民を愚弄する諸外国の政府に米政府が協調できるようにする目的で、米国民も、アメリカの安全保障と外交政策上の数多くの問題に関するきわめて重要な情報を拒否されている。」
◎米上院外交委員会聴聞会(1974年3月)でポール・ウォンキ元国防次官は証言した。
「核兵器の存在を否定も肯定もしない政策は、私の理解では、主として、同盟国での反対勢力への恐れを動機としたもので、実際上、それは海軍の懸念に由来している。もしアメリカが核兵器を積んだ艦船を持ち込んでいることが知られた場合、とくにアジアで、不安や暴動に近い何かでさえも起こりうることを彼らは恐れている。」
<注:新原は1981年、訪米核兵器問題調査でウォンキに会った際、「アジアでの不安や暴動に近い何かが起きる恐れ」の対象には「日本も含まれるのか」と尋ねたところ、ウォンキは「もちろん、そうだ」と答えた。>

◎ハルペリンはその後、1987年刊行の本では、海外からのアメリカの核兵器の全面撤退により、「核兵器の所在を否定も肯定もしない」政策はやめることが可能になると、次のように主張した。
「アメリカが核兵器を海外や艦船に貯蔵しないという政策を採択すれば、当然のことながら、基地であろうと船上であろうと核兵器の存在を否定も肯定もしないという政策を放棄することが可能になる。そうなれば、アメリカとニュージーランドを含む多数の同盟国との関係がギクシャクしている原因のひとつを取り除くことができる。」(ハルペリン著『アメリカ新核戦略―ポスト冷戦時代の核理論』筑摩書房)

●その後、1991年9月、ブッシュ米大統領は海外からの「大幅な」戦術核兵器の撤去を発表した。しかし、ハルペリンが主張したような、海外配備の核兵器全面撤去とはならなかった。
むしろ、もし一時的に海外から核兵器を引き揚げても、再び元に戻して「再配備」する態勢がとられた。
これに備えて、ブッシュ大統領の引き揚げ発表当時、一連の米政府高官は政府の公式声明として、NCND政策が依然として海外で継続されるとくりかえし述べていた。
たとえば、ウォルフォビッツ国防次官は1991年10月1日の記者会見で、「NCND政策は死んでおらず、依然として生きている。それは、大統領が指摘した通り、将来の危機,に際しそれらの核兵器を再配備する可能性があるからだ」と言明した。同様の公式言明は当時、ポパディウク・ホワイトハウス報道担当官やソロモン東アジア担当国務次官補によっても公式に表明された。しかし、日本ではあまり報道されなかった。
●その後、1994年のクリントン政権の「核態勢見直し」の結論で、日本にも関係の深いいくつかの戦術核兵器の海外展開存続が決められた。その年の「核態勢見直し」の結論を発表したシャリカシュビリ統合参謀本部議長は、それらの例として、①攻撃型原子力潜水艦への核弾頭付きトマホーク巡航ミサイル搭載能力の確保、②空軍機の核・非核両用機能の継続を公表し、これによって「同盟国ならびに海外での重要な国益を支援する必要が起きた場合に備える」とした。

□だが、当時ならびにその後のわが国の歴代内閣は、これらの事実を完全に見て見ぬ振りし、“1991年の戦術核兵器の海外からの引き揚げでわが国と周辺へのアメリカの核兵器配備はなくなった”とする発言に終始した。
NCND政策は、直接には、このような刷新された海外での核兵器配備態勢の随伴物であったにもかかわらず、核密約そのものの存在を否定する日本政府は、それらの態勢をあたかも過去のものであるかのように扱ってきた。

□アメリカ政府はいまも現に、NCND政策を続けている
―それは、海外に対するさまざまな形での核兵器展開・核持ち込みを続けているし、いわゆる「有事」に緊急に核兵器を海外に送り込み、核兵器を使うという選択肢を、米核戦略の重要な柱にしつづけているからにほかならない。

「核兵器の所在を否定も肯定もしない」政策の本質的脆さ
■「核兵器の存在を否定も肯定もしない」政策の本質的矛盾を考えてみよう。
(1)同盟国に核兵器の所在に関し“見ざる・聞かざる・言わざる”を押しつけ
・本質的に、アメリカ政府による不当な同盟国干渉政策であることから来る脆さが内包されている
それは、「NCNDだ」と言えば、外国領海・港湾や領空での米国の核兵器活動の完全な自由を押し通せるという、手前勝手な“トリック”といえる。
(2)一方、港湾を管理する主権国の側の公的機関が、NCND政策そのものを受け容れない立場をとれば、NCNDそのものの適用があっけなく崩壊してしまう。
非核「神戸方式」がその例である。これはNCND政策の脆さを示すものである。

■非核「神戸方式」と秘密保護法
非核「神戸方式」は、秘密保護法の対象とはなり得ない
・非核「神戸方式」は、事実上、米軍のNCND政策をしりぞけるものではあっても、そのことは、米軍の核兵器機密情報を“盗む”わけでもなければ、米国の核兵器情報の「共有」を求めることをも意味しない。中曽根首相の1984年3月17日の参院予算委員会答弁の通り、非核「神戸方式」は「地上自治の本旨にもとついて神戸の市長と市議会がとっている一つのやり方」で、「それはそれとしてよく理解できる」と首相みずから公認したものである。
アメリカ政府も日本政府も、非核「神戸方式」にいかなる干渉をおこなうこともできないことを明確にしておきたい。どうか神戸市民のみなさんが、このような認識と確信をしっかりと胸に抱いて、非核「神戸方式」を市民みんなのお力で守りぬいていただきたい。

◎なお、NCND政策に関し、2点を追加し説明したい。
□長崎港への米駆逐艦ラッセンの寄港(2008年2月17日)とNCND政策
□「NCND政策」に関する米海軍作戦部長指示書の本年1月の一部修正
―それについてのハルペリン氏の見解の問い合わせと回答

〔4〕広がる核兵器絶の国際世論―非核・非同盟の日とアジアを求めて

オバマ大統領は2009年にチェコのプラハで「核兵器のない世界」への望みを語り、世界に夢をひろげた。
だが、実際の今日のアメリカの核戦略を見ると、核兵器の廃絶に向けた真剣かつ実質的な取り組みは見当たらない。
「核兵器のない世界」を実現するというのであれば、核保有諸国政府も含めて、核兵器全面禁止条約のための国際交渉の開始に向けた、積極的な政治的態度表明が示されるべきである。私たちはそれを求め続ける。
この点では、とりわけ唯一の被爆国である日本政府の態度がきびしく問われている。

□アメリカ政府は2010年、「核態勢見直し」を発表。昨年6月には、それにもとついて「核兵器使用戦略」にっいての文書を公表した。これは、アメリカとして、核兵器を使うことがありうるという戦略であり、核兵器廃絶を強く求めてきた米国の反核運動のリーダーたちからは失望が表明されている。
―これについては、「反核医師の会ニュース」の最新号がお手許に配られていると思うので、「核兵器使用戦略」についての新原の解説と批判を参考にしていただきたい。

□安倍内閣の岸田文雄外相はことし1月20日、長崎で、「核兵器使用は局限状況」下ではという限定をつけながら、“集団的自衛権にもとづき、極限状況においては核兵器使用を肯定すべきだ”と発言した。核兵器使用を肯定するという被爆国政府としてあるまじき発言であり、絶対に容認することはできない。
当然のことながら、被爆者をはじめ、国民のあいだから強い批判が起きている。

□さらに、岸田外相は衆院予算委員会で2月14日、民主党前外相の岡田克也議員の質問に答えて、将来、日本が危機的状況になったときには、非核3原則の「核兵器を持ち込ま
せず」の原則に関し、例外的扱いをすることもありうると答弁した。
これは実は、岡田氏自身が外相時代、密約調査の終結に当たり、同内容の答弁をしていたので、現安倍内閣はどういう考えかと質問したことに対する答弁であった。
●アメリカとの核密約を存続させた上での、とんでもない質問であり、また答弁である。
核兵器使用容認発言といい、核兵器持ち込み許容言明といい、こういう動きが、民主党政権当時の国民無視の政策を引き継いで、安倍内閣のもとであらわれていることに対して、きびしく対応すべきであると思う。

終わりに
「核抑止力」論批判を重視しよう―これは核兵器絶の実現を妨げる誤った議論

「われわれは、核保有国をはじめとするすべての政府に対して、『核兵器のない世界の平和と安全を達成する』との合意をすみやかに実行し、そのための『枠組み』として、核兵器禁止条約の交渉にただちに踏み出すことを強く要求する。
被曝70年であり、2010年の合意の履行を問うNPT再検討会議が開催される2015年にむけ、核保有国をはじめそれぞれの国で運動を飛躍的に発展させよう。そして、世界の市民の世論と運動をニューヨークへと結集し、核兵器廃絶を求める巨大なうねりをつくりだそう。
核兵器で相手を威嚇する『核抑止』政策は、武力の不行使と紛争の外交的・平和的解決をめざす国連憲章の基本原則に真っ向から反するものである。それは、新たな核兵器の保有を誘発する要因ともなっている。『核兵器のない世界』と『核抑止力』論とは決して両立しない。『核抑止』政策は、ただちに放棄されなければならない。」
(2013年原水爆禁止世界大会国際会議宣言から)

▼ロートブラット博士(1908-2005ノーベル平和賞)の「核抑止力」批判を思い起こそう
「拡大抑止の戦略理念は、核兵器の先制使用がありうることを意味しており、これは核兵器のない世界を実現することへのもっとも大きな障害となっている。これは根本的な問題である。」
「もしもわれわれが核兵器は、非核兵器による攻撃さえも未然に抑えるために必要だと認めたら、紛争が軍事的対抗によって処理されてしまうまで、核兵器をいつまでも持ちつづけなければならないことになる。もしそのために核兵器がアメリカにとって必要ならば、同じ理由で核兵器はもっと弱小な国々にとっても必要なことになる。こうして、核兵器の拡散は当然のことのように起こり、戦闘において核兵器が使用されることはほとんど必至となるに違いない。」(新原訳)


【資料】
ナッシュ報告「米国の海外軍事基地」
極秘報告書 1957年12月

UNTED STATES OVERSEAS MILITARY BASES, Repot to the President by FRANK C. NASH
(以下は、「ナッシュ報告」〔主報告〕の中から「核兵器」の部分の全訳)(新原訳)

アメリカ軍の装備が核兵器とますます一体化してきていることから、海外での米軍基地体系との関係で特別の問題が生じている。海外の米軍が戦闘任務の遂行においていっそう核兵器に頼ろうとするのであれば、米軍駐留国への核兵器持ち込みは自由におこなえなければならないし、戦時における核兵器の使用に対し特別の禁止措置がいっさい課せられないことが、しかと分かっていなければならない。
この問題でひろく海外でみられる傾向はさまざまの要因を反映しているようであり、それぞれの国でのそれら諸要因の強度によっていちじるしい違いがある。NATO内での感触の幅は、アメリカとともに核兵器分野にますます積極的に参画しているカナダやイギリスから、この問題では用心深く慎重な態度をとるスカンジナビア諸国まである。しかしNATO内の世論は、(1)ソ連の攻撃に対する抑止力として核兵器装備の米戦略攻撃戦力の持続や、(2)NATO諸国の装備と戦術核兵器の一体化の進行について、その必要を次第に受容する方向に向かっている。とはいえ、本計画全体について潜在的な恐怖や不安が存在しているように見られる。この動揺的な心理状態をもし無責任な政治グループが利用したら、この問題でNATOの態度に危険きわまる後退がもたらされかねない。したがって、うっかりミスを避けるために先手を打ってわが方の動きを注意深く探り当てることが、われわれの義務である。そして引き続き、わが戦術部隊の中において通常戦力とともに核戦力を保持し続けることを強調しなければならない。そうすることで、われわれがもっぱら核兵器に依存していると見られるのを防ぐことができる。
現時点で核兵器問題でほとんど精神病的と言えるほどの感情的態度が幅をきかせている極東の唯一の国は、さいわいなことに日本だけだ。それはそれとして、日本は恐らくこの問題で理路整然とした大衆世論が存在する極東唯一の国でもある。フィリピンなど東南アジアの国々のような他の諸国であらわれつつある世論の今後の方向は、決定的に重要なものとなろう。世界のその他の地域ではこの問題は鋭い世論になってはいないが、それらの国々でもこの問題で発言力をもつ部分が生まれ出てくる程度に応じ、やはり決定的に重要なものとなるかもしれない。そんなわけで、この分野における米国の措置を説明するための知的な広報計画は、ソ連、中国の共産側宣伝にわが方の宣伝を対抗させるだけでも絶対になされるべきものである。この広報計画は、それぞれの国の具体的条件に合うよう調整されるのが当然で、以下の方向で組み立てられよう。
(a)核兵器を使うのは防衛目的に限られていて、それは絶対に必要な時だけ、それも攻撃への対応に過ぎず、米国の反撃はどんな場合もその目的を達成するための必要最小限のものであるとの趣旨をくりかえすべきである。
(b)核兵器を使ったらどこにおいても、どんな目的によるものであっても自動的に全面的核戦争に拡大するとの恐怖心を一掃する努力として、戦略核兵器と戦術核兵器のあいだに合理的裏づけのある区別を明確につけられるかどうかを徹底的に探るべきである。
(c)米国の「〔原子力〕平和利用」計画を通じて諸外国大衆の気持ちにある原子力に関するあらゆる誤解を解きほぐし、外国の大衆に米国の平和的意図について納得させるための特別の努力が払われるべきである。
(d)核戦争の分野における重要な指導者のための教育計画を各国で開発すべきである。
一例として、NATO地域において米国の軍事代表・外交代表らが連続しておこない成功している〔教育〕計画がある。一国の指導者たちへの注意深い段取りを考えた教育を、彼らの政治的必要に対応した言葉を用いておこなうことにより、軍事問題における原子力の冷厳な現実についてこれら指導者が自国の民衆を説得できるよう、われわれが彼らを納得させることは可能だという期待を持っている。
わが同盟諸国の能力と信頼性によるやむを得ない限界のもとで、「相互安全保障計画」にもとついて同盟諸国に核可能兵器を提供する米国の計画を、今後もつづけ強化すべきである。これには(少なくともNATO地域において)IRBM〔中距離弾道弾〕を含み、核コンポーネント〔=核弾頭〕を使用できるよう同盟国に対し米管理下の供給源から提供するという保証が付けられる。この分野における共同の取り組みや相互依存の意識の成長・発展は、圧倒的な国々において大衆世論を効果的に慣れさせるための唯一の現実的土台だと見られる。「NATO〔核兵器〕貯蔵」計画の採用は、この方向での重要な一歩となろう。


原発のウソ 安倍政権エネルギー計画案④

2014-03-21 19:06:33 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
原発のウソ 安倍政権エネルギー計画案④

国民の声を反映?
・国民に経産省が反論
・公募開始見切り発車
・意見聴取会も開かず

安倍晋三政権が発表したエネルギー基本計画案は、昨年末に経済産業省の審議会がまとめた原案がもとになっています。経産省は原案の段階で、国民の声を聞くための意見公募を実施。政府案は、その結果を反映しているので、国民の声が生かされているといいます。
しかし、今回の意見公募のやり方は、開始時も発表時も正常ではありません。
意見公募の集約結果で目に付くのが「原発ゼロ」を求める国民の声に対する経産省の反論です(表)。2012年の意見公募の際に明らかにした、原発に対する賛否の割合も発表していません。


意見公募に寄せられた声に対する経産省の異様な反論
原発に対する国民の声経産省の反論
即時ゼロにすべきだ原発停止で輸入燃料費が3.6兆円増加。原発を含め多層的な供給構造が必要だ
安全が確保できない新規制基準は世界で最も厳しい
安定的な電源ではない燃料投入量に対するエネルギー出力が圧倒的に大きい。国内在庫も2年分ある
発電コストが高い事故の追加費用を含めても、他の電源と比べ高コストではない
環境への悪影響が大きい原発は二酸化炭素がでない。原発停止で二酸化炭素8300万トン増
再生可能工ネの方が雇用も経済も好転する雇用を守るためには安価なエネルギーが不可欠。原発不使用が雇用につながるとは言えない
高速増殖炉計画は中止を増殖炉は放射性廃棄物を減らし、使った以上の燃料を生み出せる
原発輸出は再考すべきだ原子力の平和利用への貢献は日本の責務。世界も期待している


意見公募は、国民の声に政府が耳を傾けることで「公正さの確保と透明性の向上を図り、国民の権利利益の保護に役立てる」(総務省ホームページ)ことを目的にしています。反論するのはあべこべです。
異様さは、手続きにも表れています。
経産省の審議会が原案を了承したのは昨年の12月13日です。
ところが、意見公募は原案が初めて提示された12月6日に開始。審議会の委員には事後承諾でした。原案には、複数の委員から原発推進に強い反対意見が出されていました。完全な見切り発車です。
国際環境NGO(非政府組織)である「FoE JaPan」の吉田明子さん(気候変動・エネルギー担当)は、10年の基本計画改定時に全国11カ所で公聴会を開いたことと比べても、今回の意見公募は「アリバイづくりになっている」と語ります。
東京電力福島第1原発事故を受けた12年の基本計画見直しでは、市民参加型の討論型世論調査や意見聴取会が開かれました。意見公募には8万9千件の意見が寄せられ、9割が「原発ゼロ」を選択。圧倒的世論が原発に固執する民主党政権を追い詰め「30年代に原発稼働ゼロ」を打ち出させる力になりました。



「原発いらない」「川内原発再稼働するな」とコールする人たち=3月14日、首相官邸前

安倍首相は、就任直後に「ゼロ」方針の見直しを指示。審議会からは、原発に否定的な委員の多くが排除されました。そして、今回の意見公募は年末年始を挟んで1カ月だけ。公聴会も開かれません。
吉田さんは、今回の基本計画案は12年の意見公募に寄せられた国民の声を無視するところから始められたと指摘します。同時に、当初年明けといわれた閣議決定がずれ込んでいるのは、反対世論の大きさとともに与党内でも異論が相次いでいるからだとみます。
「エネルギーという私たちの生活に深くかかわる政策決定を、明らかな民意無視のまま決めるのは間違っている」

数値目標ないのは
今回のエネルギー基本計画案には、前回の計画にあった再生可能エネルギーの導入目標をはじめ、数値目標が全くありません。「計画」を名乗りながら、計画になっていないのです。
理由は、原発が何基再稼働できるか分からないからです。
再生可能エネルギーをどれだけ普及するかも原発しだい。基本計画案の「はじめに原発ありき」を象徴しています。ちなみに、基本計画案を承認した政府の会議の名称は、原子力関係閣僚会議でした。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2014年3月18日付掲載


「意見公募」と言っても、まさにアリバイ作りのようなものです。その答えも、あらかじめ決められているとは出来レースです。