安倍改憲 自衛隊明記の危険⑧ 「戦力不保持」残るが… 9条2項変質して空文化
「(9条の)1項、2項を残すということだから、当然今まで受けている憲法上の制約は受ける」(5月9日)。安倍晋三首相は、こう述べます。
自衛隊が憲法の下にあって解釈上「合憲」とされてきたことと、自衛隊が憲法に明記され「合憲」となることは意味が全く違います。9条2項と自衛隊は、上下の関係から並列の関係になります。海外での武力行使はできないなど、従来の政府解釈の「制約」は存在意義を失います。
ただ9条2項が残る以上、憲法上の存在となった自衛隊も「戦力不保持」からくる一定の規制は残るとの見方もありえます。
“矛盾”をはらむ
自衛隊と「戦力不保持」規定が同時に存在するのは、常識的な認識では“矛盾”をはらみ、自衛隊に対し何らかの制約が生じるともいえます。ただ、9条2項と自衛隊規定との相互の解釈に矛盾がないよう整理されるでしょう。憲法が国の最高法規である以上、二つの規定が矛盾すれば、立法や行政に混乱や障害をもたらすからです。
では、どんな整理の可能性があるのか―。
一つは、自衛隊は「戦力」の一種だが、1項の侵略戦争放棄を受け、2項が保持を禁止するのは侵略的戦力で、自衛隊は2項が禁止する「戦力」ではないという整理です。自衛隊の活動に「侵略」以外の制限はないということになります。
一方、安倍首相と自民党は、「9条の政府解釈を1ミリも動かさない」としています。
従来の政府解釈を踏襲する形で、自衛隊は「戦力」には至らない“実力”であると整理され、従来の政府解釈上の制限が、当面、改めて確認される可能性はあります。
しかし、憲法によって軍事力としての「自衛隊」の保有が決められる以上(「戦力」でないといっても、その限界はこれまで以上にあいまいになります。必要に応じて自衛隊の活動が膨らみ、「戦力不保持」規定を圧迫していく可能性は否定できません。
戦争法案廃案、9条壊すなと訴える人たち=2015年8月30日、国会周辺
攻撃兵器容認へ
「(従来の)解釈を変えない」というのも「政策判断」にすぎず、憲法上は無制限の武力行使に道を開く危険な「幅」が生まれます。例えば、敵基地攻撃能力をめぐり、巡航ミサイルなどの攻撃的兵器の保有も、従来なら違憲の疑いがもたれますが、憲法上の存在となった自衛隊の「防衛力」として容認される余地は広がります。
さらに自衛隊に「自衛権」などの権限が明記されれば、「戦力」でないとしても、無制限な集団的自衛権の行使に道が開かれます。憲法上特段の制限がないもと、「解釈変更」されていく危険性もあります。
すでにみたように、戦争法によって海外での武力行使や米軍支援に大きく道が開かれています。
9条2項を残したままの自衛隊明記は、9条改憲として変則的で、自民党内や改憲勢力からも異論が出ます。ただ、憲法が「軍事による平和」という立場に変われば、自衛隊優位で活動範囲が拡大し、結果として9条2項が変質、空文化していく危険があることを直視すべきです。
自衛隊明記による9条破壊の改憲発議を許さないたたかいを広げるときです。
(おわり)(この連載は中祖寅一が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年7月23日付掲載
今までは、自衛隊は「戦力」でない「実力」と言われてきました。
憲法に自衛隊が明記されると、その境界がさらにあいまいになり、個別自衛権だけでなく、集団的自衛権に道が開かれる。
「(9条の)1項、2項を残すということだから、当然今まで受けている憲法上の制約は受ける」(5月9日)。安倍晋三首相は、こう述べます。
自衛隊が憲法の下にあって解釈上「合憲」とされてきたことと、自衛隊が憲法に明記され「合憲」となることは意味が全く違います。9条2項と自衛隊は、上下の関係から並列の関係になります。海外での武力行使はできないなど、従来の政府解釈の「制約」は存在意義を失います。
ただ9条2項が残る以上、憲法上の存在となった自衛隊も「戦力不保持」からくる一定の規制は残るとの見方もありえます。
“矛盾”をはらむ
自衛隊と「戦力不保持」規定が同時に存在するのは、常識的な認識では“矛盾”をはらみ、自衛隊に対し何らかの制約が生じるともいえます。ただ、9条2項と自衛隊規定との相互の解釈に矛盾がないよう整理されるでしょう。憲法が国の最高法規である以上、二つの規定が矛盾すれば、立法や行政に混乱や障害をもたらすからです。
では、どんな整理の可能性があるのか―。
一つは、自衛隊は「戦力」の一種だが、1項の侵略戦争放棄を受け、2項が保持を禁止するのは侵略的戦力で、自衛隊は2項が禁止する「戦力」ではないという整理です。自衛隊の活動に「侵略」以外の制限はないということになります。
一方、安倍首相と自民党は、「9条の政府解釈を1ミリも動かさない」としています。
従来の政府解釈を踏襲する形で、自衛隊は「戦力」には至らない“実力”であると整理され、従来の政府解釈上の制限が、当面、改めて確認される可能性はあります。
しかし、憲法によって軍事力としての「自衛隊」の保有が決められる以上(「戦力」でないといっても、その限界はこれまで以上にあいまいになります。必要に応じて自衛隊の活動が膨らみ、「戦力不保持」規定を圧迫していく可能性は否定できません。
戦争法案廃案、9条壊すなと訴える人たち=2015年8月30日、国会周辺
攻撃兵器容認へ
「(従来の)解釈を変えない」というのも「政策判断」にすぎず、憲法上は無制限の武力行使に道を開く危険な「幅」が生まれます。例えば、敵基地攻撃能力をめぐり、巡航ミサイルなどの攻撃的兵器の保有も、従来なら違憲の疑いがもたれますが、憲法上の存在となった自衛隊の「防衛力」として容認される余地は広がります。
さらに自衛隊に「自衛権」などの権限が明記されれば、「戦力」でないとしても、無制限な集団的自衛権の行使に道が開かれます。憲法上特段の制限がないもと、「解釈変更」されていく危険性もあります。
すでにみたように、戦争法によって海外での武力行使や米軍支援に大きく道が開かれています。
9条2項を残したままの自衛隊明記は、9条改憲として変則的で、自民党内や改憲勢力からも異論が出ます。ただ、憲法が「軍事による平和」という立場に変われば、自衛隊優位で活動範囲が拡大し、結果として9条2項が変質、空文化していく危険があることを直視すべきです。
自衛隊明記による9条破壊の改憲発議を許さないたたかいを広げるときです。
(おわり)(この連載は中祖寅一が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年7月23日付掲載
今までは、自衛隊は「戦力」でない「実力」と言われてきました。
憲法に自衛隊が明記されると、その境界がさらにあいまいになり、個別自衛権だけでなく、集団的自衛権に道が開かれる。