核兵器禁止条約と世界そして日本⑤ 完全廃絶めざして
「ここまできたんだ」。横浜市内の自宅でパソコン画面を見つめる被爆者の和田征子(まさこ)さん(73)は、涙を抑えられませんでした。7日深夜、国連本部の電光掲示板に表示された「賛成122、反対1、棄権1」。核兵器禁止条約が採択された瞬間でした。
被爆者を先頭に原水爆禁止運動が長年にわたって訴え続けてきた「核兵器の非人道性」が国際社会の共通認識となり、核兵器に「悪の烙印(らくいん)」を押す歴史的な条約となって実現したのです。
被爆者が横断幕を持ち、先頭を歩いた「核兵器なくそう!6・17おりつるパレード」=6月17日、東京都新宿区
続けられてきた原水爆禁止運動
条約前文には「ヒバクシャ」という言葉が2カ所使われ、核兵器の犠牲者となっただけでなく、「核兵器のない世界」をつくるクリエーター(創造者)だと明記されました。
未曽有の惨禍を被ったにもかかわらず、被爆者は、米軍占領下で、被爆の実相を語ることも許されず、まともな医療を受けることもなく亡くなっていきました。それでも、被爆者と国民は屈しませんでした。
1954年3月1日のビキニ事件を契機に、原水爆禁止署名運動が国民的な規模に発展し、3千万人を突破。55年8月、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催されました。
同年9月、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が結成され、56年8月には日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
それ以降、85年からの「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名をはじめ、核兵器廃絶を求める署名運動、国民平和大行進など、草の根の一人ひとりが核兵器廃絶を求める声と行動を日本と世界に広げてきたのです。
日本被団協顧問の岩佐幹三(みきぞう)さん(88)は、核兵器禁止条約の採択を、「母や妹をはじめ、原爆で亡くなっていった人の死が、むだでなかったということを明らかにしてくれた」と喜びつつ、「彼らの名誉が本当に回復されるのは、核兵器がなくなり、人類が死滅の危機から脱却したときだ」と語りました。
「三つの力」を合わせることが
核兵器の完全廃絶にすすむうえで、禁止条約そのものが持つ力と、条約をつくりあげた各国政府と市民社会の力、核保有国と同盟国で禁止条約に参加を求める運動という「三つの力」を合わせることが重要になっています。
2016年4月に内外の被爆者がよびかけた「ヒバクシャ国際署名」が、幅広い団体でつくる同署名連絡会によって全世界で取り組まれています。
長崎で被爆した、日本被団協の田中煕巳代表委員(85)はいいます。「世界で数億人の署名を集め、核兵器禁止条約に背をむけている、核兵器保有国と、日本など同盟国の政府の姿勢を変えよう」
(おわり)(この連載は、池田晋、遠藤誠二、桑野白馬、原田浩一朗が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年7月14日付掲載
「ヒバクシャ」は「核兵器のない世界」をつくる「創造者」なんだ。
地道な活動が報われましたね。
「ここまできたんだ」。横浜市内の自宅でパソコン画面を見つめる被爆者の和田征子(まさこ)さん(73)は、涙を抑えられませんでした。7日深夜、国連本部の電光掲示板に表示された「賛成122、反対1、棄権1」。核兵器禁止条約が採択された瞬間でした。
被爆者を先頭に原水爆禁止運動が長年にわたって訴え続けてきた「核兵器の非人道性」が国際社会の共通認識となり、核兵器に「悪の烙印(らくいん)」を押す歴史的な条約となって実現したのです。
被爆者が横断幕を持ち、先頭を歩いた「核兵器なくそう!6・17おりつるパレード」=6月17日、東京都新宿区
続けられてきた原水爆禁止運動
条約前文には「ヒバクシャ」という言葉が2カ所使われ、核兵器の犠牲者となっただけでなく、「核兵器のない世界」をつくるクリエーター(創造者)だと明記されました。
未曽有の惨禍を被ったにもかかわらず、被爆者は、米軍占領下で、被爆の実相を語ることも許されず、まともな医療を受けることもなく亡くなっていきました。それでも、被爆者と国民は屈しませんでした。
1954年3月1日のビキニ事件を契機に、原水爆禁止署名運動が国民的な規模に発展し、3千万人を突破。55年8月、第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催されました。
同年9月、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が結成され、56年8月には日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
それ以降、85年からの「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名をはじめ、核兵器廃絶を求める署名運動、国民平和大行進など、草の根の一人ひとりが核兵器廃絶を求める声と行動を日本と世界に広げてきたのです。
日本被団協顧問の岩佐幹三(みきぞう)さん(88)は、核兵器禁止条約の採択を、「母や妹をはじめ、原爆で亡くなっていった人の死が、むだでなかったということを明らかにしてくれた」と喜びつつ、「彼らの名誉が本当に回復されるのは、核兵器がなくなり、人類が死滅の危機から脱却したときだ」と語りました。
「三つの力」を合わせることが
核兵器の完全廃絶にすすむうえで、禁止条約そのものが持つ力と、条約をつくりあげた各国政府と市民社会の力、核保有国と同盟国で禁止条約に参加を求める運動という「三つの力」を合わせることが重要になっています。
2016年4月に内外の被爆者がよびかけた「ヒバクシャ国際署名」が、幅広い団体でつくる同署名連絡会によって全世界で取り組まれています。
長崎で被爆した、日本被団協の田中煕巳代表委員(85)はいいます。「世界で数億人の署名を集め、核兵器禁止条約に背をむけている、核兵器保有国と、日本など同盟国の政府の姿勢を変えよう」
(おわり)(この連載は、池田晋、遠藤誠二、桑野白馬、原田浩一朗が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年7月14日付掲載
「ヒバクシャ」は「核兵器のない世界」をつくる「創造者」なんだ。
地道な活動が報われましたね。