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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

朝鮮半島の激動と北東アジアの平和⑦ 日 本の植民地支配 歴史の反省を前提に

2018-08-26 11:52:06 | 国際政治
朝鮮半島の激動と北東アジアの平和⑦ 日本の植民地支配 歴史の反省を前提に
「日本は100年、150年という幅で隣国の近代的な民族国家の建設を阻害してきた。戦前の侵略と植民地支配、戦後の安保体制の下での朝鮮の南北分断への加担。いま朝鮮半島で、分断された民族が平和的な関係を追求する動きが出てきた中で、日本がやってきたことが根幹から問い直されている」
加藤圭木一橋大学准教授(朝鮮近代史)はこう述べます。

植民地支配
1894~95年の日清戦争は、日本と清(中国)による朝鮮半島の支配をめぐる戦争でした。1904~05年の日露戦争は日本とロシアによる朝鮮半島の覇権争奪戦でした。戦争に勝った日本は1910年に韓国を併合。敗戦まで植民地支配したのです。
45年8月14日、日本が連合国のポツダム宣言を受諾して降伏すると、連合国が朝鮮半島を占領します。米国の歴史学者ブルース・カミングスによると、同月8月10~11日の深夜、米国の国務・海軍・陸軍の三省調整委員会の30分ほどの協議で、北緯38度線で朝鮮半島を分割し米国とソ連が占領すると決定され、ソ連のスターリンもすぐに承諾したとされます(『朝鮮戦争の起源1』)。
加藤氏は「米ソ冷戦の始まりが南北分断を直接引き起こしたのは当然だが、日本の植民地支配が土台にあって分断が起こった。そして日本は日米安保体制のもとで、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対し米側に立って一貫して敵対的政策をとり続け、南北対立をあおってきた」と指摘。「日本は、南北で生じた主体的な融和の動きに、決して人ごとではなく分断の責任を有する当事国として向き合う必要がある」と強調し、「南北の動きを冷笑的に見るのでなく、植民地支配への真摯な反省を前提に支援するスタンスが必要だ」と述べます。



三・一独立運動で独立宣言書が読み上げられたタブコル公園にあるレリーフ。日本の兵士に抵抗する民衆が描かれています=ソウル市内(写真・栗原千鶴)

民族自決権
4月27日の板門店宣言は、南北間の「断たれた血脈をつなぎ、共同繁栄と自主統一の未来を早めていく」とし「わが民族の運命はわが民族が自ら決定するという民族自主の原則を確認」と強い決意を表明しています。
来年は「三・一独立運動」100年の年。「三・一独立運動」とは、1919年3月1日に植民地支配下の朝鮮で起こった最大の日本からの独立運動です。
加藤氏は「くしくも南北融和の歴史的情勢変化の中で、南北が連携して日本の責任を間う動きになる。それを『反日』などと決めつけるのではなく、きちんと受け止められる世論状況をつくることが重要だ」と語ります。
日本の侵略戦争と植民地支配の歴史への真摯な反省は、北東アジアに新しい平和のルールを確立する対話を進めるうえで不可欠の土台です。
しかし、安倍晋三首相は15日の戦没者追悼式の式辞で、6年連続でアジアへの「加害」に触れませんでした。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2018年8月22日付掲載


日本の侵略戦争は、日中事変からの15年戦争がよく言われますが、実際は1894年の日清戦争からの100年以上続くもの。
今の朝鮮半島分断の背景にあると言います。

コメント (3)
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