名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

名古屋から高山へ

2011年05月20日 | セカンドルーム

 

今朝、快晴の名古屋を出て高山へ向かった。
東海北陸道「ひるがの高原SA」で休憩し、新しく出来たドッグランでユキを遊ばせた。


高原を抜ける風は爽やかで、白山連峰の別山や大日岳が一望できるので、犬も飼い主も寛げる。


ここで高速を下りて、分水嶺公園に立ち寄ったが、水芭蕉は終わっていた。
南下する流れは長良川となって伊勢湾に注ぎ、北西に流れると庄川となって日本海へ注ぐ。
荘川の町外れにあるそば屋、「式部の庵」で昼食をとった。


ここの先祖の、一色式部義当が帰農して庵を結んだとのことで、在郷石挽き十割蕎麦を売りにしている。
細打ち粗挽きのざるそばを食べたが、ちょっとざらつきが強くてなじめなかった。
蕎麦通は喜ぶかもしれないが、やはり喉越しが滑らかな二八蕎麦あたりが好みに合いそうだ。


4日間留守にしていた家に異常はなかったが、庭の雑草が伸び、栗や朴の木が芽吹いていた。

話は変わるが、昨夜、山岳部OB会の会合が、名古屋であったので出席してきた。
年に数回、飲み会や旅行などをしているが、今回は昨年亡くなった2名の先輩会員を偲びながらの飲み会で、遺稿集も披露された。


お一人は高校山岳部を創立したメンバーの一人で、学制改革で旧制中学から新制高校に編入された時、そこの山岳部の伝統を引き継いで部が出来た。
私が現役の頃は、部活動の折にエッセンとかダンケ、メッチェンなど、ドイツ語が飛び交っていたのを不思議に思っていたことがある。
恐らく旧制高校山岳部で活躍した先輩が、後輩を指導した時のやり取りがそのまま引き継がれてきたのだろう。
もう一人の先輩は、人生のすべてを山に賭けた典型的な山男で、国内の主要な山を始め、海外遠征でも実績を残された。
日本山岳会東海支部長も務められて、この地区の登山界発展にも尽力された。
お二人の原点は高校山岳部にあったが、それぞれの生き様は対照的であった。
山が人生のすべてであった人も、山は青春の思い出だけにして人生を過ごされた人も、幸せな生涯であったに違いない。

コメント (4)
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