今日は、サッカーは大学選手権決勝(西が丘)がありましたが、手術明けの私はそこまで行くパワーは戻っていません。そのため、自宅のテレビで相撲を見ていました。今日は中日ということで好取組が組まれ、結びの一番は朝青龍対稀勢の里の取組になりました。
この一番は、いろいろな因縁のある対戦で、秋場所に稀勢の里が朝青龍を四つ相撲で堂々と寄り切り、稀勢の里の四股名の名前の通り「稀な勢い」を見せる一番になりました。先場所の九州場所では、朝青龍がこの「稀な勢い」を恐れたのか、立ち合いに変化を見せて「けたぐり」で稀勢の里を破っています。
そのため、今度こそ変化せず堂々と戦って欲しいという思いがあり、朝青龍の立ち合いの作戦に注目が集まった一番でした。その逆はないという確信はありました。朝青龍のような動きの良さで勝負する横綱には変化は通用しないからです。大体、変化というのは、体の小さい力士が、大きい力士に勝つために、相手の動きを見て横に変わるものです。
この日は、安馬対琴欧州で、安馬の変化がありましたが、これは幕内最軽量の安馬が、幕内最長身の琴欧州に勝つための苦肉の策だろうと思いました。変化は弱者の策なのです。そのため、強者が変化を見せるのには違和感もあります。立ち合いで相手の頭が極端に低かったりしたら、やりたくなる気持ちもわからないではないですが。
しかし、この日の朝青龍は、まともに立って稀勢の里を出足で圧倒しました。勝負の右上手も早々と取り、長い相撲になると厄介と思って、一気に西土俵に寄り立てました。稀勢の里も、この体勢では残すことはできず、勝負は一瞬でつきました。
ただ、一点気になったことがありました。それは朝青龍が、相手が土俵を割っていて勝負がついているにもかかわらず、念押しの突きで稀勢の里を土俵下に落としたことです。よく「横綱の品格」についていろいろ語られますが、それは土俵上のフェアプレー精神も含まれると思います。貴乃花のように、腰を落として正確に寄り切るのはフェアプレー精神だと思います。
それを考えると、勝負がついてからの突きは意味がなく、むやみに相手が負傷するリスクを増やすものです。朝青龍は大横綱の道を目指すのだったら、こういうフェアプレーの精神も学んで、今後も相撲道に精進して欲しいものです。
この一番は、いろいろな因縁のある対戦で、秋場所に稀勢の里が朝青龍を四つ相撲で堂々と寄り切り、稀勢の里の四股名の名前の通り「稀な勢い」を見せる一番になりました。先場所の九州場所では、朝青龍がこの「稀な勢い」を恐れたのか、立ち合いに変化を見せて「けたぐり」で稀勢の里を破っています。
そのため、今度こそ変化せず堂々と戦って欲しいという思いがあり、朝青龍の立ち合いの作戦に注目が集まった一番でした。その逆はないという確信はありました。朝青龍のような動きの良さで勝負する横綱には変化は通用しないからです。大体、変化というのは、体の小さい力士が、大きい力士に勝つために、相手の動きを見て横に変わるものです。
この日は、安馬対琴欧州で、安馬の変化がありましたが、これは幕内最軽量の安馬が、幕内最長身の琴欧州に勝つための苦肉の策だろうと思いました。変化は弱者の策なのです。そのため、強者が変化を見せるのには違和感もあります。立ち合いで相手の頭が極端に低かったりしたら、やりたくなる気持ちもわからないではないですが。
しかし、この日の朝青龍は、まともに立って稀勢の里を出足で圧倒しました。勝負の右上手も早々と取り、長い相撲になると厄介と思って、一気に西土俵に寄り立てました。稀勢の里も、この体勢では残すことはできず、勝負は一瞬でつきました。
ただ、一点気になったことがありました。それは朝青龍が、相手が土俵を割っていて勝負がついているにもかかわらず、念押しの突きで稀勢の里を土俵下に落としたことです。よく「横綱の品格」についていろいろ語られますが、それは土俵上のフェアプレー精神も含まれると思います。貴乃花のように、腰を落として正確に寄り切るのはフェアプレー精神だと思います。
それを考えると、勝負がついてからの突きは意味がなく、むやみに相手が負傷するリスクを増やすものです。朝青龍は大横綱の道を目指すのだったら、こういうフェアプレーの精神も学んで、今後も相撲道に精進して欲しいものです。