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1年中ベンチ入りできる(盛田剛平)

2018-08-08 21:52:16 | 浦和レッズ
長崎戦の試合前、写真の元浦和FW盛田剛平さんが写真を撮らせてくれました。私が写真を撮るとネタになるという恒例通り、盛田剛平さんの思い出を書きます。盛田は駒沢大学の出身で、1999年に当時大学No.1FWという期待を受けて浦和入りします。当時の盛田の抱負に「利き足は頭」とヘディング一本でプロで勝負するつもりでした。

しかし、当時盛田を指導した原博美氏(現Jリーグ副チェアマン)によれば、当時の盛田はまだまだフィジカル的に弱さを抱えていました。味方のクロスを頭に当てることはできましたが、そのシュートがなかなか枠に飛ばず苦しみました。結局、その1999年はノーゴールに終わり、チームもJ2に降格し大きな挫折を味わうことになります。

2年で浦和を去った盛田は、C大阪、大宮とFWとして転々とします。しかし、なかなか試合に出られない日々が続く中、広島からオファーが来たことが彼の運命を変えます。広島では、CBに転向し、3バックのストッパーとして出場機会を得ることができました。もともと、左足での技術は持っていたので、そこからドリブルで攻撃参加するなど、広島の攻撃に変化を与えられる存在になりました。

当時の広島監督のミシャにも重用された盛田ですが、2011年にはベンチ要員に回されます。しかし、盛田のいいところはそのベンチスタートに腐らず、一年中ベンチ入りできるコンディションを維持していることです。(このことは本人に伝えました。それには「そういう選手ですから」と謙遜しながらもプロで生き残ってきた強さを感じました。)

そういう選手には、たとえ広島を出されても他チームからオファーが来ます。甲府入りした盛田は、当時の城福監督にFW再転向を指示されます。「点を取ることはあまり期待していない。」とポストプレー専門要員としての期待でしたが、その年でキャリアハイの5得点を挙げ、38歳にして「最も成長した選手」と評価を得ます。

昨年、40歳で引退した盛田は、浦和にハートフルクラブのコーチとして戻ってきました。今でもファンサには嫌がらず対応していただき、この場を借りてありがとうございますと伝えたいです。
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