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二度の大関復帰(栃東)

2020-03-17 22:44:06 | 他スポーツ
今日はネタがないので、困ったときは昔の力士を思い出すことにして、写真の元大関栃東の記憶です。栃東は父親が元関脇栃東の玉ノ井親方です。少年時代に、当時現役だった横綱千代の富士からもらったお年玉を、今でも大切にとっておいています。栃東は明大中野高校を卒業後、相撲界に入門し序ノ口、序二段、三段目と3連続優勝で一気に番付を駆け上がりました。

それまでは本名の志賀で取っていましたが、父親の四股名の栃東を継いだのは十両昇進のときです。上背こそないものの、おっつけて出る相撲で上位陣にとっては嫌な相手でした。小柄ではあるものの、上半身の筋肉量が多く容易には押されない強さを持っており、また父親譲りの相撲巧者でもありました。

入幕の当時から大関候補と呼ばれてきましたが、上位に上がると怪我をする悪循環がありました。当時は公傷制度という、土俵上で全治2か月以上の怪我をすると特例で一場所だけ番付が落ちないというルールがあったので、十両落ちこそ免れましたが、何度かあった大関挑戦のチャンスをなかなか生かせない力士でした。

しかし、幕内5年目にして念願の大関昇進を果たします。大関としては優勝3回と結果を残しました。何度かあった横綱昇進のチャンスでは、NHKのアナウンサーから「彼の人間性を考えたら横綱になって欲しい」と異例のコメントが出たほどでしたが、ついに横綱になることはできず、大関から2度も陥落を味わうことになります。

栃東の偉大なところは、その陥落後の場所で、10勝以上を挙げての復帰を2度も果たしていることです。10勝での大関復帰は落ちた直後の場所一度きりのチャンスなので、なかなかできないですが、2度復帰を果たしたのは歴史上栃東ただ一人です。当時は「ここまで相撲が取れるとは思わなかった」と状態的には良くなかったようですが、若い頃から培ってきた相撲の上手さが効きました。

栃東は残念なことに、大関在位中に脳梗塞の症状を訴え、様々な医者に助言を求めたものの「引退」以外の答えは得られず、引退に追い込まれることになりました。それでも、大関在位30場所、横綱にも何度も挑戦するなど結果を出しました。父親から玉ノ井部屋を継いで、今は体重も90kgに落として親方業をこなします。土俵下にいると「元気なんだな」と安心できます。
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