現在、J2のFC琉球で現役を続ける、元浦和MF小野伸二の記憶です。札幌から琉球に移籍する際のコメントが「(札幌という)北を盛り上げたから次は(沖縄という)南を盛り上げたい」でした。彼も今年で41歳となり、現役でいるだけでも十分素晴らしいという年齢になりました。小野伸二が浦和に入団した、1998年のことはよく覚えています。
当時、小野伸二はエクアドルで行われたU-17世界選手権で、トップ下として3試合プレーしました。もっとも、当時U-17世界選手権は映像がなく、清水商業での小野伸二は一度も高校選手権に出ていないという理由もあって、映像などで小野伸二を見たというサポはほぼ皆無でした。皆、すごいすごいとは言うものの、どこがどうすごいかは誰も知らない状態で浦和に入団してきました。
開幕戦の市原戦で、当たり前のようにスタメン出場した小野伸二は、ダイレクトでさばくプレーが売り物と理解できました。当時はまだ、4年前までマラドーナが現役だったこともあって、ボールを持って個人技で抜くFWが天才というイメージがありました。小野伸二はそれとは対極を行く存在で、ボールを持つ時間は短く、確実に味方に通すプレーが売り物でした。
日本代表にも選ばれた小野伸二は、新しいタイプの天才出現と日本中が知る存在となり、中田英寿の厳しいパスとは違って優しいパスを出すと話題になりました。バーモントカレーのCMにも出演し「小野伸二、バーモント育ち」というセリフは今でも印象的です。フランスW杯にも出場しましたが、彼のキャリアでのハイライトはU-20W杯の準優勝です。
決勝戦こそ出場停止で出られませんでしたが、準決勝までの全試合でトップ下に座り、決勝トーナメントではポルトガル、メキシコ、ウルグアイを次々破って決勝戦にたどり着きました。キャプテンとしてのふるまいも評価されており、トルシエ監督に率いられたこの当時のU-20代表から、多くの選手が2002年W杯のA代表に昇格することになります。
その後はオランダのフェイエノールトでもプレーし、浦和のサポが送った「世界で輝け伸二」のメッセージには十分応えたと思います。琉球というチームはまだ環境面で良くないところもあると聞きますが、小野伸二の活躍でそういうところも変わってくるかもしれないと思います。残りのサッカー人生が良いものでありますように。
当時、小野伸二はエクアドルで行われたU-17世界選手権で、トップ下として3試合プレーしました。もっとも、当時U-17世界選手権は映像がなく、清水商業での小野伸二は一度も高校選手権に出ていないという理由もあって、映像などで小野伸二を見たというサポはほぼ皆無でした。皆、すごいすごいとは言うものの、どこがどうすごいかは誰も知らない状態で浦和に入団してきました。
開幕戦の市原戦で、当たり前のようにスタメン出場した小野伸二は、ダイレクトでさばくプレーが売り物と理解できました。当時はまだ、4年前までマラドーナが現役だったこともあって、ボールを持って個人技で抜くFWが天才というイメージがありました。小野伸二はそれとは対極を行く存在で、ボールを持つ時間は短く、確実に味方に通すプレーが売り物でした。
日本代表にも選ばれた小野伸二は、新しいタイプの天才出現と日本中が知る存在となり、中田英寿の厳しいパスとは違って優しいパスを出すと話題になりました。バーモントカレーのCMにも出演し「小野伸二、バーモント育ち」というセリフは今でも印象的です。フランスW杯にも出場しましたが、彼のキャリアでのハイライトはU-20W杯の準優勝です。
決勝戦こそ出場停止で出られませんでしたが、準決勝までの全試合でトップ下に座り、決勝トーナメントではポルトガル、メキシコ、ウルグアイを次々破って決勝戦にたどり着きました。キャプテンとしてのふるまいも評価されており、トルシエ監督に率いられたこの当時のU-20代表から、多くの選手が2002年W杯のA代表に昇格することになります。
その後はオランダのフェイエノールトでもプレーし、浦和のサポが送った「世界で輝け伸二」のメッセージには十分応えたと思います。琉球というチームはまだ環境面で良くないところもあると聞きますが、小野伸二の活躍でそういうところも変わってくるかもしれないと思います。残りのサッカー人生が良いものでありますように。