Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

上海の街

2007-01-21 21:45:54 | 雑記
今回、浦和がACLで訪れる街で、行ったことがあるのは上海です。現在のところ、ACLのアウェーは火、水、木の3連休が必須条件のため、行くとしたらA3の第二戦(日曜日)を考えています。ただ、A3はまだ中国のどこで開催されるか、情報がありません。中国からの参加チームが山東魯能と上海申花なので、上海開催の可能性に期待をかけています。

ACLで上海を訪れる方が、訪れて欲しいのは旧市街の洋風建築です。19世紀の建物が、今でもホテルや銀行の建物になって現存しています。今では中国の国旗がいくつもはためいていて、中国政府が「これは俺達の物だ」と誇示していますが、実は植民地時代に英国の財閥が建設した建物です。そのあたりにはちょっと怪しげな輩がいるので、呼び止める人は無視して振り切って下さい。

上海の中心街はそことは少し離れたところにあります。ここの建物も植民地時代のものが一部残っていますが、整備された歩行者専用道路の脇に、漢字のネオンが並ぶ商店が建ち並んでいます。怪しげな店が怖いなら、ある程度信頼できるデパートもあるので、そういうところで買い物をするのがいいでしょう。ラーメンを食べるなら、10元(130円)で食べられます。

スタジアムは、当時は単なる観光旅行で訪れたので、行っていません。ただ、中心部から数駅行った地下鉄の駅に「上海体育場」という駅があり、ここがスタジアムではないかと予想しています。地下鉄で行けるなら、アクセスの心配はないでしょうが、中国人は行列を守らない人が多いので、割り込みに苛立たないように気をつけてください。
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朝青龍と千代の富士

2007-01-20 22:08:07 | 他スポーツ
今日、朝青龍が20回目の優勝を決めました。20回というと、それより上は長い大相撲の歴史の中でも貴乃花(22回)、北の湖(24回)、千代の富士(31回)、大鵬(32回)の4人しかいない大横綱の世界です。そのため、そろそろ比較しても許される頃と思い、自分がリアルタイムで見た中で最大の大横綱千代の富士と、今の朝青龍を比べてみたいと思います。

千代の富士は、今でこそ前褌速攻とか、左上手からの強烈な投げなどのイメージしか残っていませんが、実は引き技で勝つ相撲も一場所に1,2番はありました。千代の富士は当時でも軽量の120kg台の体型だったので、重い力士にいい当たりを見せられるとどうしても体格的な不利で後退することもありました。

今の朝青龍は、あまり大きく見えませんが、実は140kg台の体重があり、しかも筋肉質です。千代の富士よりも、当たりを受け止める力は大きいと思われます。筋力トレーニングやプロテインなど、筋肉を大きくする技術は当時より進んでいますから、朝青龍も計画的に筋肉を増やして今の体を造ったと思います。

しかし、千代の富士にあって朝青龍にないものも、もちろんあります。それは土俵の広さに対する感覚的なセンスです。千代の富士は、押し込まれる一番もあったと先ほど書きましたが、そういう一番をことごとく回り込んで拾っています。朝青龍は押し込まれるとそのまま土俵を割ってしまうこともありますから、そんなセンスを磨いて不利な一番を拾う感覚も必要でしょう。

もし、千代の富士と朝青龍が対戦したらという想像は楽しいです。立ち合いは速攻相撲の千代の富士の方が鋭いでしょうが、朝青龍は受け止める力が強いです。四つはけんか四つですから、千代の富士の左上手か、朝青龍の右上手かのどちらが早いかが勝負のかぎを握るでしょう。千代の富士ファンの私としては、左からの上手投げで朝青龍を横転させるところを見てみたいですね。今の力士では不可能でしょうから。
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川越運動公園陸上競技場

2007-01-19 22:30:11 | 埼玉
久しぶりの埼玉ネタですが、レッズのサテライト戦で出かけた川越運動公園陸上競技場なので、レッズネタかもしれません。このスタジアムは、アクセスが非常に悪いところにあり、バスで行こうとすると1時間に1本のバスを待たないとたどり着けません。

川越と言っても、大宮との境目付近にある荒川沿いにある競技場なので、このスタジアムへ行くなら車もしくは自転車で15km以上行くしかありません。最近はここでの浦和のサテライト戦はあまり開かれなくなりましたが、私は2001年、2002年と出かけています。

ここのいいところは、まずは選手との距離の近さです。選手用バスはサポーターが簡単に近づける場所にあり、隔てているのはロープ一本です。2001年当時サテライトに出場していた田中達也はサイン攻めに快く応じていました。渡辺隆正(現レディースコーチ)に頼んで写真を撮らせてもらったことも思い出です。

また、もう一つ良かったのが、芝生が周辺に広がっていて、弁当を広げたりボールで遊んだりするには最適の場所です。日曜の昼間、ピクニック気分を味わえる場所としても良かったです。子供連れなら、ボールを蹴って遊ぶのも手でしょう。今年あたり、もう一度出かけてみたい場所です。
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思い出の試合(レッズ編2)

2007-01-18 20:39:08 | 浦和レッズ
今日のブログは、思い出の試合の続編です。

・J1昇格・・・2000年11月浦和対鳥栖(駒場)

斉藤監督が事実上解任されて、横山GMが総監督として指揮を執り、ようやく混乱も収まりかけた頃の最終戦でした。しかし、J2史上最強と言われた圧倒的な力は既になく、ふらふらの状況で迎えた試合でした。延長戦も含めて、勝てば自力で昇格を決められる状況でしたが、相手の鳥栖も、勝てばスポーツ新聞の1面に載ると監督から気合いを入れられ、モチベーションは高かったです。

先制点は浦和に入ったものの、DFとGKの連係ミスで同点に追い付かれた浦和のムードは良くなかったです。そんな後半のプレーで、ピクンのクリアミスで相手に独走され、室井が後ろから倒して退場になってPKという、最悪に近い状況になりました。ここで、駒場を埋めた浦和サポの応援の必死さは忘れることができません。

満員の観衆に慣れていなかったであろう、鳥栖FWルシアノはこのPKをクロスバーに当ててしまい、浦和は最大のピンチを免れました。それでも、ライバル大分が勝ったため、浦和は数的不利の延長戦で勝たないと昇格はできない状況でした。しかし、この延長戦で投入された岡野の気合いの走りで、鳥栖はボールをつなげずクリアするのが手一杯になり、浦和ペースで延長戦は進みました。

そんな中の浦和ボールのFKでした。阿部の蹴ったボールはミスキックになり、壁に当たって跳ね返りました。セットプレーのチャンスだから、浦和は相当の人数を前線に上げていました。もし、このボールが鳥栖にこぼれたら決定的なピンチになります。祈るような気持ちで、誰かレッズの選手が拾って欲しいと願いました。

このボールは浦和DF土橋のところにこぼれました。こういう場面は、とにかくカウンターを食わないため、外してもいいから思い切りシュートを打つのがセオリーです。そんな土橋のシュートを見て、「これでカウンターはない」とほっとした瞬間、このシュートが入り浦和は昇格を決めました。見ている誰もが、入るとは思っていなかったシュートだったと思います。この場面は、7年経った今でも鮮明に思い出せます。
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カニの開花は山形で?(横山拓也)

2007-01-17 20:23:13 | 浦和レッズ
浦和サポにとって、本名の横山拓也よりも、愛称のカニの方が有名かもしれません。岡野に、干支を聞かれたときの横山拓也選手の回答が、星座と勘違いして蟹と答えたことが、この愛称の由来です。

私はこの横山を、高校時代の高円宮杯(全日本ユース)決勝で見たことがあります。当時は名門静岡学園でプレーしていて、左足でポストに当たった強烈なシュートが印象に残っています。浦和に加入した2004年は、1年目から途中出場とはいえ、出番を得て、清水戦で得意のヘディングからのアシストを決めています。上背こそあまり高くありませんが、ゴール前で相手DFに競り勝ち、クロスを折り返したこのプレーには、将来の成長を予感しました。

翌年の2005年は、横山にとってチャンスの年でした。エースのエメルソンがコンディション不良で来日したため、ベンチに何度か入った横山は途中出場の機会が何度かありました。開幕2戦目の川崎F戦で、途中からFWに入った横山は、リードを許した展開で必要な、相手ボールを必死で追い掛けるプレーを見せました。得意のポストプレーで、岡野のゴールもアシストしています。若者らしい懸命な姿には共感しましたが、まだゴールという結果を残していませんでした。

敗戦したC大阪戦でプロ初ゴールは決めましたが、活躍の最大のチャンスは、エメルソンが退団して一時的に日本人FWだけで戦った5試合でした。埼玉ダービーのホーム大宮戦、横山は最も長い時間チャンスを与えられました。しかし、この試合で横山は決定機を2度ほど外してしまいました。どうやら、これでブッフバルト監督に、スーパーサブにはならないと思われたのかもしれません。その後、田中達也が重傷を負って、FWが足りなくなっても、マリッチの1トップを採用し、横山には声はかかりませんでした。

翌2006年は、横山は完全にサテライト要員となってしまい、サテライトの成績も芳しくなかったことで、このままではプロサッカー選手として成長の機会がなくなってしまうところでした。そんなところで出てきた、今回のJ2山形へのレンタル移籍です。J2に行く以上、即戦力とみなされるでしょうから、開幕から全試合に出るつもりで調整し、J2得点ランク上位に入るくらいの活躍を期待しています。
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思い出の試合(レッズ編)

2007-01-16 21:05:21 | 浦和レッズ
私は、Jリーグ開幕以来の浦和サポで、シーズンチケットを1995年の後期に手に入れてから、駒場や埼スタに行くようになりました。その中には、いくつもの思い出の試合があります。代表的なものを並べてみます。

・初観戦・・・1994年4月浦和対平塚(駒場)

当時は駒場の自由席の場所取りの厳しさを知らず、2時間前に行ったらアウェー側出島(当時は浦和サポでも入れた)の観戦になりました。しかし、この試合は当時最下位が続いていた浦和にとって、久々の好ゲームになりました。怪我などでなかなかベストコンディションが整わなかったエース福田が、なんと4ゴールの活躍で、快勝しました。得点の内容は記憶がかなり怪しくなっていますが、PKが1点と、CKを頭で合わせる福田にしては珍しいゴールがあったことは記憶に残っています。

・最多得点差勝利試合・・・1996年9月柏対浦和(国立)

最終スコアは7-0という快勝でしたが、柏は当時ゴールを量産していたエジウソンが好調で、12連勝という快進撃を続けていました。対する浦和は、エース福田が足首の脱臼骨折で戦列を離れ、岡野、大柴という2トップで臨みました。当時新人だった大柴の力は未知数で、試合前は本当に大丈夫かと思っていたくらいでした。

しかし、早い時間で浦和に先制点が入ったことで、柏の焦りを呼んで、柏のボランチが故意のハンドで退場するという大きな流れの変化がありました。これで柏は3バックに、両アウトサイドに本来FWの選手を置くギャンブルに出ました。オジェック監督が縦に速いサッカーを仕込んでいた浦和にとってこの状況は絶好のカモでした。試合終了間際まで攻め続けた浦和は、ギドのPKによる得点なども加え、7-0という完勝を収めました。

・最多得点差敗戦・・・2002年5月12日ナビスコ杯予選浦和対名古屋(駒場)

歴史に残る浦和の大敗は、1999年名古屋戦の1-8、1993年V川崎戦の0-6などがあるので、この程度(1-5)では大敗と言えないかもしれませんが、私の観戦試合では最多得点差敗戦になります。この試合は、ナビスコ杯予選突破を決めた後の消化試合で、エメルソンやトゥットなどの主力選手を休ませていました。

まだ、当時の浦和はメンバーを落としていい試合ができるほどのチームではありませんでした。立ち上がりから浦和の動きは鈍く、失点を重ねるままずるずると最後まで行ってしまった試合でした。余談ですが、このときレプリカを自宅に忘れたため、今度は大敗しないようにと縁起を担いでレプリカを忘れないように気をつけています。
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JFLからの復活(大久保哲哉)

2007-01-15 20:43:29 | 他チーム
普通、J2のチームを戦力外になって、さらに下部リーグのJFLに移籍したら、最善のシナリオでもそのJFLチームで残りの現役生活を全うするのが関の山と思うでしょう。しかし、今季、J2を戦力外になりながら、復活を果たしてJ1のチームに加入した選手がいます。それは、佐川急便東京から、今季J1に昇格した柏に移籍した大久保哲哉選手です。

私は、この大久保のプレーを当時J2の横浜FC時代に見たことがあります。大久保は長身FWで、相手DFを背負っての懐の深いボールキープが売り物の選手でした。しかし、弱点もはっきりしていました。それは、ポストプレーしかできないというものでした。ベンチからはポストプレーをしろという指示が出ていたかもしれませんが、前を向いて仕掛けることをしないFWは相手にとっては全く怖くありません。

事実、この年の大久保はノーゴールで、横浜FCから戦力外通告を受けました。ただ、意識が前を向いていないという問題なら、下部リーグで得点感覚をつかめば、復活の可能性はあるかなと思っていました。移籍した佐川急便東京は、午前中が仕事で、午後が練習というチームで、大久保も荷物運びの仕事をしたでしょう。

こんな逆境の中、大久保はJFLでの最初のシーズンでJFL得点王と結果を残しました。どうやら、佐川急便東京で得点感覚をつかんだのでしょう。昨年も2年連続JFL得点王の活躍で、本人ももう一度プロで勝負したいと思っていたのでしょう。柏からのオファーで、自身初のJ1でのプレーになります。もし、レッズ戦で試合に出ているところを見られたら、どこまで積極性が増しているか、是非確かめてみたいと思います。
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朝青龍対稀勢の里(相撲)

2007-01-14 20:44:10 | 他スポーツ
今日は、サッカーは大学選手権決勝(西が丘)がありましたが、手術明けの私はそこまで行くパワーは戻っていません。そのため、自宅のテレビで相撲を見ていました。今日は中日ということで好取組が組まれ、結びの一番は朝青龍対稀勢の里の取組になりました。

この一番は、いろいろな因縁のある対戦で、秋場所に稀勢の里が朝青龍を四つ相撲で堂々と寄り切り、稀勢の里の四股名の名前の通り「稀な勢い」を見せる一番になりました。先場所の九州場所では、朝青龍がこの「稀な勢い」を恐れたのか、立ち合いに変化を見せて「けたぐり」で稀勢の里を破っています。

そのため、今度こそ変化せず堂々と戦って欲しいという思いがあり、朝青龍の立ち合いの作戦に注目が集まった一番でした。その逆はないという確信はありました。朝青龍のような動きの良さで勝負する横綱には変化は通用しないからです。大体、変化というのは、体の小さい力士が、大きい力士に勝つために、相手の動きを見て横に変わるものです。

この日は、安馬対琴欧州で、安馬の変化がありましたが、これは幕内最軽量の安馬が、幕内最長身の琴欧州に勝つための苦肉の策だろうと思いました。変化は弱者の策なのです。そのため、強者が変化を見せるのには違和感もあります。立ち合いで相手の頭が極端に低かったりしたら、やりたくなる気持ちもわからないではないですが。

しかし、この日の朝青龍は、まともに立って稀勢の里を出足で圧倒しました。勝負の右上手も早々と取り、長い相撲になると厄介と思って、一気に西土俵に寄り立てました。稀勢の里も、この体勢では残すことはできず、勝負は一瞬でつきました。

ただ、一点気になったことがありました。それは朝青龍が、相手が土俵を割っていて勝負がついているにもかかわらず、念押しの突きで稀勢の里を土俵下に落としたことです。よく「横綱の品格」についていろいろ語られますが、それは土俵上のフェアプレー精神も含まれると思います。貴乃花のように、腰を落として正確に寄り切るのはフェアプレー精神だと思います。

それを考えると、勝負がついてからの突きは意味がなく、むやみに相手が負傷するリスクを増やすものです。朝青龍は大横綱の道を目指すのだったら、こういうフェアプレーの精神も学んで、今後も相撲道に精進して欲しいものです。
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ラグビー大学選手権決勝

2007-01-13 22:18:58 | 他スポーツ
サッカーがオフの時期の週末は、ラグビーや相撲などを見て過ごします。今日はラグビーの大学選手権の決勝戦を見ていました。ラグビーに関しては、まだまだブログで意見を述べられるほどの観戦歴はありませんが、感じたことを素直に書いてみます。

カードは関東学院対早稲田という、6年連続のカードになりました。早稲田のラグビー部は関東では人気があるらしく、国立競技場は満員に近い盛況で、関東学院にとってはアウェーに近い雰囲気になるのではと予想しました。しかし、ラグビーに関しては、まだホームやアウェーのような地域間競争といった雰囲気はないようです。関東学院の応援も十分聞こえました。

また、早稲田は対抗戦、関東学院はリーグ戦という、別のブロックで戦った相手なので、同じ関東の相手にもかかわらず、お互いの力関係はやってみないとわからないという相手です。もともと、対抗戦は対戦相手を指名して対戦していた時代の名残らしく、古豪の大学は対抗戦、新興の大学はリーグ戦と分かれて試合をするようになっています。

個人的には、この両者は統一して関東大学リーグ戦のようなものを作って、早稲田対関東学院のようなカードを予選の段階から見られるようにして欲しいです。そうすれば、強い相手とだけ試合をすることになり、大学ラグビー界の強化につながると思います。

試合は、強風の影響もあってか、早稲田がラインアウトをほとんど取れないのが気になりました。社会人などでは、ラインアウトはほぼ100%取れるのが当たり前になっていますから、これから失点するかもと思っていたら、本当にラインアウトのミスで失トライするなど関東学院ペースで試合は進みました。

早稲田も前半終了間際に、バックスの個人技で2トライ返しましたが、ちょっと反撃が遅かったようです。3トライ3ゴールという、前半で稼いだ関東学院の貯金が効いての、関東学院の勝利に終わりました。バックスの早稲田、FWの関東学院というチームカラーは例年のチームと同じでしたが、より関東学院のFWの強さが出た一戦だったと思います。
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前へ前へ(相馬崇人)

2007-01-12 19:56:15 | 浦和レッズ
三都主の移籍した穴を埋める活躍が期待されている相馬崇人選手ですが、東京V時代に初めて見たときから、印象に残る選手でした。2005年の天皇杯の決勝(東京V対磐田)で、初めて相馬のプレーを見ましたが、当時は日本代表に入っていた三浦淳宏からポジションを奪ったということで有名になっていました。

その実力のほどを見極めたいと思って、浦和の準決勝敗戦で応援するチームのなくなった国立競技場へ出かけていきました。相馬の特徴はすぐにわかりました。売り物は日本にあまりいない、左足からの精度の高いアーリークロスでした。ライバルの三浦が右利きで、どうしても右足に持ちかえなければならないハンデがあるため、ポジションを奪ったのだろうと思いました。

三浦はそのオフに神戸に移籍して、相馬は4-4-2の左SBで開幕から出場していました。しかし、天皇杯の優勝をリーグ戦に生かすことはできず、東京VはJ2に降格してしまいました。この年の東京Vは一度しか見ていないので、相馬の活躍度は知りませんでしたが、どうしても三都主のバックアップが欲しかった浦和が相馬を獲得したので、これで相馬をじっくり見られることになりました。

初めて、味方になった相馬を見た印象は、「これは三都主と全く同じタイプの選手だな」というものでした。前を向いて仕掛けるときは三都主と遜色ないプレーができますが、守備の局面ではあっさり置いて行かれたりして、守備が弱いところまで三都主と同じでした。

ギドも相馬の使い方には気を使ったと思います。押され気味の展開での守備固めとしては使えませんから、流れの良い場面で、しかも三都主が疲れているときを選んで途中出場させていました。正直に言うと、磐田の服部のような守備的なタイプをなぜ取らなかったのかと、フロントの判断に疑問を持っていました。

しかし、フロントはどうやら、三都主の移籍後のことも考えて相馬を獲得したようです。守備的なタイプでは、サイドから仕掛けるレッズのサッカーはできないという考えがあっての相馬獲得でしょう。来期は相馬にかかる期待は大きくなるでしょう。前へ仕掛ける、相馬のプレースタイルを続けて欲しいものです。
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