東工大の講演会、講師陣は人生経験豊かなキャリアの方ばかり。
聴衆は、学生さんと教職員、そして一般人です。
若い学生さんからの質問が愉快でした。
Q: 実用を伴わない「芸術」は、人生の役に立つものなのか?
講師陣の答えは、もちろん、
「実用性・合理性ばかりでは、人間社会は成り立たない。
様々な人間の存在、様々な考え方を知っていることが、
社会的合意形成に役立ち、大きな仕事に繋がる。」
例えば、ホリエモンが株の買収によって会社乗っ取りを仕掛けたとき、
買収される側の人間の感情を考えずに、経済論理だけの行動をしたのが、
彼の敗因だったのだそうな……
ここで彼の学生君、「そう言われれば、そりゃ、そうだけれど、
ということは、<好きなこと・興味あることを犠牲にして>
我慢して、芸術や教養書も読まねばならないのですね??」
ま、細かい言葉遣いは違っているかもしれませんが、私には、
上記のように聴こえました。
講師陣は苦笑いの体で、「そういうことです」という返事。
本当は、我慢して読み進むうちに、楽しくて仕方ない心境になる筈、
という顔つきで、ニコニコされていましたが。
私が一番大量に本を読んだのは、高校時代、通学の電車の中です。
1時間半くらいかかったので、長編のドストエフスキー、トルストイ、
ヘッセ、スタインベックなど、ああいう時代に読むようなものを
作家別に読破するのが楽しみでした。
今の若いひとたちみたいに、ゲームとかお洒落とか、楽しいことは
あんまり無かった時代です。
就職して十数年。職場が駒場から淵野辺という<辺境の地>へ移転。
車で30分の筈が、電車と自転車を駆使して1時間40分の遠距離通勤に。
横浜線の電車の中で熱中したのは、読書ではなく、
ミュージカルシナリオを書くことでした。
自分が子供の頃に読んだおとぎ話風でもなく、文豪の長編の真似でもなく、
「私が言いたいことを、曲や踊を使って、シナリオで表現するんだワ」と、
手が勝手に動いたのです。文学作品のような高尚なものではありませんが、
60代半ばを過ぎても、この作業は今でも続いていて、人生の喜びです。
東工大講師陣や遠山さんの話を聴いて、思い返してみると、
「読書というインプットがあってこそ、アウトプットに繋がり、
仕事や家庭作り、人間形成に広がりが出る」のかもしれません。
その結果が、「良い家庭や良い仕事」なのかどうかは又、別の話で、
冷や汗タラタラ の私です。