自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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クーデンホーフ=カレルギー光子 の生涯

2018-02-27 11:06:06 | 生き方


先日、NHKのドキュメンタリー番組で彼女のことを知りました。
wikiによると、

   Mitsuko Coudenhove-Kalergi, 1874年7月24日 - 1941年8月27日)、
   旧名:<青山 みつ>は、オーストリア=ハンガリー帝国の貴族ハインリヒ・
   クーデンホーフ=カレルギー伯爵の妻で、パン・ヨーロッパ運動により
   EUの礎を築いたリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵の母。

   そのため「パン・ヨーロッパの母」と言われ、現代においては「EECの母」と言われる。

その生涯については、下記ホームページに詳細があり、面白いです。
http://www.law.tohoku.ac.jp/~tozawa/RCK%20HP/mitsuko2-1.htm

その中から、私が特別に興味を持ったところだけ抜粋します。

   1906年5月14日、夫ハインリッヒの突然の死がミツコを悲劇に陥れる。
   彼の愛情だけを頼りに、異国の地で頑張ってきたミツコにとって、
   その衝撃は計り知れない程大きいものだった。この夫の死を契機に、
   突如としてミツコは日本人形のような女性から、強い女性へと変身を遂げる。

   ハインリッヒは遺言書で全ての財産をミツコに相続させると書き残していた。
   これには親族一同が騒然とし、東洋人などに伯爵家を渡してなるものかと
   ミツコに譲渡を迫る。
   しかしミツコは毅然として親族の起こした裁判に立ち向かい、これに勝った。
   夫の遺産を引き継ぎ、子供たちをウィーンの名門学校に入れ、
   伯爵夫人として社会的に活動を始める。

   また、この頃からミツコはウィーンの社交界にも顔を出すようになる。
   それまで、日本という国を知りもしなかったヨーロッパでは、
   日露戦争で大国ロシアを負かした国として注目の的だったこともあり、
   日本人であるミツコは、この社交界で花形的存在になる。

   ミツコは明治時代におけるヨーロッパへの民間大使のような働きをした。

「青山の大地主のお嬢様」で父が経営する骨董商を手伝っていて、
その店を覗いたオーストリア=ハンガリー二重帝国代理公使(大富豪で貴族)に見初められ、
渡欧するだけでもシンデレラ・ストーリーです。

が、お人形のように大人しかった彼女の、夫の死後、親族たちとの裁判に立ち向かうとか、
子ども達を立派に育て(2人が博士、2人が作家)、社交界の花形になるなんて、偉い!!

そんなエライ彼女の晩年は・・・・
「自分の意に添わない嫁を連れてきた息子は勘当し、
次女の人生を縛って、自分の面倒をみさせた」そうです。

現在の私にとっての関心事は、以下のことです。
①「ヒトとして生まれたなら、ミッションを持って努力する」のは当たり前。
②社会への謝意を形にする(社会貢献する)
③人に頼らず、毅然とした死を迎える

その意味で、ミツコさんの生涯は面白く、勉強になりました。

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