以下、樋口氏の話です。
p.213 やめどきには、生物としてのやめどきと、社会的なやめどきとが
あります。昔は生物としてのやめどきよりずっと早く社会的な
やめどきがはっきりとありました
(中略)(92なった今)私自身の引退を含め、どうした閉じ方が、
あるいは続け方が一番か、検討していかねばなりません。
p.214 私は社会の中枢に「ケア」を据えなければいけない世の趨勢と
捉えております。なのに、そういうものを切り捨てて行こうと、
そして世代間対立を煽ろうというような動きが進んでおります
ことを憂慮しています。
上野氏:ということは、「高齢社会をよくする女性の会」のやめどきは、
樋口さんにとって三年前よりむしろ今の方が切実になっている
ということですか。
樋口氏:まさにそう。より切実に感じております。介護保険の発足時には
全世代型の社会保障はお金がかかることがはっきりと見えていました。
高齢者世代の負担が今後増えていくことを嫌だと言っているわけ
ではありません。高齢者の中でも裕福に暮らしていらっしゃる
上野さん、そして樋口のようなものがもう少しの負担をするのは
やぶさかではございません。
ただ、今の政府の世代間の対立を煽るかのような動き、および
ケアの切り捨てについては断固対抗して行かなければなりません。
以下は上野氏の結論
p.216 生まれた途端に母親の乳房まで這いよって乳が含める赤ん坊なんて
いますか? 絶対いないんです。誰かが抱きとめて乳首を吸わせること
によって人類は、もちろん猫類も犬類もですけど、みんな親なり誰かが
ケアをすることで生き延びてきたわけです。そのことを延長して
障害を持った人の人権、病み衰えていった人の人権というふうに考えて
みますと、社会というものは、少なくとも飢えから解放された社会が守るべき
モラルを基本として、私はケアという営みが不可欠と思います。
p.217 ケアを社会の中枢に位置づけて、それをどう分かち合い、担っていくか。
今、私が考えている一番大きなことは、
ワーク・ライフ・ケア・バランス社会、そのことです
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