自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

「知られざるイタリアへ」

2012-06-12 21:22:30 | 推薦図書
ロバート・ハリス 著  2008/7 東京書籍

著者の名前からは完全なNon Japaneseを想像しますが、Wikipediaでは

  日英のクオーター(1/4が英国人)で「百万人の英語」等での英語講師
  として知られるJ・B・ハリスと日本人眼科医の母・富美子との間に
  生まれる。

とあり、なんと私と同じ団塊世代。


イタリア南部のストロンボリ火山を見に行きたくて、本を探していました。
でも、イタリアは美術と歴史の本が殆どです。そんな中で、やっと
「レンタカーで自由気ままに動く旅」を探し当てました。

普通のガイドブックではなく、著者と現地の人たちの交流、会話が満載で、
双方の生き方・価値観を窺い知ることができます。
とくに、日本から彼の地へ移住している人たちの暮らしぶりや考え方が
興味深く、楽しめました。

P.146 問い「ヨーコさんの知的好奇心みたいなものは、
      どうやって満喫しているの?}

   答え「知的好奇心を充たしたり刺激したりするのって、
      ここではけっこう厳しいかもしれません。
      ここにいるには知的でない方がいいかも。
      それを求める人だったらここから外に出た方が良いかも」

  では、それを犠牲にしてもいいからここにいたくなる、この土地の魅力は?


  答え「色々な意味での愛です。家族愛であり、人間と人間のアイであり、
     情というか、南イタリアはやはり情の国ですからね。人情の土地
     なんです。ここの人は本当に人に親切なんです。もちろん
     ジェラシーとかもあるけど、根本的には優しいんです。

     誰かに良いことをしたってだけで、
     ここの人は心から幸せになれるんですよ。それが一番の魅力ですね。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生…」  その⑩

2012-06-11 08:57:36 | 生き方
P.200 本人の意思表示

今、治療行為の中止などで、本人の意思表示が問題にされています。
(中略)<著者の場合>
   「死に際に医療が濃厚に介入する<医療死>ではなく、
    こどもの頃に接した年寄りの死に方、何百万年と続いていた
    ご先祖様の死に方、<自然死>が希望です。」

具体的には、
1.可能な限り、救急車は呼ばない。
2.脳の実質に損傷ありと予想される場合は、開頭手術は固辞。
3.原因のいかんを問わず、一度心臓が停止したら、蘇生術は固辞。
4.人口透析はしないこと。

5.経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考え、経管栄養、
  中心静脈栄養、抹消静脈輸液は行わないこと。

6.不幸にも人口呼吸器が装着された場合、
  改善の見込みがなければその時点で取り外して差し支えないこと。

*********************************************
私の母は<日本尊厳死協会>なる団体に登録していたので、
私も漠然とした「延命措置不要」の宣言書を書いてあります。

が、上記のように細かく指示しておかないと、何が起こるか分かりません。
何が何でも医療措置を拒否するのではなく、状況次第かもしれません。

でも、今回この本を読んだおかげで、自分の「生き方」と「死」について
これまでより具体的に思いめぐらすことができ、
本当に良かったと思います。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生…」  その⑨

2012-06-10 05:32:14 | 生き方
さて、いよいよ終盤です。

P.197 「仏教は生きるための指針を説いている」と分った!

私自身は神道の家庭に育ち、毎朝母が神棚のお水を変え、
到来モノ・新モノをお供えしているのを見てきました。
それらの行動は、生活習慣として定着していたようで、
宗教儀式とは知りませんでした。

年を経て、結婚後、重大な物事の取捨選択を迫られたとき、
この著者のように色々な書物を読み漁り、
行き着いたのは、やはり仏教でした。

理由は、思考の自由が許され、考えることが奨励されているからです。
他の宗教を深く勉強したわけではないので、大きなことは言えませんが、
「何となく、性に合った」という感じです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生…」  その⑧

2012-06-08 05:33:24 | 生き方
P.143 現代は、
  「どこで、誰に、どのように介護されて死ぬか、
  <死に方><介護のされ方><医療の利用の仕方>を
   前もって考えておかなくてはならない時代。

生前葬:一般的には、本人がそれまでにお世話になった人たちを招いて
    感謝とお別れをする告別式の前倒しタイプを指す。

著者の考え:<生まれ変わる><行き直す>という擬死再生の視点から
    長寿社会で影の薄れた通過儀礼である「還暦」や「古希」などを、
    人生の節目としてきちんと認識し直す必要を感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生…」  その⑦

2012-06-07 20:37:03 | 生き方
P.111 「天寿がん思想」

1994年より北川知行さんが提唱されている概念。
具体的には
 「さしたる苦痛もなく、あたかも天寿をまっとうしたように、
  人を死に導く超高齢者のがん」
 (ここでいう超高齢者とは、一応、男性が85歳以上、女性90歳以上)

導入の目的は二つ。
①「天寿がん」の存在を明らかにすることで、人々が不必要にがんを恐れず、
  がんに合理的に対処できる道を広くすること。

②高齢者、超高齢者のがんでの自然死を明らかにすることで、
  個別化医療を進化させること。

「がんの発生は、長生きの税金のようなもの。
 ある程度まで避けられないものならば、超高齢者のがん死は、
 人の一生の自然な終演の一つのパターンと考えられる。」


そうであるのならば、超高齢者の苦しみを伴わない死は、
人の死に方として必ずしも悪くない選択となり、「天寿がん」とわかれば、
「攻撃的治療も無意味な延命治療も行わず、自然に徹する」ということ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生…」  その⑥

2012-06-06 10:02:57 | 推薦図書
私の母も、私自身も、非常に漠然と、

「無用な延命治療はしないで欲しい。
 痛みの緩和ケアだけはして欲しい。」と家族に言ってきました。

ところが、この本によると、そんな漠然とした表現ではダメで、
もっと具体的に決めておかねばならないようです。
その前に、「在宅死」を望むなら以下の条件をクリアする必要が。

P.91 
1番目:在宅で死にたいという本人の意思、希望、決心があります。

2番目:家族に”看取りたい”という意欲があること。
    実際には意欲だけでなく、体力も必要ですし、
    時間的余裕、交代要員も欲しいところ。

3番目:在宅死に理解のある医者や看護士などの医療関係者や
    ホームヘルパーなどの福祉関係者の協力が必要。

4番目:在宅環境、できれば専用の個室が欲しい。
    最後は、ある程度の経済力も必要といわれている。

これらがきちんと考えられていないと、
「介護してくれる家族の負担が大変」
「病状が悪化した時の対応が不安」という事態になりそう。
だから、在宅で「看取らせる」には、「信念」と「覚悟」が必要。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生…」  その⑤

2012-06-05 05:39:52 | 推薦図書
P.90 在宅死には、在宅医療死と在宅自然死があります。

以下、要約です。
在宅医療死:病院で目一杯の医療を行った末、改善の見込みがなくなり、
      在宅に移行(させられる)。→ 現在の在宅死の殆どがこれ。

      この場合、病院で行われていた医療措置、延命措置は
      引き継がれ、死ぬまで医療が濃厚に関与する。


在宅自然死:できるだけ医療とのかかわりを持たないで、
      自然に見守る形での死のこと。

      ここでの医者の役割は、見守ることと、
      これからおきる変化を伝えることと、
      死亡の確認&死亡診断書の発行。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生…」  その④

2012-06-04 05:53:18 | 推薦図書
P.56 以上のように、現在では、医療の"虐待”のみならず、
「食事介助」「生前湯灌」「吸引」などの介護の拷問を受ける
ことなく死ぬことは、至難になっています。

今や、誰にも邪魔されず、「飢餓」「脱水症状」という、
穏やかで安らかな”自然死”コースを辿れるのは、「孤独死」か
「野垂れ死」しかないというのが現実です。

本人が自力で食べられるように、調理は工夫して目の前に置くが、
手を出さなければそのまま下げてしまうという北欧式や、

『平安死のすすめ』(石飛幸三・著)の中に出てくる
「栄養をとらずに横たわる人を、水だけ与えて静かに看取る」
という三宅島の先人の知恵を、もう一度噛みしめてみる必要が
あると思います。

「看取る」の真髄は、できるだけ何もしないで

「見とる」ことにあると思われます。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生…」  その③

2012-06-02 05:54:42 | 推薦図書
P.53 介護の ”拷問”を受けないと、死なせてもらえない

死に際の苦しみには医療による”虐待”ばかりではありません。
介護による"拷問”もあるのです。それも、いい看取りを行っていると
自負のある介護施設で起こりがちなのです。

それは、医療者ができることはすべてやるのが使命と考えていることと
根は一つであるような気がします。(中略)

例えば死が迫ってくると、当然、食欲は落ちてきます。すると、
家族はカロリーの高いものを食べさせようと努力します。(中略)
少量で高カロリーのものは油っこく、健康人でも、食欲がないときには
なかなか口にできないように思われます。それを無理矢理死にかけの
病人の口の中に押し込むのは、どうなのでしょう。

(中略)

P.55 死に際には、飲み込む力も弱ってきます。しかし、心優しい
介護職員は一口でも一匙でもと使命感に燃えて涙ぐましい努力をします。
その結果、喉元にものが溜まってゴロゴロと音がして苦しみます。

そうすると、鼻から管を入れて、それを吸い取る「吸引」という荒業を
施さなくてはいけません。これは、死にゆく人間を二重に苦しめることに
なっているのですが、介護職員にはあまりその感覚はないようです。

P.56 無理やり飲ませたり食べさせたりせず、穏やかな”自然死”
コースにのせてやるのが本当に思いやりのある、いい”看取り”の筈です。
時には介護においても、できることであっても控える方がよいことも
あると考えなくてはいけません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大往生……」 その②

2012-06-01 06:00:06 | 推薦図書
P.49 「自然死」は、いわゆる”餓死”ですが、
    その実態は次のようなものです。

 「飢餓」…脳内にモルヒネ様物質が分泌される
 「脱水」…意識レベルが下がる
 「酸欠状態」…脳内にモルヒネ様物質が分泌される
 「炭酸ガス貯溜」…麻酔作用あり

(中略)死に際は、なんらの医療措置も行わなければ、
 夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるということです。
 これが、自然のしくみです。自然はそんなに過酷ではないのです。
 私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです。

 ところが、ここ30~40年、死にかけるとすぐに病院へ行くように
 なるなど、様相が一変しました。病院は、できるだけのことをして
 延命を図るのが使命です。

 
 しかし「死」を、止めたり、治したりすることはできません。
 しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した
 医療措置を行います。例えば、食べられなくなれば鼻から管を
 入れたり、胃瘻(お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて
 水分・栄養を補給する手技)によって栄養を与えたり、

 脱水なら点滴注射で水分補給を、貧血があれば輸血を、
 小便が出なければ利尿剤を、血圧が下がれば昇圧剤というような
 ことです。

 これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして
 不安も恐ろしさも寂しさも感じない幸せムードの中で
 死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする