P.56 以上のように、現在では、医療の"虐待”のみならず、
「食事介助」「生前湯灌」「吸引」などの介護の拷問を受ける
ことなく死ぬことは、至難になっています。
今や、誰にも邪魔されず、「飢餓」「脱水症状」という、
穏やかで安らかな”自然死”コースを辿れるのは、「孤独死」か
「野垂れ死」しかないというのが現実です。
本人が自力で食べられるように、調理は工夫して目の前に置くが、
手を出さなければそのまま下げてしまうという北欧式や、
『平安死のすすめ』(石飛幸三・著)の中に出てくる
「栄養をとらずに横たわる人を、水だけ与えて静かに看取る」
という三宅島の先人の知恵を、もう一度噛みしめてみる必要が
あると思います。
「看取る」の真髄は、できるだけ何もしないで
「見とる」ことにあると思われます。
「食事介助」「生前湯灌」「吸引」などの介護の拷問を受ける
ことなく死ぬことは、至難になっています。
今や、誰にも邪魔されず、「飢餓」「脱水症状」という、
穏やかで安らかな”自然死”コースを辿れるのは、「孤独死」か
「野垂れ死」しかないというのが現実です。
本人が自力で食べられるように、調理は工夫して目の前に置くが、
手を出さなければそのまま下げてしまうという北欧式や、
『平安死のすすめ』(石飛幸三・著)の中に出てくる
「栄養をとらずに横たわる人を、水だけ与えて静かに看取る」
という三宅島の先人の知恵を、もう一度噛みしめてみる必要が
あると思います。
「看取る」の真髄は、できるだけ何もしないで
「見とる」ことにあると思われます。