P.49 「自然死」は、いわゆる”餓死”ですが、
その実態は次のようなものです。
「飢餓」…脳内にモルヒネ様物質が分泌される
「脱水」…意識レベルが下がる
「酸欠状態」…脳内にモルヒネ様物質が分泌される
「炭酸ガス貯溜」…麻酔作用あり
(中略)死に際は、なんらの医療措置も行わなければ、
夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるということです。
これが、自然のしくみです。自然はそんなに過酷ではないのです。
私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです。
ところが、ここ30~40年、死にかけるとすぐに病院へ行くように
なるなど、様相が一変しました。病院は、できるだけのことをして
延命を図るのが使命です。
しかし「死」を、止めたり、治したりすることはできません。
しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した
医療措置を行います。例えば、食べられなくなれば鼻から管を
入れたり、胃瘻(お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて
水分・栄養を補給する手技)によって栄養を与えたり、
脱水なら点滴注射で水分補給を、貧血があれば輸血を、
小便が出なければ利尿剤を、血圧が下がれば昇圧剤というような
ことです。
これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして
不安も恐ろしさも寂しさも感じない幸せムードの中で
死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。
その実態は次のようなものです。
「飢餓」…脳内にモルヒネ様物質が分泌される
「脱水」…意識レベルが下がる
「酸欠状態」…脳内にモルヒネ様物質が分泌される
「炭酸ガス貯溜」…麻酔作用あり
(中略)死に際は、なんらの医療措置も行わなければ、
夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるということです。
これが、自然のしくみです。自然はそんなに過酷ではないのです。
私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです。
ところが、ここ30~40年、死にかけるとすぐに病院へ行くように
なるなど、様相が一変しました。病院は、できるだけのことをして
延命を図るのが使命です。
しかし「死」を、止めたり、治したりすることはできません。
しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した
医療措置を行います。例えば、食べられなくなれば鼻から管を
入れたり、胃瘻(お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて
水分・栄養を補給する手技)によって栄養を与えたり、
脱水なら点滴注射で水分補給を、貧血があれば輸血を、
小便が出なければ利尿剤を、血圧が下がれば昇圧剤というような
ことです。
これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして
不安も恐ろしさも寂しさも感じない幸せムードの中で
死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。