花を接写すると、その場ではあまり意識しなかったような個性に気付くことがある。木を見て森を見ず(物事の一部分や細部に気をとられて全体像を見失う)とのことわざに逆らうつもりはないが、わたくしはマクロレンズで撮った画像をディスプレイで拡大しながら一喜一憂する。喜びは花びらやしべでの彩り、美しい造形、そして独特の質感に気付くことであり、憂いは撮り直ししたい部分をしばしば見つけてしまうことである。
ソシンロウバイ(素心蝋梅)の花
開きつつある花(雌花期)。雌しべは中心部で他の花から花粉が運ばれてくるのを待っている。花びら側に開いている、雄しべ(葯)からは、花粉がまだ放出されていない。ここで、写人は自家受粉を避ける仕組みの見事さを再認識させられる。
開花が進むと(雄花期)。
雄しべ(葯)から花粉が放出されている。雌しべは雄しべで囲まれている。花びらは花粉の飛散を防ぐ役割も担っている。
透明感に満ちた花びら。この質感が蝋梅と呼ばれる所以である。
画像を拡大して気付いた場面から。
撮影、桐生川ダムの湖畔にて。レンズ、EF 100 mm (F 2.8L)。
黄色い透明感のあるロウバイの花のマクロ画像は迫力が感じられます。新鮮さも感じられます。
勉強になりました。
画像についてのコメント、ありがとうございます。
この頃は、花を撮るとき、マクロレンズを使う癖が身に付いてしまいました。
ただし、部分的に拡大するような芸術的手法に踏み込むことができそうにありませんので、
花の全体像を想像できる撮り方からは離れたくないと思っています。
画像についてのコメント、ありがとうございます。
ここでは、透明感を含めて質感を写し撮ることにこだわりました。