WRCの悲劇
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Wの悲劇ってありましたね?
1986年、グループBが廃止となることになった、
コルスの事故は、私のところに来られる方は、
ご存知だろうと思います。
スーパーチャージャーとターボチャージャーで武装した
最強のミッドシップ4WDマシン
ランチア・デルタ・S4です。
グループB時代、アウディクワトロ、プジョー205、
ランチアが対抗するために造ったマシン
当時のマシンの0→100mの加速は、
F1マシンより速かったという。
しかも、4WDシステムは今ほど進んでいなくて、
かなりのじゃじゃ馬だったようだ。
そして、懸念されていた事故がコルスで起った。
当時、私も現役で走っていた頃で、結構ショックでした。
しかもドライバーは私より2つ上と言う同年代。
彼の名前は、
HENRI TOIVONEN (FINLAND)
ナビは、
SERGIO CRESTO (USA)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/1e/def970fbc222042a6ad5db2f857aa550.jpg)
実は、私にとって、トイボネンはこのことよりも、
1980年、RACでタルボ・サンビームで優勝。
この時の方が衝撃でした。
彼はWRC初優勝で、ロータスのエンジンを搭載した、
タルボ・サンビームも初優勝でした。
それまで全く知らなかったマシンで、
PD(プレイドライブ)誌の表紙を飾ったのですが、
なんじゃ?ファミリアみたいなこの車は?
と思いました。
しかも、WRCの中でも伝統のあるRACですからね。
しかもしかも、同年代の若手ドライバー!
いきなり出てきた新星でした。
それから82年頃からオペルに移籍。
アスコナやマンタ400で暴れていました。
85年からはランチアに移籍。
ラリー037で暴れていましたが、
この年の最終戦、ランチアは最終平気を投入。
なんと、デルタS4のデビューを優勝で飾った。
自身2度目のRAC制覇でもあった。
翌、86年の開幕戦モンテカルロ、
波に乗るトイボーネンは、ここでも優勝。
RACに続き2連勝。
これは、今年は彼がチャンピオンか?
と、思わせる活躍だった、、、
が、3戦のポルトガルで観客を撒きこむ事故。
起こしたのはフォードRS200だったが、
熱狂的な観客の安全確保ができていないと、
ランチアとプジョーはボイコットした。
そして、問題の事故は、5戦目に起きた。
つづく