ツール・ド・コルス・ヒストリー2

2007-10-18 18:34:37 | RALLY HISTRIC



             WRCの悲劇




      



    Wの悲劇ってありましたね?


    1986年、グループBが廃止となることになった、

    コルスの事故は、私のところに来られる方は、

    ご存知だろうと思います。

    スーパーチャージャーとターボチャージャーで武装した

    最強のミッドシップ4WDマシン

    ランチア・デルタ・S4です。


    グループB時代、アウディクワトロ、プジョー205、

    ランチアが対抗するために造ったマシン

    当時のマシンの0→100mの加速は、

    F1マシンより速かったという。

    しかも、4WDシステムは今ほど進んでいなくて、

    かなりのじゃじゃ馬だったようだ。
    
    そして、懸念されていた事故がコルスで起った。

    当時、私も現役で走っていた頃で、結構ショックでした。

    しかもドライバーは私より2つ上と言う同年代。
   
    彼の名前は、

    HENRI TOIVONEN (FINLAND)

    ナビは、

    SERGIO CRESTO  (USA)

   


      



    実は、私にとって、トイボネンはこのことよりも、

    1980年、RACでタルボ・サンビームで優勝。

    この時の方が衝撃でした。

    彼はWRC初優勝で、ロータスのエンジンを搭載した、

    タルボ・サンビームも初優勝でした。

    それまで全く知らなかったマシンで、

    PD(プレイドライブ)誌の表紙を飾ったのですが、

    なんじゃ?ファミリアみたいなこの車は?

    と思いました。

    しかも、WRCの中でも伝統のあるRACですからね。

    しかもしかも、同年代の若手ドライバー!

    いきなり出てきた新星でした。



    それから82年頃からオペルに移籍。

    アスコナやマンタ400で暴れていました。

    85年からはランチアに移籍。

    ラリー037で暴れていましたが、

    この年の最終戦、ランチアは最終平気を投入。

    なんと、デルタS4のデビューを優勝で飾った。

    自身2度目のRAC制覇でもあった。


    翌、86年の開幕戦モンテカルロ、

    波に乗るトイボーネンは、ここでも優勝。

    RACに続き2連勝。

    これは、今年は彼がチャンピオンか?

    と、思わせる活躍だった、、、

    が、3戦のポルトガルで観客を撒きこむ事故。

    起こしたのはフォードRS200だったが、

    熱狂的な観客の安全確保ができていないと、

    ランチアとプジョーはボイコットした。
   
    そして、問題の事故は、5戦目に起きた。



    つづく