臥龍山荘 蓬莱山 藤雲橋

2024-10-09 17:44:50 | 大洲城 ₂₀₂₂₋₂₄ +臥龍山荘 🆕









引用

陰翳礼讃
いんえいらいさん
谷崎潤一郎


西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く/\尖って、その先が天に冲せんとしているところに美観が存するのだと云う。これに反して、われ/\の国の伽藍では建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇ひさしが作り出す深い廣い蔭の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にたゞよう濃い闇である。時とすると、白昼といえども軒から下には洞穴のような闇が繞っていて戸口も扉も壁も柱も殆ど見えないことすらある。これは知恩院や本願寺のような宏壮な建築でも、草深い田舎の百姓家でも同様であって、昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分とを比べると、少くとも眼で見たところでは、屋根の方が重く、堆く、面積が大きく感ぜられる。左様にわれ/\が住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。もちろん西洋の家屋にも屋根がない訳ではないが、それは日光を遮蔽するよりも雨露をしのぐための方が主であって、蔭はなるべく作らないようにし、少しでも多く内部を明りに曝すようにしていることは、外形を見ても頷かれる。日本の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。しかも鳥打帽子のように出来るだけ鍔つばを小さくし、日光の直射を近々と軒端に受ける。









谷崎先生が 言うところ このことかと








とてもすばらしかった 臥龍院







石積みも すごく楽しかった







正門を出る




ちょっと くたびれたが せっかくなので
蓬莱山にも 行ってみることにした

正門前の 上ってきた坂を 下りて 右へ
橋を渡って 舟を下りた方へ

上り口には 門が あったようだが
ここの 写真が無い


まっすぐ 上らず 川側の 入り江の道を 通る






道は 昔ながらの 道だろうが

臥龍山荘の一貫の整備とはちがうようにみえるが




ココね
🔻




舟から見えたところ









行政の安全策の安全柵だろうか

蓬莱山も 山荘側と 同年収得となっている


ここを 上って行くと



🐉
がりゅ~~






なんかね  居そうな 雰囲気するのよ





山荘側は





下の 橋の所から見て わからなかった 四角い穴



祠のようです







こういう所によくある 話? かも?




山荘側の 岩盤




岩盤に 掘った石段があるようだが

これもまた 撮り損なっている
👊
がんば~んち







👈 不老庵                      臥龍院 👉
                  🔺
                   欄干 擬宝珠



臥龍院から 不老庵への庭園は
歩いていると気づかなかったが
断崖の石垣の上だった



ここに 籐雲橋 が 架けられていた



残っている 欄干の 擬宝珠が 見える

上の写真の🔺





かずら橋 っぽいモノだったのだろうか…




蓬莱山の 頂上 に茶室 与楽亭 があった

その付近から 見た 不老庵








木が伸びたであろうから

以前は 全景がみえたのではなかろうか







蓬莱山からの不老庵


ちょっと くたびれてはいたが
登って来て良かった
最後に 良いのが撮れた

ますます 紅葉シーズンに 来たくなった






蓬莱山を下りて また 山荘前の坂を上る









正門から 奥を 見る







いや~ いいところでした


臥龍山荘は これにて終わりです


明治の雰囲気の残る 街中 行ってみましょ






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