今日の東京新聞【筆洗】の記事は注目である。
昨年8月、福島県で小さな電力会社が設立されたそうだ。
その創業の理念が素晴らしい。
「国際社会の指針となる事業を構築し世界の平和と安定に寄与し続ける」とある。
福島県では、小さな水力発電だけで、県内の使用電気料の3倍倍もの電力がある「電力大国」だそうだ。
要は、東京の電力をまかなうために、原子力発電を誘致してきた歴史がある。
この会津電力の折笠哲也常務の言葉が胸に響く。
「原発事故が起きるまで電力のことなど国に任せっぱなし。ただ使うだけで関心もなかった」
「無論、事故への国や東電の責任はある。でもそれを黙認してきた福島県民の責任もある」
そして、【筆洗】の主(アルジ)は次のように結んでいる」
「エネルギー政策は地方選の争点ではない」と言う閣僚がいる。
だが、福島の人々が自ら問い掛ける選択は、一大消費地・東京の人たちへの問いでもあるはずだ。
ぼくは、「原発は即停止」が良いと考える。
もちろん、「即停止」したら、国民生活の混乱・経済的な打撃をうけることは想像できる。
だが、時代が・原始時代まで戻るわけでもないし、少しぐらい経済が冷えても良いと考えるのがぼくの立場。
グローバル経済・大量生産大量消費は、、無駄が多すぎだ。
少し古いが、解剖学者の養老孟司さんの言葉。(2002年1月8日 朝日新聞)
「人類は、ゴミで滅びる。モノ増やさぬ社会を考えて」
「モノ」を増やさぬということは、
「小さく着きると」ということ。
「簡素」ということ。
ぼくの部屋は・・・・言行不一致。(冷や汗)