法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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毎田周一師の言葉

2015年01月17日 22時58分36秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉をお届けします。

 如  来(にょらい)

仏教には如来という言葉があるので
私は嬉(うれ)しくなる
それなら如来とはどういうことか
お委(まか)せします ということだ

この世のことが一指(いっし)も触れないで
そのまま絶対だということだ
これは深い自覚のこと だから 
自覚者のことをそういうのだ

そして如来とは信(しん)の表現だ
信ずるものの直覚だ
この世の一切(いっさい)を如来と見て
その人は救われた人といわれるのだ

如来 如去(にょらい) 一切は無常だ
淡々(たんたん)として浅瀬(あさせ)を水が流れるように
浅いといえば余りにも浅い だが
深いといえば余りにも深い
                            
(毎田周一)

ボクの知り合いのご住職のお一人は、
「南無阿弥陀仏」の後に、「お委せします」と唱名しています。

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