毎田周一師の言葉をお届けします。
如 来(にょらい)
仏教には如来という言葉があるので
私は嬉(うれ)しくなる
それなら如来とはどういうことか
お委(まか)せします ということだ
この世のことが一指(いっし)も触れないで
そのまま絶対だということだ
これは深い自覚のこと だから
自覚者のことをそういうのだ
そして如来とは信(しん)の表現だ
信ずるものの直覚だ
この世の一切(いっさい)を如来と見て
その人は救われた人といわれるのだ
如来 如去(にょらい) 一切は無常だ
淡々(たんたん)として浅瀬(あさせ)を水が流れるように
浅いといえば余りにも浅い だが
深いといえば余りにも深い
(毎田周一)
ボクの知り合いのご住職のお一人は、
「南無阿弥陀仏」の後に、「お委せします」と唱名しています。