先日、あるお寺の81歳になる前坊守さんからお誘いがあり、
96歳になる青沼さんというお方の『浄土和讃』のお話を伺いました。
青沼さん、お若い頃、中国戦線に出征。
徐州で、敵味方・民間人の死体が、ゴロゴロ転がっているような地獄を体験した由。
復員後すぐに、職場の先輩に連れられてある聞法会に出かけたそうです。
個人のお宅での聞法会。
一人の老人が、小さなサイズの厚い本をひらいてお話をしてくれました。
老人の口からこぼれる言葉が沼さんの身に染みました。
沼さん、老人が手にしている本が欲しくなりました。
法蔵館の『真宗聖典』です。
ようやく、『聖典』を手に入れた沼さん、
96歳の現在まで、『聖典』がボロボロになるまで精読を重ねて胃います。
「現在の『聖典』は、三冊目ですよ」と笑っていました。
青沼さん。
現在まで、大学の先生のお話やお坊様のお話は聞いたことがない。
ただただ、『聖典』が友だちだそうです。
「『聖典』一冊あれば、他は何も要りません。他の本は不要です」
と語っていました。
『蓮如上人御一代記聞書』には次の一文があります。
一 法敬坊、九十まで存命そうろう。「このとしまで聴聞もうしそうらえども、
これまでと存知たることなし。あきたりもなきことなり」と、もうされそうろう。
青沼さんは、法敬坊より年長です。
青沼さんに法敬坊を重ねて、
仏法の学び方を教えていただきました。
南無阿弥陀仏