里村専精師「浄土真宗にようこそ」No57をお届けします。
仏教がどこから始まったかということは、実は大問題なのですが…。
釈尊から始まったというなら、テストでは合格でしょうが…。
そういう釈尊を生み出した精神の背景は、一体どういうものなのでしょうか。
曽我量深という先生は、仏教精神の背景を遥か雄大なものとして語られました。
親鸞が見つめていた仏教は、学校で教えるような歴史では語れないものだというのです。
いわば大乗仏教が見つめていた精神世界というものは、ブッダ釈尊を生産するものでした。
ブッダを生産するような、そういう人類的な背景が仏教の真実だというのです。
古代インドにブッダが生まれて、人々はたちまちにブッダを受け入れました。
それまでは意識としては実際に知られていなかった人格です。
なのに人々はブッダを、まさにブッダとして承認できたのです。
こういうところに、ブッダ一人ではなくてインドの精神をあげて確保した仏道があります。
仏教は、民衆の存在根底からわき上がったものなのですが、
同時に民衆も一緒にそれを確認していたのです。
仏教は釈尊に始まったのですが、釈尊からではなくて、釈尊を含めたインドの精神背景から生まれていたのです。
それはやがてインドだけではなく、広く中国や日本の精神に響きます。
生きている人間の、その存在の動機を尋ねて、人間精神の真実が開かれたのです。
そして一人のブッダが誕生したのですが、誕生されたブッダは根源的な生存の真実を語りました。
そして同じようにして、多くの生命がブッダ同様に輝いていったのです。
大乗の経典も、そういう精神の共同体が生み出したものです。
いわばサンガとその歴史が、経典を生み出しました。
ブッダがなされる事業を、サンガは歴史の中に継承しました。
ブッダ同等の精神が、澎湃として仏道を語ったのです。
仏教には、一人ブッダからはじまったのではなくて、ブッダを生む精神背景があるというのです。
それは時代にそって学ばれながら、かえってブッダより古い精神背景に遡ります。
大乗の時代に語られる諸仏とその世界は、釈尊を生み出す背景になった壮大なサンガなのだと言えます。
この意味で、仏教は古代インドを突き抜けた壮大な人間の精神・思想の背景から生まれたと言えるのです。
それはそのまま、全世界の人間存在の課題に答えるものなのでした。
釋真聴は、(よりあい)(かたりあい)(うたいあい)を大事にしています。
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