先日、生家のある稲取帰って古い書棚の整理をしました。
何冊か古本として処分しましたが、
芹沢光治良と森有正の本は、処分しないでおきました。
若い方には、ご存知ないお名前になってしまったようですね。
でも、ぜひ、若い方にも読んでもらいたい人です。
稲取から帰りまして、区立図書館で、森有正の作品を借りて読んでいます。
今日のブログは、森有正著『生きることと考えること』講談社現代新書からの引文になります。
私のばあいは、すべてそうです、大体偶然なことではいってきて、それが私の中で必然的な姿をとり始める。これが、ほとんどすべての私の勉強のばあい、例外のない過程です。そういう経過をたどって、すべてのものが私の中で必然的になってくるわけです。(本書p43)
森さんは、生活のために東洋語学校やパリ大学で教えるようになりました。
生活のためでした。
ところが、方便のために日本語を教えることを超えて、もっと本質的・積極的な意味をもったそうです。
最初から、人生の目標を明確にしてして一直線でそれに向かっていく人もあります。一方、偶然的なことから必然が生じる人もいます。
どちらにしても、仏教は、縁起ということなるのでしょうが、私みたいなだらだら生活の者には、森有正の言葉は元気がもらえます。