尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『貴族の階段』、原作と映画ー武田泰淳を読む①

2022年11月23日 21時45分34秒 | 本 (日本文学)
 最近、武田泰淳(たけだ・たいじゅん、1912~1976)をずっと読んでいる。誰だと言われるかもしれない。「戦後派」の代表的な作家の一人である。昔いろいろと読んで好きな作家だった。でも読み残しが結構ある。もう半世紀近く前に亡くなっていて、今年は生誕110年になる。今どき武田泰淳を読んでいる人がいるのかと思ったりするが、最近中公文庫で『司馬遷』『貴族の階段』が続けて刊行された。だから多分武田泰淳を読もうという人は今もいるんだろう。まず『貴族の階段』から。

 『貴族の階段』は1959年に「中央公論」に連載され、同年に刊行された。同じ年に大映(吉村公三郎監督)で映画化されている。新潮文庫、岩波現代文庫に入っていたが、読んでなかった。中公文庫では奥泉光が解説を書いている。それは奥泉光『雪の階』(ゆきのきざはし)が『貴族の階段』にインスパイアされて書かれた続編的な作品だからである。僕はその『雪の階』も持っているけど、先に『貴族の階段』を読んでおきたいと思って、まだ手を付けていない。

 物語は西の丸公爵家の階段から始まる。西の丸家は「天皇に最も近い」という家柄で、西の丸秀彦森雅之)は貴族院議長を務めている。そこには政界お歴々が日々訪れて密談を行う。今日も陸軍大臣の猛田大将滝沢修)が来ていたが、帰りがけに西の丸家の急な階段から転げ落ちる。この密談は娘の西の丸氷見子金田一敦子)が裏で秘かに聞き取って書き残している。小説はこの氷見子の一人語りで描かれている。カッコ内で示したのは映画のキャスト。名優森雅之は高貴な家柄にして「色悪」な役に相応しい。金田一敦子は金田一家(岩手の財閥、言語学者金田一京助の親戚)の出で、当時若手女優として期待されたが早く引退した。田中絹代監督『流転の王妃』で「満州国」皇帝溥儀の皇后婉容を演じている。
(映画『貴族の階段』)
 時代は陸軍青年将校のクーデタ直前。つまり「二・二六事件」だから1935~36年。西の丸家では老公爵志村喬)は沼津の別荘に籠もっているが、折に触れ天皇の相談役となり首相を推薦している。昔から「リベラリスト」と言われ、軍の増長を嫌っている。一方、息子の秀彦は軍に近いような遠いような位置にいて、次期首相の有力候補と言われている。しかし、秀彦の長男義人本郷功次郞)は軍人を目指し、反乱軍勢力に同調している。このような「政治」を巡る男たちの世界とは別に、氷見子は女たちのネットワーク世界も書き留めていく。面白いのはそっちの方である。

 氷見子ら女子修学院に通う上流階級の女子たちは「さくら会」という集まりを持っている。風雅な趣味の会ながら、様々な裏話も飛び交う。政治の行く末は将来の婿候補たちの浮沈に関わるのである。猛田大将の娘節子叶順子)も同級で、美女の節子は氷見子を姉のように慕っている。ある日、女子修学院では近衛師団の見学会があり、銃弾発射訓練も行われる。それを前にして節子は失神してしまう。実は兄の義人は節子を愛して、求愛の手紙を送ったのだが、節子はなかなか返事も寄こさない。実は彼女には秘密があったのである。一方、父の密談筆記で反乱が近いことを知った氷見子は、兄も参加するのではないかと心配している。
(映画『貴族の階段』)
 そして、ついに「その日」がやって来て、西の丸家も攻撃を受ける。そして「大人」は生き延びるが、若者たちは大きな悲劇に見舞われる。昭和裏面史をテーマにした小説は山のようにあるが、『貴族の階段』のように上層華族を主人公にした小説は珍しい。映画を前に見ていて、筋は大体覚えていた。原作を読んでみると、ほぼ原作通りだった。そんなに複雑な筋ではないけれど、流れるように進行するストーリーは良くまとまっている。脚本は当然新藤兼人でさすがだなと思う。間野重雄の美術が素晴らしい。大映で『白い巨塔』『盲獣』などを担当し、その後増村保造『大地の子守歌』『曽根崎心中』などもやっている。キネマ旬報ベストテン19位。まあ、そんなに凄い映画でもないけれど、当時の映画の実力が判る出来映えだ。
(武田泰淳)
 『貴族の階段』は昭和政治史的な観点から言えば、ちょっと無理な筋立てである。西の丸秀彦はどう見ても近衛文麿で、老公は明らかに西園寺公望。二人が家族なら、父は我が子を「大命降下」(天皇から首相候補として指名されること)に推薦することになる。また公爵家の長男(跡継ぎ)が陸軍反乱に加わるというのも想定出来ないと思う。しかし、全てを一家に集約したことで男たちのドラマが完結し、その裏にあった「女たちのドラマ」を際だてることになる。この頃武田泰淳は『政治家の文章』(岩波新書)を書いている。「政治」と真っ正面から取り組もうとしていたのだろう。

 氷見子が通う学校はもちろん「女子学習院」になる。ウィキペディアを見ると、1989年には平民の女子も入学を許されたと出ている。だから猛田節子が通っていてもおかしくはない。猛田大将は若手に近く、反乱後の首相とも言われる。教育にも口を出しているという設定は、荒木貞夫を思わせる。荒木は1935年に男爵になっているから、「二・二六」当時は華族だった。「女子のつながり」というテーマは非常に面白い。まあどの程度現実を反映しているかは、僕にはよく判らないけど。「代表作」とか「第一級の悲劇」とまでは思わなかったが、まずは面白く読めた。(作者の武田泰淳については次回以後に。)
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『キャプテンサンダーボルト』(阿部和重・伊坂幸太郎)が面白すぎる

2022年10月17日 20時55分09秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重伊坂幸太郎が共作した『キャプテンサンダーボルト』(新潮文庫)がムチャクチャ面白かった。阿部和重は芥川賞作家だが、長いこと読んでなかった。2020年秋に連続読書したけど、この本を読む前に疲れてしまった。伊坂幸太郎はずっと読んでいたんだけど、『ゴールデンスランバー』(2007)を堪能したところで飽きてしまった。だから10年以上読んでなかったんだけど、最近『マリアビートル』を久しぶりに読んだのは、ハリウッドで映画化というビックリニュースがあったから。そしてまさに手元に『キャプテンサンダーボルト』があったので、この機会に読もうと思ったのである。

 正直共作なんて信用してなかった。面白くないに決まってると思い込んでいた。対談が最後に付いてるけど、それを読むとホントの共作である。一章ごとに書き分けたとか、役割分担したとかではなく、お互いに全編を書き直し合って書かれたらしいのである。企画はもっと前からあったらしいが、文藝春秋から書下ろしで2014年11月に出版され、2017年に文春文庫に入った。それが2020年に新潮文庫NEXとして再刊され、ボーナストラック、特別対談に加えて、さらに書下ろし短編もある、686頁もある大長編。
(阿部和重)
 阿部和重は山形県東根市、伊坂幸太郎は宮城県仙台市の出身で、多くの作品の舞台にもなっているのは、読者なら周知のことである。(だから映画『ブレット・トレイン』も、東北新幹線のままだったら良かったのに。)ということで、東日本大震災の後に書かれた本がパンデミックさなかに再刊され、ウクライナ戦争中に読むことになった。それがことさら意味あることに感じられたが、内容的にはひたすら読み進んでしまうジェットコースター本で、しかも相当揺れるしトンデモ展開の連続である。でも間違いなく面白い。こんな面白い本がそんなに知られてないのは残念。
(伊坂幸太郎)
 ミステリーだと最初に登場人物一覧がある。でも、この本は登場人物紹介がイラスト付き。さらにまず「井ノ原悠」「相葉時之」っていう名前である。それに桃沢瞳なる謎の美女が出て来て、「村上病」を調べている。この冗談みたいな命名はさらに続き、相葉が連れている犬が「ポンセ」って言うのである。井ノ原、相葉は説明不要だと思うけど、ポンセは元横浜大洋ホエールズ所属の外野手である。阪神のバースと同時代で賞に恵まれなかったが、それでもホームラン、打点でリーグ1位になった年がある。(当然ながら2022年にノーヒットノーランを達成した日本ハムの投手ポンセではない。)

 「村上病」は明らかに村上春樹である。対談で阿部和重は「村上春樹は僕らの世代の作家にとって、上空を遮っているUFOのような存在」と述べているぐらい。特に『1Q84』(2009、2010)の直後の作品だけに、「村上春樹に立ち向かう」意識が強い。ちなみに「村上病」というのは、致死率70%の恐怖の細菌感染症で、第二次大戦後の日本で発生した。その後、ワクチンが開発され、ほぼ全国民が接種して現在は収まっているものの、謎の奇病として恐れられている。その病原菌は「蔵王山のお釜」(火口湖)にのみ存在し、お釜周辺は厳重な立ち入り禁止区域になって数十年。
(蔵王の「お釜」)
 井ノ原、相葉は子ども時代に山形県で少年野球チームに入っていた。しかし、それから20年近く、マジメな井ノ原も、いい加減な相葉も、ともに借金数千万円を抱える身。ひょんなことから、謎のテロリストと対決することになるのも、要するにお金が欲しかったからである。この小説では野球が大きな役割を果たしている。時期的に東北人には忘れられないだろう、東北楽天ゴールデンイーグルス田中将大投手が快進撃を続け、ついに24勝0敗の勝率10割で優勝、日本シリーズも制した、あの2013年が舞台になっている。作中にもこの話題はいっぱい出て来る。

 もう一つ、二人には共通点があった。昔テレビでやってた「鳴神(めいじん)戦隊サンダーボルト」の大ファンだったのである。このヒーローものは、かつて映画化されたものの、突然公開中止になってしまった過去がある。蔵王でロケされたということで、地元の二人は大いに期待してたのに…。何でも主演俳優のスキャンダルというんだけど。仙台の映画館主に大ファンがいて、何故かお蔵入り映画のビデオを持ってて…。一方で桃沢瞳は東京大空襲の日に蔵王で墜落したB29がいるという秘話を突き止める。

 「村上病」を調べる彼女の真意はどこに? 謎が謎を呼び、恐るべき銀髪外国人が追ってくる一方、突然相葉が拘束され「村上病患者発生」と報道される。基本、ミステリー的な冒険小説だから、ネタバレ的なことはこれ以上書けない。パンデミックを経て、病原菌やワクチンに詳しくなった我々には、このような「謎の病気」を恐れる社会が判る。「テロ」や「怪しげな組織」も、この小説以後ずっと詳しくなった。全く先見の明的な小説なのである。そして、すべての謎は蔵王のお釜にあった!
(オーストラリアの義賊キャプテンサンダーボルト)
 壮大なエンタメ小説だが、小説内の様々なアイディアが今になって妙にリアルな感じがする。第二次大戦中の秘話が今の世界に続くというのも、大江健三郎、村上春樹の小説世界を受け継ぐ構造である。阿部和重も伊坂幸太郎も、いささかやり過ぎ的な部分が多い作家で、読んでて疲れるときがある。しかし、この共作ではお互いに打ち消し合って、ジョークも効いてて面白い。ちなみに、「サンダーボルト」にはいろいろあるみたいだが、作中にはマイケル・チミノ監督、クリント・イーストウッド主演の『サンダーボルト』(1974)が出て来る。また19世紀オーストラリアの義賊にキャプテン・サーダーボルトと名乗った人物がいるという。検索したらホントにいた人で、上記のような写真が出て来た。とにかく圧倒的に面白かった。
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『宝島』と『熱源』、日本列島の南と北を描く直木賞受賞作

2022年08月14日 20時49分25秒 | 本 (日本文学)
 近年の芥川賞、直木賞受賞作を文庫になったら読もうと買ってあって、大分溜まったのでまとめ読みした。芥川賞作品では上田岳弘ニムロッド』(講談社文庫)、町屋良平1R1分34秒』(新潮文庫)、今村夏子むらさきのスカートの女』(朝日文庫)の3作。どれも面白かった。今村夏子はやはりこれが一番の傑作だと思う。町屋作品のRは「ラウンド」で、ボクシングの話。上田作品の「ニムロッド」も不思議な題だが、荷室という登場人物に由来する。IT会社で働く「ニシモト・サトシ」という、よりによってビットコインの仕組みを考えた「サトシ・ナカモト」と同名人物の物語だけど、とても面白かった。

 直木賞では門井慶喜銀河鉄道の父』(講談社文庫)、真藤順丈宝島』(講談社文庫)、川越宗一熱源』(文春文庫)。どれも長いので文庫化を待っていたが、文庫でも分厚い。この間、島本理生ファースト・ラブ』、馳星周少年と犬』、佐藤究テスカトリポカ』、米澤穂信黒牢城』はハードカバーで買って読んでいる。『銀河鉄道の父』は宮沢賢治の父親の話で、読みやすくて面白かった。しかし、ここでは『宝島』と『熱源』に絞って書いておきたい。

 真藤順丈(しんどう・じゅんじょう、1977~)の『宝島』は2018年に刊行されて、2019年1月に第160回直木賞を受けた。刊行当時から破格のスケールの面白さと評判になったのは知っているが、何しろ「破格」の長大さなので敬遠していた。文庫本では上巻が448頁、下巻が256頁もある。上巻と下巻でずいぶん厚さが違うが、これは全3部構成のうち上巻に1部、2部を収録しているためである。普通なら2部の真ん中で分けるもんだけど、何故か文庫化にあたって上下巻の厚さの違いを気にしなかった。
(『宝島』上巻)
 内容的には1945年から1972年の沖縄、つまり沖縄戦から米軍占領、本土返還までのいわゆる「アメリカ世の沖縄」が舞台になっている。この前書いた「「〈アメリカ世〉の沖縄」を読むー「復帰50年」の前にあったこと」で取り上げた岩波新書を「正史」とするならば、こちらは壮大でファンタジックな冒険に満ちた「稗史」(はいし=公認されない歴史。民間の歴史書。転じて、作り物語)というべきだろう。米軍統治初期の沖縄は困窮を極めていたため、米軍基地から物資を盗み出す「戦果アギヤー」(戦果をあげるもの)と呼ばれた窃盗団が横行したという。この小説はその史実に想を得た壮大な戦後沖縄民衆史である。

 中でも「オンちゃん」は住民のために薬を配布し、学校建設用の物資を提供するなどして、英雄と言われていた。親友のグスク、弟のレイ、恋人ヤマコと孤児4人組で活動していたが、今まで襲撃対象にしなかった嘉手納基地を他のグループと共同で襲った夜にオンちゃんは消息を絶った。基地を脱出できたのか、それとも米軍に撃たれて死んだのか。死んだら死んだで死体があるはずだが、全く情報がつかめない。その夜オンちゃんに何があったのか。この長大な小説を最後まで読むと謎は解明されるが、そのためには読む者も沖縄の苦難の歴史を追体験しなければならない。
(真藤順丈)
 オンちゃんがいなくなっても、人は生きていかなくてはならない。そしてオンちゃんを探すために、グスクは警官となりレイはヤクザとなった。そのことで戦後沖縄史の語られざる秘史を両方の側から読むことになる。一方ヤマコは小学校の教師となり、宮森小の米軍機墜落事故を体験する。そこからヤマコは教職員会の活動に参加し復帰運動の闘士となっていく。そんな中で強硬派として知られるキャラウェイが高等弁務官として赴任し、3人の運命は翻弄されていく。オンちゃんがいない中、グスクとレイはヤマコに恋い焦がれる。その恋の行方とともに、ウタと呼ばれる孤児の哀切な運命はどうなるのか。弾圧された瀬長亀次郎はもちろん、ヤクザ世界に生きる「那覇派」の又吉世喜も実在人物。長いけれど『宝島』は非常に面白かった。

 川越宗一(かわごえ・そういち、1978~)の『熱源』は2019年に刊行され、2020年1月に第162回直木賞を受賞した。沖縄を描いた『宝島』に対し、『熱源』は樺太北海道を舞台にしている。また戦後史を描く『宝島』に対し、『熱源』は明治初期から第二次大戦でソ連軍が南樺太に侵攻するまでを描く。地理的にも時代的にも好対照だが、「日本」を南北から相対化する視点が共通している。冒頭は北海道の対雁(ついしかり、現在の江別市)に始まる。アイヌ民族のヤヨマネクフシシラトカ、和人の父とアイヌの母の間に生まれた千徳太郎治の3人が登場して始まる。彼らは樺太生まれなのだが、1875年の樺太千島交換条約後に北海道に移住してきたのである。読後に調べて驚いたのだが、この3人は実在人物である。
(『熱源』』
 一方、次の章ではロシアの革命運動の話になって、ポーランド人の学生プロニスワフ・ピウスツキが国事犯としてサハリンに流刑される。厳しい生活を生き抜いて、ピウスツキはサハリンの原住民であるニヴフ(ギリヤーク)やアイヌと交流するようになり、民族学者として知られるようになっていく。そしてアイヌ女性と結ばれて子どもも生まれるが、今度は日露戦争と南樺太の日本譲渡で運命が変転する。ピウスツキの弟ユゼフ・ピウスツキもポーランド独立運動家になり、第一次大戦後にポーランドが独立したときに初代大統領となった。この二人はある程度知られた史実なので、僕も知っていた。しかし、流刑や樺太アイヌの生活の具体的な様子はよく知らなかったから、興味深かった。
(川越宗一)
 ヤヨマネクフとシシラトカの二人は、その後山辺安之介、花守信吉という日本名を名乗って、樺太犬の世話係として白瀬矗(のぶ)の南極探検隊(1911年)に参加した。その事は知らなかったので、調べたら二人が実在人物だったのを知って驚いたのである。その事業を大隈重信元首相が後援したが、日本に支援を求めてやってきたユゼフ・ピウスツキも大隈に会っている。このように不思議な縁で結ばれた人々を描くのだが、基本的には史実に忠実に書かれている。最後に出てくる日本軍特務の源田は、シベリア抑留を経て北海道にウィルタ(オロッコ)民族の資料館(ジャッカ・ドフニ)を築いたゲンダーヌである。

 なお、プロニスワフ・ピウスツキの死因だが、1918年にパリのセーヌ川で投身自殺したとウィキペディアに出ている。彼が残した樺太アイヌの言語、音楽などの蝋管録音は非常に貴重なもので、今も研究が続けられている。『熱源』は北海道や樺太から南極まで出て来て読むと猛暑の夏に涼しくなれるかも。一方、かえって暑いときは暑いところを読みたいという人は、沖縄だからというだけでなく、人々の熱気がたぎっている『宝島』が良い。ほぼ同年代の作家の超大作、なかなか映像化も難しいだろう。どっちも長いけれど、直木賞作品なんだから面白いことは請け合い。
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滝口悠生『高架線』、語り口絶妙の「西武線小説」

2022年08月12日 22時47分45秒 | 本 (日本文学)
 滝口悠生高架線』(講談社文庫)が素晴らしく面白かった。2017年に刊行された長編小説だが、非常に不思議な設定と語り口が一読忘れられない。滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう、1982~)は2016年に『死んでいない者』で芥川賞を受賞した若手作家である。その受賞作が非常に面白かったので、他の作品も読んで「滝口悠生の小説を読む」(2019.11.9)を以前書いたことがある。他の作品とはその当時文庫化されていた『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』と『愛と人生』である。後者の作品はなんと「男はつらいよ」の純文学という実に不思議な本だった。

 今度読んだ『高架線』は、帯の言葉を引用すると「西武池袋線東長崎から徒歩五分」「風呂トイレつき、家賃三万円」「部屋を出るときは、次の入居者を探すのがルールの古アパート」である『「かたばみ荘」二号室の十人をめぐる一六年の物語』である。東長崎はもちろん実在する駅で、西武池袋線で池袋から椎名町に続く2駅目。ここまでが豊島区で、次の江古田から練馬区になる。東長崎があるなら西もあるかというと、それは長崎県の長崎である。混同しないように駅名に東を付けた。多磨地区にある東久留米と同じである。もともとこの地域を長崎と言うが、鎌倉時代に長崎氏の領地だったからだという。
(東長崎駅南口)
 この小説は2001年から始まっている。21世紀の話だ。ボロとはいえ、23区内、それも繁華街の池袋に近いアパートが3万円とは異常に安い。しかも、不動産屋を通すことなく、住人が次の住人を探す方式で入居者が決まる。だから敷金礼金もなし。いくら何でもおかしくないか。このボロアパートの2号室の住人ばかりを描く小説である。この「部屋小説」という意味では長嶋有三の隣は五号室』を思い出した。しかし、『高架線』はその題名で判るように、西武池袋線沿線をめぐる物語という言い方も出来る。

 昨日朝倉摂展を見に練馬区立美術館に行ったが、最寄り駅の中村橋は高架になっている。桜台から石神井公園までが高架になっているという。江古田までは地上を走っていて、だから東長崎は高架じゃない。だけど、語り手の一人が所沢出身なのである。西武鉄道新宿線池袋線があるが(他にもあるけど、東京中心部に向かう主要線はこの2つ)、池袋線はその先に所沢(西武球場がある)、さらに飯能があり、秩父まで通じている。滝口悠生は埼玉県入間市で育ち、所沢高校を卒業しているから、西武線に乗って高架線から東京の風景を見る描写は自分の経験でもあるだろう。
(滝口悠生)
 冒頭が「新井田千一です」と始まる。名前の読みは「あらいだ・せんいち」。普通はこんな始まりはしないだろう。「新井田千一は…」と始まったり、一人称で「私(僕、俺など)は…」と語ることはある。この本の始まり方は読者に直接語っているドキュメンタリー映画みたいだ。実はこの語り方が最後まで続くのである。語り手は変わる。七見歩、七見奈緒子、峠茶太郎、木下目見(まみ)、日暮純一、日暮皆美と都合7人が語っている。その語りが非常に面白くて、ついこっちも引きずられて読んでしまうけど、ここには重大な問題が潜んでいる。新井田に次ぐ21世紀2番目の住人「片川三郎」が抜けているのである。

 「片川三郎です」がないだけじゃなく、何と彼は失踪してしまうのである。住人が所在不明になれば大家が困る。普通と違ってかたばみ荘では住人どうしで居住者を決めるならわしである。黙って消えれば、後が見つからないのである。そこで大家が新井田に連絡する。その片川の幼なじみが七見歩である。奈緒子はパートナー。その後の「峠茶太郎」というのはふざけた名前だが、もちろん本名ではない。芸名なんかでもなく、理由あって仮名にしている。その理由が興味深く、つい引き込まれてしまう。で、結局片川三郎は見つかるのか。そのミステリーという一面もある。そこで日本の現実とぶつかることになる。

 一方峠茶太郎の人生はまさに「昭和シネマ」。『愛と人生』は「男はつらいよ」だったが、『高架線』は「蒲田行進曲」である。つかこうへい原作、深作欣二監督の傑作だが、これが出てくるのは、西武池袋沿線に大泉学園駅があるからかもしれない。東映東京撮影所がある町である。まあ「蒲田行進曲」は松竹・角川の映画だが、内容は東映京都撮影所の話である。京都と東京では違うけど、池袋線沿線小説には東映映画の話が似合っている。とにかく登場人物の語り口に乗せられながら、ラスト近くになると、小説の仕掛けも全部判って、東長崎界隈が懐かしく思えるようになってくる。

 何で東長崎なんだろうか。僕が想像するには「トキワ荘」があるからかもしれない。まあ作者個人の思い出があるのかもしれないが、長崎近辺で一番知られた文化施設は再建された「トキワ荘」である。また小説中に東日本大震災が出て来る。時代的に21世紀の東京を編年的に語るなら、出てくるのは当然だけど。それが人々の人生を微妙に変えていくのである。いろんな要素が詰まって不思議な感じの小説だけど、面白くて読みやすい。東京小説の中でも余り出てこない地域を絶妙に語っている。
(カタバミの花)
 なお「かたばみ荘」のかたばみっていうのは植物の名前。ウィキペディアを見たら、世界中にあって、日本でも長宗我部氏や酒井氏の家紋に使われているという。田中角栄の家紋も「剣方喰」(けんかたばみ)なんだという。クローバーに葉が似ていて間違う人が多いとも出ている。「ももいろクローバーZ」のロゴも間違ってカタバミになっていると書いてあった。
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中野慶『岩波書店取材日記』を読むー「戦後の理想」はどう移り変わったか

2022年06月12日 22時31分49秒 | 本 (日本文学)
 中野慶岩波書店取材日記』(かもがわ出版)という本の紹介。東京新聞(2月26日)に紹介されていたが、知らない人が多いだろう。実はその前に著者本人から贈って頂いていたのだが、読むのが遅れてしまった。5月末に読んだが、なかなか感想が書きにくい本だ。「リアルすぎるユーモア小説です」と帯にある。しかし、そのユーモアに付いて行くにも、ある程度の知的素養が要りそうだ。何しろ「岩波書店」と明記して、その内部の様々な出来事を書いている本なのである。著者は中野慶名義だけど、以前書いた「大塚茂樹「原爆にも部落差別にも負けなかった人びと」を読む」と同じ人である。
(『岩波書店訪問日記』)
 題名に反して、なかなか岩波書店を訪れない。プロローグが38頁もあるのである。そこでは大学を卒業して、「中小企業家をサポートする」コンサルタント会社「GKⅢ」に勤めることになった芳岡美春という女性の事情が語られる。この芳岡という若い女性は鳥取出身で、歴史好きの父親が突然事故で亡くなる。その後、父からかつて教えられた川崎市高津区にある円筒分水を訪れる。それは何だろう? 実は聞いたこともなかったのだが、国の登録文化財になっている。調べてみると日本各地にあって、サイフォンの原理を利用して農業用水を必要な村に分配する仕組みだった。これが本書のテーマと絡んでいると後で思い当たった。
(川崎の円筒分水)
 岩波書店は1913年に岩波茂雄が開いた古書店に始まり、1914年に夏目漱石こゝろ』を刊行して出版業に進出した。その後、1927年に岩波文庫、1938年に岩波新書の刊行が始まり、日本の知的世界の牽引者となった。この年数はウィキペディアで見たが、そこには従業員数も出ていて、200名とある。他の会社を見てみたら、講談社は920名、小学館は692名、集英社は760名とあった。新潮社や文藝春秋は300人台で、岩波はずいぶん少ないんだなと思った。

 一番知られた国語辞書の『広辞苑』や児童書(リンドグレーンの本やエンデの『モモ』など)もあるから、何か岩波の本を持ってる人は多いだろう。でも、日々減り続ける町の本屋では、岩波新書や岩波文庫をあまり見ない。岩波書店の本は「買い取り制」だからである。多くの出版社の本は取次会社を通した「委託・返品」で、基本的には本屋は展示場と同じである。町の小書店では売れない場合に返品できない岩波の本を扱わない(扱えない)ところが多い。僕は時々大型書店に寄って、各文庫、新書をチェックしているが、そうでもしないと岩波新書新刊を見ないで終わってしまう。(実際に手に取らずにネットで買うことは原則としてしない。)
(岩波書店)
 さて、先の芳岡美春という女性は、何故かその後岩波書店に何回か通って「研修」することになる。なんだかこの辺の成り行きが今ひとつ判らなかったのだが、最後になってやはり事情があったと判明する。その「研修」には上司の国友、先輩である直島尚美(「皇室ファン」を自認し、折々暴走するこの人物が絶品で爆笑)が同行するときもある。岩波書店では専務や「卓越編集者」、「組合のエース」らと会ってゆくのだが、そこで見たのはイマドキ珍しい労使関係だった。毎月「経営協議会」が開かれ、経営方針や人事を組合側に報告して同意を得るのである。

 再び帯を引用すると「吉野源三郎の志を受け継ぎ、理想職場をめざした人々の葛藤と」である。「平等」をめざし、学歴などにとらわれない賃金体系を取ることで、労働時間や各職場の特性を考慮しない弊害も生む。良書を作ろうと深夜まで働いても残業代が出なかった。しかし、それをきちんとするために労働時間の縛りがきつくなることを嫌がって改革が遅れたという。これは学校の働き方の弊害の議論と共通性がある。出版不況の中で、90年代には年間700点も刊行されたため、労働時間の超過が激しくなった。今は残業代も支払われるようになったが、反面で勤務時間の管理も厳しくなったという。

 学校でももともと「教員の人材確保法」だったはずの「給特法」が、「定額働かせ放題」と言われるようになった。昔は行事や生徒指導で遅くまで残ったとしても、その代わり勤務時間の縛りも緩かった。部活動は大変には違いないが、若い教員が毎年のように新規採用されていたので、何とか回っていたのである。教員労働のあり方が変えられてしまうと同時に、新採教員が少なくなり現場の負担が増大してしまう。岩波の話なんだけど、結局自分は学校の問題としてしか語れないなあと思った。
(中野慶氏)
 「理想の職場」の戦後史とともに、登場人物のあれこれがユーモラスに語られる。国友の自宅を訪れて魚料理をする場面など実に美味そう。そこをもっと大きく取り上げた本も期待したいところ。この本でも女性二人の造形が見事で、面白く読むことが出来る。しかし、ベースは岩波書店を通した「戦後の理想の変遷(崩壊?)過程の考察」だろう。実に多くの人名が登場し、若い人には何の感慨も生まない名前もあるだろう。(戸村一作はその一例。)その知の饗宴のごとき人名の中に、自分のこだわりと関わる人が出て来るかで、この本の印象も変わると思う。僕は128頁で斎藤茂男氏に触れられ、次の頁に本田路津子一人の手」が出て来たところで、いろいろと思い出してしまった。

 最近本田路津子(読み方が判らない人がいると思うけど、「るつこ」である)の「秋でもないのに」を急に口ずさんでいた。連休後に暑くなったり寒くなったり…。秋でもないのに寂しいのは今頃かとハタと気付いたのである。斎藤茂男さんは共同通信の記者として50年代の冤罪「菅生事件」の真犯人(共産党員が起こしたとされた爆弾事件の犯人は実は警察官だった!)を見つけた人だが、後に多くの労働現場のルポを書いた。他にも様々な分野に関心を持っていた人なので、1997年に「らい予防法廃止一周年記念集会」というのを開いた時に、僕が連絡してシンポジウムのメンバーとして出て貰った。

 そういうことを熟々(つらつら)思い出して読んだのだが、前に書いたことがあるが僕の高校時代の卒業記念品は「岩波新書の一冊」だった。担任団の教員が一冊ずつ選び、生徒会が早乙女勝元東京第空襲」を加えて、9冊の中から一つ選ぶ。岩波新書が「知の標準」としてまだ生きていたのである。その後、70年代後半には「韓国からの通信」を読むために岩波の雑誌「世界」を毎号買っていた時代がある。見田宗介さんの本もずいぶん岩波で読んだ(『宮沢賢治』『時間の比較社会学』などの他、著作集が岩波)。

 「岩波教養主義」と批判的に呼ばれたものを語りたい気もあるが、今はいいだろう。僕は岩波書店の本をずいぶん読んできたが、その会社の内実など何も知らないし、気にしたこともなかった。「ユーモア小説」と言うんだから、気楽に読めばいいとも思うけど、そう気楽にもなれないのがやはり「岩波」という感じがする。そう思う人には面白いと思うから一読をお勧め。なお、著者は岩波書店に1987年から2014年まで勤務した。自分の会社を書けるのはいろんな意味で凄いというか素晴らしい。僕は学校を舞台に小説は書けない。面白いエピソードは山のようにあるけど、墓の中まで持っていく「守秘義務」になるだろうな。
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川本三郎「『細雪』とその時代」を読む

2022年03月18日 23時08分25秒 | 本 (日本文学)
 谷崎潤一郎細雪」について3回書いたので、一応重要なところは終わったけれど、何しろ大河小説だから面白いところは他にもいっぱいある。それらを川本三郎『細雪』とその時代」(中央公論社、2020)をもとにして触れておきたいと思う。僕は川本さんの本は幾つも読んでいるが、この本のことは知らなかった。出たときに見たかもしれないが、本体価格2400円もするから「細雪」を読んでない段階では買うわけがない。しかし、「細雪」を読んだ人は是非ともこの本を読むべきだ。

 とても面白い本だが、何よりも地図が載っているのが嬉しい。「細雪」を読んで何が判らないといって、大阪や神戸の土地勘がないので困る。この本には芦屋とその周辺大阪市街船場神戸市街東京・渋谷と5つの地図が付いていて、芦屋の蒔岡家の場所や妙子が水害に遭う洋裁学院などが図示されている。僕も大まかなこと(大阪から西へ、尼崎、西宮、芦屋、神戸だという程度)は知っていても、夙川(しゅくがわ)とか岡本香櫨園(こうろえん)などとあっても細かい地理が判らない。大阪でも船場上本町道修町(どしょうまち)などの位置関係が頭の中にない。(実は東京だって、23区の西の方になると、位置関係がよく判ってない。)地図があることだけで、「細雪」を読んだ人ならこの本を読みたくなるはずだ。

 昔、高校生の時に谷崎訳「源氏物語」を読んでみた。ものすごく面白かったが、実は受験対策という発想である。古文で源氏がよく出るから、現代語訳であらすじをつかんでおきたかった。でも最初はよく理解できなかったのである。その時に読んで非常に役だったのが、岩波新書にあった秋山虔(けん)「源氏物語」という本だった。やはり源氏のような大河小説になると、ただ読んでいても理解が難しく、「補助線」のようなものがいるなあと痛感した。「細雪」は近代小説だから読めば判るけれど、戦前の関西の話をより深く味わうためにはやはり「補助線」が欲しい。それに最適なのが川本氏の本なのである。
(川本三郎氏)
 大阪や神戸に関して多くの証言、例えば神戸生まれの映画評論家、淀川長治の残した話を紹介する。谷崎周辺の話も興味深い。つい「細雪」のモデルは松子夫人だという思い込みから、松子夫人は船場生まれだと思い込みやすい。しかし、実は船場生まれなのは松子の前夫、根津清太郎という人物の方で、松子は大阪湾岸にあった造船所の令嬢だった。この根津は奥畑啓三郎、つまり「こいさん」(妙子)と恋仲になる「啓坊」(読み方は「けーぼん」)のモデルだという。川本氏は啓ぼんを登場人物の中で唯一共感出来ないと書いている。確かに店の貴金属を持ち出して妙子に貢ぎ、母の死後に兄から勘当される啓ぼんは甲斐性なしに違いない。でもつかず離れず付き合って、巻き上げるものはきっちり巻き上げている「こいさん」はどうなのよと僕は思う。

 妙子が啓ぼんから乗り換えた板倉は「芸術写真」を志した。また縁談に奔走する井谷は繁盛する美容師だった。そこで川本氏は当時の写真や美容師の実情を調べてみる。そこで見えてくる近代日本が興味深いのである。また阪神大水害のネタ探し。谷崎自身はその日は家にいて無事。小説では悦子が小学校に行き、貞之助が救助に行く。現実の谷崎は大雨を心配して義理の娘には学校を休ませたという。妙子の水害はだから全くのフィクションなのである。それを書けたのは、当時の小学校や高校のまとめた記録だという。そこから迫真の水害描写を作り出したのは、やはり谷崎の作家としての力というしかない。

 また外国人との交流も忘れがたい。隣家のドイツ人とは子どもたちがすぐに仲良くなる。事変下に事業が立ち行かなくなり帰国することになるが、横浜まで見送りに行くぐらい親しくした。また妙子の人形を習いに来たカタリナを通して、白系ロシア人一家とも親しくする。実際に谷崎家の隣に外国人が住んでいたというが、これら脇役が見事に造形されていて忘れがたい。「盟邦」ドイツ人や革命を逃れて日本に来たロシア人、と書いても問題ない人々になっているけど、戦時下に外国人との交友をこれほど暖かく書き込んだ谷崎の開かれた精神に驚嘆する。

 また幸子一家の女中「お春」の重要性も川本さんは忘れていない。当時は電化製品がない時代だから、ちょっと余裕のある家庭には「女中」がいた。農村から来たかと思うと、お春は尼崎の出身。勉強が嫌いで高等女学校には行かず、女学校を出て女中奉公を志願した。女学校までは行ってるんだから、極貧ではないのである。むしろ礼儀見習いの意味で、良い家庭の女中に行ってから見合いするというコースもあった。お春は15で勤めに来て、今は「上女中」である。これは炊事洗濯などの家事を担当する「下女中」と違って、主人の身の回りの世話をする女中のこと。下女中は呼び捨てだが、上女中は「どん」が付いて「お春どん」と呼ばれた。知らないことは多い。「どん」なんて女中一般を軽く呼ぶ時の言葉と思っていた。
  
 「お春どん」は社交性があって外面が良く、出入りの店員などに受けがいい。でも実はだらしがないんだと幸子はこぼしているが、東京へ悦子を連れて行くときにも付いて行っている。台風に襲われ隣家に避難するときは、交渉一切をお春が仕切って、本家の子どもたちを助けた。本家の鶴子にも大変有り難がられる。本家の女中と一緒に、功をねぎらうために日帰りだけど日光見物をプレゼントされて大喜び。地下鉄で浅草へ出て、東武線で日光へ行けば、東照宮だけでなく華厳の滝まで見て日帰り出来るのである。やはり関西人でも富士山と日光は特別な観光地だったと判る。

 川本さんの本では今までに、「川本三郎「荷風と東京」を読む」(2014.7.23)、「川本三郎「小説を、映画を、鉄道が走る」」(2014.12.22)、「川本三郎「『男はつらいよ』を旅する」を読む」(2017.6.27)を3回書いていた。今度の本は2006年から2007年に掛けて「中央公論」に連載されたものが、2020年に単行本になった。間が空いているが、土地勘がないから難しいものがあったのだと思う。「細雪」の面白さを倍増させてくれる本だった。
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災害・病気・戦争ー「細雪」を読む③

2022年03月17日 23時03分42秒 | 本 (日本文学)
 「細雪」は華やかな物語と思われているのではないか。没落する美しき姉妹の夢のような日々…。そういう印象を強めたのは、3回目の映画化である1983年の市川崑監督作品の影響も大きいと思う。そこでは姉妹が着飾って花見をするシーンが描かれる。また舞台化された「細雪」も毎年のように上演されて、美人女優が共演してきた。原作にも間違いなく華やかなシーンがある。冒頭近くの花見シーンは有名だ。何故かこの一家は吉野山は無視して、花は京都と決めている。芦屋にいた幸子雪子妙子に、幸子の娘悦子と夫の貞之助が加わって春の京都に出掛けるのが恒例になっている。幸子が松子夫人だから、貞之助は谷崎自身である。カメラを持って美人姉妹を撮りまくる。周囲の人々も思わず見とれて写真を撮る。おのろけシーンである。
(市川崑監督「細雪」)
 また中巻の「蛍狩り」も素晴らしい。雪子の見合いを兼ねて、義兄の実家の親戚筋の岐阜県大垣市近くの農村を訪れる。見合いはともかく、一度蛍を見にと言われて本家の立場も立てるために行くことになる。そこでまさに夢幻能の如き圧倒的な蛍の乱舞を見ることになる。実際に谷崎の体験あってのことだというが、僕はこの場面のことは知らなかった。映画には出て来ないからである。宮本輝原作「螢川」を須川栄三監督が映画化していて、素晴らしい蛍の乱舞が見られるが、あれは実際の蛍ではなかった。電気を使った特撮なのである。暗い夜でこその蛍を映画で撮影するのは無理だろう。エピソード的にも省略可能だし。

 また食べ物の描写も多い。鮨あり、洋食あり、谷崎自身の好みが出ている。この小説は日中戦争前夜に始まり、直接は出て来ないけれどほとんどは「事変下」の非常時に進行する。政府は「国民精神総動員運動」を推し進め、その時の有名なスローガンが「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめましょう」だった時代である。しかし、谷崎は悠然として「ぜいたくは素敵だ」の世界を書き続けた。幸子姉妹もパーマをかけ続け、そのことが雪子の縁談につながる。これが谷崎潤一郎なりの「戦時下抵抗」だった。

 ところで実際に読んでみると、「細雪」に華やかさはあまりないのである。小説内では災害病気が満ちている。またあまり描写されないが背景に戦争もある。その上、「本家」や周囲の人々、子どもや女中たちなどあれこれの気苦労が毎日ある。それが日常生活というものだろう。中でも中巻における1938年の「阪神大災害」は迫真の描写力もあって、一度読めば忘れがたい。谷崎はエロスや伝奇的イメージが強いが、リアリズム作家としての確かな力量を思い知らされる。この大水害では「こいさん」(妙子)が死にかけて、それを写真師板倉が生命の危険を顧みずに助けて、小説世界を書き換えてしまう。
(1938年の阪神大水害のようす)
 板倉とは奥畑家で丁稚をしていたが、渡米して写真技術を身に付け写真館を開いている人物である。妙子と奥畑啓三郎(啓ぼん)は、駆け落ちがマスコミで報道されて、堅く交際を禁止された。しかし、妙子が人形作りに精を出して認められ展覧会を開くと、それを聞きつけた奥畑が現れ焼け木杭に火がついた。「こいさん」と「啓ぼん」は、そこだけ取り出して描くなら、織田作之助「夫婦善哉」や林芙美子「浮雲」に匹敵する「腐れ縁小説」になったはずである。ところが妙子にしてみれば、啓ぼんが甲斐性なしであるだけでなく、他にも女がいてダンサーに子を生ませたなど聞き及び、いい加減飽き飽きしてきていた。

 人形の写真を撮るため啓ぼんから聞いて板倉に頼むようになり、板倉は蒔岡家と親しくなる。そして命がけの救助活動。その日啓ぼんも幸子の家に現れたが、パナマ帽を被ったオシャレ姿が汚れないよう気をつけていた。それを後で聞いて、いい加減啓ぼんに愛想を尽かし、妙子の気持ちは急速に板倉に傾く。啓ぼんは甲斐性なしだが同じ階級である。板倉は結婚相手には不可と幸子も雪子も大反対だが、妙子は気持ちを変えない。ところが板倉を悲劇が襲う。まあ映画などで知っている人も多いと思うので書いてしまうが、東京に来たときに突然板倉危篤の電報が来て、急いで帰ると板倉は中耳炎から脱疽を起こして急死してしまう。

 妙子はその後啓ぼんとズルズルよりを戻したら、啓ぼんと鮨を食べに行ってサバに当たって赤痢になり、またも死にかける。つくづく不運な娘で、谷崎もその後も随分いじめている。一方、災害としては幸子が娘悦子を東大病院の医者に見せるため東京にいたとき、すさまじい風台風に襲われる場面が印象的だ。しかし、地震は出て来ない。関東大震災(1923年)や北丹後地震(1927年)の後、しばらく関西では大きな地震がない時期が続いていた。
(「細雪」を書き始めた住居「倚松庵」)
 病気としては、姉妹の母が結核で亡くなっている他、赤痢黄疸など今はあまり聞かない病気が多いのが特徴だ。特に脚気(かっけ)には驚いた。冬になると一家で脚気気味になって、自分たちでビタミンBを注射している。それを自分たちでは「B足らん」と呼んで、家で注射してるのにビックリ。脚気はビタミンB1の不足で起こると判っているのだから、注射ではなく食生活を改善しようという発想がない。恐らく「白米」中心の食事で、野菜が切れる冬に栄養不良になるのだろう。ビタミンB1は豚肉や緑黄色野菜、豆類などに多いというが、上流階級ほど足りなくなる。(今はあまり脚気を聞かないが、インスタントラーメンなどにはビタミンB1が添加されているという話。)

 こうして書いていくと終わらないが、娘の悦子はなんと「神経衰弱」になるし、幸子は流産もする。映画には出て来ない病気話がいっぱいで驚いた。家族ではなく見合い相手だが、母が精神病(詳しくは不明)ということで縁談を断るのもビックリした。ずっと家に籠もっているというが、統合失調症などではなく認知症の可能性もあると思った。最後、結婚式に向かう雪子が「下痢」が治らないという唖然とする終わり方をすることもあって、「細雪」は「病気小説」の印象が強い。

 「戦争」に関しては戦時下に書くことは不可能だが、外国人は議論しているが日本人はあまり意見を言わない。「南京陥落」「漢口陥落」などの提灯行列も出てこなくて、戦争をあおる場面がないから、うっかりすると戦時下ということを忘れそうである。実際、日米戦争が末期になるまで、中国と戦争をしている段階では(政府が「事変」などと言っていたこともあり)、国民も危機感に乏しかった。貞之助など軍需産業の仕事が増えて(会計士である)、収入が増えている。そのため夫婦で「旧婚旅行」としゃれ込み、富士五湖に出掛けているぐらい。(富士屋ホテルが作った富士ビューホテルに泊まっている。)やはり階級が違う感じだが、男の兄弟がいないことも大きい。しかし、彼らは大空襲を生き延びられたのか。戦後の混乱期をどう生きたのか。気になるけれど、日米戦争勃発前で小説は終わってしまうのである。
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関西と東京ー「細雪」を読む②

2022年03月16日 22時58分36秒 | 本 (日本文学)
 「細雪」は基本的に大阪神戸が中心になる物語だが、他にも東京他いろんな場所が出て来る。三女雪子は作中で何度も見合いをするが、小説内で最初の見合いは神戸のオリエンタルホテルで行われた。明治初期に出来た神戸最古のホテルだが何度も移転していて、その時は3代目のホテル。神戸大空襲で半壊して取り壊され、移転して再建されたが、今度は95年の阪神淡路大震災で破損して廃業した。(その後、名前を継いだORIENTAL HOTEL KOBEが2010年に開業した。)次女幸子一家は神戸で映画を見たり、「ユーハイム」でお茶を飲んだり、「南京町」(中華街)にも食事に行っている。神戸界隈のモダンライフを満喫している。
(神戸オリエンタルホテル)
 そこには幾分か理解出来ない部分がある。当時は法律的に「家制度」が厳然と存在していた。家長は長女鶴子の夫、蒔岡辰雄であり、未婚の義妹雪子妙子は本家に住んで家長の監督を受けるべき立場である。しかし、二人は義兄との折り合いが悪い。妙子の「駆け落ち事件」の時の対応に不満があったし、そもそも本家の家業を継がずに銀行員を続けていることに納得していない。辰雄はいかにも銀行員的な堅物で、父譲りで芸事や芝居見物が大好きな華やか好きの姉妹とは合わないのである。そこで二人はよく芦屋の次女幸子のところへ行ってしまう。幸子が嫁に行っていれば、他家だから行きにくいだろうが、幸子も婿を取って分家しているから行きやすい。そこで阪神間モダニズムを存分に味わうことが出来るのである。

 そもそも蒔岡家は大阪・船場(せんば)に店を構える大商店だったが、父の代に贅沢をして家業が傾いた。父の法事に芸人が来たり、父に連れられ学校をズル休みして歌舞伎見物に行ったなどの興味深いエピソードが出て来る。4人姉妹だったら、長女の婿に優秀な番頭などをめあわせ家業を継がせるのが商家の常道だろう。しかし、何故か長女の夫、辰雄は銀行員として生きていく道を選んだ。蒔岡家はちょっと離れた上本町に職住分離して、家業の商権は譲ってしまった。辰雄は会社員だから転勤もあるわけだが、旧家の婿という立場を理由に一度福岡への転勤は断った。しかし、36年秋に丸の内支店長の内示を受けたときは応じることになった。

 「本家の東京移転」という(幸子らにとっては)驚天動地の出来事が上巻のメインになる。辰雄からすると、ここで応じないと後輩に出世が抜かれて面白くない。それに子どもが6人もいて、蒔岡の財産も減ってきていたのである。周りからすれば、「天子様のお膝元」を預かるわけで栄転になる。悲しんでいるのは四人姉妹だけで、喜ぶ人が多い。東京を代表する丸ビル(丸の内ビルヂング)に支店があるというんだから、そこの支店長を務める辰雄は有能な銀行マンなのである。「細雪」は基本的に「女縁」で進行するシスターフッド小説なので、辰雄は悪役扱いされているが、男の目で見た経済小説なら話は変わってくるはずだ。
(当時の丸ビル)
 長女鶴子は嘆き悲しみながら、夫に付いていくしかないが、問題は雪子、妙子である。妙子は「人形作り」で弟子も取っているのですぐには行けないと自己主張を貫くが、雪子は結局一緒に東京に行かざるを得ない。そして、鶴子が育児に時間を取られて手紙も来ないうちに、雪子は東京生活がいかにつらいかを綿々と書き綴ってくる。そもそも大森に住むはずが手違いでダメになり、結局は「場末」の新開地・渋谷道玄坂に借家を借りることになった。いやはや、道玄坂が場末だったのか。そう言えば「ハチ公物語」の渋谷は確かに新開地っぽかった。そして何よりも寒いという。「名物の空っ風」なのだそうだ。

 現在の平均気温を調べると、真冬でも芦屋よりも東京の方が高いようだ。上州(群馬県)は確かに「かかあ天下と空っ風」が名物だと言うけれど、東京が空っ風とは今はあまり言わない。多磨地区では「秩父下ろし」というが、23区ではビルが建ち並んで風の影響も変わってくる。それに地下鉄が発達して移動は地下だから地上の天気は関係ない。しかし、雪子の思いは単なる気候問題ではないだろう。原武史が言うところの「民都大阪」対「帝都東京」という問題である。宮城(皇居)があり、国会議事堂や首相官邸を有する「帝国の首都」だから、軍事色強まる武張った東京が嫌いなんだと思う。雪子というより谷崎潤一郎の思いだろう。

 しかし、戦前においては大阪の方が経済首都だったのは間違いない。北京対上海、デリー対ムンバイ(ボンベイ)のような関係である。大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれた工業都市だった。その頃阪神工業地帯は京浜工業地帯より生産額が大きかったのである。7代市長の関一(せき・はじめ)による都市再開発が進み、御堂筋の拡幅、地下鉄御堂筋線開通、大阪城天守再建などがなされた。一方の東京は1923年の関東大震災で大打撃を受け、東京の下町(日本橋人形町)生まれの谷崎は生まれた地を失ったと感じたぐらい東京は変貌する。谷崎初め多くの人が関西へ移住したのも震災のためだった。
(「細雪」中巻)
 細かく見れば関西にも階層がある。妙子の踊りの師匠が亡くなり、幸子と妙子が弔問に行くシーンがある。南海沿線の天下茶屋で、そっちはごみごみしていると感想を述べる。阪神間でも海沿いの阪神沿線よりも、六甲山に近い山側の阪急沿線の方が上になる。ちなみにその中間に省線電車(今のJR)がある。また全然知らなかったが、省線と阪神の間に阪神国道電軌鉄道という別の電車が走っていた。一家は阪急に乗って大阪へ出掛け、北浜にある三越百貨店に買い物に行く。都市上層ブルジョワジーの女性たちの世界である。東京でさえ文化果つるところなんだから、他の地方都市は住むところではない。義兄から来た豊橋(愛知県)の金持ちという雪子の見合い相手など、住む場所だけで問題外である。

 そのような都市意識は当時の経済条件という問題もあるが、同時にその頃は文化格差が大きかったことも大きい。テレビがない時代で、ようやくラジオが登場して妙子がクラシックをお風呂に入りながら聞く場面があるが、あまり蒔岡家では聞いていない感じだ。テレビによって、言葉だけでなく大衆文化の共通性が進んで行った。そして高度成長、バブル経済があって、大都市と地方の文化の差は小さくなっている。ただし、大学や大会社が地方には少ないので、若い層が大都市に集中することになる。関西の文化も今の東京に随分浸透しているが、それは蒔岡一家が好むようなものではないだろう。蒔岡家が吉本新喜劇に行ったとは思えないし、たこ焼きを食べるとも思えない。幸子は花は桜、魚は鯛という好みで、それが昔ながらの関西文化の王道なのである。
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「細雪」を読む①ー「結婚」をめぐる「女縁」と「階級」

2022年03月15日 23時04分17秒 | 本 (日本文学)
 谷崎潤一郎細雪」を読んだ。今まで読んだことがなくて、長年の懸案になっていたのだが、ついに読み始めて堪能した。今読んだのは、神保町シアターという小さな映画館で、「「細雪」と映画の中の姉妹たち」という特集上映をやっているから。「細雪」は今までに3回映画化されている。全部見ているが、この際見直してみようと思った。もうそろそろ読みたかったので、機が熟したように思ったのである。読んだのは新潮文庫版全3巻。昔出た中公バックスの1巻本を持ってるけど、字が小さいからムリだと思って買い直した。字がとても大きくて注が詳細なので、若い人と年取った人には新潮文庫がオススメである。
(「細雪」上巻)
 「細雪」は「ささめゆき」と読むぐらいのことは、読んでない人も知ってるだろう。意味は「まばらに降る雪」だというが、小説内に雪のシーンはない。重要な登場人物の蒔岡雪子の名前から思いついたというが、作者の気持ちとしては「四季折々」「人生いろいろ」を象徴する言葉ぐらいに受け取っておくべきかと思う。「蒔岡」は「まきおか」で、英語題は「The Makioka Sisters」になっている。大阪・船場でその名を知られた蒔岡家の四姉妹、上から鶴子幸子(さちこ)、雪子妙子の人生行路をまさに絵巻物のように描き出した傑作大河小説である。
(谷崎潤一郎)
 1936年から1941年にかけて、芦屋(兵庫県)、大阪東京を中心に、物語開始時点で未婚の雪子と妙子の結婚に関するあれこれが語り尽くされる。谷崎潤一郎は1941年に「源氏物語」現代語訳を完成させ、1942年から「細雪」を書き始めた。1943年には「中央公論」に2回掲載されたが、戦時下にふさわしくないと軍部に掲載を止められた。上巻は私家版として知人に配布したが、それも軍部に止められ、結局戦争終了後の1946年に上巻、47年に中巻、48年に完成した下巻を刊行して完結した。

 主な舞台は当時谷崎が住んでいた芦屋周辺、大阪と神戸の間にあって当時高級住宅地として発展していた「阪神間」になるが、他にもいろいろな土地が出て来る。登場人物も多彩で、それぞれが見事に描き分けられ、「風俗小説」を読む楽しみを満喫できる。僕はこれが谷崎の最高傑作とは思わなかったが、紛れもない傑作を読んでいると感じた。(最高傑作は「春琴抄」だと思う。)それだけに書かれている情報も膨大で、戦前の銀座に横浜のホテル・ニューグランドの支店があって高級レストランとして有名だったなんて、東京人の誰も覚えてないことまで出て来る。(検索しても出て来ない。新潮文庫の注を読んで初めて判る。)
(戦後に出た「細雪」初版本)
 しかしながら、やはり物語の中心は「結婚」である。当時の「上流階級」の常識として、女は家庭に入らなければならない。3女の雪子は冒頭時点で30歳近くになっていて、これは当時としては婚期を逃しつつある。当然「見合い」で良縁を見つけるわけだから、次第に条件が悪くなってくる。これに対し、4女の妙子は時代に先駆けているというか、よく言えば「自立志向」、悪く言えば「はねっ返り」で、一家に一人はいる困り者とされる。そもそも20歳の頃に、船場の貴金属商の3男、奥畑啓三郎と恋愛関係になって「駆け落ち」した過去がある。しかも、それが雪子と間違って新聞に報じられた。

 この「事件」が間違いであるにも関わらず、雪子の縁談に何がしかの影響を与えたらしい。一方、妙子はもはや良家からの縁談を期待できず、もともと器用な才能を生かして人形作り、さらに洋裁に打ち込むことになる。そうなると「職業婦人」になってしまうので、これは良家の子女にはふさわしくないと忌避される。「女先生」や「看護婦」は今なら立派な職業と思われているが、当時は女性が働いているということだけで、お金持ちではないことを意味するから、下層階級的なふるまいになる。夫の方も妻を働かせていると周りから非難される時代だった。そのような「階級」という意識がこの小説の前提に存在している。

 妙子は小説内で「こいさん」と呼ばれる。「お嬢さん」が大阪弁で「いとはん」、末子なので「小」が付いて「こいさん」である。駆け落ち相手の奥畑啓三郎は「啓坊」(けいぼん)である。「こいさん」「けいぼん」という呼び方が映画の中で使われると、なんとも言えない穏やかで趣のある風情が出て来る。「細雪」という小説の魅力はそこにあるが、実は裏で確固たる階級意識が描かれて批評されている。この雪子と妙子のどちらが小説の中心なのかという議論があるが、実は作家の3度目の妻、松子の一族がモデルになっている。恐らく雪子が主役として書かれたと思うが、小説内では妙子の方が生き生きとして存在感がある。

 そもそもこの一族にはおかしなことがある。長女鶴子は銀行員辰雄を婿に取ったが、父の死後船場の商家を継がなかった。女ばかり4人続くのは珍しいが、ないわけではない。しかし、大阪でも知られた商売をしていた一家なのだから、家を継ぐために奉公人や同業者の次三男などを婿に取るのが一般だろう。しかも長女が婿を取ったのに、次女幸子も婿を取って「分家」を立てた。鶴子は「本家」と呼ばれる。しかも、幸子の夫も後を継がない。継いでしまって、業績が持ち直せば、企業小説にはなっても、作家の書きたかった「没落する四人姉妹」の物語にならない。だから、現実にはあり得ないような設定をしているのである。

 雪子は小説内で5回「お見合い」をする。映画ではすぐに見合いのシーンになるが、現実には仲人が紹介し、相手を調査し、会場を選ぶなど周到な手順がある。小説ではそれがくどいほど丁寧に叙述されていて、そこが風俗小説として貴重である。そのお見合いに一番熱心なのは、神戸で美容院を経営する井谷という女性である。この人は大した活躍ぶりなのだが、当時美容院で本格的にパーマを掛けるのは高額だったという。幸子も雪子も井谷美容院を利用していて、お得意という枠を越えて親しくしている。妙子の人形教室に通っていたカタリナという白系ロシア人一家とも家族ぐるみで交際する。芦屋の幸子を中心に「女縁」で小説が進行するのが「細雪」の特徴である。

 妙子の運命は別に書くとして、雪子はいったいどういう人物なのだろうか。僕にはよく理解出来ない。映画ではキャストによって、雪子と妙子の扱いが違ってくる。1回目の映画化は妙子が高峰秀子なので、自立を目指す女性像が印象に残る。2回目の映画化では雪子が山本富士子なので、当時大映の美人スターだっただけに雪子の印象が強い。だがこの時は時代が製作当時(1959年)に変えられていて、子どもたちがフラフープをしている場面から始まる。雪子はここでも縁遠いけれど、前にまとまりそうだった縁談の相手が交通事故で亡くなり、その面影が残っているとされている。戦後になると、いくら何でも家柄に拘るとか、あまりに縁談を断る合理的な理由がなかったということだろう。

 幸子の娘悦子や妹妙子が大病をしたとき、一番熱心に寝ずの看病をしたのが雪子だった。献身的で立派な女性で、なぜこのような人が結婚相手に恵まれないのか。まあ一回で結ばれてしまうと大河小説にならないが、その事情はなんとも不可解。没落しても家柄意識が抜けないなどと従来は解釈されることが多かったが、今の目で見ると「こういう人いるな」と思う。通念に従って結婚する気はあるが、性的な欲望が薄いのである。お膳立てされれば結婚するのはやむを得ないけれど、本当は特に結婚したくもないのである。当時も「同性愛」はあって、谷崎も「卍」を書いているが、当時は「無性愛者」という概念はなかっただろう。今なら結婚せずに趣味を楽しみながら気楽に生きていったのではないだろうか。
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奥泉光「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」を読む

2021年12月13日 22時35分19秒 | 本 (日本文学)
 平野啓一郎決壊」を読んで、心が暗澹たる思いに囚われてしまった。「暗い」というよりも、「恐ろしい」という方が近い。それが現代であり、あるいは人間性の深淵であるとは言え、ここまで心の闇に踏み込んでこられると、どうしたらいいのだろうか。そこで11月新刊の文春文庫、奥泉光の「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」を読むことにした。このシリーズは、簡単に言えば「学園ユーモアミステリー」というジャンル小説だけど、そのおバカ度において現代最強(凶?狂?)レベルの域に達している。今まで書くまでもない感じで、一人で楽しんでいたけど、今回は是非紹介しておきたい。

 主人公の桑潟幸一、通称クワコーは、千葉県権田市にある「たらちね国際大学」情報総合学部日本文化学科の准教授である。最初に登場した「モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」(2005)では東大阪にある敷島学園麗華女子短期大学(通称レータン)という短大に勤めていた。大阪で一番「低レベルの短大」であるゆえに、ほとんど研究意欲に欠けるクワコーでも勤めていられたが、折からの少子化進行に伴い短大経営は苦しくなるばかり。そこに同僚だった鯨谷教授から「たらちね」への転勤話が持ち込まれクワコーは飛びついた。鯨谷は元サラ金の取締役で、主著は「ヤクザに学ぶリアル経営術」である。

 たらちね国際大学は元短大が4年制大学に昇格したばかり。レータンに勝るとも劣らぬ底辺大学で、元短大だけにほぼ女子学生ばかり。男子学生は立った一人しかいない。なんかかんだで諸手当がどんどん引かれ、クワコーは准教授という名にふさわしからぬ低賃金にあえいでいる。便意は極力ガマンして、「大」は家ではしないようにして水道代を節約している。近年はますます研究意欲が蒸発して、ついに倹約のため学会は全部辞めてしまった。クーポンが時々手に入ると、近所のトンカツ屋でロースカツ定食を食べるぐらいが楽しみ。出来るだけ食費を浮かせようと、今年はついに昆虫食に挑んでセミを捕っている

 クワコーはなぜか「文芸部」の顧問を押しつけられ、研究室はほぼ部室と化している。文芸部といっても、内実はコミケに出すマンガを描いている「腐女子」集団である。木村部長はまだ「クワコー先生」と呼ぶが、いつも「クワコー」と呼び捨てにするのが「ホームレス女子大生ジンジン。理由も不明ながら、港区に実家があるはずが、なぜかキャンパスの裏でテント生活を送っていて、本名神野仁美から「Call me JINJIN」と言っている。他にも「ナース山本」「ギャル早田」「オッシー押川」「ドラゴン藤井」など、個性豊かすぎる面々が研究室を占領している。
(奥泉光)
 今までに「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」(2011)、「黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2」(2012)が書かれ、ちょっと間が開いて「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」(2019)が書かれた。クワコー周辺では、なぜか必ず「日常の謎」や「学園をめぐる陰謀」が発生し、クワコーがそれを解決できるはずもないわけで、ジンジンが快刀乱麻を断つごとく名推理を披露するというのがお約束の展開になる。「スタイリッシュ」というのは、普通は「オシャレスタイルで統一されている」ような場合に使われる用語だが、クワコーの場合「クワコー的低レベル生活様式に純化されている」という点で、ある種スタイリッシュではある。

 僕はミステリー的には「黄色い水着の謎」が面白かったと思っている。今回は「ゆるキャラの恐怖」「地下迷宮の幻影」の2短編が収められているが、現代日本のキャンパス事情を風刺する意味合いが強い。大学教員の3大業務は、「教育」「研究」「行政」だと書かれているが、クワコーの場合、教育1、行政9、営業90になっている。(ちなみに研究はゼロ。)営業というのは、高校に説明に行ったりだが、クワコーの場合鯨谷教授に命じられるまま、ティッシュ配りでも何でもやるハメになる。今回はたらちね国際大学がゆるキャラ「たらちね地蔵くん」を作ったので、その着ぐるみに入って地域のお祭りなどに行ってこいとの厳命である。

 そんなクワコーの苦難の夏を描いていくが、最後には大学対抗ゆるキャラコンテストまであって、出場せざるを得なくなる。そこで埼玉まで出掛けていくが、その当日になぜかクワコーのもとに脅迫状が…。そして「鹿のいるキャンパス」を舞台に、みうらじゅんが審査員を務めるコンテストで、準備中にはスズメバチが着ぐるみに仕込まれ(?)、本番ではクワコーを鹿が襲ってくる。これがどうも仕組まれた事件らしい。たらちね近くの「房総工業大学」通称ボーコー大は、底辺のたらちねからさえ下に見られる唯一の大学だが、ここもコンテストに出てるからどうも怪しい。そんなこんなの真相は如何に。

 今の大学、そこまでやるか的な「ゆるキャラの恐怖」に対し、「地下迷宮の幻影」はさらに風刺がヒートアップしている。鯨谷教授からは、文科省のお達しにより教授たるもの研究論文なしではダメだと言われる。が、しかし、それを何とかバイパス出来る方法はある。オープンキャンパスなどでいつもお世話になってる教育産業「ペネッセ」に頼むとか。さらに今追い上げを図っているJED(日本教育開発)に依頼すれば、論文を書いてくれるとか。それに加えて、鯨谷のライバル、国際コミュニケーション学科の馬沢教授からも呼ばれ、秘密裏のミッションを依頼される。

 来年からテレビでも知られる島木冬恒が来年から大学に来るらしいというのである。島木は教育勅語を教育に生かせという主張の持ち主で、総理とも親しいとか。ところでなぜか「ウスゲマン」薄井教授とも親しいらしく、島木が早くもキャンパスに出没しているらしい。島木の父は旧軍人で、たらちねキャンパスは戦前は陸軍の秘密研究所だったという。今もキャンパスの隣にある産廃会社の地下には、秘密の地下迷宮があって何か秘密のもの(麻薬とか?)が隠されているという噂も…。だから、クワコーにはウスゲマンを見張って、島木との交流の中身を探り出せと密命が下ったわけ。特別手当も出るが、出所は「ペネッセ」?

 そして何気なく見張っていると、本当にウスゲマンがキャンパスの隣に出没しているではないか。そして研究室には金庫があって、時々島木が訪問するのも間違いない。それは一体なぜ? クワコーも隣接土地に忍び込むと、謎の土地にはキノコがあるではないか。タダの食材には目がないクワコーは、それを取ってくるのだが、それは「メイテイダケ」らしい。(架空のキノコ。)そして、島木はたらちねに正式に来る前に、一度講演会を開きたいと言ってきた。教育勅語に関する講演である。学生との質疑も欲しいと言ってる。クワコーはその担当も命じられるが、もちろんキョーイクチョクゴなんて名前を聞いたことがあるぐらい。しかも、たらちね学生と質疑? それも男女一人ずつ希望というが、そもそも男子は一人しか居ないじゃないか。

 ということで、JED派遣の「家庭教師」(大学教員向けに論文を代筆してくれる有り難い存在、その若き女性の描写が絶品)とクワコーが組んで準備を進める。男子学生というのは、門司(もんじ)君といって文芸部員でもあるが、女子ばかりのたらちねより、最近はほとんどボーコー大とつるんでいる。そして、モンジ君とその彼女(!?)アンドレ森(プロレス部)が教育勅語をめぐる準備会に呼ばれてくるんだけど…。ここが爆笑、爆笑で、ここまで見事な右翼的風潮批判も珍しいほどの上出来になっている。ここだけでも読む価値あり。まあ、登場人物になじむためには、順番に読む方がいいけれど。

 奥泉光(1956~)は僕と同学年である。芥川賞の「石の来歴」とか、『「吾輩は猫である」殺人事件』『グランド・ミステリー』『シューマンの指』などは読んでいるが、なんせ作品が多いので近年の『東京自叙伝』『雪の階』など読んでない本が多い。いっぱい持ってるんで、これも来年の課題。それにしても、「決壊」の「悪魔」に対抗できるのは、やはり笑いだと思った次第。
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平野啓一郎「決壊」を読むー恐るべき先見性

2021年12月12日 21時00分24秒 | 本 (日本文学)
 この間、平野啓一郎ある男」を読んだので、続いて「決壊」(上下)を探し出してきた。「新潮」に2006年11月号から2008年4月号まで連載され、同年に2冊の上下巻ハードカバーで刊行された。(現在は新潮文庫に上下2巻で収録。)翌年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。よくオカミが賞をくれたなという小説だが、まあ大臣は読んでないんだろう。同年の「このミステリーがすごい!」13位に選出されたが、本質は「純文学」と考えるべき本である。
(上巻)
 これは凄まじい犯罪小説で、読み終わるには力が要る本だ。そもそも長いし、始まってから事件の本筋が見えてくるまでも長い。そして長く辛い読書の末に、ほのかな灯りが見えるかというと、いやいや全く暗いままで暗澹たる世界が広がっているだけ。無理に勧めるのもどうかと思う小説だが、これは10年以上前に書かれた本なのに、全く古びていない。というか、まさに「現在」が書かれていることに驚く。世界がどんどん悪くなっているという感慨を覚えててしまう本である。

 小説内の時点は2002年の夏から秋である。どんな時代か覚えているだろうか。2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起こった。それから1年、アメリカはアフガニスタンに兵を送り、さらにイラクのフセイン政権打倒を掲げてイラク戦争を始めようとしていた。日本では小泉政権の時代で、9月17日に小泉首相が電撃的に北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談した。会談では日本人拉致を認めて「5人生存、8人死亡」という情報を伝えた。それらは小説内で語られるが、もちろん今では「イラク戦争をどう防ぐべきか」などという論点は古くなってしまった。しかし、アメリカ、中東、東アジア情勢の重大性は変わっていない。

 この時期は、現役世代のほとんどに「インターネット」が普及した頃だった。パソコンが一般化して、家でネットを使う人が増えた。また、90年代半ば頃から携帯電話の普及が始まり、2002年段階では電子メールの利用も一般化していた。まだスマートフォンというものはなかったが、「IT社会」に近づいたのだった。自分自身では1996年に携帯電話、2000年にインターネット(ケーブルテレビ回線)の利用を始めている。デジタルネイティヴ世代が増えてきて、いつ頃からあったのか判らない人も増えていると思う。21世紀になったばかりの時代はそんな変化が起きた頃だった。
(下巻)
 2021年10月31日。その日は衆議院選挙が行われた日だが、関東地方では開票速報の合間合間に、20時頃に発生した「京王線刺傷事件」のニュースを大きく報道していた。その前に8月6日には「小田急線刺傷事件」が起き、京王線の犯人はそれに影響されたと供述している。思想や宗教に拠るものではない「無差別テロ事件」が日本社会で起きている。また11月24日には、愛知県で中学3年生の生徒が同級生に刺殺された事件が起きた。これらの事件の詳細は未だ判っていないことも多いが、「決壊」を読むとまさに「予見の小説」だったと思わざるを得ない。そういう犯罪小説なのである。

 「決壊」は夏休みの帰省を前にした、北九州市の沢野家で始まる。長く新日鐵で働いて定年になった父は最近元気がなく、母が次男一家(妻と3歳の長男)を車で迎えに来る。次男沢野良介は山口県宇部市で営業の仕事をしているが、必ずしも人生に満足していない。常に優秀な兄と比べられてきた人生だったのである。兄の沢野崇は東大を卒業して、国会図書館で調査員をしている。数年前には外務省に出向しフランスに滞在していた。結婚せずに多くの女性と性的な関係を含めた関わりを持っている。

 結局はこの沢野兄弟をめぐる物語なのだが、最初はこの家庭の話が長い。それはどこにでもあるような、一家の様々な事情が事細かに語られていく。達者なものである。それは面白いと思うが、この本は犯罪小説じゃなかったのかと疑問を抱くほど、何も起こらずに進行する。弟の良介は悩みを匿名の日記としてネット上に書き込んでいた。それを偶然知ってしまった妻は、そのことを夫に秘密にしたまま兄の崇に(メールで)相談する。日記サイトには妻が匿名でコメントしていたのだが、その頃から「666」というコメントも付くようになった。そのため、妻はそれが兄の書き込みなのではないかと思い込む。

 そこに鳥取市に住む中学生の話が絡んでくる。一体それは今までの話とどうつながるのだろうか。兄は別れを決めた女性と最後に京都旅行をしようと思い、そのついでに出張で大阪に来る弟と会うことにした。そして、そこである恐るべき犯罪が起きるのである。その話を書いてしまうと、一応形としてはミステリーなので約束違反になるだろう。それにしても恐るべき犯罪で、その全体像が明らかになるときには、心の中の暗黒面がさらけ出されてしまう。

 この設定からして、これはインターネットと携帯電話なくして起こりえなかった犯罪である。しかし、著者が過剰なほどに現代世界の分析を行うのは、単なる犯罪を描くのではなく「文明史的視点」で世界の変貌を考察したいのだと思う。人間性の中には「悪」がある訳だが、それに対する日本社会や日本警察は全く時代の変化に対応できていない。絶望的に遅れている。想像力の広がりに欠ける。この小説が書かれてから、すでに13年。日本がどんどん衰退しているのも当然か。とにかく読んでいて嫌になるぐらい、暗黒面を見せつけられるが、これは重要な小説だ。精神的にタフな人は是非チャレンジして欲しい。
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大傑作、平野啓一郎「ある男」を読む

2021年11月15日 22時09分19秒 | 本 (日本文学)
 平野啓一郎ある男」(2018)を読んだ。刊行当時に評判になって、読売文学賞を受賞した。前から読みたかったんだけど、9月に文春文庫に入ったので買うことにした。一読、心の奥深くに働きかけてくる傑作だった。話はミステリアスだが、エンターテインメントではない「純文学」の凄さを感じさせられる。多くの人にチャレンジして欲しい本だ。

 平野啓一郎(1975~)は京大在学中の1998年に書いた「日蝕」で1999年1月に芥川賞を受けた。「日蝕」は中世フランス、次の「一月物語」(いちげつものがたり)では明治日本の鏡花風幻想をそれぞれ擬古文で描いていた。そのスタイリッシュな世界が魅力的とは思ったが、正直勘弁してくれという気もして、以来「葬送」や「決壊」など評判の作品は持ってるんだけど読んでなかった。デビュー頃とは全然違っているという話は聞いてたが、確かに全く違う作風だった。

 ある女性(里枝)が事情あって離婚して子どもと故郷(宮崎県西都市)へ帰る。実家がやってた文房具店を手伝っているうちに、水彩画の道具を買いに来る男と親しくなる。再婚して子どもも出来るんだけど、男は林業現場で倒れた樹にあたって死んでしまう。不運な話だけど、実はここからが物語なのである。男は谷口大祐といい、伊香保温泉の旅館の次男だという。しかし、親兄弟とは良い思い出がなく、故郷を捨てて出て来た。だから結婚に当たっても何の連絡もしなかった。しかし、一周忌も終えて、このままではと思って伊香保の旅館に連絡を取る。早速兄がやって来るのだが、写真を見てこれは弟ではないと断言する。 

 えっ、どういう事なんだろう? そこでかつて離婚の時に世話になった弁護士城戸に相談する。その城戸弁護士がこの物語の語り手になる。城戸が調査を進める探偵役になるわけだが、本当に谷口大祐を知る人を探すと、確かに違うという。特に大祐と付き合っていたという「美涼」は印象的だ。一方、では谷口大祐を名乗っていた人物(仮に「X」と呼ぶ)は誰なのか。谷口本人とはどんな関係があるのか。本人の情報を聞いていたのは間違いなく、だから実際に伊香保の兄が訪ねてきたのである。
(平野啓一郎)
 人間が入れ替わるということがあるのか。そこには「犯罪」も関わっているのだろうか。城戸弁護士の調査はなかなか進まないが、その間に城戸や里枝の日々の思いが語られる。特に城戸は実は金沢で育った「在日」コリアン3世で、その後「帰化」していた。震災を機に関東大震災時の虐殺事件を思い出してしまい、日本がヘイトスピーチが横行する社会になったことに鬱屈した思いがある。幼い子がいるが、震災後の法律ボランティアに出掛けて、妻とギクシャクするようになってしまった。過労死裁判などを抱えながら、城戸は宮崎にも出掛けていく。夜、町に飲みに出ると、つい谷口と名乗ったりしてしまう。

 一体「自分」とは何なのかという深い問いを抱えながらも、まずは「X」の正体を明らかにしたい。そのヒントは幾つかあって、まずはたまたま横浜刑務所で服役していた詐欺師。その男は戸籍の売買も仲介していた。そして友人弁護士がやっている死刑廃止運動で、死刑囚の絵画展に出掛けたこと。日本のなかにある悲惨、欺瞞、難問にぶつかりながら、果たして「真相」にはたどり着くのだろうか。しかし、「真相」とは一体なんなのだろう? 自分の人生をも思い返し、深い感慨を覚えてしまう。

 「謎」をめぐる物語だから、先へ先へと読み進む。しかし、物語としては停滞する部分があって、それは弁護士はこの謎だけを追いかけていては生活できないから当然だ。そこがエンタメ小説なら、都合良くドラマティックな展開が相次ぐんだろうけど、「純文学」ではそうはいかない。その時に語られる城戸の思いなどが余計だと思う人は、この小説を味わえない。たくさんの登場人物が織りなすタペストリーのような小説だが、日本の非寛容な「世間」を思い知らされるところもあれば、励まされるような描写もある。いずれにせよ、とても考えさせられる小説だ。

 平野啓一郎は2016年に出た恋愛小説「マチネの終わりに」がベストセラーになり、映画化もされた。社会的な発言も多く、最近気になっていた作家だ。大江健三郎の後期小説を残っているんだけど、ちょっと平野啓一郎を読んでみようかなという気になった。
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「燃えあがる緑の木」三部作②ー大江健三郎を読む⑪

2021年09月13日 22時58分15秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎燃えあがる緑の木」の続き。第二部のラストで「ギー兄さん」が教会の展望を問われても答えられなかった。その場にいたピアニストの泉さんは、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の映画「アレクサンダー大王」の話を皆にする。反政府ゲリラの首領だった通称「アレクサンダー大王」は時々「てんかん」を起こすが、その時仲間たちは背を向けて座り「見なかった」ことにすると。それにならって背を向けようという泉さんの提案を皆が受け入れる。ただしサッチャンだけはギー兄さんの姿に失望して教会を飛び出したのだった。

 サッチャンはそのまま教会を離れ、東京へ行く。一応K伯父さんの家に向かうと、しばらく伊豆の別荘を使うようにと提供された。その時に本を一冊借りたいと言うと、K伯父さんは矢内原忠雄アウグスティヌス『告白』講義」という本を選ぶ。サッチャンは「両性具有」者で、ある時期まで男として生きていた後、女として生き直す「転換」を体験した。第一部の終わりでギー兄さんが村人に糾弾された後で、ギー兄さんと性的に結ばれ自らの「転換」の意味が判ったと思う。そして二人で小さな教会から再出発しようと決意したのである。
(第三部 大いなる日に)
 サッチャンは伊豆の別荘で苦しみを通り抜け、別荘の隣人と知り合って「性的大冒険の日々」を送る。大江文学にはよくある設定で、「懐かしい年への手紙」にもそういう日々が出て来た。その日々を通して、「救い」を考えるが答えは見つからない。連絡の付かないサッチャンを訪ねてK伯父さんがやってきて、故郷の村でギー兄さんが襲撃され重傷を負ったと言う。ギー兄さんはサッチャンに戻って欲しいと言っていると伝える。3ヶ月ぶりにサッチャンは教会に戻った。

 ギー兄さんを襲撃したのは、かつて対立した新左翼党派だった。からくも生命だけは救われたものの歩くことは出来ず、内臓も損傷を受けた。そのため時々てんかんを起こすようになる。教会内部では、伊能三兄弟を中心に武闘訓練が行われ外部からの襲撃に備えている。一方で教会を外部に拡大することを目論み、「世界伝導の行進」を計画していた。谷間の村から原発阿川原発と書かれているが、「佐多岬半島の根方」とあるから明らかに伊方原発)まで行進し、そこで「集中」を行うというのである。

 「集中」とは教会で行われる「祈り」のことで、もちろん非暴力的なメディテーションである。原発当局にも事前に連絡してあったが、反原発活動家も加わり思いがけず大きな人数になった。そして「集中」の間に原発で軽微な事故が発生した。そのため「原発事故を待ち望む狂気の教団」と外部からの批判が大きくなる。伊能三兄弟は教会に近づけないように警戒を強め、教会に加わった子どもに会えないという親が「被害者の会」を結成する。一方で行進が終わっても村へ帰らず、全国を巡礼するグループが出て来る。教会では「武闘派」と「巡礼団」の対立が激しくなっていく。

 このようなラストに向けた緊迫感あるクライマックスは大江文学の特徴である。「万延元年のフットボール」や「洪水はわが魂に及び」ではラストが近づいた時の非常に緊迫した世界には一瞬も気を緩められない。「燃えあがる緑の木」で起きる教会内部の対立激化、ギー兄さんの決断も同じように緊迫した世界が展開されて、途中で止められない。サッチャンは「第一秘書」格でギー兄さんに付き添うが、対立には冷ややかな態度で冷静である。屋敷で事務を執りながら、教団の推移を見つめている。その視点が興味深い。
(Eテレ「100分de名著」で取り上げられた)
 ラストの展開と悲劇については触れないことにする。三部作を読むのは大変だと思うが、やはり現代日本文学の重要な達成であることは間違いない。ただし、僕にはいくつかの疑問もある。一つはギー兄さんを襲う集団が「新左翼党派」とされることである。「内ゲバ」は70年代後半から80年代にかけて、非常に重苦しい問題だった。しかし、90年代になるとほとんど起こっていないと思う。調べてみると革労協内部の暗闘が21世紀まで続いていたが、ここで暗示されるのは「中核対革マル」のどちらかだと思う。党派内で重要な人物ではなく、単に見張りをしていただけで今は離脱している人物を襲撃するのは現実感が薄い。

 その結果として、教会内部の問題ではなく全然無関係の「外部からの襲撃」によって、教会が大きく変えられることになる。そういうことは歴史上良くあるとも言えるけれど、本来は教会内部の矛盾と向き合うことによって、教会が発展もしくは崩壊していくというプロットの方が望ましいと思う。この小説だけで言えば、いろいろな可能性が「内ゲバ」によって潰えたという物語になってしまった。

 もう一つはあまりにも外国の思想、文学の引用が多いこと。今までも同じだけれど、今回はさらにイエーツダンテなどに止まらず、アウグスティヌスシモーヌ・ヴェイユなどに広がっている。大江健三郎はもともと学者的であり、知識人世界を描いてきた。とはいえ、ここまで外国の詩人や思想家が出て来るのはどうなんだろうか。もちろん学者世界を描く小説ならそれで良い。だがこの小説は「宗教」「救い」を扱っている。知識を積んでも救いは訪れないと作品内部で自ら語っているけれど、まさに「隔靴掻痒」という感じが最後まで付きまとう。

 最後に「救い主」や「教会」のイメージにどうもヨーロッパ的な感じが抜けないことである。四国の村の伝承がベースになっているのに、組織するとなると大学出ばかりで西欧的になってくる。伊能三兄弟は大学では「民族派」だったとされるが、教会内部では「救い主」を求める強硬派である。民族派ならば、むしろ「神ながらの道」のような方向を求めるのではないか。「絶対神」などなくても宗教が成立するのが、日本の神道ではないかと思う。日本の新宗教は西日本から発生したものが多い。四国の村にはそっちの方が相応しい気がする。

 大江健三郎は多くの小説で「コミューン的なつながり」を描いてきた。しかし、その時に「日本型」のコミューンではなく、日本の風土に基づきながらもベースにキリスト教的なムードが出て来る。「フランス文学」を学んできたからだろうか。ウィキペディアに、発表当時に読売新聞に掲載されたインタビューが紹介されている。「信仰対象となる人物のいない時代、そもそも既成宗教の基盤がない国で魂の問題を解決するには、自分たちで宗教のようなものをつくるしかない、と考える人たちの話です」というのだが、その結果日本では無理だ、あるいは少なくとも文学では描けないということになっている。

 日本で「救い」を深く考えようと思う時、仏教神道の検討は欠かせない。巡礼団の中心が曹洞宗の僧侶なので道元は出て来るが、日蓮親鸞は出て来ない。ここで扱われるテロも「政治党派」のものだった。だから「オウム真理教」やキリスト教、イスラム教の原理主義的なテロを考えるには、あまり役立たない。そういうような不満もあるのだが、これほどの力作には人生で一度は挑む価値がある。しかしまあ、他の傑作を順番に読んでいって、「燃えあがる緑の木」に至るというのが望ましいだろう。
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「燃えあがる緑の木」三部作①ー大江健三郎を読む⑩

2021年09月12日 22時36分03秒 | 本 (日本文学)
 新潮文庫から全3冊で出ている大江健三郎燃えあがる緑の木三部作を読み終わった。ちょうど「9・11」(アメリカ同時多発テロ)から20年ということで、関連のニュースが多い。僕もいろいろ感じることもあるが、宗教テロ、「救いはどこにあるか」などの問題はこの三部作で深く考察されているから、ここで考えたい。

 「燃えあがる緑の木」三部作は原稿用紙2千枚にもなるという大江作品で一番長い小説である。当初はこれを最後の小説にすると言っていた。内容的な疑問、完成度の問題はあると思うが、そのぐらい力が籠もっているのは間違いない。第一部は1993年11月、第二部は1994年8月、第三部は1995年3月に新潮社から刊行された。ちょうどノーベル文学賞受賞(1994年)を間にはさんだ時期で、刊行直後にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。僕は単行本は買わなかったが、1998年に刊行された文庫本を持っていた。
(第一部 「救い主」が殴られるまで カバー装飾=司修)
 この小説は今までの大江作品に出て来る「四国の谷間の森」を舞台にしている。それどころか、直接に「懐かしい年への手紙」(1987)を受けている。時代的には明示されないが、1990年代初頭と思われる。瀬戸大橋がすでに完成していること(1988年)、第2部で大江自身の「治療塔」(1990)、「治療塔惑星」(1991)の続編を登場人物が構想する部分があること、その話の中でソ連崩壊(1991年12月)に触れられていることなどである。だから主筋は1992年頃から始まるはずだ。

 この三部作は谷間の森に生まれた小さな宗教的共同体が拡大していくとともに、内外に衝突が起こるようになり「分裂」してゆく様子を描いている。その「教会」の名前が「燃えあがる緑の木」教会というのである。そのイメージと言葉はアイルランドの詩人イエーツから引用されている。「」と「」という相克するものを抱え込んだイメージは鮮烈である。3作目のラストでは実際に池の島にそびえる大檜が炎上する。

 「懐かしい年への手紙」では語り手の作家「K」(大江自身)にとって、兄貴格だった村の青年「ギー兄さん」による二度にわたる共同体建設の挫折が描かれた。ギー兄さんの悲劇的な死から10有余年、村の伝承を先のギー兄さんに伝えてきた「屋敷」のオーバー(祖母)は、いよいよ死が近づいている。そして「ギー兄さんを呼んできてくれ」と言う。「先のギー兄さん」はすでに亡くなっている。しかし、この時作中人物の多くは誰のことを指しているのかすぐに判ったのである。それは村に住んでオーバーから伝承を受けていた「」という人物である。

 以後村人は隆を「ギー兄さん」と呼ぶ。彼はこの地域出身の外交官「総領事」の息子で、大学時代に友人との関係で新左翼党派の「内ゲバ」に関与した過去がある。父は息子を外国へ送ることも考えたが、彼は父の友人でもある作家の「K伯父さん」(大江自身)の紹介によって森の「屋敷」に籠もることにしたのである。それは彼が「」についてじっくり考えたかったからだ。と言っても、一体これは何なんだろうと思ってしまう。なんで屋号のように「二代目ギー兄さん」を「襲名」する必要があるのだろうか。

 ところで、この小説の語り手は「懐かしい年への手紙」と違って、作家自身ではなく「サッチャン」という人物になっている。サッチャンは村の生まれだが、孤児となって屋敷に引き取られオーバーの世話をしていた。東京の大学へ通った時には、K伯父さんの家に住んで障がい児の「ヒカリさん」の通学に付き添ったこともあった。その時は男性として生きていたが、実は両性具有者だった。村へ戻ってからは女性として生きることにして、なかなか理解されない中を生き抜いている。大江文学初期には同性愛者が多く出て来ることを⑨で指摘したが、ここでは両性の特性を持つ「インターセクシャル」(半陰陽)の人物が重要な役割で登場するのである。

 さすがに大江文学最大の巨編だから、なかなか内容に入らないまま長くなってきた。2回に分けて、僕の疑問に関しては次回に回したいと思う。第一部ではオーバーがついに亡くなり、その葬儀では「童子の蛍」と呼ばれる伝統行事が復活される。K伯父さんも参加して、日を持って山を登るイメージが鮮烈だが、実は行事の裏には隠された目論見があった。そして葬儀の日、立ち上る焼き場の煙を潜った鷹が大岩に登っていた「2代目ギー兄さん」にぶつかってくる。その姿を多くの村人が目撃する。

 オーバーの不思議な力がギー兄さんに受け継がれた「奇跡」だと村人は受け取る。心臓病の子どもにギー兄さんが触れると奇跡的に病状が軽快する。小児ガンの子どもも生きる力を取り戻し、ギー兄さんは「救い主」なのかと評判になるが、一方でそれを認めない村人との対立も深まっていく。ガンの子どもが死亡し、村人たちは集まってギー兄さんを糾弾する。そこまでが第一部『「救い主」が殴られるまで』になる。
(第二部 揺れ動く(ヴァシレーション)
 第二部はどうしても「間奏曲」的な感じがするが、第三部に向けて重要人物が登場し、また重要人物が退場する。「ギー兄さん」(2代目)の父である「総領事」は、かつてサンフランシスコ総領事を務めていたことがあって呼び名が定着した。しかし、その後も順調に出世しアルジェリアなどの大使を務めた後、EC(ヨーロッパ共同体、1992年11月からEUとなる)駐在大使となって、当時のN総理(中曽根?)の信認も厚かった。しかし、その後定年を残して退官し、息子の住む四国の村へ戻ってきたのである。それは死に至る病を自覚したからで、晩年を「教会」に拠って「魂」に専念したいと思ったのである。

 また先のギー兄さん以来細々ながら続いていた農場に、「伊能三兄弟」がやってきて大躍進が始まる。三兄弟というが、実は兄弟といとこである。彼らは遊びに行った道後温泉のディスコで三人娘と仲良くなって連れてくる。彼女たちは実は音楽を学んでいて、教会の合唱隊の中心になる。伊能三兄弟を中心に農場が整備され商品化が進むとともに、農場の若者たちを訓練して警備するようになる。またかつて糾弾の中心人物だった「亀井さん」は運命の転変で教会に集うようになり、私財を投げ出して大きな教会堂を建てることになる。

 他にもK伯父さんの友人の息子ザッカリー・K・高安、「総領事」の後妻(ギー兄さんの義母)「弓子さん」、国際的に活躍するピアニスト「泉さん」などが登場し、教会の外面的な整備とともに内面的な儀式なども整備されていく。最後にヨーロッパを再訪したい「総領事」はギー兄さんと訪欧の旅に出る。その一方で、怪しげな新興宗教だとするマスコミの追求も激しくなり、特に「暁新報」の花田記者が追求の最先端にいる。(これらの人物は明らかに実在人物をモデルにしている場合もあり、花田記者は本多勝一なのだろうと思う。)

 そういう中でK伯父さんと総領事らは、イエーツやダンテなどヨーロッパの作品を論じ合う。そして「総領事」と葬儀の中で、教会なりの儀式が作られていく。(それらはあくまでも「サッチャン」の視点で「教会の歴史のための文書」として語られていく。)そこで明らかになっていくのは、小さな森の教会が思わぬ大きさに発展していく中で、「本当に神はあるのか」という問題が焦点になっていく。伊能三兄弟は教会のために、ギー兄さんは救い主であると宣言して欲しいと詰め寄る。しかし、ギー兄さんはうずくまってしまい答えない。その様子を見たサッチャンは失望して教会を去る。そこまでが第二部『揺れ動く(ヴァシレーション)』。

 これだけ書いても第二部までしか終わらない。これでもずいぶん登場人物もエピソードも絞っているのだが。この小説は「懐かしい年への手紙」を先に読んでいないと、話が通じないところが多いと思う。それどころか大江自身の今までの作品が相当に引用されている。だが、それらは読んでなくても判ると思うが、「懐かしい年への手紙」とは直接のつながりが強い。主人公が同じく「ギー兄さん」と呼ばれることも共通である。それとともに、先代ギー兄さんの時には失敗した「コミューン」が、今回は曲がりなりにも大きく発展した一時期があった。そのことの問題をどう考えれば良いのか。それは次回に。
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「叫び声」、性と犯罪時代ー大江健三郎を読む⑨

2021年08月24日 22時22分04秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎叫び声」という小説がある。1962年の「群像」11月号に一挙掲載されて、1963年1月に講談社から刊行された。「遅れてきた青年」(1962)と「日常生活の冒険」(1964)の間に書かれた長編小説である。大江健三郎の長編は重厚長大なものが多いが、これは「芽むしり仔撃ち」ととともに、中編と呼んでもいい長さの小説である。全小説版では105ページになっている。この小説は昔講談社文庫版で読んでいて、「小松川事件」をモデルにした暗く孤独な犯罪小説という印象が残っていた。しかし再読してみたら、非常に興味深い傑作だった。
(講談社文芸文庫版)
 この小説は若者たちの「共同体」の崩壊を描いている。スラブ系アメリカ人のダリウス・セルベゾフと若い日本人3人はヨットでアフリカを目指すとことを夢見て共同生活をしていた。それは「僕」にとって「黄金の青春の時」だった。セルベゾフは朝鮮戦争に従軍中に癲癇の発作が再発し本国に帰されたが、父が死んで遺産を手にすると日本に戻って仲間を探し始めた。梅毒恐怖症の20歳の「」、黒人兵と日系アメリカ人の子である17歳の「」、日本を脱出しようと北海道からソ連へ向かって失敗した16歳の朝鮮人「呉鷹男」の3人である。

 セルベゾフは「悪い噂」(同性愛)もあるが、今は百科事典のセールスをして金を貯めて、ヨット「友人たち(レ・ザミ)号」を建造中である。愛車の「ジャガー」をヨーロッパ風に「ジャギュア」と呼んで、3人に使わせてくれる。彼らは皆何かしら性的な悩みや強迫観念を抱えているが、それでも前半では夢のような共同生活を送っている。後の「洪水はわが魂におよび」にも出帆することを夢見る「自由航海団」というグループが出て来た。石原慎太郎の小説では高校生でもヨットを乗り回し、作家自身もカリフォルニアからハワイへの航海レースに参加した。だが大江作品では航海は「夢想」の対象であり、そこには紛れもなく階級的格差がある。
(講談社文庫版)
 セルベゾフは仕事で神戸に行ったときに事件を起こす。3人は驚いて「ジャギュア」で一路神戸を目指した(まだ高速道路がない時代である)。着いてみたらもう釈放されていたが、それをきっかけに国外追放になって共同体は崩壊していく。スポンサーがいなくなって経済的に困窮し、「犯罪」に向かったのである。「僕」は結核を病んで闘病生活を送り、「虎」は痛ましい死を迎える。一人になった「呉鷹男」は「怪物」になることを求めて、夢遊状態のような中でかつて在学していた定時制高校の屋上で殺人事件を起こしてしまう。5年後、「僕」が呉鷹男に面会したときには、彼は死刑判決を目前に控えて犯罪を認めていた。

 呉鷹男は犯行を新聞社に電話して大反響を巻き起こしたことになっているが、これは実話に基づいている。それが1958年8月17日に起きた「小松川事件」で、その名前は都立小松川高校の屋上で起こったことによる。犯人の李珍宇(通名金子鎮宇)は18歳で同校定時制1年生だった。彼はまた4月に起きた殺人事件でも起訴され、2件の殺人で死刑となった。(この事件は「自白」以外に証拠がなく、冤罪説もある。)マスコミに知らせるという「劇場型犯罪」の第一号と言われている。李は獄中でカトリックの洗礼を受け、支援者の朴壽南に充てた膨大な書簡集が公刊されている。大島渚監督の映画「絞死刑」のモデルになったり、多くの作家、評論家に強い影響を与えた。
(逮捕を知らせる新聞報道)
 多くの人に衝撃を与えたのは、犯人が10代の朝鮮人だったことで、日本社会の責任という観点が浮上したことによる。(17歳だったら刑訴法上死刑判決は出せない。)またマスコミ(読売新聞)への連絡、獄中でドストエフスキーを読むなど「もう一人の永山則夫」と言いたいような存在だったこともある。粗暴犯というより「実存的犯罪者」の側面があって、そこに多くの作家、批評家が注目した。しかし、今になって読み返すと、「被害者の視点」が欠落しているのは紛れもない。被害者への想像力が及ばないところ、「生の躍動」(エラン・ヴィタール=ベルクソンの用語)の欠如にこそ特徴があった感じがする。

 初期の大江作品には、「怒れる若者たち」(アングリー・ヤング・メン)が多く登場する。「怒れる若者たち」とは、50年代後半に登場したイギリスの若い作家、劇作家たちを指す言葉である。大江健三郎の「われらの時代」には、登場人物が結成しているジャズバンドを「アンハッピー・ヤング・メン」(不幸な若者たち)と名付けていた。障がい児が生まれてから、作品的には「個人的な体験」以後の作品とそれ以前では多くの違いが見られる。特に長編では「犯罪」がテーマになることが多い。「叫び声」ではむしろ前半にこそ輝きがあり、後半の呉鷹男の犯罪の部分には判りにくさがあると思う。そこに小説の難しさがある。

 もう一つ、初期作品には「性」、特に「同性愛」が重大な意味を持つものが多い。長編の「われらの時代」「遅れてきた青年」「叫び声」の他に、中編「性的人間」も同じ。今回初めて単行本に収録された「ヴィリリテ」は「男娼」の世界だし、「善き人間」では妻のいる男が若い男性とも関係を持つ。その様子を夏のホテルでペットの世話をしている少年の目から描くという秀抜な作品で、何故今まで埋もれていたのか不思議。ただし、同性愛を「性的倒錯」と呼ぶなど今から見ると時代的制約もある。そうではあっても、「ホモフォビア」(同性愛嫌悪)のような描写は感じない場合が多いと思う。その事も含めて「初期大江作品で同性愛がどのように描かれているか」は重要な検討課題だと思うが、まだ誰も本格的に論じてはいないようだ。
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