尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「セヴンティーン」2部作、テロリストの誕生ー大江健三郎を読む⑧

2021年08月23日 22時05分01秒 | 本 (日本文学)
 2018年7月に「大江健三郎全小説」の刊行が始まった時、第1回配本は3巻と7巻だった。7巻は「万延元年のフットボール」と「洪水はわが魂に及び」だから最初に出るのも理解出来る。一方、3巻は「セヴンティーン」第2部の「政治少年死す」が、1961年の雑誌発表以来初めて単行本に収録されたのである。その作品は1960年10月に起きた日本社会党の浅沼稲次郎委員長暗殺事件を起こした右翼少年、山口二矢(おとや)をモデルにしたとされ、右翼の非難を浴びた。掲載誌の「文學界」は次号に謝罪文を掲載し、作者も事実上作品を封印してきた。その作品が57年ぶりに日本で刊行された。是非読みたいと買って置いたので、今こそ読んでみよう。
(「大江健三郎全小説」第3巻)
 「セヴンティーン」は新潮文庫の「性的人間」に入っているから、僕はずいぶん若い頃(中学か高校)に読んだ。今回読み直したら、覚えている箇所が幾つもあった。そのぐらい鮮烈な印象を受けた作品だった。「政治少年死す」は誰かが勝手に印刷したものが一時期ウニタ書舗(左翼系書店)等に置いてあったけど、作家本人が認めてないんだから買う気にならなかった。当然ながら今回初めて読んだわけである。2段組の「全作品」で、「セヴンティーン」は35ページ、「政治少年死す」は48ページである。

 「政治少年死す」は、自身を思わせる若手作家が出て来たり、様々な文章がコラージュされたり、なかなか複雑な構成になっている。60年安保闘争で終わった「セヴンティーン」を受けて、小説は夏の広島から始まる。8月6日の広島で活動する「右翼」を描いたことで左翼からの批判もあったという。僕はこの小説を読んで、右翼少年をことさらに貶めるものとは感じなかった。なんで非難されたのかは、当時の特殊な状況があったと思う。その時「中央公論」の1960年12月号(発売は11月10日)に発表された深沢七郎の小説「風流夢譚」が問題化していた。夢の中で「左欲」が皇居に侵入する話だが、皇室に「不敬」な描写があると非難された。

 そして、1961年2月1日には、右翼の少年が中央公論社の嶋中社長宅を襲撃してお手伝いさんを殺害する事件を起こしたのである。その事件の少年は浅沼事件の犯人、山口二矢と同じく「大日本愛国党」に所属した経験があり、年齢も同じ17歳だった。ちょうどその小説が問題になっている最中の、1961年12月に「セヴンティーン」が発表され、1月に「政治少年死す」が発表された。そして、「文學界」3月号に会社による「謝罪文」が載ったわけである。この事件に関しては、「懐かしい年への手紙」で自身が触れている。また新興宗教の問題とされているが「スパルタ教育」(63年2月)に、電話に怯える若い夫婦が出て来る。大江は1960年2月に結婚したばかりで、年若い夫婦にはこの電話攻撃がこたえたと思われる。

 ところが今回解説を読んで驚いたのだが、山口二矢は「セヴンティーン」のモデルではなかったのである。どういう事かと言えば、浅沼稲次郎暗殺事件が起きたのは、1960年10月12日のことである。「セヴンティーン」の発表は1961年1月号だが、雑誌は前月上旬に発行されるのが通常である。「文學界」新年号の発売は12月上旬だったから、締め切りは11月半ば頃だったはずである。浅沼事件発生後に取材を開始して執筆に取り掛かったのでは間に合わないのである。「セヴンティーン」は非常に力のこもった作品で、その意味でも現実の事件に触発されたのではなく、それ以前から「孤独な少年が右翼になる」物語を構想していたのである。作家の想像力が現実に先んじて事件を予知してしまったのである。
(浅沼稲次郎暗殺の瞬間を写した写真)
 そのことは今回の解説で教えられたもう一つの注目すべき事実とも関連がある。それは三島由紀夫憂国」が発表されたのも、1961年1月の「小説中央公論」冬季号だったことである。「セヴンティーン」と「憂国」は同時期に発表されていたのである。「憂国」は二・二六事件に参加できなかった青年将校が妻とともに自決する話である。それは単なる政治的物語ではなく、むしろ「大義」への献身のエロティシズムとでも言うべきものだ。それは「セヴンティーン」の主人公「」が右翼結社「皇道派」(「政治少年死す」では何故か「皇道会」となっている)に参加して、「忠とは私心があってはならない」と目覚めてゆく時の興奮にも通じていると思う。

 「政治少年死す」は明らかに山口二矢が起こした現実の事件モデルになっているが、取材をしたノンフィクションではない。戦後最大の社会運動だった「60年安保」の半年後、「右翼」と「政治的テロ」は、気鋭の作家にとって魅惑的なテーマだったのだと思う。現実の山口二矢は1960年11月2日に(小説と同じく)東京少年鑑別所で自殺した。小説である「政治少年死す」もそれ以外の結末を作ることは出来ないだろう。山口に関しては、沢木耕太郎テロルの決算」(1979,大宅賞受賞作)があり、僕も当時読んだが細部は忘れた。ウィキペディアを見ると、山口は私立の玉川学園在学だが、「俺」は明らかに都立高校である。父親は私立高校の教頭とされているが、山口の父親は自衛官だった。(小説では姉が自衛隊の病院の看護婦になっている。)
(山口二矢)
 解説で知ったことだが、実は「政治少年死す」は日本に先駆けてドイツとフランスで翻訳が刊行されていた。ドイツでは「55年後の大発見」、「アンファン・テリブルからノーベル賞作家へ」と評価されたという。「アンファン・テリブル」はフランス語で「恐るべき子ども」のこと。大江作品の翻訳は「個人的な体験」以後が多かったが、それ以前の時期の重要性の発見ということだろう。特にヨーロッパで高く評価されたのは、2010年代にヨーロッパでイスラム系の無差別テロが横行したことがあるだろう。それらの事件の多くは、「それまで特に宗教的な関心を示さなかった」などと報道されることが多い。

 「セヴンティーン」の「」も進学校の中で孤立し、自意識と性欲にさいなまれている。特に政治的な関心もなく、むしろ当時の若者に多かったように「少し左翼的」である。自衛隊病院に勤める姉に「税金泥棒」と言って衝突するぐらいだ。家族の中で彼の17歳の誕生日を覚えていたのは姉だけだったというのに。学校では「新東宝」というあだ名のクラスメイトから右翼の演説会の「サクラ」に誘われる。「新東宝」という映画チェーンは、当時ほぼポルノ映画専門になっていた。それを場末まで追っかけているからあだ名が付いたのである。しかし、新東宝はそれだけでなく「明治天皇と日露大戦争」(1957)を大ヒットさせた会社でもある。

 この小説では「いけてない少年」が「いかにしてテロリストになったか」の内面的秘密が余すところなく描かれている。「天皇制」は日本独自のものだなどという思い込みで読んではいけないのだ。どの社会にもある、「伝統的価値」に寄り添うことで初めて「居場所」を見つけられ、「性的充足感」をも覚えるという心理的な秘密が恐るべき細密さで再現されている。アメリカのコロンバイン高校銃撃事件の少年(マイケル・ムーア監督「ボウリング・フォー・コロンバイン」)やノルウェイのウトヤ島テロ事件の犯人にも通じる部分がある。21世紀になって、1960年に起こった日本の右翼テロ事件が注目されるというのは悲劇だが、ともかく「セヴンティーン」2部作は今も生きているのである。
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宇能鴻一郎「姫君を喰う話」と映画「鯨神」

2021年08月15日 22時05分44秒 | 本 (日本文学)
 2021年7月の新潮文庫で宇能鴻一郎(うの・こういちろう、1934~)の「姫君を喰う話」という作品集が刊行されたのには驚いた。1962年1月に「鯨神」で芥川賞を得た作家だが、その時点では東大大学院在学中だった。その「鯨神」はすぐに大映で映画化され、巨大な鯨が特撮で再現されている。現在角川シネマ有楽町で上映されている「妖怪特撮映画祭」でもラインナップに入っているので見に行ってみた。

 宇能鴻一郎なんて言っても若い人は知らないだろう。70年代には「官能小説」の大家として有名で、週刊誌やスポーツ新聞などに「あたし〜なんです」という女子大生モノローグっぽい文体でポルノを量産していた。当然日活ロマンポルノの原作にピッタリで、題名に作家名の付いた映画だけでも「宇能鴻一郎の濡れて立つ」とか(以後作家名省略)「むちむちぷりん」「あげちゃいたいの」など21本も映画化されている。特に作品的に評価されたわけではなく、僕もちゃんと読んだことはないけど、そこらに置いてある週刊誌で流し読んだことはある。

 そんな宇能鴻一郎が芥川賞作家だと知って驚いたものだが、松本清張五味康祐など芥川賞作家がエンタメ作家になる例は珍しくはない。「鯨神」は江戸末期から明治にかけて、長崎県の平戸島和田浦(架空の地名)の鯨漁を生業とする隠れキリシタンの村を舞台にしている。ある年巨大な巨大な鯨が祖父と父の生命を奪い、数年後に兄もまた巨大鯨に挑んで死ぬ。そんな運命のもとで、残された弟シャキは「鯨神」と名付けられた巨大鯨に復讐することを目的に生きている。鯨名主は鯨神を倒したものには娘トヨと一家の財産すべてを渡すと誓いを立てる。紀州で人を殺して逃げてきたという「紀州」も野心を燃やしている。
(映画「鯨神」)
 映画は1962年大映作品で、新藤兼人が脚色し、「悪名」「眠狂四郎」シリーズなどで知られる娯楽映画の名手、田中徳三が監督している。シャキは本郷功次郞、紀州は勝新太郎、シャキの幼なじみエイに藤村志保、トヨに江波杏子、その父の鯨名主に志村喬といったキャストである。特撮についてはウィキペディアに詳しく出ている。鯨神に立ち向かっても死ぬとしか思えない宿命を生きるシャキ、彼をめぐる女性たちと「紀州」。メルヴィル「白鯨」を思わせるが、全体的に小説としても映画としても今ひとつ満足出来なかった。小説は文体的に大時代過ぎる感じで、映画は筋を追うのに精一杯。特撮も今の眼で見てしまうと苦しい。

 芥川賞受賞作の「鯨神」は60年代初期にしてはずいぶん古風な小説だ。石原慎太郎や大江健三郎以後とは思えない感じだが、直前の受賞者が三浦哲郎「忍ぶ川」なので少し反動があったのかもしれない。新潮文庫に収録されているのは、69年、70年頃の作品が多い。まだ官能小説で知られる直前の、「異色」と言うより「異常」、「猟奇的」を超える気持ち悪くなるような小説ばかりである。異常性愛ものが多いので、多くの人にお薦めしない。よほど物好きじゃない限り読まない方がいいと思う。僕も「メンタルヘルス」とか「ルッキズム」を問題にした後で、こういう小説集について書くべきかどうかと思わないでもない。

 しかし、「文学」は何を書いてもいいはずだとは思う。それでも「ズロース挽歌」なんてまずいでしょう。男だからといって、「ズロース」とか「ブルマー」に憧れるなんて心理は不可解である。それを別にしても、「姫君を喰う話」の超B級グルメ話から性欲へ、そして時代を飛び越えて「至上の愛」へと移っていくトンデモぶりにはたまげた。とっても読んでられないと思う人が多いと思うけど、これはこれで傑作だと思う。他では「西洋祈りの女」が敗戦直後の農村地帯(三重県南部)を舞台に、不思議な祈祷師(「和風」ではなく、英語などを交えて祈るから「西洋祈り」と呼ばれた)を描く。「花魁小桜の足」「リソペディオンの呪い」も収録。

 谷崎潤一郎の伝統があるからか、マゾヒズム系の小説が多いように思う。多少「大衆文学」に寄ってはいるが、「異常性愛純文学」とでもいう作品集。作者はもう故人かと思っていたら、存命だったのも驚いた。「横浜市金沢八景の敷地600坪の洋館で老秘書を従え、社交ダンスのパーティを開くなどの貴族的な暮らしぶりが伝えられる」という不思議な情報がウィキペディアに掲載されている。
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「遅れてきた青年」、悪漢小説の可能性ー大江健三郎を読む⑦

2021年07月29日 22時31分19秒 | 本 (日本文学)

 大江健三郎初期の長編小説「遅れてきた青年」(1962)は、1971年に出た新潮文庫本(第2刷、1970年刊行)を持っていた。つまりピッタリ半世紀読まずに持っていたことになるが、この機会に読んでみた。6月に「万延元年のフットボール」「洪水はわが魂に及び」という大長編を読んだので、今月はもう少し判りやすいものを読みたかった。「遅れてきた青年」は大江作品初の「大長編」というべき作品だが、判りにくい点は少ない。時間が経ってしまって、政治的、風俗的に理解しづらいところもあるけれど、内容的にはまあまあ読みやすかった。もっとも半世紀前の文庫本は字が小さくて目がショボショボするという難点はあったけれど。
(カバー=山下菊二)
 大江健三郎は東大在学中に芥川賞を受賞したから、学生からすぐに職業作家になったわけである。だから初期作品は東大(と思われる)の学生生活や、自分の出身地(四国の山奥の村)を舞台にした短編ばかりである。1958年の「芽むしり仔撃ち」も戦時中の故郷の村で起こった出来事である。それでは作品世界が狭まるから、現代の青春を三人称で描く「われらの時代」(1959)を書いた。これはアルジェリア独立運動家や天皇「暗殺」を目論む青年たちが出て来る興味深い小説だけど、小説としては成功作と言えない。

 次の長編「夜よゆるやかに歩め」(1959)は「婦人公論」に連載された作品だが、単行本が出た後は文庫化もされず、今まで何度か出た大江健三郎作品集に一回も掲載されていない。図書館にも余りないと思うが、古本では売っている。5千円から1万円はするから、本職の研究者しか読まないだろう。その次の「青年の汚名」(1960)はニシンの到来を待ち望む北海道(礼文島がモデルという)の青年を描いている。これは昔文春文庫に入っていて読んだことがある。この2作品は最近の「大江健三郎全小説」に収録されていない。若い時期の未熟な「失敗作」ということなんだろう。

 次の長編が「遅れてきた青年」(1962)で、それまでにない2部構成の大長編になっている。「われらの時代」と「遅れてきた青年」も、収録されなかった作品集があったという。しかし、これらの4長編は大江健三郎の「もう一つの可能性」を示していると思う。戦後の作家たちの多くは、「純文学」と「大衆文学」を書き分けていた。三島由紀夫遠藤周作などが代表だが、大江文学は「純文学」に特化して「難解」という評価が定着していく。しかし、それは大江光が生まれ「個人的な体験」を書いた後の話である。その後はほとんどの作品で「障がい児と生きる」というマジメなテーマが追求される。
(1960年の結婚式)
 しかし、もし最初の子どもが障がいを持って生まれなかったら、どうだっただろうか。「四国の森」を舞台にした神話的作品群は書かれただろうが、それとは別にもっと通俗的で判りやすく面白い、そして映画やテレビの原作に採用されるような作品も書いていたのかもしれない。そう思ったのは「遅れてきた青年」にピカレスク・ロマン(悪漢小説)としての面白さを感じたからだ。今までこの小説はそんなに読まれなかったし、読まれたときは「政治的」に解釈されることが多かったのではないか。

 題名の「遅れてきた青年」とはまず第一に「戦争に遅れてきた」こと、もっと言えば「天皇のために死ぬはずなのに遅れてしまった」ことを意味するだろう。子どもながら「わたし」という一人称である語り手は、教師たちとうまく行ってない。戦争に敗れ占領軍がやって来ると、中国戦線を経験した男たちが「女は強姦され子どもは虐殺される」と言って山に隠れさせる。村より奥にある「原四国人」の集落は村人たちによって破壊される。「わたし」はそんな大人たちに従うことなく、地域の中心都市に集まれという戦争継続の呼びかけに応えて、朝鮮人の友人「」とともに杉丘市へ向かう。この杉丘は「松山」ということだろう。

 そこまでが第一部で、結局大人たちに捕まって家からも見放されて教護院に送られた「わたし」は、その後受験勉強を始めて東大に合格した。久方ぶりに教護院を訪れた「わたし」は、書類の隠ぺいを求める。今は東京で有力保守政治家の娘の家庭教師をしている。東京に戻ると、その沢田育子が待っていて妊娠したという。父親は彼ではないが、中絶の金がない。親からせびり取って欲しいと言う。それに失敗して、仕方なくモグリの手術をしてくれる医者を学生運動をしている知人に紹介して貰う。その代わりにエジプトへ向かうという彼の代理で、左翼運動への参加を求められる。

 参加してみたら案外本気になっていくが、下宿に保守政治家からの大金が届いたことを知られ、スパイの疑惑を掛けられる。監禁され自白を求められるが、拒否すると拷問にあう。最後には「浮浪者」による「性的拷問」さえ行われる。逃れた後で復讐のため育子の父に従って国会で証言する。この後も波瀾万丈というべき「転落」を繰り返した挙げ句、「わたし」は神戸で康と再会する。朝鮮戦争で金日成将軍のために戦いたかった彼は、仕方なくアメリカ軍について韓国へ渡り戦争の実態を見ていた。

 保守政治家の走狗となっていく「わたし」と、育子、育子の子どもの父である「偽ジェリー・ルイス」と呼ばれる年下の少年。その新しい風俗とともに、左翼運動(これは安保闘争時の全学連主流派、つまり反日共系だと思われる)の暗部、朝鮮と日本、犯罪と性、問題となるようなテーマがごった煮のように投げ込まれている。確かに必ずしも上出来とは言えないが、学生運動やテレビなど当時の社会状況が興味深い。主人公の生き方に疑問が多いが、もちろん肯定的に描かれているわけではない。現代青年の「内面の空虚」を描くのが眼目だろう。でも「風俗小説」的な面白さがあって再評価されるべきだ。「朝鮮」「自殺」「同性愛」などが初期大江作品によく出てくる意味も考えるべきテーマだろう。

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「静かな生活」と「二百年の子供」ー大江健三郎を読む⑥

2021年07月28日 21時05分29秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎の小説は難しいと思っている人は、まず「静かな生活」(講談社文芸文庫)を読むべきだろう。これは1990年にいくつかの雑誌に連載された連作短編集で、1990年に講談社から出版された。1994年にノーベル文学賞を受賞した記念として、義兄の伊丹十三監督によって映画化されたことでも知られる。僕は当時は読まなかったので、こんな読みやすい小説があったのかと驚いた。でも小説の設定を実際の大江一家と混同してはいけない。これは純然たるフィクションなのだと思って読まないといけない。
(「静かな生活」)
 というのも語り手は「マーちゃん」と呼ばれる女子大学生。「イーヨー」と呼ばれる兄は障がい者で、地域の作業所に通っている。弟の「オーチャン」は浪人中の受験生である。父親は周りの人から「健ちゃん」と呼ばれる作家で、今カリフォルニアの大学に「居住作家」として招かれている。ところが父は精神的に「ピンチ」にあって、一人で行かせられないと考えた母も付いていく。そこで障がい児を抱えた一家が子どもたちだけで暮らしていくのである。一家の設定はほぼ大江一家と同じで、イーヨーが作曲を習っていたり、水泳に行くのも現実を反映している。(「新しい人よ眼ざめよ」の最後で「イーヨー」と呼ばないことになったが、その後また呼んでいる。)

 これじゃあ、まるで大江一家だと思って読んでもやむを得ない気がするが、そもそもの「父母がカリフォルニアに半年以上も行く」というのがフィクションらしい。しかも、その状況を娘の視点で描くのが不思議。小説ではピンチに立つ父親が遠慮なく語られるが、それは自分自身のことである。子どもが父を批判的に書く小説を当の父親が書くのである。こんな変な設定の家族小説は世界で初めてだろう。読みやすく出来てるけど、この小説の仕掛けはなかなか複雑なのである。

 単に家族の日常を描くだけでなく、「案内人(ストーカー)」という章ではタルコフスキー監督のロシア(ソ連)映画「ストーカー」(1979)をめぐって、登場人物が議論する。「ストーカー」という言葉はこの映画で初めて知ったわけで、この小説の中でもどういう意味か皆で議論している。チェルノブイリ原発事故直後で、ソ連崩壊直前の時期に書かれた小説である。ポーランドの大統領が来日して抗議活動をする話も出てきて、1990年という時代を表わしている。

 「妹の力」のように物語が進行し、最後になって「イーヨーが戦う」というのが、この小説の真髄である。だからずっと「マーちゃん」の語りで描かれることに意味がある。彼女は仏文科の学生でセリーヌを専攻している。そんな専門的な話が挟まりながら、水泳クラブでイーヨーに危機が訪れる。実はそれは父親の関係なのだが、とにかく留守を守るマーちゃんは一生懸命である。だが実はイーヨーは単に守られているだけの存在じゃなかった。それを妹の視点で物語る「ナラティブ」(語り方)がこの小説の読み所で、作家も一作書いて面白かったので連作になったという。
(映画「静かな生活」)
 映画はあまり評価されなかったが、僕は面白かった。伊丹十三監督は現実の社会問題をコミカルに描くことで人気を得ていた。基本的なマジメな大江文学は、伊丹作品のイメージに合わなかったのか、商業的にもヒットしなかった。父を山崎努、イーヨーを渡部篤郎、マーチャンを佐伯日菜子が演じていた。もう一回見直して見たい気がする。大江作品は60年代初期に何作か(「われらの時代」「飼育」「偽大学生」など)映画化されているが、だんだん難しくなって映画化が企画されても頓挫することが多くなった。ノーベル賞記念という名目で映画化出来たが、当時伊丹作品は全国一斉公開されていた。それには向かなかったということだろう。

 「二百年の子供」は「静かな生活」を越えて、間違いなく大江作品の中で一番読みやすい。2003年1月から10月に読売新聞に連載され、中央公論新社から刊行された。中公文庫にも入ったが現在は入手できないようなので、図書館で借りて読んだ。この本は「ヤング・アダルト」向けの「ファンタジー」として書かれたSFである。タイムマシンが四国の谷間の村にある大きなシイの木のうろだというのが発明である。そこで寝ると時間を越えるというか、それは夢を見るだけのような気もするけど、過去にも未来にも行けるという設定である。
(「二百年の子供」、舟越桂画)
 そんなバカなと言ったら話はおしまいで、ここに描かれる村の過去と未来の姿を考えるきっかけにすればいいんだろう。ここに登場するのは、「真木」「あかり」「」という三人組の子どもたちである。そして長男の真木には障がいがあるというから、つまりは大江一家と同じである。子どもたちをずいぶんフィクション化して作品に登場させてきた大江健三郎だが、これはそういう子どもたちへのプレゼントみたいな作品だろう。

 過去では村に起きた「逃散」(ちょうさん)の時期にタイムトラベルする。それって「万延元年のフットボール」などで描かれてきた時代じゃないか。その通りで、言ってみれば自分の子どもたちが自分の小説世界に入っていくという、ちょっと超絶的な発想である。そこではリーダーのメイスケさんが皆を連れて逃げるところだが、長老とは対立もある。子どもたちは傷ついていて、あかりは包帯を持って行って介抱する。

 それがタイムトラベル的に許されるのかなど議論しながらも、何とか可能になる。そしてメイスケには犬がいて、真木は「ベーコン」と名付ける。ベーコンを持って行くと大好物で食べるから。それから103年前のアメリカに行って、津田梅の留学の様子を垣間見る。今度は未来へ行こうとなって、2064年に行くことにする。なお、小説内の時間では現在が1984年になっている。それが「二百年の子供」という題名の理由。
 
 その未来はやはり「ディストピア」になっている。管理社会が完成している感じだが、一方ではそれに反抗する「根拠地」もあるらしい。そして、そもそも三人組が四国の森に来たのは、両親が外国へ行っているからだ。父親は精神的危機にあるらしく、果たして一家はちゃんと現実世界で再会できるんだろうか。そこでラストに弟があるものを見つけて解決する。ジュニア向け新聞小説だから、こんなに読みやすくていいのかと思いながら読むと、案外深い意味と小説的仕掛けがやはりあったのだった。
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「新しい人よ眼ざめよ」、障がい児と生きるー大江健三郎を読む⑤

2021年07月27日 22時12分52秒 | 本 (日本文学)
 先月に引き続き大江健三郎を読んでいる。書いてもほとんど読まれないんだけど、数ヶ月続けて読み切って自分の記録として書くつもり。新たに買ったり借りたりすることなく、溜まっているから読むと前に書いたけど、著作が多いので持ってない本も多かった。大江健三郎の中期作品はとても読みにくい本が多いが、その中で「障がい児と暮らす一家」、つまり大江健三郎一家がモデルかなと読者が思って読む作品群は比較的読みやすい。そういう作品を先に読もうかと思ったら、案外持ってなかったので買うことにした。
(「新しい人よ眼ざめよ」)
 1983年の「新しい人よ眼ざめよ」は講談社文庫と講談社文芸文庫の両方で入手可能。1982年から83年に掛けて書かれた7つの作品による連作短編集である。題名はイギリスの詩人・画家のウィリアム・ブレイク(1757~1827)の「預言詩」から取られている。だから英語表記では「Rouse up, O, Young men of the New Age !」になる。(ジョン・ネイスンによる訳がある。)中期の大江作品には外国作家の詩や小説が原語で引用され注釈がなされることが多い。ブレイクだけでなく、ダンテイェイツのときもある。

 ブレイクの引用が難解なんだけど、この作品はとても感動的な傑作だ。でも時々難しすぎると思う。そのブレイクをめぐる部分を抜いても作品は成立するだろう。そうすれば感動的な家族小説になると思うが、それでは浅い感じもする。ブレイクをめぐる部分があって、障がい児を抱える作家の生活が全体的に描かれるとも言える。ブレイクをめぐる話が必要なのは、この物語が「死と共生」をめぐる思索エッセイでもあるからだ。

 主人公「」には「イーヨー」という障がいを持つ長男がいる。これは間違いなく大江光(1963.6.13~)がモデルで、彼の下に長女、次男がいることも実際の一家と同様。また堀田善衛三島由紀夫武満徹山口昌男中村雄二郎などがイニシャルで出て来る。だから一読すると、家族エッセイみたいにも思えるけれど、実際には子どもの造形にはフィクション化がかなりなされているらしい。「イーヨー」(Eeyore)という名前は、特に70年代の作品によく使われたが、これはA・A・ミルンの「クマのプーさん」に出て来る「ペシミストのロバ」から。実際にそう呼ばれていたのではなく、小説だけの呼び方らしい。
(大江光)
 作家の「僕」はヨーロッパやアジアなど世界を旅することが多い。その中で考えたことと障がい児「イーヨー」が幼児から大きくなりつつある現状をどう考えるかがリンクする。イーヨーは「死」を理解するか、イーヨーは「夢」を見るか。イーヨーが性的衝動を抱えて暴発することはありうるか。イーヨーは昔から鳥の鳴き声を聞きわけるなど音に対して敏感だった(「洪水はわが魂に及び」)。やがてラジオで毎日クラシックを聴くようになり、作曲の勉強もするようになる。(その後広く知られたように、大江光はCDを出して高く評価された。)

 イーヨーの作曲の才能を見込んで、軽井沢の施設からクリスマス会用の音楽を頼まれたりもするが、父の通うプールで溺れかけたりもする。また台風が来るというのにイーヨーが伊豆の別荘に行くと言い張り、結局父が一緒に行って台風さなかの別荘で過ごす(「蚤の幽霊」)。父のところに来る若い政治運動家に「誘拐」されて東京駅に放置されたり(「鎖につながれたる魂をして」)、イーヨーの日々は危機とドラマに満ちていた。

 そんな中で養護学校の「寄宿舎」に入る時期がやってきた。これは必須の「行事」だということだが、次に帰宅した時に「イーヨー」と呼び掛けても答えない。次男がもうあだ名でなく本名で呼んで欲しいんじゃないかと「光」と呼ぶと答える。こうして寄宿舎生活を経て「自立」していくのだった。それがブレイクの詩と連動して深い感動を与えることになる。エッセイだか小説だか判らないように進展して、最後に見事に着地する感じだ。

 この小説はいかにも大江的な世界だと思う。学者のような論考の奥に、作家が抱える幼少期からの深い悩みが見え隠れする。その一方で障がい児を抱えて行きていることで、様々な悩みや鬱屈を抱える。イーヨーは理解可能なんだろうか。と同時に、彼がいることで家族がまとまり、障がい児が周りを明るくすることもある。そういう暮らしが、相当に知識人世界に偏っていはいるけれど重層的に語られる。イーヨーは「自閉症」と考えられるが、「癲癇」(と思われる)の発作も時々起こす。障がい児と生きることをこれほど深く伝えた小説は世界でそれまで書かれなかった。読んでない人は一度、読んでいる人も折に触れ読んでみていい本だ。大佛次郎賞受賞。
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「洪水はわが魂に及び」、終末論と自閉症の世界ー大江健三郎を読む④

2021年06月29日 23時45分42秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎シリーズは今回で一端中断。大長編は読むのに一週間近く掛かり、今月はほとんど大江作品を読んでいた。また作品が溜まったら書きたい。三作目は「洪水はわが魂に及び」で、1973年9月に上下2巻の新潮社「純文学書下ろし特別作品」として刊行された。これは僕が初めて同時代に読んだ(つまり単行本で読んだ)作品で、非常に大きな感銘を受けた記憶がある。その年の野間文芸賞受賞。もっとも僕が持ってる本は、上巻は初版だが下巻は1974年4月30日付の第7版である。半年で非常に売れている。上巻は820円、下巻は930円で、これはこの間の「狂乱物価」を反映していると思う。刊行当時は高校3年生で、お金のためか受験のためか、上巻しか買わなかったらしい。74年は浪人中だが、下巻を買ってるんだからその年に読んだのだろう。
(単行本上巻)
 東京の外れに核兵器のシェルターを改造したトーチカのような建物があり、そこに自閉症の子どもと閉じ籠もって暮らす男がいる。かつて保守党有力者の秘書をしていて、その娘(直日)と結婚した。障がい児が生まれたことから結婚生活が破綻し、男は名前も「大木勇魚」(おおき・いさな)と変えて「樹木の魂」「鯨の魂」の代理人を称している。樹木や鯨の魂と交信し、息子「ジン」ともテレパシーで通じている。ジンは鳥の鳴き声を集めたテープを聞いて聞き分けることが出来る。テープから音が出ると「アカショウビンですよ」「センダイムシクイですよ」などと答える。これは大江光をモデルしているということだが、読んだときに非常に強い印象を受けた。僕はそのジンの声が今もずっと耳奥に残り続けている。

 その近くにつぶれた映画撮影所があり、一角に少年らのグループが住み着いている。勇魚はそのグループが建物に現れたことから関係を持つようになる。当初は敵対的なムードだったが、やがて「言葉の専門家」として遇される。彼らは「自由航海団」と名乗り、首都圏大地震などで近く終末を迎えるだろう世界から船で逃げだそうとしている。若い「ボオイ」は男に敵対心を持つが、女性メンバーの伊奈子はジンと心を通わせる。リーダーの喬木(たかき)は冷静だが、武器に堪能な多麻吉は攻撃的である。カメラマンだった「縮む男」は、不思議なことにどんどん体が小さくなっているという。勇魚は彼らとともに世界について議論し、英語を教えるようになる。そして武器訓練キャンプ地を探していた彼らに、妻を通じて南伊豆の別荘予定地を紹介する。
(単行本下巻)
 そこでは伊奈子がオルグした自衛隊員が武器の訓練を行う。勇魚とジンも同行するが、ジンが水痘にかかって伊奈子は看病に付き添う。その間に「縮む男」が秘かに訓練の写真を撮って週刊誌に売り込んだことが発覚した。メンバーは「縮む男」の裁判を行い、有罪を認める「縮む男」に暴行を加えて殺害する。自衛隊員はそれを受けて逃亡し、伊東付近の漁港で自殺する。警察が動き出し、撮影所跡に残った「ボオイ」はブルドーザーで抗戦するが死ぬ。残りのメンバーは勇魚の家に籠城する。ジンの病気が治って勇魚と伊奈子が東京に戻った時には、もはや機動隊との衝突が避けられなくなっている。ジンを避難させるために伊奈子や喬木は投降するが、銃の得意な多麻吉と勇魚は残る。そこに機動隊は大きなクレーン車で大玉をぶつけて家を破壊し始める。

 これは誰が見ても、1972年2月に起きた「あさま山荘事件」と山岳ベースで起こった「リンチ殺人事件」を思い出させる。しかし、「大江健三郎全小説」第7巻の尾崎真理子解説によると、1971年に発表された創作ノートにすでに同様の構想が書かれていたという。作家の想像力が現実を予見してしまったのである。現実に同じような事件が起こったため、作者はグループから政治性を抜き去ったという。その結果、この「自由航海団」というアナキスト的な一団が当時としては理解が難しくなったと思う。機動隊員が一時「捕虜」になるシーンでは、「こんなことで革命が出来るか」と詰め寄る機動隊員に、彼らは「だから革命はしないんだよ」と何度も答える。マイノリティである彼らは、カタストロフィが訪れたときには自分たちが迫害されると信じている。だから自分たちも武装して自衛する必要がある。これは20年後のオウム真理教事件を先取りしていた。
(司修による単行本表紙)
 この小説には全体に「終末論的世界観」が満ちている。そもそも題名の「洪水はわが魂に及び」とは文語訳旧約聖書から取られていて、要するにノアの方舟の大洪水が自分の胸元まで及んできたということだ。その意味では東日本大震災の大津波が福島第一原発に及んだことも想起させる。大江健三郎が原発反対運動に参加しているのも当然だろう。この小説が刊行された直後の、1973年10月に第四次中東戦争が起こり、アラブ産油国が「石油戦略」を発動し世界中で「石油危機」(オイル・ショック)が起こった。日本で続いていた高度経済成長は終わりを告げ、1974年の経済成長率は戦後初めてマイナス成長となった。1973年3月に発売された小松左京日本沈没」がベストセラーになり、1973年6月には筑摩書房から「終末から」が創刊され(1974年廃刊)、野坂昭如は「マリリン・モンロー・ノー・リターン」で「この世はもうすぐおしまいだ」と歌っていた。

 まさにそのような時代相が小説に反映されている。しかし「再生可能エネルギー」「持続可能な開発目標」(SDGs=「Sustainable Development Goals」)などと言われる現在から見ると、安易に「世界が滅びる」といっていた時代がロマン主義に思える。世界は大きく変わったが、「終末」は迎えず、石油は枯渇せず、鯨は滅びなかった。当然だろうと今は思える。鯨ではなく本当に滅亡したのはニホンカワウソだった。1979年が最後の目撃例だと言うから、大木勇魚には鯨よりニホンカワウソの魂と交信して欲しかった。あるいは日本のトキは滅亡し、中国から借りたトキを繁殖させている。それは戦後の偽善を象徴すると考えて、佐渡のトキ保護センターを襲撃した少年を描く阿部和重ニッポニア・ニッポン」という小説もある。襲撃後に少年がクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を聞くシーンが忘れられない。つまり「終末論」的な世界観と機動隊との衝突という小説の基本構造はちょっと古くなっているかなと思った。
(文庫版「洪水はわが魂に及び」)
 他の大長編がかなり入り組んだ難解な構造を持っているのに対し、この小説はかなり判りやすい。時間は一方向に流れるし、勇魚とジン、自由航海団それぞれを描きわけ、やがてそれが合体し、ラストのカタストロフィに至るという構成である。その分、時代的な制約を受けやすいとも言える。やはり「左翼過激派」時代に生まれた小説という感じもする。だがこの小説の真の主人公はジンだという読み方も可能だろう。ジンの世界から見れば、また読みが変わってくる。映画「レインマン」の前に、自閉症の世界の豊かさを世界に示したのは大江健三郎と大江光だ。そのことは特筆大書すべきだし、この本を読んだ人なら鳥の鳴き声を当てられるジンを永遠に思い出すだろう。(もっとも伊奈子のセリフとして「ジンはいい白痴だねえ」とあるように、時代の制約は大きいが。)

 ところで、この小説を読み直して一番驚いたのは、小説の舞台が世田谷区だったことだ。そんな核シェルターが都内にあって、機動隊と大衝突事件が起きたとは。まあ半世紀前には東京の周辺区にはまだまだ農地が多かった。童謡「春の小川」は渋谷区だったという時代ほどではないけれど、50年経つとずいぶん変わる。映画の撮影所跡地というのは、日露戦争で当てたとあるから倒産した新東宝かと思う。大江が住む世田谷区成城に近い砧(きぬた)には東宝のスタジオがあり、新東宝の撮影所も近くにあった。また国分寺崖線と呼ばれる崖と湧水が続く地帯がある。世田谷区西部にはそういう地帯が続いていて、そこが舞台となったのである。東京でない感じがしてしまうが、まさに70年代東京の外れの方を描いているのである。(なお、保守政治家とつながる妻、縮む男、スパゲッティをゆでる主人公など、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』との関わりが強いと感じた。)
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「懐かしい年への手紙」、壮大な人生の総括ー大江健三郎を読む③

2021年06月28日 23時30分25秒 | 本 (日本文学)
 1回目に書いたように、僕の大江読書史において「躓きの石」となったのが「懐かしい年への手紙」(1987)だった。30年以上経ってようやく読んでみたのだが、これは素晴らしい傑作ではないか。しかし、昔頑張って読んでも感銘は少なかったかもしれない。ダンテ神曲」(それも文語版)やイエーツの引用が多いし、英語のダンテ研究も出て来る。外国語だけでなく一種の「引用の織物」になっていて、そこには自分の作品も含まれる。メキシコ滞在中の話もあれば、自分の家族(と思われる)人物も出て来る。まるで「私小説」のように語られるが、すべてがフィクション。時制も入り組んでいて、過去と現在を自在に行き来する。
(一般的に入手しやすい講談社文芸文庫版)
 そういう風にかなり「読みにくい」小説であるのは間違いない。だがそれだけなら頑張って読み切ることも出来るだろう。しかし、この小説の「キモ」は人生をある程度生きてきて、過去を振り返って自分を総括するというテーマにある。「懐かしさ」(ノスタルジー)を基底に置き、ある作家の文学人生(だけでなく結婚生活や性体験までを)、ユーモアたっぷりに振り返る。その悠然たる筆致を味わうには多忙な現役時代は不向きである。そもそもある程度の人生体験を経てないと、しみじみと読める小説ではない気がする。原稿用紙1000枚を超える大長編で、フランス語訳「Lettres aux années de nostalgie」があってノーベル賞の対象になった。

 「」という小説の語り手は、小説内で「K」とか「Kちゃん」と呼ばれている。久しぶりに村に住むアサ)から電話があり、ギー兄さんの妻であるオセッチャンから相談を受けたという。村に戻ったギー兄さんが何か始めるらしく、そのことで村人と揉めているという。老母もKの子どもたちに会いたがっているので、一度四国の村に帰って欲しい。K一家は四国を目指すが、長男「ヒカリ」は障がいを持っていて空港へ行く途中で具合が悪くなる。松山便を逃してしまうが、下の子どもたちが高知までの便があるから、高知から松山行きのバスに乗って途中下車すれば大丈夫と知恵を出す。まるで実際の大江一家の報告のように小説世界が始まっていく。
(今回読んだ初版単行本)
 このギー兄さんというのは、Kの5歳上で村の山林地主に生まれた人物である。そして一生を通じてKの「師匠」(パトロン)でもあった。戦後の貧しい中で、Kはギー兄さんの勉強相手に選ばれ、英語の手ほどきを受ける。その後もずっと文通を続け、作家になった後もいろいろと示唆に富む助言を受けてきた。このKは紛れもなく大江健三郎である。イニシャルや生まれが同じということではなく、「奇妙な仕事」や「死者の奢り」で注目を集め、「セヴンティーン」第2部の「政治少年死す」が右翼の怒りを買って逼塞を余儀なくされるなど現実の作品名が明記されている。ギー兄さんはそういうモロに政治的なテーマよりも、村の歴史や神話をこそ書いて欲しいと望む。そうして取り組んだのが「万延元年のフットボール」なのだった。

 ところがある時期から、Kの人生からギー兄さんが消えた。何故かといえば、村で起きたある事件によって、ギー兄さんは刑務所で服役したのである。その事件の詳細はなかなか語られないので、物語はミステリアスなムードをたたえたまま、終盤になって刑期を終えたギー兄さんがKの現実へ再登場するわけである。このギー兄さんは架空の人物とは思えないほど、生き生きとした描写がなされていて忘れがたい。そもそも「万延元年のフットボール」などの作品で「森の隠遁者ギー」という謎めいた神話的イメージの人物が出て来る。これは本名が「義一郎」といって、村を捨てて山で暮らす人物であるとされる。ギー兄さんは出所後に、自分の名前を使ったなと手紙に書いてきたという挿話が出て来る。

 物語は三部に分かれていて、一部と三部は現在だが二部で過去が語られる。そこで語られるのは、Kとギー兄さんの知的、文学的、性的な冒険の日々である。東京の大学を出た後に学者への道を断念して村へ帰ったギー兄さんのもとに、東京から二人の女子大生が訪ねて来る。そこで繰り広げられる愛と性の冒険の日々。それがギー兄さんのいたずらで突如終わる。Kは東京で若い作家となり、高校時代の友人秋山の妹「オユーサン」と結婚する。結婚式に出たギー兄さんは長い演説をして彼の行く末を心配する。安保反対運動のただ中で、Kも反対運動の中にいたが作家の訪中団に加わって肝心の時に日本にいない。ギー兄さんは妻のオユーサンが夫に代わってデモに参加し暴力にあうのではないかと心配する。わざわざ上京したのだが、ギー兄さんの方が新劇団に襲いかかる暴力団に殴られて大怪我をしてしまった。
(単行本の裏)
 誰も助けてくれない中、その時に必死に介抱して病院へ運んでくれた二人の新劇女優がいた。そしてその一人「繁さん」とは深い仲になって、二人は一緒に村へ戻ってきたのである。そしてギー兄さんは村で新しい農林業を中心にした「根拠地」作りを始め、繁さんも村の文化運動を始めて若者たちと演劇レッスンを行う。「根拠地」は60年代、70年代に全世界でたくさんあったコミューン運動を思わせる。その人間関係の葛藤の中である「事件」が起こり、ギー兄さんは獄囚となったのである。それはどのように起こり、どのような過ちだったのか。我々の世代は何を目指し、何に失敗したのか。痛切な反省とともに、60年代のコミューン主義的な夢が総括される。この痛切な感情が、ノスタルジックな青春の思い出を単なる懐旧的青春譚に終わらせない。

 この小説は明らかに「万延元年のフットボール」の自注であり、再説である。だから「万延元年のフットボール」を先に読んでいる必要がある。「万延元年のフットボール」は読んだ後にいくつかの「謎」を残す。一つは異形なスタイルで「自殺」した友人が主人公根所蜜三郎に取り憑いているが、友人の具体像が書かれていないこと。もう一つが弟の鷹四が起こす「事件」を、蜜三郎はむしろ「事故」ではないかと推察するのだが、その真相の解明。その2点の謎は「懐かしい年への手紙」を読めば氷解する。というか、どっちもフィクションなのだから「真相」も何もないわけだが、要するに「万延元年のフットボール」で書かれたことは現実にはこうだったんだとされる。こういう複雑なナラティブは過去の文学作品の中でも珍しいと思う。

 全体にノスタルジックなムードが漂うのも大江作品には珍しい。自分の周辺の人物らしき人物を多数登場させながら、壮大なホラ話になっている。描写はユーモラス、今では男目線と言える部分もあるかと思うけれど、若かりし日の性的冒険もあけすけに語られる。しかし一番印象に残るのは「谷間の村」の宇宙観である「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリーム・タイム)」という感覚である。これを作者は作中で柳田国男を引用して「懐かしい年」と呼ぶ。僕らは何事かを成し遂げたが、また何事をも成し遂げずに世を去って行く。すべては循環する時の中にある。そういう感覚を共有する掛け替えのない友人の痛ましい人生。

 僕らは皆掛け替えのない友人や恋人と出会った「懐かしい年」を記憶していると思う。僕もまた何事をなし、何事を失敗したのか、「懐かしい年への手紙」を書きたいと思わせる。そんな心揺さぶられる小説で、大江文学史上一二を争う感動作ではないか。「コミューン」(共同体)への憧れを持った人なら、この優れた作品をじっくり読んで過去を総括して欲しいなと思う。
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「万延元年のフットボール」、性と暴力と想像力ー大江健三郎を読む②

2021年06月27日 20時44分41秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎の「万延元年のフットボール」は傑作で、大江健三郎の代表作とされている。ノーベル文学賞の対象作品でもある。もっとも僕はこの本を半世紀以上前の中学生の時に読んでいて、その時も凄いとは思ったものの判らないところが多かった。(それでも三島由紀夫仮面の告白」よりは判った感じがしたけど。)なんで中学生の時に読んだのかの個人的な思い出から書きたい。今は「ヤングアダルト」という分野が確立され、高校生直木賞なんかもある。しかし、半世紀前には「坊ちゃん」や芥川龍之介の次に読む本がなかった。
(今一番入手しやすい講談社文芸文庫版)
 北杜夫どくとるマンボウシリーズなどを読んだら、もう文庫本を自分で探すしかなかった。最新の小説として三島由紀夫大江健三郎が入っていた。学校で中学生向けの本を借りたくても、生徒急増期で僕の学校では図書室も教室として使われていた時代だった。確か朝日年鑑で「万延元年のフットボール」を知ったと思う。中央公論社の「日本の歴史」シリーズを持っていたので、本屋の方から売り込みがあったと思う。世界情勢だけでなく、後ろの方に文学賞などの情報もある。そこに最新の傑作は「万延元年のフットボール」だと出ていた。
 
 「万延元年のフットボール」は1967年1月から7月に「群像」に連載され、9月に刊行された。第3回谷崎潤一郎賞を(安部公房の戯曲「友達」とともに)受賞した。今に至るまで最年少受賞である。この書かれた年代、つまり「60年代」が本の中に息づいているのである。何が凄いのかはよく判らなかったけれど、僕は本を買って、読んで、凄いと思ったわけである。1971年に講談社文庫が創設されたとき、第一回配本に「万延元年のフットボール」もあった。その時に文庫も買ったのは、解説(松原新一)を読むためだったと思う。つまり判らないところを少しでも解消したかったのだ。その後半世紀読まなかった本を、今回ようやく読んだことになる。
(講談社文庫第一回配本の「万延元年のフットボール」)
 あらすじを書くと長くなるから細かい話は書かない。読んでみて「古さ」を感じるところがあった。最初は「マゾイズム」と書かれているのに驚いた。今の版を確かめてみると、さすがに「マゾヒズム」と直されている。主人公根所蜜三郎には障がいのある子どもが生まれたが、その子は「白痴」とか「精薄」(精神薄弱児の略)と書かれている。今じゃ使われない言葉だが、確かに60年代には使われていたと思う。全体的に政治状況がベースにあるので、それも今では通じにくい

 「万延元年」というのは、西暦1860年のことである。安政と文久にはさまれて、わずか一年しかなかった。細かくいうと1860年4月8日から1861年3月29日までである。安政7年3月3日(1860年3月24日)に「桜田門外の変」が起こり改元されたと言われる。「安政」時代には欧米との貿易が始まり、孝明天皇としては望ましくない元号だったのだろう。しかし、「万延」時代は短かすぎて知っている人は少なかった。その年が「60年安保の100年前」だと気付いたのが、まずアイディアの勝利である。その年に根所蜜三郎と弟鷹四が生まれた四国の山奥の村では、百姓一揆が起こり彼らの祖父の弟が指導者だったと伝えられていた。その祖父は弾圧を逃れて土佐から東京へ逃れたともいわれているが、詳細は不明とされる。

 この村は大江健三郎自身の生まれた愛媛県大瀬村(現内子町)を思わせる。初期からずっと書かれてきた村だが、江戸時代には大洲藩領で実際には万延元年に大一揆が起きたという史実はないようである。(なお「一揆」は当時の研究状況を反映して、村人による「抵抗運動」を指している。一揆勢が武装して藩権力に立ち向かうようなイメージは、現在の研究では否定されている。)100年前に起こった一揆の祖父とその弟が、村へ戻った蜜三郎と鷹四に重なる。鷹四は村の青年たちを組織しフットボールのチームを作る。100年を隔てた土俗と近代の重なりが「万延元年のフットボール」という卓抜なネーミングの由来である。ここはやはり「サッカー」ではダメだろう。「フットボール」という言葉の喚起力が作品を成立させている。
(単行本の「万延元年のフットボール」)
 それにしても作品を覆う「死のイメージ」に改めて驚いた。冒頭から異形な形で自殺した友人のイメージが蜜三郎につきまとっている。蜜三郎と妻の菜採子は障がい児が生まれて以来夫婦関係が壊れている。蜜三郎、鷹四の兄弟は本来5人兄妹だったが、長兄は戦死、次兄は戦後起こった朝鮮人集落との暴力事件の際に死んでいる。さらに妹も自殺し、戦時中の父の死にも不審がある。というように三浦哲郎の「忍ぶ川」「白夜を旅する人々」みたいな一族なのである。

 鷹四は安保反対デモに参加していた時に暴力に目覚めて、転向してデモ隊を襲う暴力団に加わる。その後は保守政治家が組織した「改悛した日本人」の一団として渡米し、放浪し、今帰国しようとしているが、帰国便が遅れている。そうやって始まる物語は、冒頭が非常に「晦渋」でなかなか内容に入れない。村では強制連行され森の伐採に従事していた朝鮮人の中で、土地を買い集めて実業家になった「スーパーマーケットの天皇」がいた。村にもスーパーが出来て他の店は皆借金を抱えている。鷹四は村に残る倉屋敷を「スーパーマーケットの天皇」に売り払う契約を勝手に結び、車で村へ向かう。安保闘争を通して鷹四の信奉者となった星男桃子という「親衛隊」も付き従っている。村でやり直そうと誘われた蜜三郎、菜摘子も村を訪れる。

 村で彼らの家を守っていたジンは、食べることを止められない巨女になっている。村では兄の死、祖父の弟などに関して蜜三郎と鷹四の記憶や見解はことごとく対立している。幼い頃に祖母からは「チョウソカベが来る」と恐怖をあおられる。洪水で橋が落ち、冬は雪に閉ざされる山奥の村で、ついに大事件が起きる。この「雪に閉ざされた村」の緊迫感は凄い。ミステリーみたいな設定だが、「全小説」の解説で尾崎真理子がトルコのノーベル賞作家オルハン・パムクの「」に言及している。僕も読んでいるときに、これは影響しているなと思った。
(ジョン・ベスター訳の英語版「The Silent Cry」)
 村で奇怪な出来事が起こっているのもガルシア=マルケスを思わせるが、世界に大きな影響を与えた「百年の孤独」が刊行されたのは1967年である。「万延元年のフットボール」と同じ年なので、影響関係はない。大江健三郎とガルシア=マルケスは同時に同じような作品世界を構想していたのである。これは両者ともにウィリアム・フォークナーの影響を受けているのだと思う。フォークナーはミシシッピ州をモデルにした架空の地で起きる「ヨクナパトーファ・サーガ」を書き続けたが、それに当たるのがガルシア=マルケスの「マコンド」や大江健三郎の「四国の森」である。

 村の青年たちが飼っていた鶏が寒さで死ぬ。そこから一気にカタストロフィに至る緊迫感は、日本文学史上に類例が思い浮かばないぐらいの迫力だった。それは短期的には60年代末の「性と暴力の革命」を予見した。しかし、今になってみれば、むしろこれは「ヘイトクライム」である。鷹四グループによってあおり立てられた村人は、朝鮮人経営のスーパーマーケットを略奪する。そこで積み重なった道徳的退廃が破滅をもたらす。鷹四と妹の秘密、祖父の弟の真実が明かされるとき、多くの犠牲を出した小説世界は未来へ向かってほのかな灯りをともして終わる。

 多くの人が死に、性と暴力に彩られた作品世界。間違いなく日本文学が世界文学に通じた作品だ。イマジネーションによって歴史と現在がつながり、未来を展望する。そして「60年安保」の10年後(「70年安保」)を目前にしていた時代精神に働きかける。そのような「性と暴力」を通して再生がもたらされる世界は、今読んでも迫力に満ちている。だけど、ジェンダー的、あるいは最新の歴史認識からは読み直しも可能かもしれない。僕はそこまで踏み込む元気はないけれど。大江作品を読むときは最初は初期の短編から初めるべきで、この作品からチャレンジするのは大変かもしれないなと思った。
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大江健三郎を読まなくなった頃ー大江健三郎を読む①

2021年06月25日 23時32分09秒 | 本 (日本文学)
 ここしばらく大江健三郎(1935~)を何十年ぶりかで読んでいる。というか、実は去年「日常生活の冒険」を再読し、一昨年頃に文庫で「河馬に噛まれる」「いかに木を殺すか」を読んだのだが、そこで途切れてしまったのである。僕は大江健三郎だけでなく、谷崎潤一郎ドストエフスキーなどもずっとずっと読みたいと思い続けてきた。何でかというと、「持っている」からだ。改めて買ったり借りたりする必要はなく、「今、そこにある本」なのである。そういう状態はもう何十年も続いてきた。いっぱいあって読み始めると時間が取られるから後回しにしてきたのである。でも、持っているんだから「読まずに死ねるか!」(by内藤陳)である。
(大江健三郎)
 まず最初に「僕はなぜ大江健三郎を読まないようになったのか」を書いておきたい。最近講談社から「大江健三郎全小説」が出て改めて注目された。また、新潮文庫には初期の短編を中心にずいぶん残っているし、講談社文芸文庫にもずいぶん入っている。だから今もそれなりに読まれているんだろうと思う。まあ世の中には川端康成を知らない人もいるんだから(テレビで見た某芸人は知らなかった)、大江健三郎の名前も知らない人もいるだろうけれど。

 それにしても1994年にはノーベル文学賞を受賞したわけだから、名前ぐらい知ってる人が多いだろう。読書家だったら、少しは読んでいるだろう。でも60年代、70年代には単なる小説家を越えて「政治の季節を熱く生きる」ための必読書だった。時代が違ってしまったから、今読み直すとどのように感じるのだろうか。僕は若い頃に大江作品のほとんどを読んでいた。知的で冒険的でイマジネーションをかき立て、さらに性的な描写に満ちていたのも大きい。若い文学ファンを魅了するアイテムがいっぱいだったのである。大江は21世紀になっても多くの長編小説を送り出した。文学賞は一作家一回という規定が多く、若い頃に多くの賞を取ってしまった大江の後期小説は文学賞を受けることがない。僕もその頃になると、全然読んでいない。でも買っていた
(デビュー当時の大江健三郎)
 何で読まなくなったのか。一番の理由は「仕事が忙しかった」ということだ。大江作品は長くて重いうえに、プロットが入り組んでいて、外国語がそのまま引用されたりして読みにくい。社会科の教員は常に本職に関係する本を読まないといけない。(社会科の全分野に精通している人はいないので、得意じゃないところを教えるときには関連の最新知識をインプットしないと不安なのである。)僕が読まなくなったのは、1987年の「懐かしい年への手紙」からである。その年は中学3年の担任をしていて、本が出た10月は私立高校の説明会が毎日のように行われる。僕は某高校へ向かうバスの中で読んでいて、これは今読んでられないと思った。そして高校のある終点まで寝てしまって、そこで一端読むのを中止したのである。以後は「懐かしい年への手紙」から再開したいと思って他の本は買ったままになった。(本は30年以上枕元に置かれていた。)

 しかし、忙しいだけが理由でもないだろう。それなら長期休業中に読めるはずだから。それは「大江健三郎に代わる作家」が現れたということだ。大江健三郎は東大在学中に芥川賞を受賞し、20代から世界に注目される作家だった。その時点では「青春の文学」だったのである。それが次第に変わっていった。それは当然のことで誰でも年齢を重ねて作風も変わっていく。だけど大江健三郎には特別な事情もあった。よく知られているように大江健三郎は高校時代の友人伊丹十三の妹ゆかりと結婚し、生まれた最初の子どもに障がいがあった。「個人的な体験」以後のほとんどの大江作品には、何らかの形でその体験が語られている。長男の大江光の成長とともに、大江文学は「親としての視点」が多くなり「中年文学」になっていった。20代、30代で子どものいなかった僕には村上春樹の世界の方が近くなったわけである。
(ノーベル賞授賞式に向かう大江健三郎と大江光)
 あまり語る人がいないのだが、大江健三郎と村上春樹の世界には共通点が多いと思う。青春の挫折と痛みを卓抜な奇想で描き出す共同体への憧れと絶望がテーマに見え隠れする、性や犯罪の描写を恐れず小説世界を展開するなどなど。いつも穴に落ち込む村上春樹だが、「万延元年のフットボール」を読めば、穴に落ちた最初の作家は大江健三郎だと判るはず。マジック・リアリズムとかグロテスク・リアリズムなどというのも、今では珍しくない手法になっているが、大江健三郎が日本初と言って良い。しかし、大江文学が「中年化」していくと、いつまでも青春している村上春樹の方が読みやすいから、それでいい気がしてしまう。かくして大江作品の新作は買っておくだけで、村上春樹の新作を延々と読み続けることになったのである。

 ノーベル文学賞を1994年に受けたということは、授賞対象作品はずっと前に書かれているわけである。僕が80年代後半に大江作品を読まなくなったのも、「すでに最高傑作は書かれている」と思ったからだ。それは「同時代ゲーム」(1979)である。これはかなり難しいし、方法的にも技巧を凝らしている。この頃から大江はそれまでにも増して「方法的関心」を強め(1978年に岩波現代選書から「小説の方法」を出している)、山口昌男、武満徹、中村雄二郎らと雑誌「へるめす」を出していた。そこに連載された「M/Tと森のフシギの物語」(1986)まで僕は読み続けたが、これは「同時代ゲーム」の完全なリライトだった。まあ「同時代ゲーム」が難しいと敬遠されたから語り直したらしいのだが、何だかもういいよと思ってしまったわけでもある。

 芸術家が年齢とともに「セルフ・リメイク」が多くなっていくのは避けられないのか。小津安二郎の晩年の映画は、娘(あるいは妹など)が「嫁」に行くことを延々と違う形で描き続け、よほど詳しい人でないとどれがどれだか判らない。画家なら終生のテーマを見つければ、「富士山の画家」「馬の画家」などともてはやされ、似たような絵に高値が付く。世界にそれ一枚しかないから、似ていても価値があるんだろう。作家の場合は印刷されて出回るから、似てると避けられる。(エンタメ作品のシリーズは別で、同じテイストじゃないと売れなくなる。)長く読んできた村上春樹作品も、最近は特に短編などデジャヴ感が強まっている。すでに最高傑作を書いてしまったということなんだろう。大江作品も障がいのある子ども、四国の森の不思議な力、外国文学のお勉強など似た感じが強まってしまったので敬遠したのである。

 大江健三郎は「戦後民主主義者」を自認し、核兵器原発問題に常に発言してきた。護憲平和主義者としての立場も常にはっきりさせてきた。だから保守派、右派には読まずに敬遠する人が多いと思う。一方、方法的に難しくなったから、ニュートラルな本好きでも避ける人がいる。「戦後民主主義」を批判した新左翼にも受けが悪い。政治的立場が同じ人でも直接の運動に関わらない大江文学を読まない人が多い。かつて本多勝一は文藝春秋や新潮社のような「右派出版社」から出し続ける大江を批判していたものだ。これは「純文学」雑誌が、新潮(新潮社)、文學界(文藝春秋)、群像(講談社)、すばる(集英社)、それと季刊になった文藝の(河出書房)しかないのだから、小説家にとってはやむを得ないと思う。(昔は中央公論社の「海」や福武書店の「海燕」があったものだが。)性や犯罪の描写も激しいから、それで読みたくない人も多いだろう。

 かくして今や「有名だけど読まれてない」作家になっているのではないか。それはある意味石原慎太郎も同じかもしれないが。僕は今回、大江健三郎を読み直す前に開高健石原慎太郎を読んでみた。文学的現在地の感覚を昔に戻すために。60年代初期にはこの3人が最新の文学だった。その後立場は別れていくが、当時持っていた意味を思い出すことも意味があると思う。同時に石原慎太郎ばかりでなく、大江健三郎もジェンダーやセクシャル・マイノリティ、病気や障がいの語り方などを検討する必要がある。半世紀以上経つと、我々の認識もそれなりに深まり変化してきているのだから。読み始めると長くなって、今後時々書き続けるつもり。今度は途中で挫折せずに読み切るのを目指している。
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辻原登「卍どもえ」、女と男の性愛と陥穽

2021年05月16日 22時07分09秒 | 本 (日本文学)
 一昨日から辻原登卍どもえ」を読みふけっていた。2017年から2019年にかけて「中央公論」に連載され、2020年1月に刊行された本。辻原登は僕が大好きな作家で、今まで何回も書いてきた。何でこんなに面白いんだろうと思う作品が多い。読み始めたら途中で止められない。450ページもある単行本が重くて一年間放っておいたが、もっと早く読めば良かった。

 辻原作品では歴史に材を取ったものも多いが、今度の「卍どもえ」は現代が舞台になっている。現代と言っても2007年ごろだが、時間をさかのぼったり世界を駆け回ったり、ずいぶん作品世界が広い。登場人物も多くて、誰だっけと前を読み返したりするが、それぞれの人物が流れるように人生の変転を経験していく。その様が美味しい蕎麦をツルツル食べちゃうように読み進めてしまう。最後になって、男の人生には「陥穽」(かんせい=落とし穴)が潜んでいることが判る。

 一方、女の人生にも思わざる出会いが起こる。それは新しいセクシャリティの目覚め、もっとはっきり言えば「同性愛」、つまりレズビアンの世界である。男性作家が女性の同性愛を描くといえば、谷崎潤一郎」で、題名はそこから来るのだろう。真性のレズビアンよりも「バイセクシャル」が多く、女と男ばかりでなく、女どうしの複雑な駆け引きや心の揺らぎも興味深い。ただセクシャリティだけでなく、むしろ経済や社会状況などの描写こそ面白いかもしれない。
(辻原登)
 辻原作品で現代を描くときは「寂しい丘で狩りをする」「冬の旅」「籠の鸚鵡」のように「犯罪」が描かれることが多い。しかし、「卍どもえ」は成功者の世界を描く。アート・ディレクター瓜生甫(うりゅう・はじめ)とその妻ちづるが第一章の中心人物である。瓜生甫は博報堂に勤めた後、独立して青山に自分の事務所を開いて成功した。今はスクーバダイビングに熱中していて、夫婦仲は悪くはないが生活はすれ違い。セックス相手も複数いる。一方、千鶴は同窓会で教えて貰ったネイルサロンで塩田可奈子と知り合い、新しい性愛の世界を知る。

 第2章になると、中子脩毬子夫妻が登場する。中子夫妻が逗子の高級住宅地に新築した家に瓜生夫妻が招待される。中子毬子は近畿日本ツーリストに長く勤めていて、瓜生が海外で仕事をするときに旅行の企画を頼んで知り合った。住宅の新築に建築士を紹介した間柄である。毬子の夫、脩はかつて商社に勤めていて東南アジアではずいぶん遊んだ過去もある。二人はロスで知り合い結婚したが、ある事件で脩は商社を退職した。その後フィリピンで英会話学校を作る仕事で成功して、今度は大阪にも分校を開く予定。

 こんな筋書きみたいなことをいくら書いても面白さは伝わらない。現実に起こった出来事、地下鉄サリン事件や渋谷の松濤温泉爆発事故(2007年6月19日)、さらにロッキード事件日中戦争などが登場人物と意外な関係を持っている。瓜生は世界陸上ドイツ大会のエンブレムを狙っている。(それは思わぬ展開を見せ、似たようなケースを思わせる。)中子はフィリピンの上院議員の娘と関係を持ち、いずれは共同経営者にしようと思っている。男は「野心」に燃えて、欲望も昂進するのだが…。男の世界の裏で、女たちも結託し性愛だけでなくはかりごともめぐらす。
 
 東京(青山、渋谷、赤坂等)、横浜(ホテル・ニューグランド、市営地下鉄)、大阪京都に加え、フィリピンタイアメリカモロッコなど日本、世界のあちこちが出て来る。さらによく食べ、よく飲む。デートのガイドブックとしても使えそうな情報も多い。横浜駅東口から山下公園まで水上バスが出ているなんて僕は知らなかった。大井競馬場トゥインクルレース(ナイター競馬)も行ったことがないから興味深かった。

 いつものように(「寂しい丘で狩りをする」に次ぎ)映画の話題も多い。「フライド・グリーン・トマト」や成瀬巳喜男の「浮雲」「流れる」などは、作品と密接に関係している。それ以外にも何十本も出てくる。そもそも「雑談」が多い。数多い登場人物が話題豊富で、映画や旅、お酒などの話をひっきりなしにしている。時間軸も地理的情報も人間関係も複雑だが、その雑談的おしゃべり、特に映画の話題が興味深い。だが、やはり一番描かれているのは、「人間にとって性愛とはどんなものか」ということだ。お金や情報も大事だが、最後は「人間の尊厳」が人を支えている。
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姫野カオルコ「彼女は頭が悪いから」を読む

2021年05月04日 22時45分30秒 | 本 (日本文学)
 姫野カオルコ彼女は頭が悪いから」が文春文庫に入ったから、早速買って読んでみた。2018年7月に出たときは、ずいぶん話題になった本だ。かなり厚いし(文庫本で550ページぐらい)、「嫌な本」に決まってるから文庫で読めばいいやと待っていた。もちろん「嫌な本」だったし、僕には疑問もある。だけど、この読後の嫌な気分はまさに現代日本に根差しているものだから、読んで置くべき本だ。それは本を読んだときの感動とは違う種類のもので、カテゴリーも小説だから一応「日本文学」にしたが、「世の中の出来事」にすべきかもしれない。

 文庫に書かれている紹介。「郊外生まれで公立育ちの女子大生・美咲と、都心生まれで国立大付属から東大に入ったつばさ。育った環境も考え方も異なる二人が出会い、恋におちた結果……東大生5人による強制わいせつ事件となり、被害者の美咲が勘違い女として世間から誹謗中傷される。現代社会に潜む病理を浮き彫りにした傑作。第32回柴田錬三郎賞受賞。」

 さらに帯を見ると、「あんたネタ枠ですから!」「被害者の美咲は東大生の将来をダメにした“勘違い女”なのか? 現代人の内なる差別意識に切り込んだ問題作!」「あんたの大学で、あんたの顔で、あんたのスタイルで……思い上がりっすよ。」と書かれている。これは現実に起こった事件にインスパイアされて書かれた小説だが、ノンフィクションノベルではない。取材によって現実を再現するのではなく、ここで描かれる人物はあくまでも創作である。美咲は神奈川県の進学校・藤尾高校から水谷女子大へ進んだ。そんな学校はない。でも、理解出来る。

 水谷女子大は東京都文京区と横浜市瀬谷区にキャンパスがある。文京キャンパスで開かれた入学式で、ある女性教授が式辞を述べる。文京区にあるお茶の水女子大日本女子大に対し、みんな判っているように水谷女子大は一番偏差値が低い、と。この教授は後で思いがけぬ時に登場するので注意しておく方がいい。美咲は教授が言ったことに納得し、電車内で化粧はしない。水谷女子大でもふとした偶然で出会った近くの横浜教育大(架空)の学生たちと知り合うが、何故か友だちはカップルになるけど美咲は縁遠い。ホント、何故なんだろうって思う。
(姫野カオルコ)
 この小説の特徴は、「神立(かんだつ)美咲」と「竹内つばさ」を高校時代から描いてゆくこと。すれ違ったこともあった。さらに家庭環境を祖父母にさかのぼって描く。他の東大生も、また他大学や高校時代の知り合いも多く出て来る。ミステリー小説のように「登場人物一覧表」が欲しいところだ。大学でも日芸(日大芸術学部)やSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)、東京女子大などの学生が出て来る。それらの大学の「記号学」、つまり首都圏で偏差値、経済力など、どの程度のレベルとみなされているかの予備知識がないと判りにくい。でもどこの世界にも上下格差は作られているから、ニュアンスで理解可能だろう。

 なんで親以前にさかのぼって描くかと言えば、「東大生」は「製造物」だから、「製造物責任者」を知らないと理解出来ないからだ。それは「格差」と言ってもいいが、もはや「分断」されきっていて、今さら変えられない世界だ。だから有利に生きていくしかなく、無意味なノイズを人生からシャットアウトしなければならない。しかし若い男として性欲は旺盛だから、「東大生目当て」に「自分からパンツを脱ぐ女」を確保したい。それだけなら、彼らは単に「嫌なヤツ」で済んだだろうが、彼らはそれを「組織化」することを考え「星座研究会」なるサークルを立ち上げる。男は東大、女はお茶大と水大。ここら辺が怪しくて気持ち悪い。

 つばさは「横浜教育大付属」から東大に進むが、その時点で「パドルテニス」をやってる。僕は知らなかったが、アメリカ生まれのニュースポーツである。協会のサイトを見ると、「サッカーとフットサル」と同じような感じのテニス版だと出ている。新規の団体だから学校では同好会扱いで、だから近くの藤尾高校の女子がマネージャーになるのが慣例となっている。この女子マネは実名と別に「朝倉」と「」と呼ばれることになっている。(これは漫画「タッチ」から。)

 この辺の描写から見えてくる「ホモソーシャル」な組織の気持ち悪さ。そもそも男には「学力」とともに「運動神経」という評価軸がある。東大はAO入試では入れないから、部活一辺倒ではなく勉強しなくてはいけない。大体勉強がすごく出来る生徒は、スポーツ系じゃないことが多い。しかし、「東大に入って、さらに女にモテる」を達成するためには、「スポーツをしていた」経歴も有利となる。兄が運動音痴なつばさは、そこでパドルテニスという新しくて、ゆるそうなスポーツに目を付ける。そこら辺の事情があからさまに語られる。

 女子の事情はもっとシビアに語られるが、ここでは僕は書かない。直接本書で読んで欲しい。一言で言えば、あからさまに描かれすぎて「イタい」を通り越して、リストカットを繰り返しているような小説。だから面白いかと言えば、どうなんだろうか。確かに一気読みしてしまうが、結果は判り切っている。そして姫野カオルコの小説には多いのだが、説明が多すぎる。説明を少なくして主人公の心情を浮かび上がらせるのではなく、司馬遼太郎の小説のように登場人物が作者の手の中で動いて行くのである。そこにどうしても引っ掛かるのが正直なところ。

 だから何だか「情報小説」を読んだみたいな読後感になる。登場人物はすれ違ったままで、何も変わらない。人物が作家の手を離れて自立してしまうのが優れた小説を読む楽しみだとすれば、この小説は「考える素材」だろう。なんですれ違ったままなのか。ここで出て来る「東大生」の方が「勘違い」人生を送っているのだが、そこを最後まで理解出来ない。「美咲」の方も今後どうなっていくのか描かれない。正直、美咲が「善人」すぎてもどかしい。なんでカレシが出来ないのか、僕には全く理解出来ない。だが、人生は確かにそういうもんだった。なお、「東大生」は一つの記号である。現実の東大卒業生は何人も知ってるが、「勘違い」している方が少ないだろう。
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石原慎太郎「太陽の季節」「星と舵」などを読んでみた

2021年04月20日 23時22分30秒 | 本 (日本文学)
 読んでおきたいと思っている本がある。「カラマーゾフの兄弟」とか「失われた時を求めて」ではない。どっちも持っているけど、長いから何年も手を付けていない。「資本論」とか「プロ倫」(マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)でもない。まあ、これらはもういいかと思っている。僕が言っているのは「アンネの日記改訂新版」や「カサノヴァ回想録」、ソルジェニーツィンの「収容所群島」、吉川英治「宮本武蔵」なんかである。どれも持ってはいるのである。これらの本は「読んでますよ」と「」マークを押してしまいたいのである。

 そんな本の中に石原慎太郎太陽の季節」があった。いや、これは文学史を超えた社会的事件だったから、読書好き、歴史好きなら読んでおくべき本だろう。そう思うんだけど、そう思ってから半世紀読まなかった。僕が持っているのは、「新潮日本文学」という一人一巻を割り当てた全64巻全集の第62巻「石原慎太郎集」である。刊行されたのは1969年5月だが、それじゃ中学時代だから多分もう少し後の高校時代に買ったと思う。ちなみに定価700円。

 先の日本文学全集の63巻は開高健、64巻は大江健三郎だった。つまり60年代末において、石原、開高、大江が最新の日本文学だったのである。しかし、石原慎太郎は1968年の参議院選挙で、自民党から全国区に出馬して300万票を超える得票で当選していた。だから僕が本を買った時点ですでに政治家だった。1972年に衆議院に転じ、1975年には都知事選に立候補、三選を目指した美濃部亮吉に敗北。その後衆議院に戻って、自民党内でも右派に属して活動。環境庁長官運輸大臣も務めた。そういう右派系政治家の本はなかなか手に取る気にはなれない。
(2012年に都知事を辞任する時)
 1999年から2012年にかけて石原慎太郎は東京都知事だった。給与明細を見ると、給与支払者が石原慎太郎だった。ますます読む気にならない。しかし、それもずいぶん昔の話で、開高健を読み直した今となっては、そろそろ石原慎太郎も読んでおきたい。そう思ったわけだが、上下2段組で430ページ以上あって、長い。半分ぐらいが「星と舵」(1965)というヨットレースに臨む長編で、もう一つ「行為と死」(1964)という長編が入っている。他に「太陽の季節」「処刑の部屋」「完全な遊戯」「乾いた花」「待伏せ」の5短編が収録されている。全部政治家になる前の作品。

 これを読んで判ったのは、石原慎太郎は短編作家である。長編は面白くないし、短編の集まりみたいな作品だ。しかし、文章的には今もなお古びてない。戦後派の作品などを読むと、今ではもう文章が古いと感じる時がある。やはり石原慎太郎で変わったのである。開高健や大江健三郎の先駆けだったのは間違いない。文体的に今も文学史的価値を持っている。ただ相当に内容に問題ありだ。「栴檀は双葉より芳し」の正反対で、やはり石原慎太郎は若い頃から性差別的であり、権威主義的な香りが漂っている。

 「太陽の季節」は高校生の話なので驚いた。今では書けないかもしれない。石原慎太郎の作品は、弟の石原裕次郎主演でたくさん映画化された。「性と暴力」に明け暮れるイメージが作られ「太陽族」という言葉が生まれた。倫理無き若者たちの生態をヴィヴィッドに描き出し、面白いには面白い。しかし、無理に「反倫理」にしている気がしないでもない。敗戦と占領を若くして経験した世代ととして、虚無感反逆心を持ったに違いない。だがそのような思いを形にするときに、自我にとって真に切実な描き方になっているか。

 「太陽の季節」は石原慎太郎の実体験ではない。神奈川県立湘南高校から一橋大学に進学した石原慎太郎は、当然高校時代は受験勉強したはずだ。一方弟の裕次郎は、逗子中学から慶応義塾高校を受験して失敗、慶応義塾農業高校に進んだ。そんな高校があったのかと思ったら、今の慶応志木の前身だった。途中で慶応高校に転じ、慶応大学に内部進学した。相当の放蕩生活を送ったとされ、裕次郎から聞いた放蕩する高校生のエピソードから「太陽の季節」が生まれたらしい。その意味で「受け狙い」的な感じを受けてしまうのである。

 文学は道徳ではないから、主人公が反倫理的であっても構わない。人間性の中には「」もあるし、「自己逃避」や「歪曲」もある。若い世代が主人公だから、無知や臆病も当然ある。人間は肉体を生きているんだから、「暴力」や「」を真っ正面からテーマとするのは正しい。頭で考えたような行動をする人間では文学にならない。そうなんだけど「完全な遊戯」はやり過ぎだろう。「処刑の部屋」もそうだが、世の中には「レイプ」という現実もあるが、「準強制性交等罪」をここまで読まされると辛くなる。「準」の付く意味は自分で調べて欲しい。
(若き日の慎太郎と裕次郎)
 「行為と死」は発表当時性描写が議論を呼んだという。しかし、今読むとそれほどではない。むしろ「スエズ動乱」を背景に、エジプト女性と人生を賭けた恋をしたという設定に驚いた。イスラム教が身近な存在じゃなかったんだろう。いや、当時のアラブ民族主義が燃えさかった時代には、イスラム教と社会主義が両立するという主張もあったぐらいで、日本人(一応仏教徒として多神教徒)と対等な恋をすることも無かったとは言えないのかも。その想い出を胸に、帰ってきた日本で不毛の愛に耽る主人公の男。どうも純文学と娯楽小説の中間の感触。

 「星と舵」はトランスパック・ヨットレースというロサンゼルスからホノルルを目指す外洋レースに参加した日本艇を描く。しかし、レースになるまでが長く、そこはほとんど女の話。ヒマなときにメキシコまで売春婦を買いに出掛けるぐらい。行きの飛行機では、機長室まで招待され一緒に女の話をする。おかしいだろ、いくら何でも。ヨット自体が「女」の象徴とされ、まさに「処女航海」を楽しげに語る男たちのクルー。男だけのスポーツの結びつきが、いかに「ホモソーシャル」な言説空間になるか。ある意味、歴史的に貴重な文献かと思うけど、今となっては居心地悪い。

 もう90歳近い石原慎太郎だが、今年になって「男の業の物語」なんて本を書いている。「男が「男」である証とは。自己犠牲、執念、友情、死に様、責任、自負、挫折、情熱、変節…… 男だけが理解し、共感し、歓び、笑い、泣くことのできる世界。そこには女には絶対にあり得ない何かがある。」んだそうである。まさに「栴檀は双葉より芳し」の正反対というゆえんである。 国会議員となってもずいぶん本を書き、「化石の森」「秘祭」「生還」などかなり評価された。読んでもいいんだけど、探すのも面倒だしもういいか。

 短編の「乾いた花」は篠田正浩監督の映画の原作。これは面白かった。まあ映画を見ている人は、池部良、加賀まりこの顔が浮かんでしまうけれど。今は初期短編も文庫から消えているのが多いので、「石原慎太郎映画化短編傑作選」という文庫をどこかで出してもいいと思う。最後に言えば、60年代は安部公房遠藤周作大江健三郎などのノーベル賞レベルの作品が書かれていた時代だ。僕も若い頃に「砂の女」「沈黙」「万延元年のフットボール」などを読んでいる。あえて石原慎太郎を読む必要が無かったわけだと今回思った次第。
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沢田瞳子「火定」(かじょう)ー天平の天然痘大流行を描く

2021年02月27日 22時17分08秒 | 本 (日本文学)
 時代小説作家、澤田瞳子(さわだ・とうこ)の「火定」(かじょう)を読んだ。2017年に刊行され、第158回の直木賞候補に選ばれた。その当時に評判だったので、前から読みたいと思っていた。2020年11月にPHP文芸文庫に収録されたので、この機会に読んでみることにした。これは天平(奈良時代)に日本を襲った有名な天然痘大流行に材を取った小説である。まさか著者も刊行数年後に世界をリアルな感染症大流行が襲うとは思いもしなかったに違いない。

 時は天平9年西暦737年平城京天然痘が大流行した。729年の「長屋王の変」の後、政界の中心にいた藤原四兄弟、藤原不比等の子どもの武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂が相次いで亡くなったことで知られる。「火定」はこの大災厄をめぐる大混乱と悲劇をあますところなく描き尽くしている。尽くしすぎて気持ち悪い箇所も多いけれど、今の世界を考えるヒントとしても書いておきたいと思う。

 聖武天皇の皇后である光明皇后は藤原不比等の娘で、皇族以外で初めて皇后になった。730年に皇后の願によって、都には「悲田院」「施薬院」という福祉施設が作られた。「悲田院」は貧困者や孤児の救済施設、「施薬院」は貧しい病者のための医療施設である。主人公は施薬院で働く若い下級官僚の蜂田名代(はちだのなしろ)という架空の人物で、21歳の彼は医者に関心は無い。もっと重要な中央官庁に配属されたいと不満たらたらである。皇后による設立と言っても、律令に書かれていない「令外官」(りょうげのかん)なので何かと冷遇されているのだ。

 もう一人の主人公と言えるのが、猪名部師男(いなべのもろお)という元・侍医。身分は高くないものの真面目に勤めて、天皇の診療にあたる侍医の一人にまでなっている。しかし、ある日全く思いもよらぬ罪に落とされて、終身徒刑を宣告され監獄に入れられる。ここの描写もすごくて、奈良時代の監獄に「人権尊重」があるわけないけれど、いくら何でも読んでて気持ち悪いぐらい。そんな先行きのない諸男だったが、ある日突然恩赦で赦免される。その後、いろんな人材を求めてる藤原房前に何故か召し抱えられている。
(澤田瞳子)
 小説はこの二人を交互に描いていく。冒頭は「遣新羅使」の持ち帰った品の払い下げの場である。ここで名代と諸男は相知らぬままに出会っている。そして二人のその後を追うことで、この大災厄の実情が明かされていく。どうしようもない(当時としては)状況の中で、人々は怪しげな呪いに頼り、また疫病をもたらした外国への憎悪が広がる。実際にこの大流行は「遣新羅使」がもたらしたものと思われている。半島との交流は日常的にあり、九州では早く流行していたと言われるが、それが都に入り込んだのは使節の往来が関係していたのかもしれない。

 澤田瞳子は「火定」以前に「若冲」、以後に「落花」という小説が直木賞候補に選ばれているが、まだ受賞していない。「火定」の時は、藤崎沙織ふたご」が話題になっていたが、受賞は門井慶喜銀河鉄道の父」だった。僕も「火定」のラスト近くの展開はありきたりで、人間描写に弱さは感じた。多分こうなるだろうなあという風に「予定調和」してしまうのはどうなのか。しかし、それは別にして、大流行を利用して儲けようとする人、憎しみを外部に向ける人々、民衆の苦しみに無関心な上層部、ひたすら目の前の出来事に対応する「現場」の人々など、いかにも現代世界を見る思いがする。グロテスクなホラー描写もすさまじい。
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面白くて深い「評伝 開高健」ー開高健を読む④

2021年02月23日 22時51分09秒 | 本 (日本文学)
 開高健に関して4回書いたので、一端お休み。まだ読んでない本もあり、書きたいスピンオフもあるから少し後で再開予定。2017年に出た小玉武評伝 開高健ー生きた、書いた、ぶつかった!」が2020年10月にちくま文庫に入った。そこで今回読んでみたが、ここ最近読んだ本の中では圧倒的に面白かった。読み終わるのが惜しくなって、他の本と掛け持ちで読んだぐらいだ。開高健も逝去から時間が経って関係者の多くも亡くなりつつある。そのため失われたものも多いが、逆に新資料や新証言も集まるようになったのだろう。

 前回までに芥川賞受賞サントリー宣伝部の話は書いた。今度の本は評伝だから、生育や文学修行時代が初めに追跡される。そこは今細かく書かないが、小学校教員だった父親が1943年に急死して、13歳の健が「戸主」となって空襲下の大阪を生き延びたのである。妹二人は疎開したものの、母と健は残っていた。学校はもはや授業ではなく、勤労動員に明け暮れた。操車場で大人に交じって働き、機銃掃射にもあった。敗戦後は貧困の中を何とか生き延びた。

 それらの体験は後に「青い月曜日」などで書かれたが、出発時の開高健は決して焼け跡時代の思い出を叙情的には書かなかった。苛酷な戦争体験は開高健を「日本的叙情」から遠ざけたのである。初期短編は「自我」の外側にテーマを設定している。「パニック」はネズミの大発生、「巨人と玩具」はお菓子会社の宣伝競争、「流亡記」に至っては秦・始皇帝の万里の長城建設をテーマにしている。それらはもちろん「現代」と「人間」を考える仕掛けだが、幼児期や恋愛・失恋の思い出を甘く語るような「青春文学」ではない。
(開高健と牧羊子)
 開高健にとって、牧羊子と出会い、サントリー(寿屋)に入社したことが人生を決めたが、その経緯が細かく検討される。開高健は晩年にテレビCMに出たときは、ずいぶん太っていた。しかし、結婚当時の写真を見ると痩身の文学青年である。東京に出てきて「裸の王様」で芥川賞を受けたが、仕事と家庭を抱えながらではすぐにアイディアが枯渇する。「文學界」への受賞第一作が書けずに、「群像」から書き直しを求められていた「なまけもの」を流用した。以後「群像」(講談社)と絶縁された。「開高健短編選」にある「なまけもの」は自伝的作品だが失敗作だろう。

 この評伝はいくつかの作品を読んでないと面白くないだろう。それを挙げれば「日本三文オペラ」「輝ける闇」「夏の闇」「オーパ!」だ。苦闘する開高健が挑んだのは、地元の大阪を舞台にした「日本三文オペラ」(1959)だった。これは大阪城近くの砲兵工廠跡に残された金属を盗み出そうとする集団を描くピカレスク(悪漢)小説である。小松左京日本アパッチ族」や梁石日(ヤン・ソギル)の「夜を賭けて」と同じ題材である。つまり主人公は本当は在日朝鮮人だった。開高は牧羊子を通して、詩人金時鐘や後の作家梁石日に取材したのである。
(小玉武氏)
 全部書いてると終わらないが、一段の凄みを感じたのは「夏の闇」をめぐる考察である。これはどことも知れぬヨーロッパの町(明示されてないだけで明らかにパリやベルリン)で、過去の因縁を抱えた女と性に耽溺するある夏の話である。小説だから「事実」である必要はないが、その「熱」には現実のモデルがいたのだろうか。年上の妻を持つ作家は外国で妻ならぬ女性と関係を持っていたのか。どのような事情が背景にはあるのだろうか。そこを追跡していくと、様々な事実が発掘される。「文学探偵」の妙味だが、それは哀切なエピソードだったと言えるだろう。

 細かいところは本書に譲るが、開高没後に娘道子妻初子(牧羊子)に訪れた運命も哀切なものだった。僕も新聞で訃報を読んで絶句した思い出があるが、事情を知って言葉を失う。そして開高自身も59歳と早死にだった。石原慎太郎や大江健三郎が今もなお存命であるだけでなく活動もしていることを思えば、開高健が今も現役作家であってもおかしくはないのだ。1930年生まれ、1989年没と日本の元号で言えば、ほぼ「昭和」を生きたと言ってよい。冷戦終結、バブル崩壊を前に亡くなったのである。

 そして著者は恐るべき指摘をしている。ヴェトナムを共に取材した朝日のカメラマン秋元啓一も49歳で亡くなった。死因も同じ食道がんだった。これはヴェトナム戦線取材時に浴びた「枯葉剤」、つまりダイオキシンの影響なのではないか。それは今では確かめられない。開高は喫煙家だったし、がんの原因は誰にも判らない。しかし、戦後を駆け抜けて去って行った作家には、その幅広い活動の中でそんな指摘もあるということだ。
(左から開高、佐治敬三、山崎正和、高坂正堯)
 なお、著者は「日本三文オペラ」の考察の中で、梁石日の原作を映画化した崔洋一監督の「月はどっちに出ている」を岩波ホールで見たと書いているが、それは明らかな勘違いである。「月はどっちに出ている」は1993年11月6日に公開され、自分は11月20日に「新宿ピカデリー2」で見た。(記録を付けているから確か。その日は先に中国映画「香魂女」をテアトル新宿で見た。)その時岩波ホールではシンシア・スコット監督「森の中の淑女」という「老女映画」が大ヒットしていた。9月4日から12月10日まで上映され、翌94年の3月19日から6月10日まで再上映されたぐらいのヒットだった。岩波ホールのホームページには過去の全上映記録が掲載されている。
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開高健のサントリー時代ー開高健を読む③

2021年02月22日 23時21分59秒 | 本 (日本文学)
 開高健寿屋宣伝部に勤めていたことは芥川賞受賞時から有名だった。「寿屋」は現在のサントリーだが、戦前来宣伝広告の上手な会社だった。僕も昔のウイスキーやビールのCMをよく覚えている。現在もビールの「金麦」や缶コーヒーの「BOSS」など有名だろう。またサントリー宣伝部には芥川賞作家の開高健だけでなく、1963年に「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞した山口瞳もいた。そんなサントリーで開高健はどのように働いていたのだろうか。
(『洋酒天国』とその時代)
 それがよく判る本が小玉武『洋酒天国』とその時代」(ちくま文庫)である。2007年に出て、織田作之助賞を受けた。小玉氏はサントリー宣伝部で開高、山口の後輩として働いた人物だが、単なる会社員ではない。早稲田大学新聞部では在学中に大隈講堂で開高健、大江健三郎の講演会を実施して、学生時代から開高を知っていた。サントリーでは広報部長、文化事業部長を歴任し、「サントリー・クォータリー」を創刊し編集長を長く務めた。サントリーの文化的な面を伝えるには絶好のポジションにいた。本来は「小玉武を読む」だけど、まあ「開高健を読む」として書く。

 開高健は作家活動を続けながら、本業としては芥川賞受賞前から雑誌「洋酒天国」の編集長をしていた。この雑誌は知る人ぞ知る存在で、僕も名前を聞いたことはあった。1956年に創刊され、1963年に休刊したから、もちろん読んだことはない。そもそも市販した雑誌ではなく、サントリーが全国展開した「トリスバー」の常連に無料で配られた宣伝雑誌である。それがいかに都会的でオシャレで知的好奇心に満ちた雑誌だったかは、小玉著に余すところなく書かれている。僕の時代でいえば「面白半分」とか「ビックリハウス」みたいなものか。僕の世代だとトリスバーそのものを知らないんだけど、時代相は何となく通じる。

 そして1961年1月に新聞広告のコピーで開高健の最高傑作が生まれる。
 「人間」らしく
 やりたいナ

 トリスを飲んで
 「人間」らしく
 やりたいナ

 「人間」なんだからナ (「ナ」は小文字)

 トリスを飲むことが「人間らしく」あった時代だった。もっと時代が後になるが、70年代には「ネスカフェ ゴールドブレンド」のテレビCMで著名人が「違いのわかる男」と呼ばれていた。今ならば違いが分かる「人」は、自分で豆を選ぶところから始めるだろう。だから、日本はまだ貧しかったのだが、欧米に憧れる洋風の生活がウイスキーやコーヒーからスタートしたのである。
(柳原良平作の「アンクルトリス」)
 では開高健はなぜ寿屋に入社したのか。それは妻の詩人・牧羊子(本名初子)との入れ替わりだった。7歳年上の牧羊子とは、大阪の同人雑誌で知り合って学生時代に同棲して子どもが出来た。牧羊子は当時珍しい「リケジョ」で、寿屋の実験室で働いていた。二代目社長になる佐治敬三は自分の趣味のような「ホームサイエンス」という雑誌を作っていた。それはアイディアが早過ぎて売れなかったけれど、牧羊子も編集に加わっていた。そして開高健にコピーを書かせて買い取ったりしてた。1954年2月に正式に入社し、代わりにその時に牧羊子が退社した。

 だから大阪で勤め始めたのである。最初は全国を営業で回ったり、労働組合でも活躍するなどしていた。そのようなことは小玉氏だからこそ、サントリーの内情が調査できたのだろう。そして今も使われる「アンクルトリス」を生み出した柳原良平や遅れて中途入社した山口瞳ら多士済々の顔ぶれが集結して、独自の社風の中ではつらつと活躍する。この本はまさに高度成長期の「多幸感」がいっぱい詰まっていて、読む側も面白い時代だなあと感じ入るしかない。開高、山口は後にサントリーの70年史を書いているぐらいだ。正式の社史の中に小説みたいな叙述がある。今では山口瞳・開高健「やってみなはれ みとくんなはれ」として新潮文庫に入っている。

 それを読むと、創業者の鳥井信治郎が傑物だった。そして宣伝の巧みさは昔からだった。有名な「赤玉ポートワイン」のポスターは一度は見たことがあるだろう。(この製品は今も「赤玉スイートワイン」の名で売られている。ポートワインはポルトガルのポルトということだから、クレームが寄せられたという。)鳥居の長男吉太郎が31歳で亡くなり、次男の佐治敬三(名前だけ親族の姓を名乗っていた)が後継となった。佐治敬三は独自の文化人的経営者で生前は誰もが知っている人だった。開高とは終生の友人となった。東京にはサントリーホールやサントリー美術館があり、サントリーの文化事業の恩恵を受けている。
(赤玉ポートワインの広告)
 僕は開高健があんなに世界を飛びまわり、ヴェトナムで従軍したりしたから、当然ながら60年代初期に退社して作家に専念したのだと思っていた。それが実は間違いだったことが小玉著でよく判る。サントリーは確かに従業員の社外活動に許容的だったが、忙しくて遅刻すれば給与をキッチリ差し引いたという。そのため「サン・アド」という別会社を作って開高健も非常勤取締役となった。80年代初期には出版社の「TBSブリタニカ」にサントリーが出資し、開高も関わった。「ニューズウィーク日本版」などの発足に尽力したのだという。この会社は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(ヴォーゲル)や「不確実性の時代」(ガルブレイス)をヒットさせた会社である。

 「『洋酒天国』とその時代」はただサントリー文化人に止まらず、植草甚一や山本周五郎などの興味深いエピソードが詰まっている。自分が前に記事を書いた「夜の蝶」や大岡昇平「花影」をめぐる問題も書かれている。「戦後酒場史」であり「戦後文壇史」でもある。貴重な名著だが、やはり一読して脳裏に印象付けられるのは開高健ではないか。
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