尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

どう見る?立憲民主党代表選、「野党を育てなかった有権者」の12年

2024年09月05日 21時43分41秒 | 政治
 自民党総裁選と同時期に立憲民主党の代表選が行われる。9月7日告示、23日投開票なので、いずれも自民党に数日先んじている。しかし、報道は自民党総裁選に集中し、立憲民主党代表選は埋没しているという声が絶えない。しかし、自民党の次期総裁は「次期首相」なのに対し、立憲民主党次期代表は「次の次の首相になるかもしれない(可能性が存在する)」という存在に過ぎない。マスコミだけでなく、人々の注目が自民党に集中するのもやむを得ないではないか。

 代表選に関しては、枝野幸男前代表が出馬を表明し、続いて野田佳彦元首相も出馬を表明した。泉健太現代表も続投を目指しているというが、なかなか推薦人20人が集まらない状態と報道されている。他には当選1回の女性議員吉田晴美氏も出馬の意向を表明しており、江田憲司馬淵澄夫氏を推す声もあるが馬淵氏は撤退。西村智奈美代表代行は不出馬を表明した。立憲民主党代表選に出馬するには、国会議員の推薦人20人を集める必要があるが、このハードルは自民党以上に高い。何しろ所属議員が衆参合わせて136人しかいないのに、自民党総裁選と同じ条件なのである。
(出馬を表明する枝野前代表)
 その条件を変えるべきだという声が高いが、まあそれは今後党内で議論すれば良いだろう。今回に関しては、いくら何でも枝野、野田2氏だけでは自民党に比べて見映えしないので、何とか4人ぐらいにはなるのではないか。推薦人確保も危うい泉現代表の再選は厳しいだろうし、一期生の吉田氏は出馬できても当選ラインには遠いだろう。ということで、結局は二人。保守系がまとまりそうな野田氏が優勢枝野氏が対抗という情勢と思われる。小沢一郎氏が野田氏を推すという話で、じゃあ2012年の分裂は何だったのかと思うが、自民党に対抗する以上「政権交代のためなら何でもアリ」かもしれない。

 野田元首相は「昔の名前で出ていますではいけない」と言っていたのに自ら出馬するのは何故だろうか。(この表現に対して、新聞が「1975年の小林旭さんのヒット曲に例えて」と書いてたのをみて、説明がいるのかと感慨があった。)これは自民党で小泉進次郎氏が出馬するのに連動した動きだと思われる。立憲民主党の若手議員はもちろん誰も閣僚経験などないし、党役員さえやっていない。だから「知名度」と「経験」では誰も小泉進次郎首相に対抗出来ない。「」「」の小泉首相には、「老巧」「重厚」イメージの方が有効なのではないかと党内で思われているのだろう。
(出馬を表明する野田佳彦氏)
 ちょっと立憲民主党の立党経緯を振り返ってみたい。2017年総選挙を前に、当時の民進党前原誠司代表が小池百合子都知事らが結党した「希望の党」と合流を決めた。しかし、小池氏は民主党時代の閣僚経験者などを公認せず「排除」した。その時「排除」された人々によって作られたのが立憲民主党である。結党当初の代表を務めて当選したのが枝野幸男氏、無所属で当選したのが野田佳彦氏、希望の党で当選したのが泉健太氏である。その後、無所属を含めて合流の機運が高まったが、合流しなかった人たちが国民民主党に集まり、それ以外で今の立憲民主党に結集した。

 そういう成り立ちだから、内部的にはいくつかの潮流が存在する。代表、幹事長、国対委員長などの要職は民主党政権時代に閣僚経験がある人が就くことが多く、顔ぶれに既視感が強いと批判され続けている。ただ、この問題で立憲民主党を非難出来るとは僕には思えない。2009年の政権交代選挙では、当時の民主党は全国300小選挙区のうち、221で勝利した。(他にも連立を組む社民党が3、国民新党が3、新党日本が1と、新与党で228議席を獲得した。)

 一方、自民党で小選挙区を勝ち抜いたのは、わずか64人に過ぎなかった。それでも西日本では強さを発揮し、安倍晋三、麻生太郎、岸田文雄、石破茂、二階俊博、加藤勝信氏など政権復帰後に要職を務めた人がいる。また神奈川県では全18小選挙区中、自民党はわずか3人しか勝てなかったが、それは菅義偉、河野太郎、小泉進次郎氏だった。つまり、2009年の民主党旋風の中でも勝ち抜いた議員が2012年の政権復帰後の自民党を支えたわけである。

 ところが2012年の総選挙では、民主党が獲得した小選挙区はわずか27議席に激減した。民主党から分裂した日本未来の党(小沢一郎系)が2議席、国民新党1,政権を離脱した社民党1である。それに対し、自民党は小選挙区で237議席も当選したのである。その中には後に「魔の○回生」と呼ばれて任期途中で辞任、さらには逮捕・起訴されたような新人議員が何人もいる。そして民主党で当選したわずか27人の中には、長島昭久細野豪志松本剛明(現総務相)、山口壯氏など今は自民党に所属している人もいる。また玉木雄一郎前原誠司古川元久氏など立憲民主党に合流しなかった人もいる。

 だから2012年に民主党で小選挙区を勝ち抜いた、枝野幸男岡田克也安住敦長妻昭馬淵澄夫氏などがその後の党運営でいつも何らかの役割を担わざるを得なかった。(野田佳彦元首相はその後はしばらく表に出なかったが。)そして、2009年に初当選した多くの若手、女性議員はほとんど2012年に落選し、その後の2014年にも戻って来れなかった人が多い。その結果、生活のために政界を引退せざるを得なかった人が多いだろう。中には当選を続けていれば、今頃はリーダーに相応しい人も出ていたかもしれない。しかし、野党議員を落選させ続けたのは有権者の判断だった。その結果、立憲民主党には「ベテラン」がいて、「若手」もかなり多いが、「中堅」が少ない。(前回衆院選当時、当選7回以上=28人、当選6~4回=22人、当選3~1回=46人。)
(出馬を模索する吉田晴美氏)
 野党第一党のそういう構造を作ったのは有権者の審判だったので、今さら批判してもむなしい。若手議員はかなりいるので、今後は変わっていく可能性があるが、人がいない以上しばらく「ベテラン優位」が避けられない。有権者の側は自分たちの判断が自民党のスキャンダル議員を選び続けてきたことを自覚する必要がある。そのことを前提にして、10月にもあり得る解散・総選挙に臨む以外にないのである。だが…、それにしても「野田佳彦首相の復活」というストーリーに我々は「萌える」ことが可能だろうか。小泉進次郎政権=菅義偉前首相の復活よりはマシと思うしかないのだろうか。政策面は今回は細かく書かないけれど、「保守」に寄ることで「安心」する人もいるんだろうが、何も変わらないなら政権交代の意味もない。
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特殊な宗教施設、「官軍」のための靖国神社ーそもそも靖国神社の問題とは?

2024年08月29日 22時11分47秒 | 政治
 靖国神社と自衛隊の関係が深まっているという問題の危険性を指摘した。ところで「靖国神社」とは何が問題なんだろうか。前にも書いたと思うけど、大分前のことだから自分でもいつ書いたか覚えてない。こういう問題は時々書き直して確認しておく方が良いだろう。僕は靖国神社に行ったことがない。避けているとも言えるけど、東京にある有名な寺社、キリスト教会などもほとんど行ってない。東京タワーなど「観光地」も自分で行ったことがない。東京には歴史的に価値がある寺社建造物が少ないし、いつでも行けるから敢えて行く気にならない。基本的に信仰心がない方なので。
(靖国神社)
 まず憲法の「政教分離」原則。日本国憲法には「第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」という条項がある。
(政教分離条項)
 憲法の条文を常識的に読むならば、大臣が勤務時間中に靖国神社(に限らずあらゆる宗教施設)を参拝するのは憲法違反になると思う。それなのに何故毎年参拝が繰り返されるかというと、「私人」だからと主張するからだ。(最近はそれを言わない人も増えたけど。)この問題に関しては長年の歴史があって、細かな議論がなされてきた。さすがに税金で(お寺で言えば)「御布施(にあたるお金)」を出すのは控えているようだ。神社への往来に公用車を使用するのも僕はアウトだと思うが、多分防衛相は危機対応を理由に公用車で往復したんだと思う。大臣も「私人」としては信仰の自由を持っているから、週休日に出掛けることまでは(法的には)規制出来ないんだろう。だが平日に出掛けるのは「特別公務員」でも本来は控えるべきだ。
 
 この「政教分離」問題だけでも本来は十分だと思うが、靖国神社には歴史的な検討も欠かせない。靖国神社を「戦死者を祀る神社」と簡単に思い込んでいる人がかなりいる。中には「日本人には死ねば神になるという伝統的信仰がある」なんて訳知りのように語る人もいる。ウソでしょ。昨年母親が死んだけど、母親が「神」になったとは思ってないし、誰か祀ってくれるわけでもない。確かに昔から「偉人」を祀る神社はあった。徳川家康は「東照権現」となり各地に東照宮が作られた。明治以後では「明治天皇」「乃木希典」「東郷平八郎」などが死後に神社が作られた。

 これらの人が「偉人」かどうかはともかく、国家的重要人物に違いない。しかし、徳川家康は神になっても、家康に従って関ヶ原で死んだ武士は祀られない。明治天皇が神となっても、明治天皇が宣戦を布告した日清・日露戦争の戦死者は神にならないのが、日本の伝統的神観念だろう。つまり靖国神社というのは、近代になって「発明」された「創られた伝統」なのだ。しかし、時間が経つと「それこそが伝統だ」とみなす人が出て来る。そして本来は特別なイデオロギー的な意味が持つものが「脱色化」される。「教育勅語」などが典型で、現在になって「良いことも書いてある」などと本来の意味を「脱色」して評価する人がいる。

 「戦争で死んだ人」というとき、現代の多くの人は兵士だけでなく、原爆や沖縄戦、空襲などで亡くなった民間人も思い浮かべると思う。引き揚げ途上やサイパン島などで自ら死を選んだ人もたくさんいる。しかし以上の中で兵士以外は靖国には祀られない。それどころか、幕末維新の多くの戦死者の中で薩長軍(官軍)は靖国に合祀されているのに、幕府軍、江戸の彰義隊、会津藩など東北諸藩、五稜郭の「箱館戦争」の死者など(賊軍)は全く合祀されていない。西南戦争の西郷隆盛なども同様である。このような「国民を分断する」神社に参拝して、「平和を祈った」などと言うのは僕には偽善としか思えない。
(上野公園にある彰義隊兵士の墓)
 靖国神社はもともとは1869年に「東京招魂社」として官軍の死者を祀る宗教施設としてつくられたものである。対外戦争がたびたび起こるようになると、狭義の「戦死者」が多くなった。靖国神社の祭神の85%以上が「大東亜戦争」の戦死者になっている。だから人々の意識が「靖国神社は第二次大戦の戦死者を祀る神社」と思い込む人が多くなったのもやむを得ない面はある。しかし、第二次大戦の死者でもすべての人が祀られるわけではない。「敵前逃亡」などで処刑された兵士は祀られない。あくまでも「天皇のための死者のみ」という大原則が貫かれているのである。

 僕はこのような「薩長中心史観」は間違いだと思っている。「官軍」として天皇を担いで新政府をつくり、天皇絶対主義の国家を作った。天皇を「統帥権」を持つ「大元帥」とする大日本帝国憲法を制定した。これは国会による議論を経ずに当時の政府が制定し、結果的に日本国民だけでも300万を超えると言われる死者を出す戦争を始めて敗北した。東日本にゆかりがある人間としては、「賊軍」と決めつけず旧幕府勢力と戦争を避ける方策もあったのではないかと思う。その方が望ましい日本になったのかも知れない。自分は藩閥に対抗し賊軍と呼ばれた人々を貶める神社はおかしいと思っているのである。
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自衛隊と靖国神社、深まる危険な関係ー木原防衛相の参拝、「遊就館」集団参拝

2024年08月27日 22時11分24秒 | 政治
 自民党総裁選に続き、立憲民主党代表選アメリカ大統領選なども書きたいところだが、8月中に「靖国神社」について書いておきたい。靖国問題に関しては折々に書いてきたが、2024年1月27日には『自衛隊幹部の靖国神社集団参拝問題ーこれが「通達違反」じゃないとは!』を書いた。これはタイトル通り、自衛隊幹部が靖国神社を集団で参拝した問題について考えたものである。2024年になって「自衛隊と靖国神社」をめぐる深い関係がたびたび報道されている。しばらく靖国参拝が何で問題なのかという「そもそも論」を書いてないからこの機会に書いておきたい(次回)。(自分にとって「当たり前」のことはスルーすることが多い。)
(8月15日に木原防衛相が参拝)
 毎年夏になると「8月15日に閣僚が靖国神社を参拝」というニュースが流れる。2024年は3閣僚が参拝したそうで、それは高市早苗経済安全保障担当大臣新藤義孝経済再生担当大臣木原稔防衛相の3人である。新藤、高市両氏は今までも大臣として参拝をしてきた。木原稔氏は熊本1区選出の当選5回で、55歳。今回が初入閣なので閣僚としては初参拝になる。茂木派所属だったが、今までも保守的な主張や行動をしてきたようだ。閣僚が何人か参拝したとしても、今までは官房長官、外相、防衛相など外交安保に関わる主要閣僚が参拝したことはなかった。防衛大臣が平気で参拝できる世の中になってしまったのである。

 大日本帝国憲法下の帝国陸海軍と日本国憲法下の自衛隊は、法制的には関係がない別組織である。自衛隊が日本国憲法に違反しているかどうか、その問題には今深入りしない。ただ、長年「自衛隊違憲論」が影響を持ってきたのは事実だから、自衛隊側も旧陸海軍とはタテマエ上は違うフリをしてきたと思う。実際は「日本の再軍備」は旧軍人が中心になって進められたが、それらの事実はあまり公言されてこなかった。戦前の靖国神社は陸海軍が直接管轄していた神社なのは当時の世代は皆がっている事実だ。戦後は「政教分離」を定めた憲法が制定されたのだから、自衛隊幹部は靖国神社と公に関わるのは避けてきたわけだろう。
(最近の自衛隊と靖国神社の関係)
 8月になって、海上自衛隊の幹部が靖国神社の「遊就館」を研修として5月に集団見学していたことも明らかになった。これもちょっと考えられない出来事で、自衛隊が靖国神社とズブズブの関係になりつつあるのが判る。「遊就館」というのは、靖国神社にある「軍事博物館」的な施設で、有名な寺社によくある「宝物館」みたいな場所だ。だから宗教施設ではないけれど、ここを集団で見学するというのは、神社参拝以上のとんでもない出来事である。何しろ遊就館は「大東亜戦争肯定論」を広めるイデオロギー施設なのである。日本の国家方針と違う考え方の施設に公務員を研修で見学させるのは、いうならば「国家反逆行為」に近い。

 公務員であっても思想信条や信仰の自由はもちろんあるわけだが、それを仕事の中で勝手に表現することは認められない。もちろん「遊就館を批判的に見学した」わけじゃないだろう。公正な解説者を付けて問題点を理解させるというような配慮はなかったに違いない。要するに幹部自衛官に、遊就館に対する問題意識がなく、ここは自分たちの場所だと思っているんだろう。九段の近くには「昭和館」や「しょうけい館」という施設もある。集団で行きたければそっちを見るべきだ。
(靖国神社の新宮司の文章)
 そして4月1日に靖国神社の宮司に元海上自衛隊海将の大塚海夫氏が就任した。崇敬者総代も自衛隊経験者が就任するのが恒例化しつつあるらしく、現在は元陸上幕僚長の火箱芳文氏、その前は元海上幕僚長の古庄幸一氏が就いているという(朝日新聞)。新聞記事によれば火箱氏は「旧軍と自衛隊は歴史的には関係を切ってきたが、旧軍の気持ちを理解できるのは自衛隊だ」と語っている。このように一宗教法人と国家の実力組織が深い関係を持つのは「政教分離」原則に反するだろう。だがそういう問題に留まらず、「何だか恐ろしい」という「新しい戦前」の到来を感じさせるのである。
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小林鷹之と石破茂、「裏金議員」の扱いが正反対ー自民党総裁選③

2024年08月25日 22時04分54秒 | 政治
 自民党総裁選に出馬の意向を示している10人超の写真を道行く人々に見せて、「誰に期待しますか?」と聞く。そんなことをヴァラエティ番組などでよくやってるが、聞かれた人は「若い人がいい」などと答えている人が結構多い。そんな有権者心理を当て込んでか、最初に正式に出馬の記者会見を開いたのは、当選4回、49歳の小林鷹之氏(衆議院千葉2区、旧二階派)だった。
(出馬を宣言した小林鷹之氏)
 こういう「若手」が立候補するのを見て、「自民党の派閥政治が崩れた」と評価する人がいるんだけど、僕はそれは大間違いだと思っている。自民党の派閥は麻生派を除き「解散」したということになっている。しかし、政治家どうしの実質的つながりは残っていて、それが今回の総裁選の最大のポイントになっている。今回は裏金問題を抱える党内最大の「旧安倍派」からは誰も出馬出来ない。その議員票を誰が取るか、旧安倍派を取り込むため出馬予定者がどんどん「右傾化」している。

 旧安倍派では萩生田光一、西村康稔、下村博文、稲田朋美などが総裁候補と取り沙汰されてきたが、当分出られないうちに「賞味期限切れ」する可能性が高い。そうなるとその次の世代ということになるが、それは福田達夫元総務会長だという声が高い。福田家三代目への「大政奉還」が既定方針だとみなして良い。しかし、福田達夫も今回は出られないから、小林鷹之議員の支持に回っている。小林氏の出馬会見には24人の同席議員が確認されているが、福田氏もその一人。小林氏の推薦議員は各派閥から出ているが、最多は旧安倍派である。つまり小林鷹之氏は今回誰も出られない旧安倍派の代理出馬だと考えても良いのである。

 それを証明するかのように、小林氏は裏金議員でも正式な処分を受けていない人は役職に付けるべきだと主張している。「党で正式に処分をされていない議員にも役職を外されている方たちがいるので、国民の一定の理解を得られた時点で、適材適所の人事を行うということが大切ではないか、という趣旨で申し上げた」というのである。選挙前にこんなことを言う人を「若手代表」ともてはやしているのである。マスコミはきちんと追求する必要がある。
(石破茂氏も出馬を宣言)
 一方で5回目の挑戦となる石破茂氏は裏金議員について「国民の審判を受けるにふさわしい候補者か、党として責任を持つ」と次回選挙での非公認を示唆した発言をしている。非公認となると、比例区で復活当選出来ないから選挙に弱い議員には一大事である。しかし、この発言には大きな反発があったらしく、すぐに「新体制で決めることだ。まだなっていない者が予断を持っていうべきではない」とトーンダウンしている。だが「裏金議員公認問題」を総裁選の大きなテーマに浮上させたのは石破氏の功績だろう。もっとも「こういうことを言うから当選出来ない」と思われているんだろうが。

 自民党総裁選なんだから、誰が出馬しても自民党の政策の枠内で議論が進む。だから自民党を支持していない人には関係ないのだが、大きな政策以外の、自民党のあり方などには相当の違いがあるのだ。僕は別に石破茂氏を支持しているわけじゃないが、テレビなどで「小林氏や小泉氏は若い」「石破氏は5回目の挑戦」などというスタンスで報じている。だが主張内容を見れば、「石破氏は国民目線」「小林氏は党内目線」なんじゃないのか。

 今回は一体何人が立候補出来るのか。これを「派閥がなくなったせい」と考えるのは間違いではないが、一面的な理解だ。ここまで多数が手を挙げている時に、(旧安倍派以外の場合)立候補を模索しない時は「自派が草刈場になる」ことを意味する。それなりの議員は将来のためにも出馬を模索せざるを得ない。もちろん旧岸田派から林芳正官房長官上川陽子外相、旧茂木派から茂木敏充幹事長加藤勝信元官房長官が出馬に意欲を示しているようなことは、以前だったら起こらないだろう。まあ民主党政権下の2012年総裁選で旧町村派から町村信孝、安倍晋三両氏が出たケースもあるけれど。

 今まではトップがまとめて数人に絞る「予備選」が裏で行われていたわけである。今回は派閥が持っていたそういう機能を誰も果たせないから、出たい人が皆手を挙げる。だが当選が全く不可能なら他候補の支持に回って、新体制で要職を狙う方が得策だと思う動きも出て来ると思う。党員票は小泉氏や石破氏に集まると予測されているが、議員票だけでは太刀打ちできない人は、それなりの理由を付けて(現在の職務に専念せざるを得ないなど)撤退していくのではないか。さて、報道を見る限り石破氏は「面倒見が悪い」などと政治家の本質と違う問題で、当選出来ないらしい。公職じゃないからあれこれ言っても仕方ないが、そういう体質の党が「与党」であるということは問題なんじゃないか。
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「悪夢のような」小泉進次郎首相、誕生?ー自民党総裁選②

2024年08月24日 22時13分05秒 | 政治
 2024年自民党総裁選について、今年になってから2回書いている。岸田首相に解散・総選挙に踏み切る力はなく、9月の総裁選までは延命するだろうが再選は無理。そこまでは誰でも予測可能だが、じゃあその後は誰が新総裁になるのか。3月13日の『それで岸田内閣は結局どうなるのかーやはり9月に辞職か?』では上川陽子外相を一番手に予想していた。6月27日の『「石破首相」の可能性はあるかー2024自民党総裁選はどうなるか?』では、これまで議員票が集まらないため当選は無理と考えていた石破茂氏の可能性も出て来たのではないかと書いた。どっちでも小泉進次郎議員のことには触れてない。

 ところがどうやら小泉進次郎元環境大臣が総裁選に出馬すると報道されている。僕が今秋に小泉政権を予想しなかったのは、さすがにそこまで「身の程知らず」とは思わなかったからである。小泉氏は人気も知名度も高いが、まだ環境相しか経験していない。その時もどうも理解できない言動が見られた。河野太郎氏が高圧的で丁寧に説明をしないのと似ているが、小泉進次郎氏には説明するだけの言語能力が不足しているのようなときが多かった。単なる「世襲」を越えた4代目にもなると、こういう人物が出て来るのかと僕なんかは思ってしまう。
(出馬予定の小泉進次郎氏)
 小泉進次郎氏は前回河野太郎氏を支援し、「小石河連合」と呼ばれた。だから、今回もし出馬せず石破氏か河野氏の応援に回っても何の不思議もない。その結果誰が当選したとしても、選挙応援の顔が欲しい次期政権では重要閣僚、または党三役に就任できるのではないか。一方いくら小泉進次郎首相でも次の選挙は厳しいと予想される。そんな「修羅場」はベテランに任せ、問題を起こすことが多かった「安倍チルドレン」を「精選」して、重要閣僚をこなした後で総理の座を目指しても年齢的には全然遅くない。

 僕は自分の常識でそう考えていたわけである。しかし、自分の常識を越えた人たちがやはり自民党にはいるのだ。小泉進次郎氏を「勘違い」させているのは、菅義偉前首相である。菅氏が官房長官あるいは首相だったときの国会答弁、記者会見なども、何だかよくわからないことを言っていた。言ってる内容に賛成、反対という前に、言ってることが理路整然としていないのである。そういう菅氏だからこそ、同じ自民党神奈川県連というだけでなく、小泉進次郎氏とは「似たもの同士」なのかもしれない。
(総裁選出馬を取り沙汰される人々)
 しかし、同じ神奈川と言えば河野太郎氏も神奈川県連所属である。だが前回は支援した河野氏が今も麻生派を脱退しないのが菅氏には不満なんだという。確かにそれは僕もどうかと思うが、麻生副総裁も「派内の河野が出れば推すのが筋」という理由で茂木幹事長の支援要請を断ったらしい。派閥が解散したと言っても、実は皆旧派閥単位で動いている人が多い。そうじゃない人がいると目立つけど、河野氏からすれば「あえて麻生派を脱退する理由がない」ということか。あるいは父親の河野洋平が創設したグループなんだから、自分こそルーツなんだという意識かもしれない。麻生派内にも様々な考えがあって、河野氏以外の支援に回っている人もいるようだが、それでも推薦人確保には派閥も有効と考えているのだろう。

 そのため菅氏は他の候補を求めて、自分に近い小泉進次郎氏を支援するようだ。政策なども菅氏のグループがまとめているらしい。菅氏も小泉氏も「無派閥」だが、「選挙互助会」の派閥なんて小泉進次郎には必要ない。落ちる心配がないから誰かの下で「雑巾掛け」する意味もない。菅氏も「派閥の弊害」を真剣に考えていたら、自民党最大派閥だった「安倍派」の安倍元首相を支えた意味がわからない。僕は菅氏を「無派閥」と見るのは間違いだと考えている。確かに派閥化はしなかったが、菅氏は関係が深い議員と「勉強会」などを組織してきた。事実上「菅派のトップ」と考えた方が正確だと思う。

 総裁選が始まれば、各マスコミでも討論会などが開かれるだろうが、そこで小泉氏が何を語るだろうか。「失言」あるいは「不適切発言」が出て来て急失速する可能性もないではない。だが何とか無難に乗り切れば、党員票を集めて2位には入って来る可能性が高い。そうなると当選可能性が高く、「小泉進次郎政権」誕生の可能性を考えておかないといけない。でもそれって「悪夢のような」(©安倍晋三)ものではないだろうか。ホントに有権者は「セクシー」な小泉進次郎政権を歓迎してしまうんだろうか。

 それとも21世紀に二度目の小泉政権は、カール・マルクスの言う「歴史は繰り返す。 一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』)となるのだろうか。父親は「自民党をぶっ壊す」と言って大勝利した。次男のもとで本当に壊れるのかもしれないが、それならそれで歴史的意味があるというべきか。
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岸田首相はなぜ辞めるのか、「現象」ではなく「本質」をー自民党総裁選①

2024年08月23日 22時03分53秒 | 政治
 アメリカ大統領選の民主党副大統領候補になったミネソタ州知事のティム・ウォルズはとても興味深い人物だ。そのことはまた別に書きたいと思うけど、この人は公立高校の社会科教員だった。演説では「公立学校の教師を甘く見るな」と語っていた。全くその通り。専門は地理だというが、社会の様々な問題について生徒に語る機会も多かっただろう。

 日本では9月に与党第一党の自由民主党、野党第一党の立憲民主党でともにトップを選ぶ選挙が予定されている。そして、現職自民党総裁の岸田文雄首相は総裁選に立候補しないと明らかにした。そのこと自体は別に驚くことではなく誰でも判っていたわけだが、表明したのが8月14日だったのにはちょっと驚いた。翌日に「全国戦没者追悼式」を控えているので、その前日にもうすぐ辞めると言うのは(「英霊」や「天皇」に対して)「不敬」にあたるなどと「右翼」が反発するかもしれないじゃないか。
(岸田首相が不出馬表明)
 しかし、自民党は「パンドラの箱」を開けたようになってしまい、そんな懸念をするまでもないようだ。困ったのは「不出馬表明」はお盆休み明けと予想して夏休みを予定していた政治部記者だろう。もしかしたらマスコミへの嫌がらせだったのかもしれない。まあ大部分の社は予定稿を準備していただろうが。そのマスコミは自民党総裁選に予想以上の候補が出そうということで「祭状態」になっている。そしてそれを批判する人もいつものようにいる。

 だけど、自民党総裁選とは「事実上の次期首相選び」なんだから、マスコミ報道が過熱するのも当然だと思う。問題はそこではなく、その報道が「国民が真に知るべきこと」を伝えないことだ。候補者は全員自民党議員なんだから、もともと全国民の平均より右である。その中で競い合うから、「保守度アピール」になりやすい。そこで「全国民」を代表して、「選択的夫婦別姓制度」や「原発」への考え方などを記者こそが鋭く聞かなければいけない。

 その総裁選の行方は次に考えるとして、「岸田首相は何で辞めるのか?」。そんなことは判りきっていると言わず、子どもたちに聞かれたら親や教師は何て答えればよいのか? 恐らくつい「支持率が低い」とか「裏金問題」、「物価高」とか、または「次の選挙が近いから」などと答えるだろう。しかし、それらは「現象」である。マスコミは現象ばかり追いかけるが、大事なのは「本質」である。それこそ教師が生徒に提示するべきものだろう。
(広島で配布された号外)
 じゃあ、その「本質」とは何だろうか。日本の政治制度は日本国憲法によって「議会制民主主義」と決まっている。また「三権分立」の原則で、立法と行政は別になる。総理大臣は国会で指名されるので、支持率が低いとは「次の選挙で党の候補者が減って総理大臣指名選挙で負ける」恐れがある。様々な問題があったとしても、それでも国民の支持率が高い政権なら倒れない。そんなことは当たり前のことだけど、突然聞かれたら、「日本は民主主義の国だから」と答えられるだろうか。
  
 今年は世界のいろいろな国で選挙が行われた。イギリスでは政権交代が起こったし、インドや南アフリカでは政権は変わらないものの予想外に苦戦した。フランスは大統領制だから議会の権限は限定的だが、大統領派の与党が敗北した。韓国も同様である。それぞれ固有の事情があるが、ウクライナ、ガザ以後の世界的な物価高によって、どこの国のトップも厳しい状況にある。

 日本でも今後一年間に衆院選参院選が相次ぐ。支持率が低い首相では困ると自民党議員は考える。それは日本が「普通選挙」を行っているからだ。ロシアの大統領選も今年行われたが、候補者は自由に立候補出来なかった。中国は一党独裁だから、中国共産党大会で選ばれた総書記が国家のトップを兼ねる。国民全員が参加する「普通選挙」は行われない。サウジアラビアでは国会そのものがなく、国王が権力を握っている。(事実上は高齢の国王に代わって皇太子が実権を振るっている。)

 世界には様々な政治制度があるが、「議会制民主主義」は絶対のものだろうか。それは「価値観」の範囲になるので、いろいろな考えがあり得る。国会議員が選挙を気にして政権支持率に一喜一憂するため、人気取りに走ったり長い目で政治を行えなくなる欠陥があるとよく言われる。「独裁」的な国の方が国民の人気を気にせず思い切った政治が出来るという考えは大昔から存在した。だけど、民主主義を取っているからこそ、政治家が国民の声を気にするのである。

 選挙で当選するには知名度の高い候補の方が圧倒的に有利だから、「世襲政治家」が多くなる。自民党総裁選には10人以上が立候補意欲を見せているというが、その中で親や祖父が政治家じゃなかった人は2、3人しかいない。そういうような弊害も出てくるけれど、今のところ「議会制民主主義」以外の政治制度は考えられない。その良い部分を国民が認識していないと制度を生かすことが出来ない。そうなると「民主主義はマイナスが多い」というような意見が出て来る。国民は自民党、立憲民主党のトップがどう選ばれるか、注視する必要がある。と、まずはタテマエから。
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斎藤兵庫県知事の「内部告発」問題ー「維新」知事のパワハラ疑惑

2024年07月14日 22時21分12秒 | 政治
 都知事選から一週間ほど。様々な余韻は漂うものの、地方政治をめぐる問題としては「兵庫県知事問題」が大きくなってきた。この問題は前からくすぶっていて、その話は聞いていた。しかし、地元の都知事選ならともかく、全然縁のない地域の話を書くのもなあと思って触れないでいた。しかし、重大な問題が幾つもあると思うので、ここで書いておきたい。

 2024年3月に「西播磨県民局長」(播磨=はりま=兵庫県南西部の旧国名)を務めていたW氏(本名も判明している)が、兵庫県の斎藤元彦知事の「パワハラ疑惑」などを告発する文書(「斎藤元彦兵庫県知事の違法行為等について」)をマスコミ、県議などに送付した。斎藤知事は告発を「嘘八百」と否定して、「業務時間中なのに嘘八百含めて文書を作って流す行為は、公務員としては失格。被害届や告訴などを含めて法的手段を進めている」と激しく反発した。W氏は3月末で定年退職だったが、「懲戒処分の可能性がある」として退職辞令が取り消された。そして5月になって「停職3か月」の懲戒処分が下された。
(内部告発を否定する斎藤知事)
 細かいこと(疑惑の内容など)は書かないが、その後県議会で「百条委員会」(自治体の疑惑や不祥事があった際、事実関係を調査するため、地方自治法100条に基づいて地方議会が設置する特別委員会)が設置され、来週にはW氏も委員会に出席して証言することになっていた。しかし、それを前にW氏は7月7日に亡くなった。「自殺」とされる。(遺書もあると言われるが、現時点では公表されてない。)ところで、この問題をちょっと調べて驚いたのは、死者は1人ではなく2人だったのである。先の文書で「セ・パ優勝パレードにおけるキックバック強要」が告発されていた。その担当の総務課長が大阪府との調整などに悩み「ウツ」状態だと告発されていたが、その課長が4月に「自殺」していたというのである。
(斎藤知事は辞職せず)
 兵庫県ではおよそ半世紀にわたって現職知事引退後に、副知事が出馬して当選してきた。2021年の知事選では、3期務めた現職の井戸敏三氏が引退を表明し、井戸氏は金沢副知事を後継に指名した。しかし、県政の刷新を求める声もあり自民党県議団は分裂し、斎藤元彦氏が自民党と維新の支持で立候補して、金沢氏らを破って当選した。斎藤元彦氏(1977~)は神戸市生まれで、地元小学校、愛媛県の中高一貫校を経て東大を卒業、総務省に入省した。総務官僚(旧自治省系)は全国各地に出向するが、Wikipediaを見ると斉藤氏は三重県、新潟県、福島県に出向している。直前は大阪府財務部財政課長だった。

 コロナ禍の真っ最中で「従来の発想の県政を脱却するべき」という方向性はあると思うが、こうして「大阪維新」の薫陶を受けた総務官僚が若くして知事になったわけである。権力者のふるまいは「大阪に学んだ」との声もあるようだ。パワハラ問題の具体的状況は知らないが、いろいろと検索すると「県職員なら誰でも知っている」という証言が多い。副知事は「厳しい叱責」と表現しているが、命に関わるようなケース以外で厳しく叱責することを普通は「パワハラ」と受け取るんじゃないだろうか。

 そもそも告発者が3月末で定年だと聞いた時点で、「告発は事実なんだろう」と僕は思った。今後もずっと生活のために辞めるわけにはいかない人は告発出来ない。もうすぐ退職する人間だから、最後に言うべきことを言わなければ無責任な終わり方になると思ったんだろう。ところが、退職自体が差し止められた。この退職差し止め自体がパワハラっぽい。多くの自治体に「定年延長」の仕組みはあると思う。しかし、それは「余人をもって代えがたい」場合の話で、「処分の可能性」で辞めさせないという措置はあり得るのか。普通は「退職金支給差し止め」はあっても、定年年齢になったら退職になるはずである。
(職員組合は知事の辞職を求めた)
 この退職差し止めは大きな重圧になったと思う。そして5月に「停職3ヶ月」となるが、それが仮に妥当な処分内容だとしても、「懲戒免職」事案ではなかった。わざわざ定年を延ばした上で「停職」など全く無意味である。在職時に問題があれば、その分の退職金を削減すれば済む話で、退職させないなんて聞いたことがない。この問題の県調査に「第三者機関」は関わらず、逆に「県が調査の協力を依頼した弁護士が、告発文書で知事の政治資金に関連して指摘された県信用保証協会の顧問弁護士だった」という。
 
 そこで県議会が「百条委員会」設置ということになったわけだが、自民党県議団は設置に賛成した。一方、維新と公明が反対したのである。維新や公明は普段は政治倫理に厳しいようなことを言っているが、やはり自分の支持する場合は違うのだ。それも大きな教訓である。そして、噂レベルだが、維新の県議は百条委員会で告発当事者の元県民局長を追求する構えを示していたという。3月末に副知事と県人事課長が突然県民局を訪れ、局長が使用していたパソコンを押収したという。局長にもまさかの油断があったのだろうが、どうも職場のパソコンで告発文書を作成していた。そしてパソコン内には個人的な情報も保存されていたらしい。

 「自殺」の真相は不明だが、このような百条委員会で予想される「追求」が大きな心理的負担になっていたのではないか。片山副知事は上記画像で職員組合からの辞職要求文書を受け取った人だが、辞任の意向を表明した。知事に一緒に辞任するよう求めたが拒否されたという。しかし、県庁で一人ならず二人も死者が出ている事実は重く、このまま最高責任者が居座ることが出来るとはとても思えない。何にしても「上司にしたくない」人物が間違ってトップに立ってしまった場合、下の者はどうすれば良いのか。

 僕は東京都の教員として、都教委(の都立中学教科書採択)に反対する運動をしてきた。従って、「身を守る」ためにはそれなりに気を付けていた。職場のパソコンで職務以外の文書を作ったり、有給休暇を申請せずに集会に参加するなど、避けなければならない。どこから難癖を付けられるか判らないからだ。裁判になれば、当局者はどこまでもウソをつき続ける。それを前提にして、不当な罠に陥れられないように「内部告発者」も注意が必要である。
*その後、W氏は音声データを遺していたことが判り、百条委員会に提出された。なお「死をもって抗議する」と言っていたという。「告発」内容の問題は今後しっかりと検証するべきだが、それ以上に告発以後の知事の対応に大きな問題があり、責任を免れないと考える。(7.17追記)
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「石破首相」の可能性はあるかー2024自民党総裁選はどうなるか?

2024年06月27日 21時31分24秒 | 政治
 2024年の通常国会は延長せずに6月23日で閉会となった。政治資金規正法改正をめぐって、会期を延長してさらに検討すべきだという意見もあったが、結局あれでオシマイ。批判を書いても良かったんだけど、かなりテクニカルな問題が多いので止めておくことにした。最終盤で「日本維新の会」が改正案に「衆議院で賛成、参議院で反対」という不可思議な対応を取った。まあ自民党にうまくやられたわけだろう。「維新」についていちいち細かく指摘するのも面倒だから書く気が起きない。放っておけば、そのうち内輪もめなどが起きて支持率が下がると思ってるので放置している。

 ということで、政局の焦点は9月の自民党総裁選。いや、岸田首相はまだサプライズ解散を諦めていないという観測もあるらしいが、やはりそれは不可能だろう。今後、パリ五輪、首相外遊に、電気代の補助も再開して…、少しは支持率もアップしたら? いや、自分が自民党衆議院議員だったら岸田首相のもとで選挙には臨みたくないと思う。もし解散なんて言い出したら、党内反乱が勃発するだろう。3月に「それで岸田内閣は結局どうなるのかーやはり9月に辞職か?」を書いたが、現時点の観測を少し。
(河野太郎氏出馬か?)
 まず河野太郎デジタル相総裁選出馬を麻生副総裁に伝えたとかいう情報が流れている。それが本当かどうか現時点では不明だが、河野氏は自民党の異端だったときは面白かったが、権力を狙うようになってからは「独裁者気質」が前面に出て来たように見える。「マイナ保険証」ごり押しもあって、「河野首相」は困ると思うが、それ以前に今回の経緯はおかしくないか。自民党各派閥が(形だけであれ)「解散」した現在、ただ一つの派閥として「麻生派」が残っている。河野氏が派閥を離脱することなく、所属派閥のトップに出馬意思を伝えたとしたら、「逆行」した動きである。それに現職閣僚が出馬するということは、首相に反旗を翻すのと同じ。まずは岸田首相に大臣の辞表を提出するのが先だろう。
(岸田退陣を求めた菅前首相)
 もともと岸田氏の総裁再選は難しいと誰もが思っているわけだが、では誰が最初に狼煙を上げるか? それはやはり菅義偉前首相だった。各種マスコミ(オンライン番組、雑誌等)で「事実上の退陣要求」を突きつけている。「(裏金問題で)岸田総理大臣自身が責任を取っておらず不信感を持つ国民は多い」「ことし秋までに行われる総裁選挙で党勢回復に向けて刷新感を示すことが重要だ」と述べたというのである。お説ごもっともというしかないが、では誰を後継にするべきなのか?
 
 前回の記事では「上川陽子外相」の可能性を指摘したが、現時点では不明になったと思う。上川氏に「失言」問題があったし、やはり「華がない」感じが付きまとう。もともと「岸田派」であり、首相が引かない限り自分から出馬するとは思えない。それに各種世論調査で次期首相への期待感が少ない。岸田首相の支持率が低いだけでなく、最近は投票先としての自民党支持が減っている。「政権交代」を求める声も高くなっている。そうなると、いかにも「今度は女性総理にしてみました」感が支持率アップにつながるかは微妙で、かえって反発を招く可能性もある。岸田氏が自ら「後継は上川氏で」と言わない限り難しいかもしれない。
(2012年総裁選の安倍氏と石破茂氏)
 そうなると、相対的に存在感を増しているのが石破茂氏である。どんな世論調査でも「次期首相No.1」になる。小泉進次郎は経験が少ないと考えた時、なんで石破首相にならないのかと思う人も多いのではないか。まさにそういう点、党内基盤もないのに「正論」をぶって「後ろから弾を撃つ」、外の人気ばかり高いというのが「保守」の振る舞いとしては嫌われる。石破首相だけはあり得ないというのが、一応今も自民党議員のホンネだろう。だが、他の首相で選挙をして政権を失ったりしたら元も子もない。そこまで自民党の危機も深まったと考えるなら、石破総裁もまんざらあり得なくもないという状況になってきた。

 今まで自民党の危機が深まったときには、党内力学的にはあり得ない新総裁が誕生したことがある。ちょうど半世紀前、1974年に「田中金脈問題」が起こったとき、田中角栄首相の後任に三木武夫が選ばれた。その時は椎名悦三郎副総裁による「指名」という方法が取られた。また1989年の参院選で自民党が大敗したあと、海部俊樹が新総裁に選ばれた。この時はリクルート事件があって、党内実力者と言われた安倍晋太郎や宮澤喜一らが出馬出来なかったので、「クリーン」と言われた海部を主要派閥が担いだ。
(麻生副総裁と岸田首相の関係は?)
 最近の自民党の混乱ぶりは、過去のそういう事態を思い出すレベルになっている。そうなると、最後の派閥を率いながら現職の副総裁を務める麻生太郎氏の動向が注目される。麻生氏は「派閥解散」「(政治資金規正法改正をめぐる)公明党案受け入れ」をめぐって、岸田首相と溝ができたと言われている。だけど、岸田首相を支えるのか、代えるなら誰にするか、ちょっと前には「上川推し」みたいな印象があったが、今はどうかわからない。自民党は権力を握り続けるためには、どんな奇手をもめぐらすだろう。石破氏は現職衆院議員だから、まだしもありそうである。それどころか、すぐに(岸田内閣のままで)解散することを前提に、党外人材を総裁に選ぶことだって絶対にないとは言えない。何でもアリの政局が続きそうだ。
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「ゼロ歳児選挙権」という暴論ー吉村知事発言考

2024年05月21日 21時54分12秒 | 政治
 河村名古屋市長に続き、今度は吉村洋文大阪府知事の「ゼロ歳児選挙権」発言を取り上げたい。ネット上では取り上げられているが、大手新聞やテレビニュースは報じてないから、もしかしたら知らない人がいるかもしれない。最初はSNSへの投稿だったらしいが、4月25日の記者会見で「少子化問題を抜本から解決するのであれば、0歳児選挙権だ」と言及。子どもが3人いるので「僕は4票の影響力がある」と述べたらしい。「マニフェストに組み込んで、次の総選挙でしっかりと訴えたい」と言ってるとか。

 まともなマスコミがスルーしているのは、これが実現不可能だと知っているからだろう。僕も最初はジョークなんだと思っていたが、マニフェストなんて言ってる。まあ、どこかでストップがかかるだろうけど、全く理解不能。この人は「弁護士」である。ちゃんとした法学教育を受けているはずだが、憲法の勉強をしてないのか。もっともこの人は悪名高き「サラ金」武富士の顧問弁護士だった人である。(武富士は10年以上前に破綻したので、10代だと知らないかもしれない。もう少し上なら、街頭でティッシュを配っていたのを覚えているはず。ちなみに、武富士の高校生用求人票は凄まじいものだったな。)

 何で不可能かというと、日本国憲法の規定。憲法第十五条の2項公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。」よって、成人してなければ選挙権は行使出来ない。ちょっと憲法を知っていれば、あるいは憲法の条文を知らなくても常識さえあれば、成人にしか選挙権がないぐらいのことは判るだろう。

 なお、ここで「普通選挙」とある。これは財産や身分に関わらず(公職選挙法違反で公民権停止中など特別の理由がない限り)、すべての人に選挙権が平等に与えられるということである。「子どもの有無」「子どもが何人いるか」で選挙権に差を付けるのも憲法違反である。また同じ条文の4項には「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない」と規定している。だから、仮にゼロ歳児に選挙権を与えても、本人以外が投票権を行使したら憲法違反になる。
(ゼロ歳児にも選挙権?)
 しかし、仮にではあるけれど、この条項を「憲法改正」で変えたらどうなのか。しかし、それも無理である。第十四条で「すべて国民は、法の下に平等」と定められている。次の衆院選から選挙区が一部変更され、「10増10減」となる。最高裁で現行の区割りが一票の平等に反するとして、何度も違憲判決が出たことにより「一票当たりの価値」を出来るだけ平等にするように変更されてきた経緯がある。変更しても問題は残るが、それぐらい「一票の価値」が大問題になってきたのは国民の常識。

 ある人は子どもが1人いるから親が2票、ある人は子どもが3人いるから親が4票なんていうのは、明らかに「法の下の平等」に反する。このような憲法の基本原則、基本的人権の尊重を損なう憲法改正は出来ない。いや、国会の3分の2,国民投票の過半数があれば、何でも変えられるというかもしれない。しかし、国民が賛成したから「民主主義はやめて、日本を独裁国家にします」という憲法改正は出来ない。為政者が仮に企んでも、その場合は国民の「抵抗権」によって阻止しなければならない。

 もうこれで終わりでいいんだけど、実はもっと考えるべきことがある。それは「維新」の体質発想の特異性である。吉村氏はゼロ歳児選挙権が「少子化対策の解決法」だと主張している。どうすればそういう発想になるんだろうか。選挙権をいっぱい行使したいから、子どもをたくさん産む人なんているのか。子どもが多い人の意見が今より政策に反映するのかというと、特にそんなことになるとも思えない。子どもがいる人は特にどこかの党の支持者が多いのか? いや、同じような割合だと思うけど。(それとも皆「維新」に入れると思ってるのかな?)

 それに吉村氏は自分が4票投票できるかのように語っている。これはネット上でも指摘されているが、なんで自分が全部行使出来るのか? 離婚して3人の子の親権を吉村氏が持っているのだろうか。違うでしょ。「夫婦」では、子どもの選挙権は夫が代表して行使するんだと、無意識的に前提しているとしか思えない。

 それより一番大きな問題は「民主主義への理解不足」である。日本は「議会制民主主義」の制度である。問題点が多いのは間違いない。例えば、沖縄の基地問題を沖縄県選出以外の議員が決めてしまって良いのか? しかし、良いのである。今の政権が進める政策内容の是非とは別である。今の基地政策には問題が多いが、選挙で選ばれた内閣が自分たちの政策を進めるのは、それが仕組みだというしかない。様々な問題で「当事者の声」をよく聞くべきだけど、政策は当事者だけでなく「全国民の代表」で決めるのである。

 「未成年」は判断能力に問題があるから、投票の権利はない。だが、それは何歳からかというのは別問題。各地には住民投票の選挙権を16歳からとしているところがある。また他国には国政選挙権も16歳という国もある。引き下げるかどうかの問題はある。しかし、その場合も「本人が投票する」のが前提である。それが民主主義の原則だからというしかない。

 それを理解してない人が「思いつき」のようなことを言い出す。そう言えば、「大阪都構想」というのも僕には「思いつき」としか思えなかった。その系譜から「大阪万博」や「カジノ」も出て来ているんじゃないか。その意味で「維新」の「思いつき政治」を象徴するようなものだと思う。
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「祖国のために命を捨てるのは道徳的」かー河村市長発言考

2024年05月20日 22時33分23秒 | 政治
 ちょっと時間が経ってしまったが、名古屋市河村たかし市長の4月30日の発言について考えてみたい。この人はかつて自民党、新進党、民主党などに所属したが、現在は「日本保守党」共同代表である。(同時に地域政党「減税日本」代表でもある。)高校生の提案で名古屋市は空襲死者らを悼む日を設置することになり、5月14日を「なごや平和の日」とした。(名古屋市は何度か大きな空襲を受けているが、1945年5月14日の空襲で名古屋城が焼失した。)

 「なごや平和の日」制定は良いけれど、その決定を受けた記者会見で、河村市長は「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と語ったのである。その後批判もされたが、似たような発言をしている。うっかり発した「失言」ではなく、確信的な発言なんだろう。「時局的」には、最近の自衛隊員の靖国神社集団参拝などにも通じる、「ある方向性」があるんだと思う。
(河村市長発言)
 それは「日本周辺の緊張は激化していて、自衛隊員にも戦死者が出ないとは言えない国際環境にある。その際、日本は国家として戦死者に対して最大限の敬意を持って追悼しなければならない。そのために今から様々な心構えをしておかなくてはいけない」とでも言うようなものだろう。その状況認識がどの程度正しいかという問題は冷静に考えなくてはいけない。しかし、そう思い込んでいる人は一定数いるわけで、今後もこのような発言は続発するだろうと思う。

 この発言について考えるべきポイントは二つあると思う。それは「祖国のため」という部分と「命を捨てる」という部分である。なお、「道徳的行為」も問題ではある。「道徳」は規範というだけだから、これは「道徳的に高く評価されるべき行為」というような意味なんだろうけど、道徳規範の基準を政治家が示すのは問題だろう。しかし、これはそこまでにする。
(日本保守党共同代表に)
 最初に「命を捨てる」から。何故「死者」だけしか評価の対象にならないのだろうか。「祖国のために様々に尽くす」でも、言いたいことは通じるんじゃないか。「良心的兵役拒否」は認めないのだろうか。戦死した人以外にも、多数の傷痍軍人が生まれたし、空襲で焼け出されて「難民」や「戦災孤児」になった人も多数いる。「道徳」を振りかざす人ほど、戦災孤児が「浮浪児」となったり、戦争未亡人がセックスワーカーになったりすると、「道徳的に」非難したりするものだ。
 
 ひとたび戦争になると、実に多くの犠牲者が出る。そして「戦死するか」、あるいは「障害を負ったが命は取り留めた」か、それとも無傷で生還できたかは、ほぼ偶然による。そして、傷痍軍人はもちろん、無事に生還したとしても、戦後の混乱期を生き抜くのは大変だった。「命を捨てた」人がより道徳的に正しい行動を取っていたかというと、そんなことは全然ないだろう。まあ、そんなことは僕が言うことではなく、地元の中日新聞に連載された木内昇『かたばみ』を読みなさいと言っておきたい。

 さて、問題は「祖国のため」である。河村氏はウクライナやガザにも触れたという。どう触れたのか報道ではよく判らないのだが、これはどう解釈すれば良いのだろうか。ウクライナは確かに「祖国を侵略された」立場と言えるだろう。ではロシア兵の場合はどうなんだろう。ロシア兵の戦死者も「祖国のため」として道徳的に正しいのか。イスラエル人とガザのパレスチナ人の場合は、もっと複雑だ。どっち側も「道徳的」なんだろうか。

 ウクライナでも無防備な病院が爆撃されたし、ガザでも病院が爆撃され多くの子どもが死んでいる。そういう死者も「祖国のため」に死んだのだろうか。いや、僕は「国際法違反の戦争犯罪で殺された」と判断するべきだと思う。そもそもの名古屋大空襲の死者だって、「祖国のため」の犠牲者ではなく、「戦争犯罪の犠牲者」であり、「祖国」を言い出すなら「祖国の始めた無謀な戦争政策の犠牲者」である。「祖国のため」と言って様々な戦死者を一緒くたに顕彰するのは、「犯罪の隠ぺい」になりかねない。

 結局「祖国」の始めた戦争には全力で協力するべきで、どんな戦争であっても「祖国の戦争の戦死者」は道徳的に正しいというのが河村氏の世界観なんだろう。だから「アジア太平洋戦争」が侵略戦争であっても、戦死者は「犠牲者」ではなく「道徳的行為」になる。日本人だからそれで良く、もしロシア人に生まれていたら「ロシアの戦争はすべて正しい」と判断する。そういうタイプの思考の持ち主なんだろう。だがグローバル化の進む現代において、ちょっと情報を集めれば「祖国の過ち」はすぐに判明する。

 歴史を振り返ってみれば、様々な戦争があったと判る。「祖国のため」を考えるならば、「祖国の始めた戦争に全力で反対する」方がずっと「道徳的行為」だったことなどいっぱいある。第二次大戦中の日本であっても、日本の内外で侵略戦争を止めさせるために囚われていた人が多数存在する。「戦死者」ならすべて道徳的というより、場合によって「祖国の政策に反逆する」方が道徳的に正しい場合がある。もし、「祖国」とか「道徳」などの言葉をどうしても使いたいなら、そこまで言わなければ歴史の教訓を真面目に受け継ぐとは言えない。
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そもそもパーティー券は「詐欺」に近いー「外国人」の購入制限問題

2024年03月22日 22時40分58秒 | 政治
 安倍派パーティー券の「裏金」不記載問題は、予想されたような展開になっている。衆参の「政治倫理審査会」(政倫審)が開かれ、多くの議員が出席したものの肝心なことは何も判っていない。野党側は嘘をつけば偽証罪に問われる「証人喚問」を求めているが、与党側は応じていない。また多くの「不記載」議員が政倫審に出ていない。政倫審は3分の1の要求があれば招致できるが、野党委員だけでは数が足りない。そこで与党である公明党に協力を求めたが、公明党は応じないようだ。(公明党は自民党に厳しいようなことを口では言うが、肝心なところでは自民党を離れない。)しかし、こういう展開は予想通りだろう。
(野党は証人喚問を要求)
 憲法の規定により、2024年度予算が年度内に成立することは確定している。そうなれば、もう与党は野党に譲歩する必要はなく、国民向けに関係議員に対する「一応の処分」は行われるだろうが、自民党としてはそれでウヤムヤにしたい。補欠選挙で自民党に厳しい結果が出れば、岸田首相に責任を取って貰えば良いのであって、それで終わり。そう考えているだろう。「もし」があるとしたら、予算案の衆院通過が3月第2週まで延びていれば、政府は暫定予算を組む必要に迫られたかもしれない。

 その時にこそ、野党側が与党を追いつめ証人喚問などを実現できたのである。ただ、その場合与党や与党寄り「識者」から「能登半島地震復興をジャマするのか」という声が殺到するだろう。立憲民主党が採決直前に予算委員長の不信任案鈴木財務相の不信任案を出して抵抗した時に、予算案本体には反対した「日本維新の会」「教育無償化を実現する会」は両不信任案に反対し、「国民民主党」は財務相不信任案に反対した。野党というけど、肝心な時に与党を助ける党がある。そしてSNSでも立憲民主党の「抵抗」に批判の声があり、結局腰砕けになってしまった。「闘う」時に足を引っ張るのが日本社会である。

 それはともかく、最近は「そもそも政治資金パーティー券って何だろう」と思っている。これまでは派閥のパーティー券収入が還流して、政治資金報告書に不記載だったことを批判してきた。まあ、当然である。政治資金パーティーを開くことは合法行為だが、政治資金を記載しないのは違法行為である。現行法でそうなっている以上、パーティーそのものは問題視せず、組織的に不記載だったことを批判したわけである。だけど、それで良いのだろうかと思うようになってきた。
(有村質問)
 きっかけとなったのは、3月6日の参院予算委員会における有村治子議員(元女性活躍担当相)の質問である。「外国人による政治献金が禁じられる一方、政治資金パーティー券の購入は認められている現状について「事実上どちらも政治活動への経済的支援に変わりはない。外国人によるパーティー券の購入をただしていかなければ、日本の政治が外国勢力から支配や干渉を受ける制度的な脆弱性を持ち続ける」と述べ、法改正を訴えた。」と質問しているのである。

 あれ、やっぱりそうなの? それ言っちゃうの? 政治献金が禁じられているのは、何も外国人(法人)だけではない。「一定の補助金等を受けている会社(法人)」や「(3年以上の)赤字企業」なども同様である。しかし、パーティー券については制限がない。それは何故かと言えば、パーティー券購入は「パーティーに出る対価」であって、「政治献金」じゃないからだろう。パーティーを開く(参加する)のは、集会の自由があるから問題ない。パーティーに参加するには、コンサートやスポーツの試合などと同じく「チケット」が必要だ。外国人であれ赤字企業であれ買っても良いわけである。

 しかし、やはり自民党議員であってさえ、タテマエではそうだけど、実は政治献金そのものだと理解している。売った分全員が来たら会場があふれてしまうし、飲み物、食べ物もあっという間に無くなる。それでも会社でまとめ買いして、代表一人が出席し多くの政治家と名刺交換して、一緒の写真を撮って帰る。パーティー券分の飲み食いをする気は初めからないのである。だから実質は政治献金。そこで「外国人も実質的に政治献金可能じゃないか」と発想するのは、さすが自民党議員は「排外主義」なんだと判るけど、真の問題は外国人じゃないだろう。

 3月2日付朝日新聞「企業献金の深層②」という企画記事では、「パーティー券購入「行くわけないが」」と大きく報じて、岐阜県の建設業者の話が載っている。「東京のホテルだろ。朝8時に行くわけないよ」と国会議員秘書に言ったら、「今はオンラインでも参加できますよ」と返されたとある。それならば、オンラインで参加する場合は(飲食しないんだから)パーティー券を安くするべきだろう。こういう風に「行くはずがないパーティー」の券でも個人で買うのは自由かも知れない。だが企業が負担していれば、背任とか横領に当たらないのだろうか。

 これって限りなく詐欺に近くないだろうか。昔の豊田商事(老人から金塊を買うとしてお金を集めて、買ってなかった)とか、最近のトケマッチ(高級時計を預かって貸し出すと称して、売り払っていたらしい)なんかの商法に何となく似てないだろうか。ただし、パーティー券の場合は、お互いに出ないことを承知で金を出して(集めて)いることが違っている。だが、「全員来たら入りきれないパーティー券を売る」のは、そもそも「詐欺事件」なんじゃないかと思う。
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それで岸田内閣は結局どうなるのかーやはり9月に辞職か?

2024年03月13日 22時33分58秒 | 政治
 1月末の安倍派裏金問題の「法的決着」以後は、政局について書いてない。昨年来何度も書いてきたことの続きだから、一回完結の記事として「岸田内閣の行方」に絞って考えてみたい。まず確認だが、4月28日に(今のところ)衆議院3選挙区の補欠選挙が行われる。これは与党に厳しい結果が予測されているが、どうせならここで一緒に解散してしまうという想定も可能だった。長崎4区などは解散すれば無くなってしまうので、勝敗カウントから外れる。自民党が減らすとしても、野党の選挙協力がない時点で「奇襲」すれば、「自公で過半数」は可能じゃないか。

 しかし、この予測は今のところほぼ考えられないと思う。年末時点から変わった点が二つある。一つは昨年末に安倍派二階派に強制捜査が行われ、自民党内ではこの2派閥の問題と思われた。ところが岸田派事務総長も略式起訴されたことである。もう一つは、元日に能登半島地震が起きた。大規模断層地震で、能登半島西部では大きな隆起が見られた。その結果、能登半島の被害は想定以上に大きく、特に水道の復旧が大幅に遅れている。住民の多くは二次避難を続けていて、この段階で解散総選挙を行うことは「被災者無視」だという非難を避けられない。

 では、その地震災害要因はいつまで続くのか。秋以降、来年になれば、一応総選挙は可能だろう。今の段階での予測では、「6月解散、7月選挙」も出来なくはないのではないか。避難者は残っているだろうが、それを言えば原発事故被災による避難者もまだ多いわけである。通常国会会期末に野党は当然内閣不信任案を出すだろう。それをきっかけに、岸田首相が「解散・総選挙に打って出る」と言えば、法制上誰も止められない。内閣支持率が落ちているので、野党側は岸田首相での選挙を望んでいる。自民党が減るのは間違いないんだから、自民党内は「いかにして首相の暴挙を止めるか」に躍起となる。

 さて、10日のBSテレ東の番組で公明党の石井幹事長が興味深い発言を行った。「公明党の石井幹事長は、次の衆院選の時期について、今年9月に行われる予定の自民党総裁選後の「可能性が高い」との見方を示しました。石井幹事長は民放のBS番組で「自民党の総裁選で選ばれた総裁は非常に支持率が高くなる」と指摘。秋に予定されている総裁選の後に次の衆院選が行われる可能性が高いとの認識を示しました。」これは注意深く、岸田再選なしとは言ってないが、事実上は岸田後の新総裁で選挙をやりたいということだ。連立与党とはいえ、他党の幹部が「You're Fired! = おまえはクビだ!」(トランプの決めぜりふ)と言っても良いのか。
(石井発言)
 しかし、これは自民党内からは言えないから、公明党が代弁していると考えた方が良いだろう。小選挙区で何とか勝てる人は良いけれど、このままでは比例区で復活するのが難しいのは目に見えている。何とか違う首相のもとで選挙に臨みたい。それが自公議員のホンネだろう。だが誰が後継首相になれば良いのか。世論調査では石破茂元幹事長への期待度が突出して高いが、「石破だけにはしたくない」で大方の自民議員はまとまるはずだ。旧「安倍派」から出すわけにはいかず、茂木幹事長にも政治資金疑惑がある。およそ派閥の長である人が皆総裁選に出にくいという、かつてのリクルート事件(1989年)の時みたいな状況になっている。

 では肝心の岸田首相はどう思っているのか。なかなか動かない自民党の中で、自ら首相として初めて政治倫理委審査会に出席した。しかし、かつての小泉首相のように「自民党をぶっ壊す」などとは言わない。小泉郵政改革は、多くの離党者を出した。一時は小泉改革に熱狂した国民も、次の選挙では民主党への政権交代を選択した。民主党政権には郵政反対派の「国民新党」など反小泉の保守派も参加していた。今回の問題を深追いすると、安倍派を支持してきたウルトラ保守が自民党を離れるかも知れない。それをきっかけに自民党が「三度目の下野」に追い込まれる可能性もある。
(政倫審に出席した岸田首相)
 その事を考えると、何となく煮え切らない対応、官僚的な答弁を続けている岸田首相は「まだ再選を諦めていない」と見ることが可能だ。しかし、安倍派、二階派に加えて、相談なしに「派閥解散」を打ち出したため、麻生派や茂木派も今では首相を支える気が無いように見える。党内に岸田再選へ向けて熱気の高まりがないが、同時に自分が取って代わるという熱気もない。低支持率のまま、本人には辞める気が無く夏を迎える。そこで解散に踏み切れるか。どうやって、解散を止めるのか。自民党内から不信任案に賛成するということは考えられない。(総選挙で公認されなければ、旧安倍派は復活当選出来ない。)

 自民党の大多数は、「安倍派処分」など恨まれることは岸田首相にやって貰いたいだろう。そして「責任を取る」として首相が辞めてくれれば一番良い。岸田内閣は9月まで続けば3年やったことになり、安倍、小泉には及ばないけれど、21世紀で3番目の長命政権になる。菅内閣は東京五輪、岸田内閣は広島サミット。大仕事は一つやった。またこれから3年間岸田内閣が続くのは、誰が見ても長すぎるんじゃないか。やっぱり方向性としてはそうなりそうな気がする。問題は誰が首に鈴を付けるのか。それは麻生副総裁しかいないと考えられる。次も「岸田派」から出すから、ここで身を引いてくれないかと言うわけだ。

 具体的には「林(芳正官房長官)か、上川(陽子外相)か」である。どっちも岸田派だから、首相が辞めない限り自分で出るとは言えない。林を担ぐと、山口県で確執がある安倍派が高市早苗を立てるだろう。閣内から出るんだったら河野太郎も出るかもしれない。そうなると上川陽子を各派閥まとまって擁立するというのが、あり得る選択肢だろう。もう一つ、小池都知事が都知事選に出馬せず、自民党に復党申請するとどうなるか。今の段階で読めないけれど、そういう可能性も全くなしとは言えない。

 僕は麻生副総裁の「上川外相おばさん発言」は、次の総裁候補として認知したという宣言だと思っている。上川外相が問題視しないと言ったのも、「私はわきまえた女」として後継擁立を受けるという党内ボスへの返答だと考える。だから「麻生発言」を何度も批判してきたけれど、今回は書かなかった。生臭い思惑がある発言をタテマエで非難しても、誰にも届かないからだ。だけど、麻生副総裁が説得しても岸田首相が辞職しないとなった場合、どうなるのかまでは僕にも全然読めない。
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自衛隊幹部の靖国神社集団参拝問題ーこれが「通達違反」じゃないとは!

2024年01月27日 22時41分47秒 | 政治
 1月9日に陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長を含む幹部22名が、時間休を取得した上で靖国神社を集団で参拝していた。そのことが明らかになった後で、防衛省は1974年に出た「部隊参拝」や「参加の強制」を禁じる通達に違反していないか調査するとしていた。そして26日になって、通達で禁じる「部隊参拝」ではないと結論づけた調査結果を発表した。その上で公用車での移動は不適切として、小林氏ら3人を訓告処分としたという。しかし、これは非常に疑問の多い「調査結果」である。

 まず、今回の参拝に関して陸上幕僚部の担当者が「実施計画」を立てていたという。これは正式な行政文書として作られた。この集団参拝は、小林氏がトップである陸自内の「航空機事故調査委員会」関係者で市ヶ谷駐屯地勤務者の1佐以上を対象にしたという。その対象は41名でそのうち22名が参加したことを「参拝者が22人にとどまった」と評価している。参加者は全員が「自由意志」で参拝したと主張している。そのため通達で禁止された「集団参拝」ではないと結論付けた。

 しかし、これはどう考えてもヘリクツだろう。例えば学校には教員の親睦会があり、歓送迎会などを計画する。幹事が日時や店の場所などを書いた文書を作るだろうが、その計画書は当然ながら正式な行政文書ではない。(今はメールで通知するかもしれないが。)正式な文書として起案番号を取ったら、それは「正式な学校行事」になってしまう。自衛隊だって同じだろう。初めから「参加、不参加は自由」となってただろうが、それでも正式行事だったというしかないと思うけど。
(小林氏らに訓告)
 それ以上に不可解なのは、「時間休」の扱いである。そもそも宗教施設への参拝は内面に関わる私的なものだから、「時間休」を取得して行うものじゃないだろう。週休日があるんだから、その日に行けば良い。時間休を取る権利はあるし、休暇申請の理由を問うことは出来ない。しかし、同じ職場で同時に22人が時間休を取るってあり得るだろうか。そんなことは普通「時限スト」でもやってない限り起こらない。22人が時間休を申請したら、管理職が「時季変更権」を行使すべきケースじゃないか。
 
 能登半島地震で自衛隊が活動中だからこそ「公用車」を用いたと小林氏は主張していた。しかし、時間休を一斉に取った間に何が起こるか判らないわけだから、公務員の「職務専念義務」に照らして大きな疑問がある。民間人以上に公務員には厳しい「職務専念」が求められている。今回の調査では「徒歩でも30分以内で登庁できた」ことを理由に「公用車利用は不適切」とする。しかし、距離の問題なんだろうか。「参拝」は勤務時間中に時間休を取ってまで行うことじゃないだろう。

 ところで、もちろん今回の問題の一番の本質はそういう事務的な解釈問題ではない。自衛隊幹部が「靖国神社」を参拝することは許されない。集団じゃなくても、休暇日であろうと、全く関係ない。「航空安全の祈願」が目的と言うが、靖国神社は特に航空関係で行く神社じゃない。市ヶ谷と九段が近いから行ったわけでもないだろう。靖国神社には「政教分離に反する」「A級戦犯刑死者を合祀」という問題があるのは誰でも知っている。政治家ならいろんな主張があろうが、現職公務員が行くべきではない。

 靖国神社はもともと戊辰戦争の「官軍」側死者を祀る「東京招魂社」として建立され、1887年から旧帝国陸海軍が管轄していた。戦前の「国家神道」体制の中でも非常に特殊な宗教施設だ。よく知られているように戊辰戦争の幕府側死者、西南戦争の西郷軍側死者などは祀られない。その後の数多くの外国との戦争でも、軍と雇用関係がなかった民間人、例えば空襲での死者などは祀られていない。つまり「天皇のための死者」のみを祀る特異な宗教施設である。

 そのことを知らない幹部自衛官はいないだろう。当然知っていて、自分たちは旧軍を引き継ぎ「天皇を中心にした日本国家」を守るんだという意識を持っていると考えられる。だからこそ、違和感なく靖国神社を参拝できるのだろう。そういう経緯を考えてみると、41人の対象者の中でちょうど半分ほどの22人が参拝に行ったことは偶然じゃないと想像出来る。残りの19人は自由意志で参拝しなかったというよりも、「待機要員」として残る側に回ったと理解するべきだと思う。

 もう一つ、1月10日に宮古島駐屯地宮古警備隊長ら隊員20人が公用車などで、地元の宮古神社を参拝していたことも判明している。これも沖縄で進む軍事化と関連があると考えるべきだろう。全体に自衛隊幹部に「政教分離」の意識がないのである。「政教分離」はあらゆる宗教が対象ではあるが、隊長がクリスチャンで部下を引き連れてクリスマス礼拝に参加するなんてことは起こらない。政教分離とは戦前に大きな影響力を持った「国家神道」と行政組織の分離が一番の眼目である。「そんなことも知らない」んじゃなく、そんなことは承知の上で、神道との結びつきを強めているんだと思う。警戒が必要だ。
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「世襲」は禁止できない、だから…を考えることが大事

2024年01月23日 22時37分09秒 | 政治
 自民党に批判が集まる時には、大体「世襲が問題だ」という人が出て来る。僕も自民党の有力政治家が「世襲」ばかりになったような現状は大いに問題だと考えている。今までもその事を何回か書いてきた。例えば、『「政治家世襲」は現代の「蔭位制」ー世襲政治家問題①』を2023年6月に書いた。(「蔭位」(おんい)とは親の位階が高い子どもは自動的に幼い時から高い位階を得られる制度。藤原道長が出世出来たのも、源頼朝が12歳で伊豆に流された時にすでに位階を得ていたのも、そのお蔭である。)
(中曽根康隆氏)
 中曽根康隆(1982~)という政治家がいる。今回「政治刷新本部」で派閥解消を声高に主張して注目された。しかし、名前を聞けば大方の日本国民ならピンと来るだろう。この人は派閥なんか無くても当選出来るのである。そう、中曽根康弘元首相の孫、中曽根弘文元外相の子である。2017年衆院選で比例単独で当選し、2021年には群馬1区の公認を現職の尾身朝子から奪って獲得し大差で当選した。しかし、この人は「世襲」なんだろうか。親の中曽根弘文は参議院議員である。祖父の中曽根康弘は小選挙区では出たことがなく、最後は比例単独1位で96年、2000年に当選した。従って「親の選挙区を引き継ぐ」という「狭義の世襲」ではない。

 そもそも「世襲そのものを禁止することは出来ない」。だから国会議員の世襲を禁止せよなどと大声で主張する人には要注意である。なんで世襲を禁止出来ないかと言えば、憲法の規定である。「第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

 差別禁止規定と言えば、普通はマイノリティ保護のためだと思いやすい。しかし、「法の下の平等」は政治家の家族にも適用される。政治家の子どもは自らの意思で政治家の親の家庭に生まれたのではない。「性別」や「身分」によって立候補資格を奪うことが出来ないように、政治家の子どもが立候補したいなら誰も止めることは出来ない。政党が公認しないとしても、無所属で出る自由がある。有力政治家の子どもなら、無所属でも当選するだろう。国会議員には居住地条件はない。日本国籍があれば、日本のどこでも立候補出来る。政治家の子どもが好きなところで立候補するのは、国民の基本的権利で誰にも奪えないのである。
(派閥解消を主張する小泉進次郎議員)
 しかしと、何となく納得できない思いを持つ人は多いと思う。中曽根康隆議員とコロンビア大学大学院で同期だったというのが、小泉進次郎(1981~)議員である。この人は小泉純一郎元首相が議員引退を2008年に表明し、後継の指名を受けた。そして、2009年の衆院選で初当選したのは28歳の時だった。そして、2012、14、17年と4回当選を重ねて、2019年に38歳で環境大臣に就任した。スタートが早いから当選回数も多くなり、30代で大臣になれた。曾祖父以来の強固な地盤に恵まれ、落選の心配などしたことがないだろう。だからこそ、思い切った主張を展開出来る。

 それにしても、総理大臣を長く務めた親の後援会組織をそのまま受け継げるというのは、どうにも不公平だ。どこで立候補してもよいわけだが、20代でさっさと当選出来るなんてアリなのか。僕がそう思ってしまうのは、今では20代が若すぎる感じがするという理由もある。平均年齢も上がり、就職や結婚の事情も大きく変わった。これが横須賀市議選に出るというのなら、誰も文句を言わないだろう。若い時は地方自治を勉強し、それから国会議員になって国家全体のことを考える。その方が良いと思うんだけど。政治家の親も「かわいい子には旅をさせよ」の心で子どもに接するべきではないか。

 そこで考えたのだが、現在の立候補年齢(被選挙権)は、衆議院議員が25歳参議院議員が30歳と分かれている。選挙権年齢が引き下げられたので、立候補可能年齢も下げるべきだという議論がある。僕もそう思っていたのだが、よくよく再考してみれば、20歳で国会議員になっても年長者の使い走りだろう。だから、思い切って「国会議員に立候補可能な年齢は30歳」に引き上げてはどうだろう。その代わり「地方議員に立候補可能な年齢は18歳」と思い切って下げるのである。高校を卒業したら立候補可能にすれば、大学は夜間や通信に通いながら地方議員をやる人が出て来るかもしれない。

 そして、「国会議員は30歳以上」だけど、例えば「地方議員を5年以上務めた」場合などは、特例として国会議員に立候補可能とする。特例の条件は他にも考えられる。国際人権団体で5年以上働いた、福祉や教育の現場で5年以上働いたなどなど。問題は世襲そのものより、大した人生経験もない人が親の名前で当選してしまうことの方だ。立候補そのものには資格審査は出来ない。だけど、出来る限り現場感覚を持つ人が国政に増えるように、政治家の子が福祉現場などで働くと早めに立候補可能という制度はどうかなと考えて見たわけである。
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「派閥解消」より、政治資金規正法の改正を!

2024年01月22日 22時07分35秒 | 政治
 岸田首相が突然「岸田派(宏池会)解散」を宣言して、自民党内は派閥解消論議で騒然としている。「派閥解消」は今までにも何回か機運が盛り上がったことがあるが、いつの間にかウヤムヤになった過去がある。僕は全く信用してなくて、今回どう決着しても20年後には似たものが復活しているに違いないと思っている。こういうのを見ると、僕はいつも『仁義なき戦い』シリーズを思い出してしまう。「頂上作戦」で追いつめられた広島の暴力団は「解散」して、代わりに「政治結社」に衣替えした。実質は変わらないまま、表面だけ付け替えるのが保守政治の知恵(または悪巧み)である。
(岸田派が解散)
 それにしても、岸田首相の派閥解散宣言ほどおかしなことはない。何故って、岸田氏は宏池会の会員じゃないからである。岸田派を率いる岸田氏は、総理就任後も岸田派を離脱しなかった。安倍氏は首相在任中は派閥を離脱し、だからこそ清和会(清和政策研究会)は「細田派」と称していた。(細田氏が衆院議長に就任し党籍を離脱したので、首相を辞任した安倍氏が派閥に復帰して会長に就任した。だから「安倍派」と呼ばれた。)岸田氏が総理就任後も派閥を辞めないことはずっと批判されてきたが、頑なに派閥会長を続けていた。ところが、今回の未記載問題が大きくなった後で、2023年12月8日に宏池会から離脱することを表明したのである。会員じゃない人がその組織の解散を決められるのか。要するに「偽装離脱」だったのである。

 「安倍派」の解散というのも、政治の流れ的には当然なんだろうけど、全く意味不明である。そもそも会長がいない組織というのがおかしい。今も故人の名を冠していたこと自体がおかしい。そのためか、安倍派の面々も国民に謝罪する前に、「安倍氏の名前に泥を塗って申し訳ない」とか言っている。もともと国民のための組織という意識じゃないのである。かつて「竹下派」の金丸信会長が議員辞職した後、後任の会長選びが紛糾し、「羽田派」(小沢一郎系)と「小渕派」(橋本龍太郎系)に分裂したことがある。安倍派も「いずれ自分が総理」と思う人が複数いて、後継会長を無理に選ぶと分裂するんだろう。
(安倍派も解散)
 今の自民党で「派閥」と称していたものは、歴史的にはもう役割を終えていたと考えられる。そもそも派閥は「この人を次の総理に」と推す子分が集まるものだ。ボスの方は総裁選で自分に入れてくれる部下が必要だから、折に触れて政治資金を配ってつなぎ止めることになる。その「御恩」(餅代、氷代)と「奉公」(総裁選での票固め)の関係が保守政治のダイナミックスになってきた。その意味では、首相を辞任した安倍氏が会長になること自体がおかしい。それは「麻生派」「二階派」にも言えることで、総裁候補じゃない人が会長をしている派閥というものがおかしいのである。

 一方、菅義偉前首相が盛んに派閥解消を声高に主張しているのも変である。自民党の政治刷新本部で派閥解消を主張している人は、菅氏に近い議員が多い。以前から菅氏を中心にした「勉強会」が企画されていて、そこで声を挙げている人は「事実上の菅派」みたいな人が多い。菅氏もずっと無派閥を通してきたわけではなく、当初は小渕派、その後は宏池会に所属していた。2009年の民主党政権成立後の自民党総裁選で、河野太郎を支持して派閥を脱退したという。2009年衆院選は民主党が大躍進したが、菅義偉は辛くも(548票差)5回目の当選を果たした。そのように自分の政治基盤が確立されたから、「無派閥」を通せたのである。
(政治資金規正法改正の論点)
 そんな自民党内の事情にしか関わらない派閥問題ばかり論じていてはならない。この絶好機に何としても「政治資金規正法改正」を成し遂げなくてはならない。「派閥解消」は単なる党内ルールだから、後でどんどんウヤムヤに出来る。しかし、法律は一度変えたら、また国会で議決しない限り変えられない。そういう「歯止め」がある変更を行わないといけない。では、どう変えるべきか。僕にもすぐ全部は言えないけれど、今の「パーティー券」は買っても行かない人がいて成り立っている。つまり、「事実上の寄付」である。それが20万円まで記載しなくてよいとは全く理解不能。「記載限度額の引き下げ」は必須だ。

 また「秘書」は立件されるのに、政治家が無傷なのは納得出来ない人が多いだろう。これが選挙だったら、選挙運動に関わった有力運動員の有罪が確定したら議員も失職する規定がある。いわゆる「連座制」である。別に議員本人が法的に有罪となるわけじゃない。だけど「失職」して「公民権停止」となる。そういう決まりがあれば、こんなふざけた裏金問題は無かったに違いない。また報告方法を「デジタル化」することも必須。そうすれば当然デジタル情報で公開されるから、マスコミ等の追跡が容易になる。会計ソフトを作っている会社が幾つもあるから、「政治資金報告用ソフト」もすぐに出来るだろう。
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