尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

サタジット・レイの映画を見る

2015年10月01日 23時11分01秒 |  〃 (世界の映画監督)
 9月下旬はずっと体調不良で、あまり出かけることもなかった。ようやく少し元気が出てきて、自分で書いたサタジット・レイの映画も終わりに近づいているので、見逃したくないので見に行った。ホントは今日から大岡昇平の話を書こうと思ったんだけど、どうも長くかかりそうで大変だ。サタジット・レイは記憶にある以上に感銘を受けたので、前に書いたものを手直しして紹介しておこうと思う。

 インド映画界の巨匠、サタジット・レイ監督(1921~1992)の特集上映が10月9日まで4週間にわたって行われている。東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで「シーズン・オブ・レイ」と題して、「チャルラータ」と「ビッグ・シティ」(以前「大都会」として公開)のデジタル・リマスター版が上映されるのである。没後20年以上たって、もうサタジット・レイの映画を見たことがない人も多くなっているかと思うが、非常に素晴らしかったので是非見て欲しい。
  
 近年はインド映画もたくさん公開されるようになったけど、その多くはムンバイ(旧ボンベイ)で作られたヒンディー語の歌と踊り入りの大娯楽映画である。あるいはチェンナイ(旧マドラス)で作られるタミル語映画も、ラジニカーント主演の「ムトゥ 踊るマハラジャ」などかなり公開されている。しかし、サタジット・レイの映画はベンガル語のアートシネマで、娯楽映画が日本で公開されるようになる前に、日本で見られた唯一のインド映画だった。だから、ベルイマンやブレッソンの映画を見に行く感覚である。

 「チャルラータ」はタゴール(アジア初のノーベル文学賞を受賞したインドの詩人)の原作で、1879年のカルカッタを舞台にしている。大邸宅に暮らすチャルラータは、裕福な新聞社の社長の妻だが、夫は多忙で妻は孤独である。そこに詩を口ずさむ芸術家肌の夫のいとこアマルが現れる。揺れるチャルラータの心。夫は独立運動とまではいかないが、英国の選挙では自由党の勝利を祈っている立場。政治の動きに関心を持っている。しかし、妻とはこの話題は出来ないものと思い込んでいる。女は政治に関心がないと決めつけている。夫の政治新聞に妻の居場所はない。そこに若くて芸術家肌の青年が現れたわけである。夫はアマルに妻の文学的才能を見極めて欲しいと頼む。妻も詩を書いたりし始める。日々を静かに見つめながら、緊迫した映像を作りだした「チャルラータ」は、サタジット・レイの最高傑作という人も多い。僕も一番好きな作品である。レイ自身が脚色、音楽も担当している。もちろん、具体的には何も起こらないので、心の中だけの心理的サスペンスなのだが、緊迫した画面に見入ってしまう。主演のマドビ・ムカージーが素晴らしく、モノクロ撮影の美しさにうっとりする。

 「ビッグ・シティ」は1958年のカルカッタを舞台にして、家計を補うために働きに出始めた妻を描いている。「女が外で働く」ことがインドの中流階級では珍しかった時代。そんな女性が営業の才能を発揮し始めていく中、夫の銀行が倒産してしまう…。まさに「大都会」そのものを描くこの映画は、同時代の日本や中国(戦前の上海映画)に描かれた「大都会」のイメージと比較して論じたくなる作品。アジアの共通の問題意識を感じたように思う。記憶の中では、「大都市」を描く映画というイメージだったのだが、見直してみると「女が働くこと」をテーマにした一種のフェミニズム映画だった。最初に見たのは若い時だから、その観点は印象に残らなかったのだろう。ラスト、妻のアロティが会社の社長に抗議する場面の気高いシーンは見逃せない。どんな思いで監督がこの映画を作ったのか、よく伝わる。半世紀前のコルカタというアジア有数の大都会で、インドの家族状況をじっくり観察できるのも魅力だ。教師をしていた義父(夫の父親)が貧乏になって見せる姿も印象的。(以下の紹介は前回書いたもの。)

 サタジット・レイはコルカタ(旧カルカッタ)の芸術一家に育ち、ジャン・ルノワールがインドで撮った「河」の製作に協力したり、イギリス滞在中に「自転車泥棒」(デ・シーカ)に衝撃を受けるなどして、映画を作り始めた。つまり、商業映画界の出身ではなく、インディペンデントの個人映画が出発なのである。完成した「大地のうた」(1955)はインドでも外国でも好評を博した。この映画はインド農村で育つオプーという少年の物語で、翌年作られた続編「大河のうた」はヴェネチア映画祭で金獅子賞を受けた。日本での公開は遅れて、1966年に「大地のうた」がアートシアター系で公開されて、外国映画ベストワンになった。「大河のうた」も1970年にATG系で公開されたが、オプー三部作の最後の作品は未公開だった。その「大樹のうた」(1958)が日本で公開されたのは、1974年。高野悦子らの「エキプ・ド・シネマ」の岩波ホールの映画上映は、「大樹のうた」から始まったのである。

 僕はその時は見に行かなかった。三部作の最後から見るのもなあと思い、岩波ホールでは次のエジプト映画「王家の谷」から見ている。その後、岩波ホールでオプー三部作の一挙上映があり、その時にすべて見た。以後、岩波ホールは、映画祭で受賞したサタジット・レイの名作を次々と公開し続けた。たぶん、今回リバイバルの「大都会」(1963、ベルリン映画祭銀熊賞)、「チャルラータ」(1964、ベルリン映画祭銀熊賞)及び「詩聖タゴール」(1961)の3作品連続上映が最初ではなかったか。以後もレイ作品はたくさん公開されているが、全部名前を挙げても仕方ないだろう。特に面白かったのは「遠い雷鳴」(1973、ベルリン映画祭金熊賞)や「チェスをする人」(1977)などで、「家と世界」(1984)、「見知らぬ人」(1991)など最後の頃の映画も岩波で上映された。僕は全部見ているし、とても好きだったけど、日本では「大地のうた」以外はベストテンに入っていない。インドの風習や歴史などがとっつきにくいと思われた部分もあったのではないか。ぞれが僕には残念な気がしたものである。今回の上映をきっかけに、日本でもサタジット・レイの再評価を望みたい。
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キューブリックの映画を再見

2015年04月06日 00時50分01秒 |  〃 (世界の映画監督)
 スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick 1928~1999)の映画作品5本をデジタルでやるというので、見たいと思った。全部見ているけれど、ずいぶん忘れてしまった。僕の中では一番良かった「バリー・リンドン」も、今見てみるとどうなのか。50年代から作り続けて、最初は名前の読みもクブリックとかカブリックとか書かれたりしていたけど、やがてキューブリックに統一された。アメリカの生まれだが、後にイギリスに定住した。4作目の「恐怖と欲望」(1953)は2014年に初めて日本公開されたが、あまり面白くなかった。「非情の罠」(1955)、「現金に体を張れ」(1956)の犯罪映画で注目され、特に後者は傑作。「突撃」、「スパルタカス」(1960)、「ロリータ」(1962)と話題作を監督。

 1964年の「博士の異常な愛情」が今回上映で一番古い。「または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」という長い副題が付いているブラックユーモアの大傑作。原題は「Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」という。これは昔2回見ている。1回目はよく判らなかった。少し大人になって再見したら、ものすごい傑作ではないか。ある意味でキューブリックの最高傑作ではないかと思っていたのだが、何十年ぶりに「冷戦崩壊」以後に初めて見たら…。細部はかなり覚えていたのだが、昔ほど面白さを感じなかった。3役やってるピーター・セラーズやタカ派将軍のジョージ・C・スコットなどの演技は面白い。だが米ソの冷戦に基づく「狂った将軍の暴走」という悪夢のシナリオが、今見て少し古く感じられる。それは良いことなんだろう。

 次の1968年の「2001年宇宙の旅」は今回は上映がない。伝説的なSF映画で、70年代半ばにはなかなか見られず、ぴあが「もういちど見たい映画」のアンケートをすると、いつもダントツで一番だった。1978年にリバイバルされてようやく見たのだが、噂通りよく判らなかった。まさか本当に2001年が来てしまうとは思わなかったが、題名の年2001年にリバイバル上映された時にも見た。

 1971年の「時計じかけのオレンジ」は公開時に僕が見た初めてのキューブリック映画。日本公開は72年だが、非常な評判を呼んだ記憶がある。アンソニー・バージェスの近未来SFの映画化だが、暴力・犯罪・性をめぐる様々な議論を呼び起こす映画で、画面の異様な魅力や独特の言葉遣いなど不可思議な魅力がある。ただ、昔見た時は案外見かけ倒しのような気がして、同年に公開されたペキンパー「わらの犬」の方がすごいと思った記憶がある。今回見ても、面白いことは面白いんだけど、案外ぶっ飛んでなくて、逆にそこが生きているように思った。ストーリイ的にはほぼ忘れてて、こういう映画だったのかと改めて思った。犯罪抑止のための「療法」による精神改造が問題になるわけだけど、そこも時代性を抜けていなかった感じがする。面白くは見られるけど。

 1975年の「バリー・リンドン」はイギリスのサッカレー原作による18世紀ヨーロッパの風雲児を描く大冒険歴史映画。ある男が故あってアイルランドを抜け出し、大陸での戦争、スパイ、ギャンブルなどの末に地位とカネを得るが。3時間超の映画で、前半で得たものを後半で失っていく。まだ技術力の低い時代に、最高度の高感度フィルムで当時の社会を生き生きと描きだし、その研ぎ澄まされた画面に当時は魅入られたものである。だけど、今になってはどうかと心配したのは杞憂で、今見てもヨーロッパの城や田園の美しい風景描写はたとえようもないほど素晴らしい。それを見るだけでも眼福だが、物語の面白さも飛びぬけていて、今回も圧倒された。歴史物語は面白いし、「成り上がりと墜落」という主題もいつでも不変だなと思う。18世紀欧州の戦争や宮廷外交のイメージは、こういう映画を見ないとなかなか実感できない。やはり一番好きな映画だと思う。

 1980年の「シャイニング」はキングのホラー小説の映画化だが、僕には案外つまらなかった。今回は上映なし。1987年の「フルメタル・ジャケット」は日本ではベストテン2位になり、一番評価が高い。けれど、僕はどうにもやりきれなくて好きになれない。前半の海兵隊の訓練シーンがすごくて、それしか覚えてなかった。後半のベトナム戦争のシーンがあんなに長いとは。でも、それぐらい前半の訓練がすごすぎるのである。そういうもんだと教えてくれる映画としては貴重だけど、どうもダメだ。後半のベトナムのシーンは案外普通で、他のベトナム戦争映画にもっとすごいシーンがある。68年のテト攻勢で、フエに行かされるところはすごい。北側の虐殺も描いている。映画としての力はあるが、それより最初にある「好きか嫌いか」というレベルでつまづく映画。

 最後になってしまった1999年の「アイズ・ワイド・シャット」。完成直後に監督が急死した。トム・クルーズ、ニコール・キッドマンの当時実際の夫婦(2001年に離婚)が共演して、しかも主題が「性をめぐる嫉妬」だというので話題となった。でも、当時見て何だ、これはと思って、ストーリイもほとんど忘れてた。一番古い「博士の異常な愛情」を覚えてるのに、一番最近を忘れる。でも、今見ると結構面白いではないか。実の夫婦も離婚しちゃうんだしといった、「その後の展開」を知ってるからか。映像が洗練されているのと、物語的な面白さがあるのである。まあ、夢のような謎めいた部分が多い映画だが、ゴシップや監督急死と言った当時の話題性が忘れられた現在の方が面白いかもしれない。「性をめぐる秘密の冒険」という主題も古びるわけないので。こうしてみると、キューブリック映画も多様だが、実験的、時代的だった部分の方が早く古びていく感じがする。
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レイス・チェリッキの映画-現代アジアの監督⑥

2015年03月14日 23時41分12秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターの現代アジア映画特集。最終週はトルコレイス・チェリッキ(1860~)という人である。全く知らない。映画祭等での受賞歴もないようだけど、トルコに関心があり、クルド人問題などに関する「問題作」が多いらしいので、これも見ようと思う。トルコ映画といえば、クルド系で獄中から監督したユルマズ・ギュネイ(1937~1984)を思い出すけど、わずか47歳で亡くなった劇的な人生(貧しい少数民族出身の人気俳優から、逮捕、獄中監督、脱獄、フランス亡命、カンヌ映画祭パルムドール受賞…)も、その後回顧上映も行われてこなかったので、忘れられているかもしれない。近年、トルコ映画はけっこう映画祭で注目されていて、特に2014年のカンヌ・パルムドール受賞のヌリ・ビルゲ・ジェイランの3時間16分(パルムドール史上最長という)にわたる「雪の轍(わだち)」もいよいよ公開される。また、セミフ・カプランオール「卵」「ミルク」「蜂蜜」のユスフ三部作も思い出に残る。

 まずトルコという国の問題を先に書いておく。トルコの重要性は近年非常に大きくなってきた。ヨーロッパ世界と「中近東」(イスラム教世界)の接点にあり、古くから東西交通の交点だった。トルコ周辺は第二次世界大戦後、ずっと世界の焦点で、例えば「イスラム国」国問題も、経済危機のギリシャもトルコの隣国で起こっている。ソ連崩壊以後、中央アジアのトルクメニスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、カフカス地方のアゼルバイジャンなど多くのテュルク系(トルコ系)民族が独立国家を形成し、トルコとの協力関係も深まっている。ロシア内のタタール人、中国内のウィグル人もテュルク系。オスマン帝国崩壊後、ムスタファ・ケマル・アタチュルクによるトルコ共和国建国により、イスラム教を国教としない世俗国家が成立した。しかし、近年のエルドアン大統領(2014年、首相から大統領に就任)により、イスラム化が少しづつ進行している感もあるし、最近の大統領の言動には、強権化、独裁化の兆しも見られる。でも、エルドアン時代に経済の成長が続いてきたのも確かで、政治的、経済的、文化的にものすごく重要である。ロシアへの対抗意識から、日露戦争の頃から親日的とされる。

 そんなトルコなんだけど、トルコ文化の紹介は少なく、ノーベル賞受賞作家オルハン・パムクの小説の翻訳とときたまのトルコ映画紹介ぐらいしか、なかなか触れる機会が少ない。(古代トルコ文明展などは結構あるけれど、現代文化という意味である。)その意味で、今回のレイス・チェリッキの上映は期待するところだったけど、映画そのものの評価としては一番、「普通の社会派」っぽい映画が多かった。もともとジャーナリストだったということで、その意味で「現実を伝えたい」という問題関心から映画製作を行ってきたんだと思う。デビュー作の「そこに光を」(1996)は、一番そういう感じがする作品で、まだ習作という感じも残る。クルド人が居住する東部辺境地帯の厳しい現実を描く作品だが、3000mを超える山々の雪に閉ざされた自然も印象的。「ゲリラ」と言われているけど、クルディスタン労働者党(PKK)による激しい内戦が続いていた時代の話である。バスが襲われ、政府に協力して「自警団」に入った住民が引き出され、銃殺される。軍は追撃隊を出すが、大雪崩にあってゲリラ2名と軍の隊長だけ生き残る。この両者の逃亡と追跡を描く映画だけど、最後に出てくる老人(村人が逃亡した中で1人村に残っていた)が軍とゲリラを非難する。監督は両者ともに批判するような作りになっていると思ったが、「ゲリラ」側も村人に対して「テロ組織」のような意識を持っている(ように描かれている。)当時の情勢として、非常に勇気ある作品だと思う。

 次の「グッバイ・トゥモロー」(1998)は、かつての軍政時代に共産主義運動で死刑になったデニズ・ゲズミスという青年活動家を描いている。実話に基づくというけど、この人名を検索しても映画のこと以外にはよく判らない。非常に緻密に描かれた「死刑執行までの社会派映画」で、当時のフィルムを交えたドキュメント的な映画。ドイツの「白バラ」、スペインの「サルバドールの朝」みたいな感触で、国と時代が違うけど、似たような出来事が起こったということだろう。「トルコ人民革命党」だったか、確かそんな名前だから、世界的な「極左組織」を扱った映画にも似ている。映画としてはデジャヴ感が強いんだけど、トルコで作られた勇気と重要性は頭では理解できる。

 「頑固者たちの物語」(2004)はガラッと変わって、民話的なファンタジーに近い傑作。舞台はまた東部辺境地域となるが、政治的な映画ではなく、そこの地域の伝説などをもとに「頑固者」の男たちを描く。大雪の中、ミニバスの運転手と馬ぞりの馭者がどっちが村に早く着くか競争になる。乗客は無理しないでくれというけど、「頑固者」はいうことを聞かない。そりは凍った湖上を通ろうとするが、追いつくためにバスも氷に乗り出そうとする。そんな中で、さまざまのエピソードが語られていく。結婚式の席上、賭けをしたまま決着がつかずそのことに我慢できない頑固者。村娘と結婚したい息子を金持ちの娘と結婚させたい有力者が、村娘にこたえられそうもないパズルを出す男。ところが、期限の40日も終わるころに、涙とともに解答が見つかる。そんなエピソードは本当にあったのかも、いつの時代のことかもわからないけど、淡々と語られる中で辺境に生きる「頑固者」が生き生きと描かれる。命を粗末にするほど頑固なのも困るし、恐らく家族に迷惑な家父長なんだろうけど、そう言う側面の批判はおさえて、民話的に語られている。

 4本目の「難民キャンプ」(2008)は、クルド人の大人しい青年が、放火の疑いで軍ににらまれ、国外に逃がすことしかないだろうとドイツに逃れて、そこの「難民キャンプ」(というより、収容所という感じの大きな建物で、日本と同じ)で暮らすようになり。そこには同じクルド人も多いし、アフリカからの人もいる。どうすればドイツの裁判所に認められるかなどを考え、突然「自分は同性愛で、本国では迫害される」などと主張を変えるものもいる。主人公は地主の息子で、ゲリラではないから、逆にクルド人難民の中でも孤立する。絵の好きな芸術家タイプの青年で、画家の先生から離れて村の娘とデートしてる時に、小麦畑が放火される。ガソリンを撒いているから、完全に放火。どうも地主の父が軍になびかず、ゲリラにも中立だったから、軍ににらまれ放火事件が起こされたらしい(と匂わせられているが真相は判らない)。そのため運動家でもなく、「経済難民」でもなく、外国で生きていく決心もないまま、ドイツに行ってしまったのである。この主人公のドイツでのアイデンティティの揺らぎが悲劇的に語られる。語り口は洗練されて、見応えがあった。「先進国」を目指す「難民」の事情が様々に描き分けられ、題材的に興味深い。典型的な社会派映画だと思う。4本通して、辺境部の自然環境の厳しさが印象的。そして、そこでの軍事的な緊張感の激しさ。ロシア、中国、インドなんかも、大都市は発展していても辺境部は軍事的緊張関係にあるというところは共通なのではないかと思うが、トルコの場合もイスタンブールでは判らない現実があるわけである。
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マニラトナムの映画-現代アジアの監督⑤

2015年03月07日 00時51分27秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターのアジア映画特集、順番がショエーブ・マンスールと逆になったけど、インドの巨匠マニラトナムの映画を取り上げる。インドととパキスタンと言えば、今はもう別の国というイメージが強くなってしまったが、もちろん1947年の分離独立までは同じ国である。それまでは大英帝国統治下のインド帝国(英国王を皇帝とする)だった。しかし、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒を完全に分離できるわけもなく、分離独立したパキスタンとバングラディシュ(1971年までは東パキスタン)だけでなく、インド国内にも1億6千万人ほどのイスラム教徒がいる。ムスリム人口の多さでは、インドネシア、パキスタンに続いて世界第3位である。(ちなみに4位はバングラディシュ。)分離独立時には、相互に住民移動が行われた。ショエーブ・マンスール「BOL」の父親はデリーから、パキスタンのカラチ、さらにラホールに逃れた。一方、最近公開の「ミルカ」の主人公は、シーク教徒の少年だが、パキスタンからインドに難民として逃れてきた。その後も印パの対立、宗教紛争が常に起こってきた。

 マニラトナム(1956~)はインド南部、チェンナイ(旧マドラス)を中心とするタミル映画の巨匠である。「ムトゥ 踊るマハラジャ」「ロボット」などで知られるラジニカーントもタミル語映画の大スター。彼らの映画はタミル語で作られ、他の地域ではヒンドゥー語など他の言語に吹きかえられて公開される。「大地のうた」三部作などで有名な巨匠サタジット・レイはベンガル語映画。インドは巨大な世界で、映画もいくつもの言語で作られている。マニラトナムはヒンドゥー語やマラヤラム語などでも作っているが、ほとんどはタミル語映画。しかし、描くテーマはインド全体に及んでいる。今回上映された「ロージャー」(1992)から、音楽をA.R.ラフマーン(1966)が担当している。「スラムドッグ$ミリオネア」で米国アカデミー賞の作曲賞、歌曲賞を受賞した人である。

 マニラトナムの映画は何本か公開されているが、どれも長いし、歌と踊り入りである。昨年公開された「めぐり逢わせのお弁当」など最近は踊りなしのインド映画もあるが、マニラトナム映画はA・R・ラフマーンの華麗なる音楽に乗せた素晴らしいダンスシーンが忘れがたい。大自然の中で踊るシーンも多い。水と光の映像美に歌とダンスがあいまって、躍動感あふれる映像に心を奪われ、時間を忘れる。しかし、それだけではない。テーマは「愛と平和」をストレートに歌い上げ、戦争を憎み、憎しみをあおる狂信的指導者やテロに怒りをぶつける。そのストレートさは日本だったらウソに見えかねないが、彼はインドという矛盾の塊のような世界で自分の命をかけて作っている。世界の映画界で一番、戦争やテロで罪なき子供が苦しむ現実に怒り、愛の素晴らしさを訴える映画を作ってきた監督だと思う。

 僕は昔「ボンベイ」に深い感銘を受け、自分のインド映画ベストワンと思ってきた。まあ、サタジット・レイ「大地のうた」やグル・ダッド「渇き」より本当に上かと突っ込まれると困ってしまうが。今回見た中では、改めて見た「ボンベイ」がやはり素晴らしいと思う。「ザ・デュオ」も見ごたえがあった。「ロージャー」と「頬にキス」も悪いわけではなく、見ごたえがある作品には違いないが、作中に出てくる時事的な側面が前面に出て、テーマ主義的というか「国策的」「愛国的」という面が映画を弱めている感じがする。また、女優の「美形度」という観点でも「ザ・デュオ」や「ボンベイ」が圧倒的に素晴らしい。

 「ロージャー」(1992)は、マドラスで軍に頼まれ暗号解読を仕事にしている技師リシ(チラシにインド軍兵士とあるのは誤りで、民間人)の物語。妻には田舎の娘がいいと思い、ロージャーの姉と見合いするが、姉は実はいとこが好きで見合いを断ってくれと頼まれ、妹のロージャーと結婚したいと言ってしまう。この姉妹との結婚ドタバタの後で、誤解も解けたころ、内戦の続くカシミールに出張することになる。ロージャーも是非連れて行ってほしいというので夫婦でカシミールに行くが、厳しい現地の情勢の中、リシは反体制派に誘拐され首領との人質交換を要求される。政府はいったん交換を拒絶し、ロージャーの孤軍奮闘が続く。その間、誘拐された夫はテロ集団の中で苦しみながら希望を捨てず脱出の機会をうかがっている。インド国旗が燃やされると全身で焼けるのを阻止するシーンが典型だが、全体的に愛国主義的な側面が強く、反パキスタン感情が支配している。そのような「国策」的な作りには違和感を覚えるが、美しい自然の中で愛をうたいあげるダンスシーンは素晴らしい。また「テロリストに夫を誘拐された妻の苦悩」というテーマが、今の情勢から非常に共感して見てしまうことになる。

 「ボンベイ」(1995)は、1992年末と1993年初めに実際にインド各地で荒れ狂ったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で発生した暴動を背景にした作品である。暴動はボンベイ(現ムンバイ)で一番激しく、映画もそこで住んでいる夫婦の物語とされている。大学を出てジャーナリストとして働くシェーカルは実家に帰った時に、風がヴェールを一瞬まくり上げた時にシャイラの顔を見て一目ぼれしてしまう。彼の家は村の名家で、彼女の家はムスリムのレンガ屋。宗教的に絶対に相容れない間柄で、双方の親は頑強に反対するが、彼は思いを募らせ彼女も心を寄せる。彼はボンベイに帰るが、その後もひそかに文通を続け、父にばれた後で彼女は家を出てボンベイに向かう。二人はボンベイで結婚し、双子も生まれて幸福に暮らしていた。この妻を演じるのが、実際はヒンドゥー教徒のマニーシャ・コイララでネパールのコイララ元首相の姪という名家の育ち。この映画でスカウトされデビューしたが、素晴らしい魅力。

 後半はその彼らを襲うボンベイの宗教暴動のシーンの連続。カンボジアのポル・ポト政権を描く「キリング・フィールド」やルワンダ紛争を描く「ホテル・ルワンダ」を思い出させる圧倒的な恐怖感である。火をつけられ街は燃え上がり、人々は殺し合い、宗教指導者は扇動を続ける。シェーカルは子どもを探しながら、この愚行を止めようと全力を尽くすのだが。この暴動を聞き、両家の親は勘当したはずの子どもたちの安否を尋ねにボンベイにやってくる。このシーンは双方の張り合いが笑いを呼びながらも、親が子を思う心は万国共通、宗教の違いで引き裂かれるものではないと力強く観客に訴える。暴動シーンのあまりの迫力に言葉を失う思いがするが、このような悲劇を二度と繰り返してはいけないと見る者すべての心に沁み通る。宗教の名のもとに怒りを扇動する者への怒りが映画にみなぎっている。と同時に、最初の方の海辺の城塞での愛をうたいあげるシーンなど、歌と踊りの素晴らしさも忘れがたい。この映画は日本語字幕のDVDやビデオが出ているので、探せば見ることができる。

 「ザ・デュオ」(1997)は166分と一番長いが、政治そのものをテーマに二人の男の盛衰を長年月にわたって描く大河ドラマ。1970年代に実際に州知事を務めた大スターがいたというが、その話にインスパイアされた映画。脇役俳優のアーナンダンは母が危篤の電報で急いで帰ると真っ赤なウソ。結婚式が準備されていて、見たこともない嫁を貰えと言われ反発するが、実際に見たら一目ぼれ。愛妻プシュケとともに大スターを目指すが、妻は急死してしまう。そのころ脚本家で詩人のセルヴァムはアーナンダンを主役に映画を作り、大ヒットしてアーナンダンは一躍大スターになる。セルヴァムは腐敗した政界に怒りを持ち、親しく従ってきた師を代表に新しい政党を起ち上げ政治の刷新を訴えるようになる。大スターのアーナンダンも党員となり協力し党勢は上り調子。ついに州議会選で過半数を獲得し、セルヴァムが州首相となる。その後数年、スターの妻を持つアーナンダンは、次の相手役を探していて、一瞬目を疑う。まさに死んだ前妻にそっくりの美女がいたのである。(一人二役だから当たり前だが。)初めは警戒しながら、どうしても惹かれてしまう。その一方、自分も権力を欲しくなり大臣の地位を望むが俳優を辞めないとだめだと拒絶される。そしてセルヴァムを批判して党を除名。新党を起ち上げて彼も政界入りをめざす。そして選挙に勝って、今やアーナンダンが州首相となるのだが…。

 彼の「ファム・ファタール」(運命の女)を演じるのが、アイシュワリヤー・ラーイ(1973~)である。1994年のミス・ワールドで、たくさんの出演依頼の中から、「ゼ・デュオ」をデビュー作に選んだ。出てくると目を奪われてしまう圧倒的な超絶美人で、近年日本公開された「ロボット」でも今も衰えない美貌を披露していた。単なる美貌だけではなく、とにかくセクシーなダンスシーンも素晴らしいし、知性も感じさせる演技力もある。(大学で建築学を学んだという。)母語が南部のドラヴィダ系トゥル語という少数派出身だが、英語、ヒンドゥー語、タミル語など話せるという。(上の写真は最近のもの。)映画としては、とかく唐突感のあるミュージカルシーンが、この映画の場合ミュージカル映画を作っている大スターと美人スターという設定だから、違和感なく見られる。肝心の政界シーンは、成り上がって堕ちていくという定型だが、かつての友情が政敵に代わっていく迫力は出ている。彼の映画によく出てくる「360度パン」(多分円形レールにカメラを乗せてグルグル撮るんだと思う)が、非常に生かされていると思う。長い話で何だという終わり方でもあるし、せっかくのアイシュワリヤー・ラーイももっと使い道があるのではと思う。不満も多い映画だが、ポピュリズムと腐敗批判、映画界を舞台にした映画の魅力、歌の素晴らしさなど魅力も多い。

 「頬にキス」(2002)は、作家の父の娘アムダは9歳の女の子。実はスリランカ難民の子としてインドに生まれ、幼女として育てられてきた。いつか言うべきと思い打ち明けるが、アムダは実の母に会いたいとかつての難民キャンプを訪ねるなど、心が揺れてしまう。父と母はスリランカに行って実母を探そうと、内戦下のスリランカを訪れて、タミル人ゲリラが激しく闘う地域に向かうのだが…。最後の母子再会シーンなど、この映画が一番泣かせる映画ではないかと思う。親が子を思う心、子が親を思う心、そして戦争が親子を引き裂く悲劇への怒り。非常にストレートに伝わるが、どうも納得できない面もある。内戦下スリランカを舞台にするという、これも勇気ある企画だが、9歳の娘に真実を伝え、一緒に戦時下の村まで行くのは無茶である。普通はそうしないと思うが、現実の時間的制約から、9年前という設定になるんだと思う。その結果、どうしても無理やりテーマに当てはめた物語という感じがしてくる。またスリランカでロケしてる以上政府側で描く感じがしてしまう。しかし、タミル映画界のマニラトナムがタミル人独立運動をどう思っているかがよく判らない。彼は一貫して、自分の所属する民族であれ、過激な暴力的テロ集団を否定するのかもしれないが。親子の絆だけで泣かせる感じがしてしまう。(スリランカ北部には、インドから移住したタミル人が多く、タミル人地域独立運動が激しかった。インドにも支援する動きがあった。インドの介入に反対するテロリストによって、ラジブ・ガンジー元首相が暗殺された。)
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ショエーブ・マンスールの映画-現代アジアの監督④

2015年03月06日 00時02分19秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターの現代アジア映画特集、第3週目はインドとパキスタンである。インドのマニラトナム監督作品を先に4つ見たけど、マニラトナムの映画の素晴らしさはインド映画を見ようかという人にはかなり知られていると思うので、順番を入れ替えて書きたい。パキスタンショエーブ・マンスール監督(1952~)の2作品である。「神に誓って」(2007、168分)と「BOL~声をあげる~」(2011、153分)とどちらも非常に長い映画だけど、圧倒的な迫力と面白さ、テーマの重大性に時間を忘れて見入ってしまう。パキスタンとしてはタブーに挑戦するような映画で、このような映画が世界に存在することを喜びたいような映画である。女性の人権問題に関心のある人、イスラム教の諸問題に関心がある人、マララさんを授業の題材に取り上げたい教師…是非、見ておかないといけない映画だと思う。

 ショエーブ・マンスールはパキスタン芸能界で成功したプロデューサーだというが、パキスタンの現実を世界に訴えたいという思いで監督に乗り出した。何度も殺害予告や命の危機に見舞われながら作った作品だということである。2作ともアジアフォーカス・福岡国際映画祭で観客賞を受賞した。今回まで名前も知らなかったし、東京では初上映になる。この2作品しかまだ作っていないらしいが、非常に重大な作品で、是非正式に公開されて日本各地で公開されて欲しいと思う。

 「神に誓って」は、ある家族に起こった悲劇を追う作品。パキスタンに住む兄弟はロック音楽で成功をめざしている。しかし、弟は次第に過激なイスラム思想に近づくようになり、音楽は禁止されているというようになる。一方、兄は音楽での成功を目指して米国に留学し、白人のガールフレンドもできる。その兄弟のいとこの女性がロンドンにいる。父はパキスタンを離れ、結婚せずに英国女性と同棲している。娘をイスラム教徒と結婚させなければならないと信じているが、彼女には大学で結婚を約束した男性がいる。この父親は英国籍を持つ娘を、結婚を許すから一度パキスタンの祖母にあうようにと誘い、パキスタンに連れてくる。そして、辺境部の見学に誘い、そこでいとこと結婚することを強要する。こうして強制結婚させられた女性の運命がどうなるか。結婚相手の弟の方はだんだん過激化し、タリバンに参加する。そのころ、2001年の同時多発テロが起こり、留学中の兄はテロリストと疑われて逮捕され…。こうして信じがたい運命に引き裂かれていく家族の運命はいかに。

 最後の頃に「脱出」に成功した女性は裁判に訴える。その場での、イスラム教義問答が非常に興味深い。深い宗教知識と人間性への理解がなければ、宗教は人を争わせ世界を不幸にしてしまうことが非常によく理解できる。一方、「狂信者」はどこにもいるわけで、米国ではたわいない「証拠」をタテに大物テロリストと信じ込む捜査官のバカらしさが兄を悲劇に追い込んで行く。この映画を見ると、パキスタンの人権状況とともに、アメリカの人権状況がいかにひどいかと実感することになる。とにかく、見ている間は目が登場人物の運命に釘付けとなる映画で、非常に心揺さぶられる作品だった。映画技法的には何か新しいものがあるわけではなく、ごく普通によく出来たエンターテインメント映画の手法で作られているわけだが、突きつけているテーマが重い。世界中の「狂信に囚われている」人々(日本にもかなりいる)に是非見せたい映画

 「BOL~声をあげる~」は女性の人権問題に絞って作られた映画。題名はウルドゥー語(パキスタンの言語)で「話せ」という意味だという。ある女性死刑囚が、裁判段階では一切口をつぐんでいたのに執行の前に、世界に語りたいと望みマスコミ陣を前に自分の人生を語り始める。その驚くべき人生とは…という映画。父親が強権的で女子には教育を受けさせないという家で、よりによって女の子ばかり生まれる。14人ぐらい生まれて男も生まれたけど、それは「男と女の両方の性質を持つ」セクシャル・マイノリティに生まれてきて父親の迫害を受けて育つことになる。その子の運命が哀れである。一方、薬草医の父はだんだん仕事が無くなり、外で稼げない女ばかりの家はどんどん貧困化していく。事実上、女ばかりが幽閉されている家で育った女性たちと金に困った父親の運命は…。

 この父はスンナ派だが、隣の家はシーア派らしく、また歓楽街の怪しい仕事の家はシーア派が多いらしい。両派の違いもいろいろ出てきて興味深い。この作品もタブーに挑んだ作品で、波瀾に富んだストーリイに一気に見られる。両作とも時間が長いが、見ている間は時間を感じないと思う。よりによって女子ばかり生まれる設定がちょっとどうかと思うところもあるが、ラホールという都市の話であるにも関わらず、女子に教育を受けさせなくてもいいらしいことにビックリする。高等教育を受けさせないというならともかく、初等教育も受けさせないのか。マララさんのような地方の場合だけではないのである。悲しみと怒りを糧に、素晴らしい娯楽映画を作り上げた監督に敬意を表したい。世界はこの2本の映画を見ておくべきである。両方の映画とも、音楽の力を感じさせる映画でもある。そして、人間はどんな悲惨な境遇にあっても、気高く生きることもできると教えてくれる映画でもある。簡単だけどまずは紹介。3月8日(日)の0時、4時に上映される。
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アスガー・ファルハディの映画-現代アジアの監督③

2015年02月28日 00時24分45秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターの現代アジア映画の監督シリーズ、3人目はイランアスガ-・ファルハディ監督(1972~)である。今回上映される7人の監督の中で、以前に見てるのは3人。香港のアン・ホイ、インドのマニラトラムと今回書くファルハディ。名前が覚えにくいかもしれないが、アカデミー賞外国語映画賞、ベルリン映画祭金熊賞を取り、2012年のキネマ旬報ベストテン2位に選ばれた「別離」(2011)の監督だと言えば、思い出す人もあるだろう。その前の「彼女が消えた浜辺」(2009)もベルリン映画祭銀熊賞を取り、最新の「ある過去の行方」(2013)はカンヌ映画祭で女優賞(「アーティスト」のベレニス・ベジョが演じた)と、近年世界でもっとも活躍が目立つ監督のひとりである。「ある過去の行方」はパリで撮影されているが、他の作品はイランの首都テヘランが舞台。

 イラン映画と言えば、90年代以後ずいぶん日本でも公開された。巨匠アッバス・キアロスタミモフセン・マフバルドフを中心に、クルド系のバフマン・ゴバディや映画撮影禁止処分を受けながらも今年のベルリン映画祭金熊賞作品を作ったジャファル・パナヒなど何人もの監督が思い浮かぶ。初めは「子ども映画」が多く、イスラム体制の厳しい検閲を逃れるため児童映画の枠組みで作っていると言われていた。キアロスタミ「友だちのうちはどこ?」やマジッド・マジディ「運動靴と赤い金魚」などキネ旬ベストテンに入選している。その後、女性の不自由な境遇や辺境の人々を描く映画も公開された。でも、ファルハディの映画を見ると、今までのイラン映画受容って、ジブリと大島渚だけ見て日本を論じていたような感じがしてくる。

 では彼の映画が好きかと言われると、それはちょっと…。「ある過去の行方」はイラン人も関係はしてるけど、外国で撮ってるから、人間関係の大変さを普遍的に描いている。でも「別離」は脚本や演技の卓抜さは認めないわけにはいかないけど、物語を観賞する前にイランの法体系の不条理さにいらだってしまって、どうも心穏やかに見ることができないのである。今回はデビュー作の「砂塵にさまよう」(2003)、第2作「美しい都市(まち)」(2004)、第3作の「火祭り」(2006)が上映されたが、いずれも「別離」と同様に、テヘランで生きる庶民の不条理な生活が描かれている。

 「砂塵にさまよう」は、親が結婚に反対したために一目ぼれした結婚相手と別れなければならない男の話。カネもないのに慰謝料を払うと裁判で約束し、砂漠で毒蛇を取る危険な仕事につく。蛇取りの男の車に乗り込んで、教えてもらおうとするが、男は彼を拒否し…と話はどんどんおかしくなり、ついに彼は毒蛇にかまれてしまう。大体なんで別れなければならないかが全く納得できない。(理解はできる。)主人公ナザルは直情径行すぎるし、声が馬鹿でかい。映画内でも妻にバスでは静かに話してと言われてる。とにかく一方的にまくしたて続けるナザルを見てるだけで、こっちもウンザリ。

 第2作を後にして、3作目「火祭り」。夫婦のいさかいを描く心理ドラマで、非常に完成度が高い。ポランスキーが映画化した「おとなのけんか」という映画があるが、その原作の舞台劇と同じぐらい迫力がある。若いルーヒは職業案内所で紹介された家政婦の仕事でマンションに行くと、夫婦げんかでめちゃくちゃな家庭の片付け依頼。妻は夫の浮気を疑い、その相手と疑う向かいの部屋の美容サロン(もぐり)に「偵察」に行かされたり、子どもの出迎えに小学校に行かされたり…。もうすぐ結婚を控えた彼女は、夫婦に振り回された一日をどう思っただろう。

 演出の冴えが印象的で、その才気は並々ならぬものがある。主演のタラネ・アリデュスティという女優(薬師丸ひろ子っぽい)が魅力的で目を奪われる。題名はイランの新年にならされる爆竹の祭りからで、ロケだと思うが中国の春節を超えるのではないかと思うすごさ。男の方は映像関係の仕事で、正月には家族でドバイに行く予定にしている。しかし大みそかにも仕事で呼び出され、映像に「毛が映ってる」と処理のお仕事。もちろん、「スカーフの下に頭髪が見えてる」という問題である。

 さて、中味的に「トンデモ」なのが「美しい都市(まち)」で、脚本、演出、演技はずいぶん洗練されて来ているが、とにかくイスラム法の不可思議な世界に頭クラクラである。まず「美しい都市」というのは少年院の名前で、盗みで入っていたアーラはもうすぐ収容期間が終わる。担当官が期間が延びてるのは懲罰によるものだから、もう出してもいいだろうと判断して釈放される。ここでもう不思議。現場裁量でできるのか。アーラはシャバでやりたいことがあった。それは中で知り合った友人のアフマドが18歳になったので、死刑にされるかもしれない、そのために被害者の許しをもらいたいのである。

 アフマドは16歳の時に恋人が出来たが、相手の親が認めず、悩んで心中しようと思い相手の娘を殺して自分は生き残る。相手の親が許してくれずに死刑判決になったらしい。内容的に死刑になる事件ではないが、被害者が求めると死刑なのである。さらに、国連人権規約は18歳未満の死刑を禁止し、日本の刑法も18歳未満の場合は死刑に当たる罪を無期懲役とすると定めている。当たり前のことだが、これは「犯行当時、18歳未満」の事例である。イランでは、犯行当時18歳未満でも、捕まえといて18歳になれば死刑にできるのか。ありえないでしょ、それは。

 さらにすごいのは、その後。アーラがアフマドの姉フィルゼー(「火祭り」の家政婦役のタラネ・アリデュスティ)とともに被害者を訪れても、父親は絶対に許さないと言う。ではすぐに死刑執行となるかというと、被害者側が賠償金を払わないと死刑執行ができない被害者が加害者に払うのである。なぜなら、女の価値は男の半分だから、女が1人死に、男を死刑にすると、1人分男側の家族が損をすることになる。賠償金を女側が男側に払わないといけないのである。通常の日本人は理解できないだろう。というか、絶対にそんなことはあってはいけないと思うだろう。それを父親側が許すと言えば、アフマド少年は釈放されるのだが、今度は加害者側が被害者側に賠償金を払う必要があるのである。両家とも貧乏で、執行も釈放も出来ない状況となり…。父親の妻は死んでいるのだが、後添えを貰っていてもうひとり女の子がいる。その子は足が悪い障害者で、器量も悪いので、このままでは結婚の相手も見つからないと思った後妻は、許しを求めに来るアーラが真面目そうなので、娘と結婚してくれたら父親に許しを出させるという策略をめぐらす。(ちなみに義母が許すだけでは、娘と血のつながりがないので、死刑判決を取り消す効力がない。)

 この筋の進み具合のトンデモぶりは実に凄まじい。アーラはアフマドの姉フィルゼーに子どもがいるので結婚していると思っていたが、離婚して独身と知り、思慕の念を募らせる。フィルゼーとしては、子のいる自分が年下の男と結ばれるより、弟の命を救うためにも障害者の娘と結婚して欲しいし。一体どうなっていくんじゃ、というところで映画は終わってしまう。結婚はともかく、死刑というか、刑罰というものは国家の刑罰権の問題である。被害者が許すとか許さないとか、ましてや賠償金を払うとか払えないとか、そういう問題は情状酌量の点では意味があるが、それですべてが決まるという構造自体がおかしい(近代的な法概念では)。でも、イスラム法では刑事と民事に本質的な区別がない。裁くのは神にしかできないことだから、被害者が許せばそれで終わりでいい。モスクでは、許せば神の国に行きやすくなるから、許せと指導される。父親は「神の方がおかしい」と冒涜的な言葉さえ発するが、でも元はと言えばこの父が男女交際を許していれば、すべてはなかったではないか。

 特に、男女の差から被害者側が賠償金を求められるという超トンデモがホントにあるのかと疑う人もあるだろうが、それはある。2003年にノーベル平和賞を授与されたイランの女性弁護士、人権活動家、シリン・エバディ「私は逃げない」という著書にくわしく出ている。この本は2007年に出た本だが、今でも入手可能だし、図書館等でも比較的見つかると思う。イランを知るためには必須の本で、とにかく凄まじい状況に驚くが、エバディの不屈の闘士ぶりにも敬意を抱かざるを得ない。

 中でも一番すごいのは、以下の事件である。農村地帯で、ある11歳の少女が3人の男に強姦され崖の上から落とされ殺された。3人の男は逮捕されたが主犯は自殺、2人の男に死刑判決が下った。イスラーム法においては(というかイランのイスラーム体制における解釈では)「殺人の被害者は、法的処罰か金銭的補償かを選べる」。そして「女は男の権利の半分の価値がある。」そこで、少女の命を1ポイントとすると、男2人が死刑となるので男側のポイントは2×2の4ポイントとなる。被害者家族は、「レイプ被害者の家族という汚名」を晴らすため、死刑を求めるしかない。(イランの農村部の家父長的価値観の中では。)そのため、死刑となる男の家族の側に、少女の家族に対して「3ポイント分の補償」を求める権利が生じる。裁判所は少女の父親に処刑費用を含む多額の金額を払うように命じる判決を出した。家族は財産を投げ出したが足りないので、腎臓を売ろうとするが、父は薬物乱用の過去があり、兄は小児麻痺のため腎臓摘出ができなかった。なぜ家族で臓器を売るのか不思議に思った医者が事実を知り、司法省のトップに手紙を書き、問題を訴えたというのである。これはイランでも問題化したらしいし、そこからエバディが担当し、犯人が脱走したり、再審になったり複雑な経過をたどったらしい。とにかくこれが「イスラム法」体制であり、そういうのが理想だと思ってる人々が権力を握るとどうなるかの実例である。
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リリ・リザの映画②

2015年02月27日 00時28分05秒 |  〃 (世界の映画監督)
 インドネシアリリ・リザ監督の話が途中で終わってしまったので、続き。(ちなみに、リリ・リザは男か女かと聞いてる人がいたけど、男性監督。)2008年の「虹の兵士たち」とその続編である2009年の「夢追いかけて」である。どちらも非常に感動的な映画で、映画的な感興と「異文化理解」的な興味をともに満足させてくれるが、同時に「世界どこでも、子どもたちの世界は共通」という当たり前の事実を実感させてくれる映画でもある。この映画もなぜ公開されないのかが不思議で、これからでも是非正式に公開して欲しいと強く思う映画。

 「虹の兵士たち」は、インドネシアのブリトゥン島のイスラム学校に通う10人の子どもたちの物語で、新任の女性教師ムスリマと「二十の瞳」とでも呼びたくなる映画。1974年に始まり、1979年頃を中心に小学校卒業までを描く。インドネシアも経済的に成長していく頃で、今見て懐かしくなるんだと思うけど、その年最大のヒット作となったリリ・リザの代表作。イスラム学校の話は後で取り上げるが、まず「ブリトゥン島」とはどこか。字幕ではブりトン島とあるが、ウィキペディアでは「ブリトゥン」とある。知っている人はほとんどいないと思うが、ちょうどスマトラ島とカリマンタン島の中間あたりにある島である。2000年まで南スマトラ州に属していたが、現在は隣のバンカ島とともに、バンカ=ブリトゥン州になっている。人口は16万ほどで、西にあるバンカ島が60万を超えているので、それに比べるとずっと小さい。映画でも重要な背景となっているが、錫が産出する。

 まず、冒頭で学校が成立する条件の10人の生徒が集まるかどうかで、ドキドキさせられる。成立した後で、5年後に飛び、子どもたちは小学校高学年になっているが、その後新入生はなく、生徒数は同じ。高齢の校長とムスリマ、それと若い男性教師がいるが、若い二人には他の学校から転勤の勧誘がある。ムスリマは子どもたちに責任があると残るが、男性教師は去る。高齢の校長もだんだん病気となり、亡くなってしまう。給料も遅配という環境で、ムスリマも裁縫で収入を得ながら教師をしている。そんな環境でも、子どもたちは頑張り、独立記念日のパレードに初参加し、錫公社の学校に負けないように創意工夫でダンスを仕上げる。主人公で語り手であるイカルは、その頃先生に頼まれて近くの村のお店に、学校のチョークを買いに行く。そこでチョークを出してくれた女の子の爪の美しさに一目ぼれ。思春期のときめきを経験する。タイトルの「虹の兵士たち」は校外学習で訪れた海辺で見た虹の素晴らしさに、ムスリマが子どもたち皆を「虹の兵士たち」と呼んだことから。そんな美しい自然の中の学校で、設備は恵まれないながら、そこには「心の教育」があった…。

 というのも、それが校長の方針で、子どもたちには「道徳」を重視した「宗教教育」を行わないといけないという考えなのである。そこでちょっと心配がある。イスラム学校とはどんなものなのか。いわゆる「学力の保障」は出来ているのだろうか。最後に、島の学校対抗のクイズ大会があり、それにも出場しようと頑張ることになり、社会科や算数の問題も出るのである。そこで算数が得意な子がいて、その生徒ランタンが間に合うかどうか、ハラハラさせる。というのも彼の住所は海辺の漁村で、そこから自転車で来るときに道に大きなワニが出ると「通行止め」なのである。いつもはすぐ動くワニなのに、この日に限って道にずっと立ち止まってしまう…。でも間にあって、彼の活躍で同点になるが、でも最後の「時速」と「時間」の問題で彼が答えた問題が誤答とされ…。しかし、とまあ定番的な展開ではあるものの、この学校の生徒たちは二つのカップを獲得したのである。

 この島最初の学校である「イスラム学校」とは何か。その国の人には自明の制度は説明されないから、どうも判らない。以下は僕の推測で間違っているかもしれないが、こんな感じではないか。近代的な学校制度ができるまでは、日本で言えば「寺子屋」のような存在で、イスラム教に基づく学校があっただろうと思う。やがて近代的な学校制度が整備され多くの生徒がそっちに通うようになっても、イスラム学校は昔からの伝統ということで、つぶされないで残る。ホントは義務教育制度があれば、すべての子どもはどこかに通う必要があるが、この島の場合貧しい家の女の子などは通ってないから、まだ義務教育ではないのである。ブリトゥン島では錫公社が従業員の子弟のための付属小学校を作っている。島の多くの家庭はそこに通わせるが、制服等があり貧しい家庭は通わせられない。そういう家庭が「イスラム学校」に通わせるが、10人という基準があるということは、一応その程度が集まれば、不十分ながら公費の補助があるということだろう。そういう公設民営のようなシステムであるまいか。貧しい家庭の子が集まる場で、「イスラム教をガチで教える学校」という存在ではない。だから、日本で言えばフリースクールとか、夜間中学などに近い感じで、山田洋次の「学校」のように教師と生徒の濃密なドラマが展開されるような場なんだと思う。校長先生は、生徒が校庭で遊んでいてなかなか教室に来ないと、「大きな舟を造ったヌーの話をするよ」という。皆目を輝かせて話を聞くが、これはノアの方舟の話なのである。イスラム教は旧約聖書を受けて成立しているから、ノア(ヌー)は共通の教材なのである。

 「虹の兵士たち」のラストで、イカルは大人になっていて久しぶりに島を訪ねる感動的な場面がある。そこでイカルはソルボンヌに留学すると話すが、そこまでの経緯を語るのが「夢追いかけて」である。ブリトゥン島に高校はないので、島を出ないといけない。小学校卒業後に親が死んで引き取られたいとこのアライともうひとりジンブロンの三人はいつもつるむ友だちとなる。高校時代のバカ騒ぎ(成人映画を見に行くとか)は、青春映画定番の「三バカ大将」もので、どこの青春も同じだなあと思う。誰かを好きになり、進路を考えて悩み…。そんなドタバタも終わり、ジャワに出て受験勉強。めでたく合格し、卒業したものの、就職先はなく、イカルは郵便局で働く。そしてアライは行方不明。夢を追いかけて、島を出て大学まで来た彼らの行く末は…。というどこの国でも多分感情移入できる青春の彷徨を、ヒット曲などを散りばめながら快調に描いて行く。前作と合わせて、カット割りやカメラの移動が実にうまく、映画のリズムの快適さが伝わる。特に「虹の兵士たち」は風景が広いので、パン(カメラの横移動)が多かったように思うが、それも気持ち良いのである。

 インドネシア映画「ビューティフル・デイズ」という作品があるが、それに出てくる高校では、なんと創作詩のコンクールがあってビックリした。日本の学校では考えられない。「夢追いかけて」では、先生が「好きな言葉を言え」という時間がある。「『目には目を』では、世界は盲目となる マハトマ・ガンディー」とか。これはいいなと思ったけど、日本では言えるだろうか。大人でも。この映画では、生徒が皆、スカルノ、ハッタなどの独立運動家の言葉や世界の政治家の言葉を憶えている。こういう映画を見て、発見することは、青春の世界共通性とともに、どんな国の学校にも学ぶことが多いということだと思う。

 特にインドネシアは重要な国である。位置的にも、資源的にもそうだけど、ASEANNの盟主的存在として「G20」にも参加している。世界最大のムスリム人口の国でもある。中東で興ったイスラム教だが、南アジア、東南アジアに広がり、もともと人口が多いところだから、インド亜大陸からマレー半島、インドネシア一帯が世界で一番イスラム教徒が多いわけである。インドネシアでは、2002年と2005年にバリ島で爆弾テロを起こした過激派勢力もあることはあるが、その大部分は穏健なイスラム教であるのはもちろん。戒律も中東に比べれば緩やかではないか。スカルノらの作ったパンチャシラ(建国五原則)の第一は「唯一神への信仰」となっているが、イスラム教は国教ではなく、世俗国家である。唯一神信仰はキリスト教も同じである。公式に無神論を言うのはできないのではないかと思うが、そういうインドネシアの社会を理解することは、非常に大切ではないかと思う。「ごく普通のイスラム教徒」がどんな暮らしをしているか、それを知るという意味でも大事な映画である。それとともに、こういう映画を見ると(あるいは音楽などでもいいが)、その国に親しみを感じるということである。頭で考えるだけでなく、自然に親しみを感じる文化交流がベースにないと、世界との友好は成り立たない。そういう意味でも、是非公開されて欲しい映画だなと思う。
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リリ・リザの映画①-現代アジアの監督②

2015年02月26日 00時14分04秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターの現代アジア映画特集の第2弾。インドネシアリリ・リザ監督である。リリ・リザ(1970~)は、東京国際映画祭で特集上映があったから名前は知ってたけど、見るのは初めてである。映画として非常に面白かったけど、インドネシアを知るという意味でもとてもためになった。と同時に、そこに出てくるインドネシアの風土、映像に流れる風のようなものが、とても心地よいのである。タイやマレーシアなどに長期滞在する日本人も多いというけど、僕も昔行った時から大好きで、モンスーン・アジアの共通性を感じて心休まる気がする。イタリアや東欧(チェコやハンガリー等)の映画も、言葉の響きや風景が気持ち良いのだが、僕にとって東南アジアの映画もそんな感じ。

 今回は4作が上映されたが、第4作という「GIE」(2005)は非常な問題作だった。ヴェトナムのダン・ニャット・ミンが抒情詩人とすれば、リリ・リザは大叙事詩を描く。ある華人系(カトリック)の青年が真実を求めて生きて挫折していく様子を年代記として描く大作である。その青年は、スー・ホッ・ギーと言い、題名はその「ギー」から取る。実在の青年運動家で、チラシには「共産主義活動を行い」と書いてあるが、これは間違い。主人公は幼友達が共産党に加わると、早く抜けないと大変なことになると忠告する。大学では、イスラム系でも共産党系でもなく、文化運動を中心にしたグループを立ちあげる。活動の内容は腐敗したスカルノ政権に対する批判である。スカルノの支持を受けて勢力を伸ばしていたのがインドネシア共産党(PKI)で、つまり共産党は体制側だったのである。主人公たちは建国の英雄スカルノに迫って共産党解党を求めるという立場である。1965年9月30日の「9・30事件」の実情はまだ不明のところがあるが、この事件をきっかけにスカルノは権力基盤を陸軍のスハルトに奪われていく。後に長期独裁政権となるスハルトだが、この時点の学生運動から見るとスカルノ政権に対する批判の受け皿として一定の支持があったように描かれている。

 この「9・30事件」の後、インドネシア各地で100万人を超えるとも言われる共産党員の大虐殺事件が起きた。その様子は2014年に公開された記録映画「アクト・オブ・キリング」で描かれ衝撃を与えた。この映画の主人公ギーは、学生新聞に自分のコーナーを持っていて、そこで社会批判記事を書いていた。そこでこの虐殺に触れる記事を書いたのである。それは1969年という時期を考えると非常に勇気ある行為だった。だけど、記事は黙殺され、友人や恋人は去っていく。失望したギーは趣味の登山に出かけ、ジャワ島最高峰スメル山(3,676m)に登り有毒ガスで死亡した。「政治犯」だったのかと思ったら、そういう人物ではなかった。幼い時から批判意識、正義感が強く、それを貫いて生きた清廉な学生運動家で、死後に日記が発見され、それが映画化された。ちょうど同時代の、高野悦子「二十歳の原点」みたいなものである。同時代の歌が流れ(女友達が「ドナ・ドナ」を歌うシーンがあり、インドネシアでも歌われていたんだなと感慨深かった)、全体のムードはイタリアのマルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督「ペッピーノの百歩」を思い出した。誠実に生きることで反マフィア運動家になっていった実在人物を描いた映画だが、当時の音楽などで時代の空気を映しだすことが似ている。

 今もなおタブー視される共産党員の虐殺事件に触れた勇気ある企画で、非常に興味深く見た。インドネシア現代史を考える時、つい「9・30事件」で一挙にスカルノからスハルトへ権力移譲が進んだように思ってしまうのだが、映画を見てそれが数年にわたる権力のドラマだったことが理解できた。主人公は共産党に入った幼友達を心配し、事件後に母親を訪ねたりしている。母も逮捕されていて、しばらく後に釈放されたという。友人の方は戻ってこなかった。殺されたか、流刑にされたかである。しかし、主人公は一貫して、主義主張以前に「共産党対陸軍」の対立が衝突寸前になっているので、それを考えて冷静に行動しないといけないと考えていると思われる。しかし、友人の方はすっかり「革命だ」と舞い上がっている感じに描かれている。この映画は、非共産党系の学生運動家から見たインドネシア現代史として興味深い。映画としては、友人や恋人関係などがどうなるか、政治の激動が絡んで、ドキドキしながら見る現代史サスペンスであり、画面から目が離せない優れた出来だと思う。

 次が「永遠探しの三日間」(2006)で、素晴らしいロード・ムービー。ロード・ムービーには、美しい景色やしっとりした人間関係などを中心に描く映画が多いが、この映画は徹底した青春映画で、男女二人(いとこどうし)の会話などで現代インドネシアを描き出す。ユスフはインドネシア大学建築科の大学生。いとこの姉妹の姉の方が結婚することになり、由緒ある食器をジョクジャカルタまで車で運ぶように頼まれる。いとこの妹の方、アンバル(高校を出てイギリスに留学するかどうか迷っている)は飛行機で行くはずだったが、前夜にユスフと飲みに行って寝過ごしてしまい、結局一緒に車で向かうことになる。ユスフは慎重でマジメなタイプ、一方アンバルは奔放な「発展家」で、その対照的な生き方がぶつかったり共感したり、いろいろある。迷ったり寄り道したり、たかがジャカルタからジョクジャに行くだけで3日もかかるのかと思うが、地図も持たずに出ているので仕方ない。

 バンドンに寄りたいというアンバルの都合で一日がつぶれる。そこではロック音楽のグループと雑魚寝。途中で起きて出発するも、次の日は暑かったり、海辺の祭り(?)に気を取られたりして、民泊する。この家がトンデモで、アンバルは怒ってしまい、ユスフはもういいだろうという。二人はケンカになるが、交通事故を目撃したり、カトリックの遺跡を見にいき、そこで人生について考え語り合う。ユスフは、まだまだ自分たちは若いという。「27歳が人生の分起点だ」。ジミ・ヘン、ジャニス、ジム・モリソン、カート・コバーンは皆27で死んだ。スカルノは27歳で最初の政党を作った。いや、スカルノはともかく、インドネシアの若者もこう考えるのである。アンバルは「いまどき、婚前交渉は当然でしょ」と吹聴するほど「進んで」いる。インドネシアだから、もちろんムスリム(イスラム教信者)であるが、スカーフは被らない。(正式な場では被ることもあるらしい。)そういう現代若者の「世俗派ムスリム」のようすがうかがえて、この映画も興味深い。やはり若者の関心は、愛と性と進路なのである。大きな事件が起きるわけではなく、美しい風景もあまり出てこない。ただドライブしているだけのような映画なんだけど、とても面白い。なかなか着かないゆったりしたリズムが快く、忘れがたい青春映画の一つだと思う。ジョクジャカルタは2006年に地震の被害を受け、その様子も少し出てくる。アンバル役のアディニア・ウィラスティという女優は、特に美人というわけではないんだけど、見てるうちになんだか気になってくる。昔の日本映画だと桃井かおりとか秋吉久美子みたいな感じ。ところで、マリファナをやってるのにビックリ、運転しながらやってる(という設定)は日本では許されないだろう。ユスフもタバコ吸い過ぎ。長くなったので、ここで切る。
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ダン・ニャット・ミンの映画-現代アジアの監督①

2015年02月23日 23時37分51秒 |  〃 (世界の映画監督)
 国立近代美術館フィルムセンターで、「現代アジア映画の作家たち」という特集を行っている。福岡市総合図書館のアジア映画コレクションから選ばれた映画の特集。2004年にもフィルムセンターで特集を行っているが、フィルムセンターのサイトで過去企画を確認すると、2カ月にわたって54本もの映画を上映している。今回は7人の監督に絞り、東京ではなかなか見られない映画を集めている。

 まずはヴェトナムダン・ニャット・ミン監督の5本の映画を見たので、そのまとめ。見たのは初めてで、名前も知らなかった。しかし、その抒情的な世界は非常に感銘深かった。デビュー作の「射程内の街」(1982)は、1979年の中越戦争を描いている。中越戦争というのは、カンボジアに侵攻したヴェトナムに対し、中国が「懲罰」と称して仕掛けた限定戦争。量で圧倒する中国軍がヴェトナム北辺部を一時占領し、勝利したとして一か月で撤退した。しかし実際は現代戦経験を積んだヴェトナム軍に中国軍は大被害を受け、衝撃を受けたとされる。戦争で廃墟になった国境の町ランソンが出てくるが、どこまでがロケか判らなかった。中国への配慮から長く外国での上映が禁止されていた作品。

 主人公は新聞カメラマンで、軍に掛け合って激戦の続くランソンを取材する。地雷を警戒しながら、戦闘で破壊された街をめぐっていく。その合間に、男の過去がインサートされる。彼は昔、ランソンに来たことがあった。学生時代に愛を誓った女子学生がランソン出身だったのだ。二人は世界の出来事を語り合う。(中国の文化大革命の写真集を見て、女はどうして文化財を破壊するの?と問う。男は世界の国はそれぞれのやり方があるんだと答える。)しかし、死んだとされていた彼女の父は生きていた。母を捨て、他の女と南ヴェトナムへ逃亡したのである。この事実を党が確認し女性は「問題あり」となり、男は去った。男がランソン入りを強く希望したのは、この「私が棄てた女」を探したかったのである。

 そこに、同じくランソン取材を希望する日本人が現れる。「赤旗」の特派員で、「同じ共産主義者として」世界に知らせたいと言う。軍とともに一緒に街を回り歩くが、中国軍の残置スナイパーにより、赤旗特派員は銃撃されて死亡する。これは実話である。この日本人を監督自身が演じている。予定していた日本人留学生が無理になって、一番日本人らしいのは監督だと言われたらしい。

 残留していた漢方薬局の華人が見つかる。中国軍に志願した息子に置いて行かれたという。この老人はかつてランソンを訪れた時に、彼女の家に薬を届けた人だった。薬屋は文革礼賛の本を無料で渡した。つまり、華人の中には中国のプロパガンダを広める「中国の手先」がいた。(恐らく事実だろう。)老人を捕まえた若いヴェトナム兵は、殺してしまえと激高する。しかし、上官が叱り飛ばして、捕虜として後方に連行する。このように「指導者の冷静な判断」が戦争犯罪を防いだという宣伝だろうが、重要な描写だと思う。昔の女友達の境遇は最後に明かされるが、主人公にはほろ苦く、観客にはほっとする結末。全体に「反中国の愛国映画」の限界の中で、戦時においても人間性を失わない人々を描いてヒューマニスティックな感銘を呼ぶ。監督はなかなか自分の撮りたい映画を撮れず、これがダメなら監督を辞める決意で撮ったという。素朴な平和主義と愛国心がベースになっていて、昔のソ連で作られた「雪どけ」時代の「新感覚」映画を思わせる佳作。80年代の映画だけどモノクロだし。

 2作目の「十月になれば」(1984)は、戦時中の「銃後」の農村を描いた作品で、心に沁みる名作。戦争に行った夫を待つズエンは、息子の帰還を心待ちにする義父の体調が悪いのを案じて、夫の戦死の報を隠す。小学校の教師は知ってしまうが、頼まれて夫の手紙を代筆することを承知する。こうした「美談」がベースになるが、教師の書いた手紙が流出し「スキャンダル」視され、教師は他の任地に飛ばされる。そんな中、老父の容体が悪化し、幼い孫は父に電報を打つんだと飛び出してしまう。「美しい心」から発した心遣いが思わぬ波紋を呼んで行く…。人々は共同体の秩序の中でゆったりと暮らしていて、その稲作農村のようす男尊女卑的な農村共同体などは日本を見ている感じがする。稲作と儒教で共通する世界である。子どもと義父を抱えて苦労する若い妻を演じる女優が実に素晴らしい。

 次の「河の女」(1987)は、ヴェトナム戦争さなか、古都フエで「河の女」(水上の売春婦)をしている主人公を描く。彼女は戦争中に追われていたゲリラ指導者を匿って、船で川をさかのぼって逃がした経験がある。彼女はその思い出を大切にしてひそかに憧れてきた。戦争終結後は「再教育キャンプ」に送られ、帰還後は「土方」として暮らしてきた。ある日、「彼」と思われる人物を見かけて追っていくと、ある役所に入る。面会を求めるが、官僚的対応をされて会ってもらえない。帰りに交通事故にあって入院し、病院で女性新聞記者に取材を受けた。だが彼女の書いた記事は発表禁止になある。誰も読んでいない段階なのになぜ? それは党幹部の夫が家で読んでいたのだ。実は彼が「その男」だったのだが、「今大切なことは人民が党に寄せる信頼を疑わせないようにすることだ」と言い放つ。党内の官僚主義と言論統制を正面から扱った勇気ある映画。川の風景も美しく、薄幸な女性の運命に心を奪われる。思い出すのは、小栗康平「泥の河」だろう。ともに船上で生きる娼婦を描くが、ムードも似ている。(下の左)
 
 4作目が「グァバの季節」(2000)。(上の右)これも実にしみじみとした名作だった。主人公は、子どもの時に庭のグァバの樹から落ちた事故で発達が止まってしまった。今は美術学校でモデルをしているが、時々グァバの樹を見に行く。当時の家は今は党幹部の家になっていて、それが判らない彼はついに庭に入ってしまう。警察に捕まり、姉が呼ばれて釈放されるが、その家には行かないように言われる。幹部はホーチミン市に派遣された間、家には大学生の娘が残っていて彼を理解して家に来ていいと言う。こうして世代を超えた交流が生まれるが、ここでもうひとり、市場で働く若い女性モデルも絡み、邪心のない主人公と、彼を危険視して「心の結びつき」をなくした人々のドラマが進行する。経済発展の中で「心」を失っていく人々というテーマも、かつての日本映画でたくさん見た。監督自身の原作を映画化したというが、その繊細な描写、ハノイの町の雑踏の魅力、女優の美しさ、日本でも公開されて欲しい映画。

 そして最後に「きのう、平和の夢を見た」(2009)。非常に心打たれる傑作で、今からでも是非正式に公開されて欲しい。日本でも翻訳されている「トゥーイの日記」の映画化で実話。女医として南ヴェトナムの激戦地区に派遣されているダン・トゥイ・チャムは、野戦病院の激務の中で日記をつけていた。戦死した後に、病院にあった日記をアメリカ兵が持ち帰る。翻訳して中の記述を知った米兵は、その中にある「炎」と冷静で知的な世界に圧倒され、生涯忘れられなくなる。21世紀になって遺族を探し求め、日記は母に伝わった。戦場の厳しさと主人公の知的な魅力が印象的。

 これほど人間性を失わない相手を敵として米軍は闘っていたのである。そのことを知り、受け入れる米側のようすもフェアに描写され、戦争の悲劇を訴える。今は経済的にも発展したヴェトナムだが、戦争時の辛い体験を静かに訴えている。ナショナリズムに訴えるというより、戦争はどちら側にも心の傷を残すというヒューマニズムの色合いが濃い。この監督の持ち味だろうが、静かな世界に心打つ物語が進行するというスタイルは共通している。野戦病院もの」は、「ひめゆりの塔」や増村保造「赤い天使」、アルトマン「M★A★S★H」などけっこう思い浮かぶが、この映画が一番リアルで感動的ではないか。ヴェトナム戦争を同時代に知っている世代には、非常に心打たれる映画ばかりだった。主題も勇気ある世界を描き、小津安二郎、木下恵介、黒澤明、今井正などを思わせる作風に共感を覚えた。
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「アデルの恋の物語」以後-トリュフォー全映画⑤

2014年11月02日 23時11分20秒 |  〃 (世界の映画監督)
 「アデルの恋の物語」以後の作品を全部見ることにして、簡単に書きたい。画像も少な目で。
アデルの恋の物語(1975) ☆☆☆☆
 76年キネ旬7位。非常にシンプルな構造で一直線に進む「狂気の愛」の物語。公開時に見た時に非常に強い印象を受けた。今回見直すと、これは「ストーカーという言葉がなかった時代のストーカー映画」だと思った。あるいは「恋愛中毒」と言ってもいい。アデルが実際に後半生を精神病院で送らざるを得なかったことが示すように、これは明らかに「心の病」を描いている。もっとも春日武彦「ロマンティックな狂気は存在するか」という本があるように、一時期まで「狂気になるほどの熱狂的な愛」という神話もあったのだろう。でも、現実にはそれはロマンティックな誤解であり、人格破壊があるだけなのである。

 アデルはヴィクトル・ユゴーの娘で、巨大な父、早世した姉を背負っている。父はナポレオン3世に反対して、英仏海峡の英領ガーンジー島に亡命中で、アデルはそこで若い英国士官と結ばれる。当時のことだから、当然結婚を前提にしていたとアデルは思っただろうけど、男は避けるようになる。(初めから遊びなのか、それとも激しすぎる求愛に閉口したのか…。)映画は英領カナダのハリファックスに偽名のアデルが男を追って到着するところから始まり、男がカリブ海のバルバドスに転任すると、そこまで追って行き倒れるまでを描く。この種の映画の典型となる傑作。
  
トリュフォーの思春期(1976) ☆☆☆★
 76年キネ旬3位。日本では「アデル」と同年に公開されて、両方ベストテンに入ったが「思春期」の方が評価が高かった。僕にはそれがよく判らなくて、幼い子供たちのエピソードをつないだだけのような作品に思えて面白くなかった。今回見直して、これは「子どもたちの自然な姿を映像に収めて、フランス社会を定点観測してみた面白い作品」だと思うようになった。題名は思春期だけど、小学生の時期でもっと幼い時代の悪意のないいたずらなどが多い。中で「虐待」のケースがあり、最後に教師が子供向けに大演説している。トリュフォーの娘なども出ているドキュメンタリー・タッチの作品で、トリュフォーの映画では異色の作品になっている。見直した時はとても面白く感じたけれど、少し時間が経つと「アデル」のような一直線映画の印象の方が残る。
恋愛日記(1977) ☆☆
 キネ旬27位。この映画はなあ…という感じの映画。同じ監督作品を続けてみると、「反復」が目につくことになる。トリュフォー映画の場合、一番重大な問題は「女性の脚」へのフェティッシュな執着で、この映画はそういう傾向を集大成した「脚フェチ一代記」である。全然ハンサムとは言えない、「私のように美しい娘」で害虫駆除業者をやってたシャルル・デネルという男優が主人公で、女性遍歴を繰り返すさまを描いている。最後は自伝を書いて出版しようとし、うまく行くはずだったけど…。冒頭は葬儀の場面である。正直に言って、僕には全然判らない映画。

緑色の部屋(1978) ☆☆☆★
 キネ旬24位。日本でもフランスでもほとんど評価されていないと思うが、非常に美しい映画で、岩波ホール公開時より僕の大好きな映画。でも、「死者に取りつかれた男」という主題が暗すぎて一般的には受けないだろう。ロウソクで死者を弔うチャペルを撮影するアルメンドロスの撮影は異様に美しい。トリュフォーが自分で主演していることで判るように、トリュフォー映画の中でも非常に重要な映画ではないかと思う。日本でも天童荒太「悼む人」が直木賞を取ったわけだから、この映画の主題は伝わるのではないか。人間には「死」を直視できず避ける心性もあるが、「死」を身近に感じ取りつかれるような心性もある。ナタリー・バイの美しさも際立ち、「3・11」後の今こそ見直されれるべき傑作。

逃げ去る恋(1979) ☆★
 僕の評価はこの映画が一番低い。アントワーヌ・ドワネルものの5作目で、最後の作品。今までの映画が随所に引用され、なんだか「自作解説」みたいな感じである。離婚したクリスチーヌ、昔好きだったコレットも出てきて、同窓会的にアントワーヌの女性遍歴を振り返る。これは「シネマ・セラピー」としてのトリュフォー映画の性格が一番正直に出ている。その意味では「トリュフォー研究」の観点からは興味深いが、なんでアントワーヌの恋愛に僕らがこれほど付き合わされるのかと正直ウンザリする。どうしても弁明的にならざるを得ないし、映画にしなくていいんじゃないと思ってしまうのである。まあ、この映画だけ見てもよく判らないと思うんだけど、そういう「自立性の低さ」も低評価になる理由。
終電車(1980) ☆☆☆
 セザール賞作品賞、監督賞、主演男女優賞など10部門受賞、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、キネ旬16位。この時代、ゴダールは商業映画に復帰しつつも日本では公開されず、ロメール、リヴェットはまだ紹介されず、シャブロルは「娯楽映画」ばかりになり…、トリュフォーひとり、「フランス映画を支えるような大監督」になり、「古典」的な映画作家に「昇格」しつつあった。そういう彼がフランスで一番評価された映画が「終電車」で、ドイツ占領下のパリで劇場を守るカトリーヌ・ドヌーヴの「抵抗」を描く。フランス人の琴線に触れるテーマを若手のジェラール・ドパルデュ―との絡みで大作恋愛映画+対独抵抗映画に結晶させた。そこが評価されたんだろうけど、当時の社会状況、劇団の恋愛事情、劇中劇などが混然一体となって感動するというより、日本人が見ると「バラバラ感」があるのは否めないのではないか。どうも長すぎるし。日本ではベストテンで上位にならなかったし、そういう評価は今回見ても僕には変更不要に思った。ドヌーヴの落ち着いた美しさは一見の価値。

隣の女(1981) ☆☆☆ 
 83年キネ旬6位。郊外の一軒家で美人妻と子どもと共に暮らす男。その隣の空き家に夫婦が入ってくる。会ってみれば、「隣の女」は「訳ありの元カノ」だった…。という夢のような悪夢のような設定で、世界の恋愛映画に大影響を与えた映画だが、今見直すと、ジェラール・ドパルデューが若くて(まだあまり)太ってないのに一番驚くかも。スーパーに車で買い物に行って再会、休日はテニス場で社交、彼女は絵本作家を目指している…といったいわゆる「ニューファミリー」的な設定に当時の僕の評価は引きずられていた。そういう社会風俗的な部分が時間とともに色あせると、そこに見えてくるのは「愛に傷つき、心を病む女性」の姿である。ファニー・アルダンの造形は今見ても、全く古びてないどころか、日本のイマドキを見るようである。でも、僕は奥さん(ミシェル・ボームガルトネル)の方が好みだから、子どももいるんだし、何をやってるんだと思ってしまうけど。トリュフォーはファニー・アルダンと子どもを作っちゃったんだから、こういう人が好きなんだろうな。

日曜日が待ち遠しい!(1983) ☆☆☆
 トリュフォーの「遺作」はモノクロのミステリー映画で、もうファニー・アルダンを見るためだけのような映画である。不動産屋の社長のジャン=ルイ・トランティニャンの周りで、不審な殺人が相次ぎ、疑われる。秘書のアルダンが隠れる社長に代わってニースまで真相追及に出かけ、危険なミステリーの中に飛び込んで行く。ほとんどハッピーエンドがないトリュフォー映画としては珍しく、最後に二人が結ばれて終わる。ミステリー的なムード(謎解き)はある意味トリュフォー作品で一番あると思うが、この「解決」は論理的に無理があるように思う。でも細部は忘れてしまうから、今回で3回目だけど、真相は何だったっけと一応楽しく見ることができる。すごい傑作とは思わないけど、これはこれで「遺作」としてはいいかなと思っている。
 
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「恋のエチュード」と「アメリカの夜」-トリュフォー全映画④

2014年11月02日 00時49分15秒 |  〃 (世界の映画監督)
 トリュフォーの全映画の4回目。1970年代に入ってくる。
家庭(1970) ☆☆★
 アントワーヌ・ドワネルものの第4作目。これまで順調に公開されてきたトリュフォーだが、この作品は1982年まで公開されなかった。単館系映画館でドワネルものを一挙上映する企画で公開されたと記憶する。ドワネルものの最後の2本は「映画的記憶」に頼った面が大きく、映画的に自立していない感じが否めない。トリュフォー作品には「日本への言及」が多いのも特徴だが、特にこの映画は「日本」が大きく登場している。「日本人にしか判らないジョーク」も存在するから、もっと早く公開されて欲しかった。

 「夜霧の恋人たち」の恋人、クリスチーヌと結婚、子どもも生まれるが、アントワーヌは仕事で会った日本娘「キョーコ」に惹かれてしまう。その様子をコミカルに描くが、一体何してるんだか。このキョーコも変な描写で、リアルな日本人ではない。パリでモデルをしていた松本弘子という人が演じている。姓が「山田」となっているが、これは友人で映画評論家の山田宏一から取ったものだという。そこに敬意を表して★ひとつアップ。
 (松本弘子と)
恋のエチュード(1971) ☆☆☆☆
 73年キネ旬13位。世界的にもあまり評判を呼ばなかった作品だが、僕は昔から大好きで、何回見てもやはりいいと思う。今回見ても、評価は変わらなかった。でも、「突然炎のごとく」より上とまでは思わない。「突然炎のごとく」の原作者、ジャン=ピエール・ロシェのもう一つの長編小説「二人の英国女と大陸」の映画化で、設定が正反対になっている。つまり、「男2対女1」が「男1対女2」へと。しかも女性二人は姉妹である。ジャン=ピエール・レオの演じるクロードは、パリで母の知人の娘、英国人のアンと知り合う。ロダンに憧れ彫刻の勉強に来たのである。二人は惹かれあうものを感じ、今度はクロードが英国の海辺の村に住む姉妹を訪ねる。そこには姉のアンと妹のミュリエルが母と住んでいた。クロードは二人の娘と語り合い、テニスをし、サイクリングをする。アンは彼が妹にふさわしいと思って、二人の仲を進めるが、母親はすぐの結婚を認めず冷却期間を置くことになる。以後、細かく書いても仕方ないけど、パリと英国で、クロードと姉妹の長いすれ違いの日々が始まるのである。

 このクロードを演じるジャン=ピエール・レオは気まぐれな青年をうまく演じて、代表作とも言えるが、「優柔不断な青年」という印象が強い。そういう演出なんだけど、「突然炎のごとく」のジャンヌ・モローが神秘的な神々しさがあったのと比べると、確かになんだという気がするのも仕方ない。全体に暗い画面が多いことも当時の観客に嫌われたのではないか。(僕はそういう暗い映画が好きなんだけど。)僕はアルメンドロスの撮影とドルリュ―の音楽が醸し出す、格調高い愛の年代記に十分満足するんだけど。愛は移ろいやすく、悔いが残るものである。時間の流れの中で結ばれたり別れたり…、そういった誰もが思い出す人生の哀歓を、美しい風景の中に定着させた名作だと思う。

私のように美しい娘(1972) ☆☆☆
 軽妙洒脱な悪女ものコメディ。トリュフォーの中では軽い作品で、明るい語り口が面白い。キネ旬23位。「あこがれ」のベルナデット・ラフォンが刑務所の囚人で出てきて、女性と犯罪を研究している社会学者のインタビューを受ける。彼女は幼少の頃より、秩序意識が少なく性への関心のまま野放図に生きてきた。しかし、その天衣無縫な魅力に男は参ってしまい、逮捕前は何人も男と同時に関係を持っていた。社会学者も結局その魅力にとりこまれてしまい、彼女の事件を再調査。害虫駆除業者を塔から突き落とした事実はないことを証明、彼女は無罪釈放となるものの…。誇張されたコミカルな演技で軽快に映画は進み、楽しく見られる。だから面白いとも言えるんだけど、まあ小品的な印象。

アメリカの夜(1973) ☆☆☆☆★
 アカデミー賞外国語映画賞。監督賞ノミネート。キネ旬ベストテン3位。その年のベストワンは「フェリーニのアマルコルド」、2位はベルイマンの「叫びとささやき」とレベルが高かった。「アメリカの夜」というのは、フィルターをかけて昼間に夜景を撮る技法のこと。フランスで言う業界用語で、この映画で一般化したかもしれない。昔の映画を見てると、よく使われていたものである。「現実ではなく演技を撮影する」劇映画そのものの象徴として使われている。「映画撮影現場を舞台にした映画」だが、劇中劇(映画内映画)の映像は出てこないで「舞台裏」だけを描いている。純粋に映画の撮影現場をドラマにした脚本がよく出来ている。昔から好きだったが、3年前に「午前10時の映画祭」で再見した時にはちょっと期待外れだった。今回で3回目だけど、見直したらやはりすぐれた作品だと思った。

 監督自身をトリュフォーが演じていて、「パメラを紹介します」という映画を撮る設定。南仏にオープンセットを作って、クレーンや移動レールで大規模な撮影をしている。映画の裏では、何度も撮り直したり、脚本の書き直しが遅れたり…はまだいいとして、俳優どうしの内輪もめ、恋愛沙汰などトラブル続発。そういう「現場の大変さと面白さ」が全開の映画で、映画愛を封じ込めたような作品になっている。最初の公開時には「映画に愛をこめて」と言う副題がついていた。主演女優役のジャクリーン・ビセットの精神的に危うい女優役がやはり素晴らしい。助監督やスクリプターなどの裏方役の俳優もきちんと描き分けられていて、映画作りがよく判るが、それ以上に「仕事とは何か」という意味で見所が多い。
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「華氏451」から「野生の少年」-トリュフォー全映画③

2014年11月01日 00時43分07秒 |  〃 (世界の映画監督)
華氏451(1966) ☆☆☆
 アメリカのSF作家レイ・ブラッドベリの有名な「華氏451度」の映画化。イギリスで製作され、日本ではATGで公開された。原作は最近改訳が発行されたが、「読書が禁じられた社会」を描く「ディストピア」(ユートピアの反対)ものの傑作である。叙情的な作風のブラッドベリに珍しい哲学的な内容で、必ずしも読みやすい本ではない。それを映画化するのも大変だろうと思うが、「よくやっている」とも言えるし、「うまく行ってない」とも言える。期待度をどのくらいに置くかで変ってくる。まあ、本が燃え上がる瞬間の衝撃、本好きにうれしい細部の描写、妙に忘れがたい画面のムードなどが忘れがたく、★ひとつサービスするが、僕の基本的評価は「失敗作」である。こういうのは、「問題作」と言うべきか。

 近未来物は、今見ると「素朴」に見えてしまうのが一番困った点か。主演のオスカー・ウェルナーは、「突然炎のごとく」のジュールを演じた俳優だが、トリュフォーとこの映画で衝突したという。撮影(トリュフォー初のカラー)は後に監督として有名になるニコラス・ローグ。主人公が救い出す本に「カスパー・ハウザー」がある。後に「野生の少年」を映画化する伏線だろう。最後の「本を記憶する人々」の群れに加わることになるが、その時に出てくる本は原作と全く違う。この時の本が判らないと、かなり興趣が削がれるだろう。そういう意味では、「観客を選ぶ映画」で、やはりアートシアター向けだったかもしれない。(「アンリ・ブリュラールの生涯」や「火星年代記」「高慢と偏見」などである。)キネ旬21位。
  
黒衣の花嫁(1968) ☆☆
 アメリカのミステリー作家、コーネル・ウールリッチ原作の映画化。結婚式で誤って殺された夫の復讐に殺人を重ねていく妻、ジャンヌ・モロー。そのジャンヌの魅力というか、脚などを追うラウル・クタールのカメラが見所のミステリーだけど、怪しい魅力と言う点では日本の「五辨の椿」(原作山本周五郎)の岩下志麻も負けてないし、映画の出来では勝っているかもしれない。こういう話は、狩り出すところが一番面白いのに、最後の「犯行」時だけ描いて行くのが、ミステリー映画としては欠点だと僕は思う。ミステリー映画ではなく、ジャンヌ・モローを見る映画と言われるかもしれないが。キネ旬17位。

夜霧の恋人たち(1968) ☆☆☆★
 アントワーヌ・ドワネル物の第3作。「大人は判ってくれない」を除くと、一番面白い映画。コレットに失恋し、軍隊に入るもののすぐに追い出される。今度は音楽学校に通うクリスチーヌにお熱。彼女の父の紹介でホテルに勤めるものの、探偵にダマされ浮気妻の部屋に夫を案内してしまい大騒動に。ホテルはクビになるが、その時の縁で探偵会社に勤めることになる。見え見えの尾行、靴店への潜入など、楽しい描写が続き、失敗続きのアントワーヌはどうなる…というコメディ。パリ風景も楽しく、面白い映画だと思う。68年のカンヌ映画祭粉砕につながった、マルロー文化相によるアンリ・ラングロワ(フランスのシネマテーク創設者)解任に抗議し、ラングロワにこの映画が捧げられている。アントワーヌはホテルの夜番で「暗闇へのワルツ」を読んでいるのが次作への伏線。キネ旬17位。

暗くなるまでこの恋を(1969) ☆☆☆★
 ウィリアム・アイリッシュ「暗闇へのワルツ」の映画化。(アイリッシュと「黒衣の花嫁」のウールリッチは同一人物。)冒頭でルノワールの「ラ・マルセイエーズ」が引用され、ジャン・ルノワールに捧げられている。それというのも、アフリカ大陸の東にある仏領レユニオン島の物語だからで、「レユニオン」(再併合)の意味が解説されているわけ。この場所が珍しく、目が奪われる。そこのタバコ会社社長、ジャン=ポール・ベルモンド写真花嫁を迎える。フランスでもそういうことがあるのか。船を出迎えると、写真よりずっと美しいカトリーヌ・ドヌーヴがいるのだった。謎めいたドヌーヴの謎を追い、舞台はニース、リヨン、アルプスと移り行き、二人の危険な道行きはどうなる…。破滅へ向かう恋路、あまりにも美しいドヌーヴを、見ているだけで楽しいというか、ただ茫然と見ているだけのミステリーで、今見ると「黒衣の花嫁」より面白いと思うが、当時の評価は低かった。キネ旬48位。

野生の少年(1970) ☆☆☆☆
 この映画から、同時代的に見ている。初見時は受け付けられなかったけど、今回40年以上を経て再見したら、評価が好転した。久しぶりのモノクロ映画だが、これ以後のトリュフォー作品の大部分を撮るネストール・アルメンドロスとの初顔合わせ。ロメール「クレールの膝」などを撮った人だが、後にアメリカに進出して「天国の日々」「クレーマー、クレーマー」で2回アカデミー賞を受賞する名撮影監督である。「狼に育てられた少年」という話があるが(インドのその話は怪しいらしいが)、ヨーロッパの「野人」としては「カスパー・ハウザー」(後、ヘルツォークが映画化)が有名で、当初はこっちを映画化しようとしたらしい。結局、18世紀末にフランスで見つかった「アヴェロンの野生児」を詳細に映画化した。主人公はトリュフォー自身が演じている。キネ旬16位。

 この映画が当初好きではなかったのは、トリュフォーが「文明」の立場を自明視していて、「劣った野生児」を人間生活に引き上げることを目指すのが傲慢に思えたからである。しかし、結局僕も「文明」の一員であり、「恵まれない子ども」を教育の対象にするのは非難できないと思うようになったのである。これは「特別支援教育」の先駆けと言える試みであり、誰かがやらなければならなかった。そのまま野生に戻したり、どこかの檻に閉じ込めて終わったかもしれないところを、一応屋根の下の暮らしを保障できたのだから、それ以上の何を僕が言えるだろうか。いろいろ言えるけど、もはや僕にはトリュフォーを批判できない。そうすると、ここまで美しい画面の下、これほど真剣な「教育」を描く映画が他にいくつあるだろうか。トリュフォーが自演したように、「大真面目」に作っている。それは大事なことだと思うようになったのである。この映画を見たスピルバーグが、後に「未知との遭遇」の主人公にトリュフォーを起用した。宇宙人との遭遇は、野生児との遭遇と本質的に同じだったということだろう。「感動」ではなく、「複雑な感慨」を残す美しい作品
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「突然炎のごとく」の頃-トリュフォー全映画②

2014年10月30日 22時38分22秒 |  〃 (世界の映画監督)
 トリュフォー映画の3作目から6作目まで。できれば簡単に。
ピアニストを撃て(1960) ☆☆☆★
 トリュフォーの第2作は、アメリカのミステリー作家、デイビッド・グーディスの映画化「ピアニストを撃て」である。キネ旬ベストテン63年度9位。本国ではほとんど認められなかった作家だが、フランスで人気があり「狼は天使の匂い」など映画化が多い。ヌーベルヴァーグの映画作家が大好きだったアメリカの犯罪小説をフランスに舞台を移して映画にした。冒頭は二人組に追われる男を通りがかりの男が助けて、二人で結婚に関する世間話をしている。一体どうなるかと思うと、これは筋には関係ない。男はとある場末のバーに逃げ込んで、そこでピアノを弾いているシャルリに助けを求める。逃げてきた男はピアニストの兄らしい。兄弟があったのは4年ぶり。冒頭からパリの暗い夜の映画で、ところどころ昼間のシーンもあるものの、まさに「フィルム・ノワール」。
 
 このシャルリは実はかつての名ピアニスト、エドゥアール・サローヤンの世を忍ぶ仮の姿だった。過去に妻を亡くした辛い事情があり、以後ピアノは捨てたはずが、場末のバーの掃除夫をしていた時にピアノを弾いてしまった。今は彼のピアノで踊る客でいっぱいである。名前で判るようにサローヤンはアルメニア系で、実際にアルメニア人である有名なシャンソン歌手、シャルル・アズナブール(1924~)が演じている。このような、「暗い過去を背負う男」、「そんな男に尽くす女たち」、「男が捨てきれない家族の絆」が絡み合うストーリイがかなり自由に展開される。ミステリー的な感興はあまりないが、クローズアップを多用してB級映画っぽく撮り、その中でセリフとナレーションでグッと心に刺さるシーンを入れてある。お遊び的シーンも多く、何度か見るたびに面白くなる「スルメ映画」の典型だと思う。映画的興趣と彼に惚れているマリー・デュボワの魅力で★ひとつアップ。撮影にラウル・クタール、音楽にジョルジュ・ドルリュ-と、いわばトリュフォー組がそろった作品。撮影の魅力も大きい。

突然炎のごとく(1961) ☆☆☆☆☆
 1964年キネ旬ベストテン2位。何度見ても素晴らしい映画で、非常に強く胸を打たれる。クタールの撮影、ドルリュ―の音楽も最高だけど、ジャンヌ・モローのとらえどころのない、自由で神秘的な女性像が素晴らしい。生涯に2つの小説を残したジャン=ピエール・ロシェの原作「ジュールとジム」の映画化。第一次世界大戦直前、パリが世界の芸術の首都だった時代。ドイツから来たジュールはジムと友だちになり、思想や芸術を語りあい、女たちと恋をする。何人かの女性を遍歴した後、彼らはアドリア海の彫像にそっくりの女、カトリーヌと出会い夢中になる。この「ジュールとジムとカトリーヌ」の何年も続く、恋と別れの物語がこの映画である。ジュールが求婚し、カトリーヌは受け入れ一緒にドイツに戻った後に大戦が勃発する。大戦終了後、ジムはドイツに子どもと暮らす2人に会いに行く。そこで出会ったカトリーヌは情緒不安定で、ジムの恋は再燃しジュールもカトリーヌをジムの手にゆだねることにする。という、カトリーヌの恋の遍歴を書いても、この映画の魅力はほとんど伝わらないだろう。
  
 では何が魅力かと言われても、うまく表現できない部分もあるが、「自由な精神」が現実の中で摩耗していく、あの切ない想いを映像と音楽の魅力でフィルムの中に封じ込めた感じの映画だと思う。海辺で語り合う、自転車で田舎道を駆け抜ける、あの素晴らしい奇跡の一瞬。それは僕らの人生の中にもないではなかった青春の思い出であるが、一瞬で過ぎ去ることを僕たちは知っている。そして現実世界は、戦争に象徴される「死」に占領されている。だんだん「エラン・ヴィタル」(生命の躍動)の季節が終わり、心が死に囚われていく。その時の不安、どうしようもない思い、結ばれては離れていく心の絆、そういった生きる喜びと苦しさがこの映画には封じ込められているのだと思う。ゴダールの「気狂いピエロ」と並んで、「映画の青春」を葬った映画ではないか。以後の僕たちは、もう二度とこんなに切ない映画は作れない。ラストは衝撃的。「詩的な解釈」もできるけれど、このように不安定で破滅に向かう心とも接した経験があるので、非常に重く受け止めたい。僕にも何もできないと思う。

アントワーヌとコレット ☆☆☆
 「二十歳の恋」という仏独伊ポーランド、日本の青春を描くオムニバス映画のフランス編。(ちなみに日本編は石原慎太郎が監督している。)「大人は判ってくれない」のアントワーヌ・ドワネルが17歳になった時の後日譚。レコード会社(フィリップスでレコード製造をしている)に勤め、夜はクラシックのコンサートによく行く。青年音楽同盟とかのメンバーなのである。(これは労音みたいなものだろうか。)そこで年上のコレットを見染めて、何とか近づこうとし、友だちになる。両親にも気に入られ、もっと会いたいと彼女の真向いに引っ越したり…。でも、彼女はアントワーヌではなく、もっと年上の男が好きみたいで…。初々しい青春の恋の一こまを描いた短編(29分)。パリの風景が美しく、★ひとつサービス。アントワーヌの部屋に野口久光氏のポスターがあることでも有名。
 
柔らかい肌(1964) ☆☆☆☆
 65年のキネ旬ベストテン4位。ベストテン入選映画ではこの映画だけ長いこと見れなくて、10年位前に初めて見たが、その時にはあまり面白くなかった。今回見て劇的に評価が好転した2作の一つ。(もう一つは「野生の少年」。)テレビでも有名な文芸評論家ピエール・ラシュネーは、バルザックの本を出して好評を博し、ポルトガルのリスボンでの講演会に招かれる。行きの飛行機で、スチュワーデスのニコルと知り合い、リスボンのホテルで結ばれる。帰ってからパリでも関係を持ち続ける二人…。これだけ書くと、普通の「不倫」物語で、というか実際に「ありふれた三角関係の物語」そのものなんだけど、その描き方の真実味、細かな描写の積み重ねがとてもうまい。疲れて眠い時に見ると、「単なる不倫モノ」に感じてしまうかもしれないが、何度か見ると描写のうまさ、真実味が身に迫ってくると思う。

 ピエールと妻のフランカを演じているのは、ジャン・ドサイ、ネリー・ベネデッティという全然知らない俳優で、男の容姿もまあ「普通の中年男」である。ニコルだけが、フランソワーズ・ドルレアックという美女が演じているので、男から見れば「やむを得ないかなあ」「これは一目ぼれしてしまうよ」と思わないでもないのだが、それを「妻の目」でみるとどうなるか。そこで衝撃的なラストがあるが、これだけは僕は今でも納得できない部分がある。途中、講演会でランスに行くときにニコルを連れていくシーンが秀逸。特にルームサービスの朝食を外に出すと、猫がミルクを飲みに来るシーンは後に2回(「アメリカの夜」「恋愛日記」で)再現された。クタールの撮影するオール・ロケのパリやリスボンが美しい。何気ない冬の景色などが心に残る。(画像の2枚目はドルレアック、3枚目は姉妹共演の「ロシュフォールの恋人たち」)
  
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「大人は判ってくれない」の頃-トリュフォー全映画①

2014年10月29日 23時05分15秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フランソワ・トリュフォー監督(1932~1984)映画蔡のまとめ。今まで書いた鈴木清順、蔵原惟繕、タルコフスキー、相米慎二など同じく、トリュフォーを見るのは素晴らしい体験だった。何度でも見られる映画である。やはりトリュフォーは「物語作家」で、物語の「語りのうまさ」が映画の出来を左右していると思った。各作品は参考のため、☆★で採点してみる。☆=20点、★=10点

あこがれ(1957) ☆☆☆☆
 非常に素晴らしい短編映画。自然描写の素晴らしさはルノワール「ピクニック」、悪童ものではジャン・ヴィゴ「操行ゼロ」があるけれど、同じように素晴らしい短編映画である。日本では「真夏の夜のジャズ」の併映で公開された。冒頭にベルナデット・ラフォンが自転車に乗って現れるところから、画面に眼を奪われてしまう。田舎道を自転車で駆け抜ける爽快感は、画面から風が吹いてくるかのよう。そのシーンは「突然炎のごとく」「恋のエチュード」で再現される。風でベルナデットのスカートがまくれ上がるシーンを見ると、「七年目の浮気」のマリリン・モンローの魅力も褪せてくる。

 トリュフォーの思い出ではなく、ちゃんと原作があるようだ。「悪童」たちが「年上の美女」にあこがれるあまり、かえって悪さをしてしまう。男なら誰でも思い出すような「男の子の胸キュン映画」。ロバート・マリガン「おもいでの夏」という忘れがたい映画があったけど、この映画はそういう感傷ではなく、もっと乾いた目で描いている。ベルナデットはよそ者の体育教師ジェラールと付き合って、婚約している。悪童たちはそれが気に食わなくて、いろいろいたずらするが、ジェラールはある日登山に出かけて死んでしまう。少年たちの心に忘れがたい傷が残る。ラストに黒服で歩くベルナデットを見かけるのだった。
 
 トリュフォーは、1954年に「ある訪問」という自主製作映画を作っているが、それは僕も見ていない。その後、ロッセリーニの助監督をしたりした後で、自分で会社を作って製作した。トリュフォーは映画会社や映画学校の出身ではない。映画ファンが映画批評を書くようになり、映画の実作に進んで行ったのである。批評家としては、当時のフランス映画を痛烈に批判して「フランス映画の墓堀人」とまで言われた。「あこがれ」の中でジャン・ドラノワ「首輪のない犬」のポスターを破るシーンがある。

大人は判ってくれない(1959) ☆☆☆☆
 長編第1作で、カンヌ映画祭で監督賞を受賞して、一躍有名になった。キネマ旬報ベストテン(60年)の第5位。(ちなみに1位は「チャップリンの独裁者」、2位は「甘い生活」、8位に「勝手にしやがれ」が入っている。)ゴダールの「勝手にしやがれ」という邦題も凄いが、この映画も、直訳すれば「400回の殴打」、慣用句で「無分別」という意味らしい。それを「大人は判ってくれない」としたセンスも大したものである。日本では、野口久光氏によるポスターが作られ、トリュフォーも大のお気に入りになった。後に「アントワーヌとコレット」の中で、アントワーヌ・ドワネルの部屋にこのポスターが貼ってある。

 映画は名カメラマン、アンリ・ドカエの撮影によるパリの美しい夜景から始まる。「死刑台のエレベーター」や「いとこ同士」を撮った人。「太陽がいっぱい」「シベールの日曜日」もドカエ。この「巴里風景」やポスター、題名により日本では少し内容が誤解されて受容されたのではないか。何というか、「パリの空の下セーヌは流れる」+「にんじん」といった、「おフランスの可哀そうな少年」もののように。

 今回で4回目ではないかと思うが、僕も若い時に初めて見た時は、「親に捨てられた子どもの青春の反抗」ととらえていた。当時は世界的に「若い世代の反抗」が描かれた時代で、アメリカのジェームズ・ディーン、ポーランドのズビグニエフ・チブルスキー、日本の石原裕次郎、そしてゴダール「勝手にしやがれ」のジャン=ポール・ベルモンドと続く「新世代」の若者がいた。でもアントワーヌ・ドワネル(ジャン・ピエール・レオが名演)は12歳で、やることなすこと幼い。幼すぎて「反抗」とまで言えない。

 トリュフォーの自伝的「ドワネル」もの5部作の最初の作品。アントワーヌは学校で厳しい先生に叱られる。授業中に写真が回ってきて、何人目かのドワネルがいたずら書きしていると先生に見つかり立たされる。教室の前の掛図の裏に入ったドワネルは、自分は無実の罪で迫害されたなどと詩を書きつけて、それもきつく叱られる。授業中に関係ないものを回したのはドワネルではないと観客は知っているので、「先生はひどい」と思うような演出である。しかし、そこから映画を始めるからそう見えるけれど、多分今までにも似たようなことがあり、教室で「問題児」扱いされていたのではなかろうか。だから「またか」という目で見られるのと思う。親からも同じで、バルザック崇拝の神棚を作ってロウソクに火をつけたままにして、燃え上がって火事に一歩手前になるシーンを見ても、家でも似たようなことが多かったことを推測させる。

 その後の「タイプライター」を窃盗するも売りさばけずに会社に戻して捕まるシーンなど、一体何をやっているんだろうか。どうしようもない感じである。結局、大人(社会)との付き合い方があまりよく判っていない少年なのである。「謝る」ということが出来ず、一回の失敗が次の失敗につながり、結局親からも見捨てられる。感化院にいるときに母親が会いに来て、「父親にあんなひどい手紙を送るなんて」と言う。そしてもう帰るなと言われてしまうが、その手紙が出てこないから、アントワーヌが可哀想に見える。でも「頼るべきところ」を自分から切ってしまったのである。才能はあると思われるのに、どうして「自分から不幸になっていくのだろうか」と思う。一種の「軽い発達障害」により「人の心が読めない」ということか。後々のアントワーヌの恋愛失敗談を見ると、そういう理解もありかもしれない。

 でも、それ以上に「虐待」という育ち方が大きな影響を与えたように思う。母親は未婚で妊娠した相手とは結婚できず、他の男が結婚してくれて子どもを産んだのである。祖母に預けられた時もあるが、祖母も老いて母に返された。その経緯を自分でも知ってしまったアントワーヌは、父にはなじめず、夫に配慮する母親にも辛く当たられる。だから「無条件で可愛がってくれる」とか「頑張るとほめてもらえる」といった体験を知らずに育ってきたのである。しかし、感受性豊かな少年で、やがて映画や音楽が彼を支えることになる。こういう見方が正しいかどうかはともかく、「児童心理の教科書」のような映画である。教育や福祉を志す若い人たちに見せて、皆で話し合いさせてみたい映画。若い人は是非見て欲しい

 ラストでは脱走して走りに走って海へ至るが、その時のジャン=ピエール・レオの顔は忘れられない。この時の懸命な走りも「長距離ランナーの孤独」ような走る映画を別にすれば、「フレンチ・コネクション」か「陸軍」(木下恵介)を思わせる一生懸命さだった。トリュフォーのように映画会社での下積み経験がない若者が本格的長編映画を作ることは、当時はほとんどなかった。松竹ヌーベルバーグは会社員だし、タルコフスキーやポランスキーは映画学校の卒業制作が認められた。この経歴が「映画万年筆論」(アストリュック)を実証するような「新しい波」(ヌーヴェルヴァーグ)に思えて、世界的に大反響を呼ぶわけである。しかし、アメリカのフィルム・ノワールに熱中したトリュフォーの映画文法そのものは案外伝統的なものだったのだと思う。
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トリュフォー映画の美しき女優たち

2014年10月28日 23時56分32秒 |  〃 (世界の映画監督)
 彼は女たちを愛していましたが、もっと愛していたのは女優たちだったのです。     カトリーヌ・ドヌーヴ

 映画を愛し、多くの女性を愛したフランソワ・トリュフォ-。彼の遺した映画の中から、僕の個人的な選定で、多くの美しき女優たちを紹介してみようと思う。
①「あこがれ」のベルナデット・ラフォン(1938~2013)
 第1位が「あこがれ」のベルナデットでは意外すぎるかもしれない。いっぱい美女スターの出る傑作を撮ったというのに、最初の短編映画から選ぶとは。「あこがれ」はたった17分の短編だが、年少の悪童連中の眼から描いた「美しい年上の女」を生き生きと描いた傑作である。この映画が永遠の生命力を持つのも、ベルナデット・ラフォンの魅力ゆえだと思う。その後、女優として「なまいきシャルロット」などに出ている。トリュフォー映画では「私のように美しい娘」(1972)で主演。男を虜にするタイトル・ロールの悪女を演じてコメディエンヌぶりを発揮しているが、僕は「あこがれ」の清楚な美しさが忘れられない。
 (最初の画像が「あこがれ」、次が「…美しい娘」のベルナデット・ラフォン)
②「アデルの恋の物語」のイザベル・アジャーニ(1955~)
 文豪ヴィクトル・ユゴーの娘アデルの狂気の愛を描いた映画で、19歳でタイトル・ロールを演じて鮮烈な印象を残し、世界的な評価を得た。一度見たら永遠に忘れられない映画であり、主人公だと思う。この映画でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。この映画以後も順調に主演女優として活躍し、「カミーユ・クローデル」「王妃マルゴ」など5作品でセザール賞主演女優賞を獲得し、これは記録となっている。(セザール賞はフランス最高の賞とされるが、1976年に始まったのでシモーヌ・シニョレやジャンヌ・モローは一回しか受賞していないという問題はある。)私生活では、カメラマン・監督のブルーノ・ニュイッテン、「リンカーン」などでアカデミー主演男優賞を3回受けたダニエル・デイ=ルイスとの間に子どもがいる。
(イザベル・アジャーニ)
③「柔らかい肌」のフランソワーズ・ドルレアック(1942~1967)
 この名前では思い出せない人も多いかもしれない。カトリーヌ・ドヌーヴの姉なんだけど、残念なことに25歳で交通事故で亡くなってしまった。妹の方が美人かもしれないが、僕はフランソワーズの方が好みだなあと思う。というか、カトリーヌは美女すぎる。ジャック・ドゥミ「ロシュフォールの恋人たち」では姉妹共演、トリュフォーとポランスキーが姉妹を共に撮っている。「柔らかい肌」では文芸評論家と不倫関係になるスチュワーデス役を繊細に演じていて、実に素晴らしい。地方都市の講演会に一緒に行くシーンなど、心に響く。こんな男と付き合っていていいのかとアドバイスしたくはなるが。
(フランソワーズ・ドルレアック)
④「恋のエチュード」のキカ・マーカム(1940~)
 姉妹で同じ男を愛した「二人の英国女」の姉の方を演じた人。イギリスの俳優で、ヴァネッサの弟のコリン・レッドグローヴと結婚していた。(コリンは2010年に死去。)他の映画はあまり知られていないが、「キリング・ミー・ソフトリー」というチェン・カイコーがアメリカで撮った映画などに出演している。俳優としては余り大成しなかったが。このトリュフォー映画の奔放にして繊細、姉妹で惑う役柄を生き生きと演じ、僕は昔から気になっている女優である。画像の右の方の人。
(右=キカ・マーカム、左=ステーシー・テンデター)
⑤「緑色の部屋」のナタリー・バイ(1948~)
 「アメリカの夜」「恋愛日記」にも脇役で出ているが、「緑色の部屋」では死者に心を寄せるトリュフォー(自演)を思慕する役でしっとりした演技を披露している。この暗い映画が昔から好きで、昨年ナタリー・バイ特集がアンスティチュ・フランセ東京で開かれた時に、本人のトークを聞きに行った。この目で見た唯一のトリュフォー女優である。今でも美しかった。セザール賞を主演で2回、助演で2回取っている大女優だけど、助演で取っているように演技派である。僕はこの人の清楚な感じが大好き。「アメリカの夜」ではトリュフォーの近くで助手をしている役だが、そういうのも好ましい。私生活ではジョニー・アリディとの間に女優をしている子どもがいるという。
(ナタリー・バイ)
⑥「暗くなるまでこの恋を」「終電車」のカトリーヌ・ドヌーヴ(1943~)
 いくら何でもそろそろ挙げておかないと怒られそう。「暗くなるまでこの恋を」(1969)は陶然とする美女を演じていて、相手役のジャン=ポール・ベルモンドが「君は美しすぎる」を連発している。二人して破滅に向かうのも当然。「終電車」(1980)はフランスで評価が高く、セザール賞で10部門で受賞した。もちろんカトリーヌも主演女優賞。私生活ではロジェ・ヴァディム、マルチェロ・マストロヤンニとの間に子どもがいるのも有名な話。この2作のどちらのカトリーヌがいいかは決めがたい。20代と30代、それぞれ美しいけど、やっぱり美人過ぎるなあという感じもしてしまうのであった。あまり美人だと付き合いづらい。まあ、付き合う訳じゃないから関係ないけど。
 (先が「暗くなるまで…」、後が「終電車」)
⑦「突然炎のごとく」のジャンヌ・モロー(1928~)
 ジャンヌ・モローも2作品の主演、「黒衣の花嫁」もある。でも、やっぱり「突然炎のごとく」に限る。作中でも「美人ではない」と言われている。「ユニークで神秘的な顔」とかなんとか。その通りで、いわゆる美人という感じではない。でも忘れがたいという意味では、すごい女優だし、ほれぼれと画面に見入ってしまうという点では、カトリーヌ・ドヌーヴと双璧といってもいい。もっともジャンヌ・モローと言えば、ルイ・マルの映画の方が重要だろう。「死刑台のエレベーター」「恋人たち」「鬼火」などで、その他ブニュエル、アントニオーニ、ゴダール、オーソン・ウェルズ、アンゲロプロス、マルグリット・デュラス、ピーター・ブルックなどそうそうたる監督作品に出ている大女優だから、トリュフォー映画の女優という扱いは失礼な感じがしてしまうのであった。
(ジャンヌ・モロー)
⑧「逃げ去る恋」のドロテ(1953~)
 「逃げ去る恋」という映画は、アントワーヌ・ドワネルものの最後の映画で今までのシーンが挿入されるほか、過去の女性たちが登場するという不思議な映画である。その中で初恋のコレット、結婚していたクリスチーヌに続き、今夢中になっているレコード店員サビーヌを演じているのがドロテという人である。とってもかわいい。他の二人より僕は好きだな。まあ、妻ならクリスチーヌなのかもしれないが。ドロテという人は、歌手やテレビのパーソナリティで知られた人のようで、子供向け番組長く持ってその中で日本のアニメを多数紹介したという。
(ドロテ)
⑨「アメリカの夜」のジャクリーン・ビセット(1944~)
 イギリスの女優で、母がフランス人なのでフランス語が流暢だという。70年前後にはハリウッド映画で活躍していて、すごく人気があった。そういう映画はもうあまり見られなくなり、「アメリカの夜」の劇中映画で主演女優を演じた(ということはつまり「アメリカの夜」の主演ということだが)ことが一番の輝きではなかろうか。その後もコンスタントに出てはいるが、最近はテレビで評価されているらしい。
(ジャクリーン・ビセット)
⑩「隣の女」のファニー・アルダン(1949~)
 この人は僕は苦手である。「永遠のマリア・カラス」などは良かったけど、それはカラスに向いているということで、美人だと思ったわけではない。「ピアニストを撃て」のマリー・デュボワという人にしようかと思ったんだけど、知名度の問題もあるし、一応トリュフォーが最後に愛したという事実に敬意を表するのも大事だろうと思うわけである。何しろ1983年に子どもまで作ってしまった。恋多きトリュフォーといえど、主演女優との間に子どもを作ってしまったのはファニー・アルダンだけである。遺作となる「日曜日が待ち遠しい!」もアルダンの主演だが完全に彼女と、というかファニー・アルダンの足を見せる映画になっている。どうも苦手なんだけど、とにかく10人目ということで。
(ファニー・アルダン)
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