尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

小中陽太郎、川田順造、中山美穂、谷口𠮷生他ー2024年12月の訃報

2025年01月09日 22時22分27秒 | 追悼

 2024年12月の訃報。日本人の訃報は広い意味での文化関係を最初に書いて、政治、経済関係者を次に。まず、作家・評論家の小中陽太郎が12月3日死去、90歳。小中さんを最初に書くのは、ひょんなことから同席する機会があったからだ。もともとNHKに務めていたが、64年に退職して文筆家となった。65年にはベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)結成に参加。その頃の若者をテーマにした『小説ふぁっく』(72)、『私の中のベトナム戦争』(73)などが評判となった。その頃から読んでいて、『信じないヤツの人間学』なんて本も読んだ気がする。80年の『小説内申書裁判』は裁判の支援者だったので興味深く読んだ。(もしかしたら集会で小中さんの話を聞いてるかも。)21世紀になっても『翔べよ源内』(2012、野村胡堂賞)がある。

 小中さんは都立大附属高出身で、同校を中高一貫化する外部委員会に参加していた。中高一貫化されると、都教委が教科書を採択し、右派の扶桑社版が採択された。そのことに同時に中高一貫化された白鴎、小石川、両国の同窓生と共に反対運動を行ったのである。2005年のことだった。僕は白鴎高校卒業生として運動を起ち上げたのだが、その時に小中さんも都教委要請行動に参加してくれたのは心強かった。「教科書問題につながるという説明は一切なかった」と怒っていたのが今も記憶にある。

(小中陽太郎)

 文化人類学者の川田順造(かわだ・じゅんぞう)が12月20日死去、90歳。僕はこの人を若い時によく読んでいて影響も受けた。フランスに留学した後、西アフリカのブルキナファソの旧モシ王国の住民の中で9年暮らした。その時の体験が、『無文字社会の歴史』(1976、岩波現代文庫)に結実した。レヴィ=ストロース悲しき熱帯』の翻訳でも知られる。エッセイストクラブ賞を受けた『曠野から』(1973)も心に残った。もっともちゃんとフォローしていたのはその頃までで、その後の『口頭伝承論』(1992)など大奥の本は読んでない。深川の生まれで、晩年には『江戸=東京の下町から』(2011)などの著作もある。文化勲章受章。

(川田順造)

 一般的知名度、衝撃から言えば、12月の訃報で一番ビックリしたのは、俳優・歌手の中山美穂の訃報だ。12月6日、54歳。その日に大きく報道されたが、死因は「入浴中の事故」とされる。お風呂と階段は非常に危険なので、気を付けないといけない。それはともかく、僕は「80年代アイドル」を語る資格がない。年代的なものと、83年に結婚後「テレビを持たない」選択をしていたからだ。従って、中山美穂と言えば、岩井俊二監督『Love Letter』(95)ということになる。だがあの映画を見た人は、中山美穂の叫びが永遠に心の中に響いているんじゃないか。この映画がアジア各国でブームになったというのも、1995年に始まる「現在史」である。ところで、僕は辻仁成の小説がすごく好きだったんだけど、なかなかうまく行かないものである。

(中山美穂)

 建築家の谷口𠮷生(たにぐち・よしお)が12月16日死去、87歳。父は建築家谷口吉郎。美術館建築で知られ「洗練されたモダニズム」と称された。自身の建築について多くを語らず「作品に語らせる」タイプだった。ニューヨーク近代美術館(MoMA)の増改築を除きコンペには応募せず、国外の作品も少ない。主要な作品に東京国立博物館法隆寺宝物館(日本建築学会賞)、土門拳記念館(芸術院賞)、葛西臨海水族園(毎日芸術賞)、丸亀市立猪熊玄一郎現代美術館、鈴木大拙館(金沢市)などがある。あの素晴らしく気持ちの良い土門拳記念館を設計したのはこの人だったのか。

(谷口𠮷生)(土門拳記念館)

 作曲家の間宮芳生(まみや・よしお)が12月11日死去、95歳。1953年に外山雄三、林光と作曲家グループ「山羊の会」を結成、日本古来の民謡や世界の民族音楽を取り入れた多彩な画曲で知られた。放送用オペラ「鳴神」はザルツブルクテレビオペラ賞グランプリを受賞。尾高賞を2回受賞したほか、毎日芸術賞など受賞多数。アニメ『火垂るの墓』や『太陽の王子ホルスの大冒険』、大河ドラマ『竜馬がゆく』などの音楽も手掛けている。また作曲家の蒔田尚昊(まいた・しょうこう)が12月26日死去、89歳。TBS社員として劇伴音楽を担当したことから作曲を本格的に学び、多くの合唱曲や賛美歌を作曲した。テレビなどでは冬木透(ふゆき・とおる)を用いて、「ウルトラセブン」以後のウルトラシリーズで知られる。また映画『無常』『曼荼羅』なども担当した。

(間宮芳生)(冬木透)

 アニメーション作家、イラストレーターの久里洋二(くり・ようじ)が11月24日に死去していた。96歳。1958年に「久里実験漫画工房」を設立、60年には映画部を作り実験的アニメを多数作った。特に『人間動物園』(1962)、『殺人狂時代』(1967)はヴェネツィア国際映画祭など海外で高く評価された。1993年 アヌシー国際アニメ映画祭功労賞受賞。また70年前半頃までの「みんなのうた」の楽曲映像を多数手掛けた他、「11PM」や「ひょっこりひょうたん島」タイトルでも知られた。ずいぶん活躍して有名な人だったと思うが、長生きして忘れられたかもしれない。

(久里洋二)

 女優の加茂さくらが12月24日死去、87歳。1955年に宝塚に入団し、71年に退団するまで主に主演娘役で活躍した。退団後はテレビドラマで活躍したほか、ワイドショー「3時のあなた」の司会で人気を得た。2014年の「宝塚歌劇の殿堂」100人に選ばれた。また、アナウンサーの小倉智昭が12月9日死去、77歳。70年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社、76年にフリーに転じ「世界まるごとHOWマッチ」などで知られた。99年4月開始の「トクダネ!」の司会を2021年まで務めた。ガン闘病を公表していた。

(加茂さくら=宝塚時代)(小倉智昭)

 日本のサッカージャーナリストの草分けと言われる賀川浩が12月5日死去、99歳。戦後すぐに自らサッカー選手として活躍、52年から産経新聞のスポーツ記者となった。ワールドカップ取材歴10回に及び、日本サッカーの普及に貢献した。2010年に日本サッカー殿堂入り、2015年にはFIFA会長賞を受賞している。名前を知らなかったがサッカー隆盛の影にこういう人がいた。

(賀川浩)

 哲学者の清水多吉が12月3日死去、91歳。フランクフルト学派の研究で知られ、マルクーゼやハーバーマスを多数翻訳した。著書に『一九三〇年代の光と影 フランクフルト研究所』『ヴァーグナー家の人々 30年代バイロイトとナチズム』『ベンヤミンの憂鬱』など、戦前ドイツの動向が注目されていた70年代頃に多く読まれた本を書いている。21世紀になると、西周、岡倉天心、柳田国男などの評伝を書いている。またクラウゼヴィッツ『戦争論』の翻訳や紹介書でも知られた。

(清水多吉)

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