尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

教員の大量退職時代

2014年08月24日 23時15分22秒 |  〃 (教師論)
 8月4日付で、文部科学省から「学校教員統計調査-平成25年度(中間報告)の結果の概要」が発表された。翌日の各紙は「概要」にそって、「小中高の先生、若返り」などと報じた。「大量採用世代が退職」というのが、その理由の説明。間違いでもないけれど、この統計の一番重大な問題を報道していないマスコミが多い。僕の見るところ、この統計で分かることは「ついに、教員の大量退職が始まった」ということで、10年ほど前から現場で懸念されていた「いずれ、みんな辞めちゃうんじゃないか」という恐れが現実化し始めているということなのである。

 この調査は、毎年行う「学校基本調査」と異なり、3年に一度行う「学校教員統計調査」というもの。進路調査などがないので、管理職と事務担当だけで処理できるから現場教員には関係ない。今回は教員数は2013年10月1日付のもので、異動状況は2012年度から2013年度の変化を調査対象としている。悉皆(しっかい)調査で、全国のすべての学校が調査対象である。私立や専門学校なども調べている。(なお、今回の発表は概要で、確定値発表は来年の3月の予定。)

 これを見ると、公立小の教員は44.4歳から44.0歳へ、公立中の教員は44.2歳から44.1歳へ、確かにほんのちょっと平均年齢は若くなっている。(公立高の教員は45.8歳と変わっていない。)しかし、同時に年齢構成を見ると、公立中と公立高では50歳以上の教員が増加している。(中学は、34.0%→37.3%、高校は37.4→41.5%)と同時に、小中高すべてで30歳未満の比率が2~3%上昇している。だから、「若返っている」というよりも、「年齢の両極化」が進行しているというべきだ。

 もっと驚くのは、退職者の数である。小中高だけみることにするが、小学校は18,353名(定年12,040名)、中学校は9,568名(定年5,119名)、高校は10,529名(定年5,493名)となっている。カッコ内に定年退職者を示したが、この定年には「勧奨退職」も含まれている。(「勧奨退職」というのは、一定の期間勤続している教員を対象に、定年前に退職すると退職金を割り増しにする制度のことである。大体、勤続25年、50何歳か以上という条件だろう。早い退職ほど割増し率が大きくなるのが普通。)とすると、定年(勧奨)退職以外の退職が異常に多いのではないか定年退職者の割合は、小学校が65.6%、中学校が53.5%、高校が52.1%となる。中高では、定年退職者は半分程度しかいないではないか。

 そもそも教員数はどのくらいなのかを見ると、小学校は385,065人、中学校は234,064人、高校は226,814人である。(校長なども入り、私立も入る。なお、この数は2013年10月1日付だから、前年度の退職者の割合を見るには不完全な数字だが、一応大まかな傾向を見る意味はあるだろう。))そうすると、退職者の割合は、小学校では4.76%、中学が4.09%、高校が4.64%となる。4~5%の教員が一年で辞めているのである。前回調査より小中高とも千人程度退職が増加しているので、この傾向が今後も続くとあっという間に「若返り」である。5%の教員が毎年辞めれば、10年すれば今の教師は半分になってしまう。

 退職後に嘱託員として再雇用される割合は調査されていないが、「退職の理由」という項目はある。病気、特に精神疾患が多いのかと思うかもしれないが、小学校で356人、中学で227人、高校で124人で、前回とほぼ同じ。「転職」「家庭の事情のため」「その他」が小中高とも千人を超えている。理由の項目は「定年」「病気」「死亡」「転職」「大学等入学」「家庭事情」「職務上の問題」「その他」しかないから、「その他」が定年以外では一番多く2千人を超えている。「転職」は「いい転職」(他校種に変る。特に大学等に変る)もあるかもしれないが、「その他」の中身はなんだろう。もう大変すぎるから、共働き家庭などではどんどん退職しているのだろうか。締め付けが厳しくなる一方で、もう現場で働く意欲が失われているのか。とにかく、こんなに定年以外で退職している状況になっているとはビックリである。

 このような状況に対して、「教員の経験が引き継がれるだろうか」という心配の声もマスコミ報道には聞かれる。しかし、教育行政側では「引き継がれなくて結構」と思っていることだろう。今までの「職場自治」のような経験を知らない若い世代に、採用時から研修漬けで「思い通りの教員」を作って行こうということだ。学校の教員も競争させるべきだという政策が進んでいるのだから、校内で教え合うなどという気風も失われていくしかない。これまでの「チョーク一本でも勝負できる」教員ではなく、タブレット端末を駆使してICT教育を推進する「新しい教育」を推進するつもりなんだから、それでいいのである。だけど、そうやって「机間巡視」を行いながら生徒の顔を見ていた教員が、生徒ではなくコンピュータばかり見ている今の医者のような存在になっていくわけである。
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「入学式と担任」問題③

2014年04月30日 23時20分49秒 |  〃 (教師論)
 入学式に担任が出席できないんだったら、初めから違う人が担任をしてればよかったのではないかという意見が結構見られたように思う。担任を決めたのは前年度の校長(異動してなければ今年度も同じ)だが、そう言われても困るなあという学校現場も多いのではないか。大体、4月に異動したばかりの新任校長かもしれず、事情を聞かれても困る場合もあるだろう。(高校の校長は3年ぐらいで異動することが多いので、今回も一人ぐらいは新任校長がいるのではないだろうか。)

 小中では(入学式に)休暇が取りにくいという意見も見られたが、そういう違いはあると思う。小中と高校の違いで一番大きいのは、やはり「学校規模の違い」だろう。数だけ見ても、小学校が一番多くて、中学、高校と少なくなる。東京都の場合だが、昨年度の統計で、小学校が1299校、中学校が623校、高校が188校となっている。(他に中等教育学校6校、特別支援学校61校などがある。)小学校は6学年、中学校は3学年だから、小学校の数が倍になるのは当然。東京の場合、伊豆・小笠原諸島があったり、私立学校が多いなど、全国的には特殊な地域なのだが、この数を見るだけで「(一学校あたりの)高校の教員数が断然多い」のは想像できる。

 東京の中学では今も1学年8クラス以上もある大規模校もあるが、大体は2クラスか3クラス程度ではないだろうか。高校の場合、学校数は少ないが、1学年のクラス数は多いのである。小中は義務教育だから歩いていけるところに作る必要があるが、高校生は電車やバスである程度遠くまで通学することが前提になっている。夜間定時制などの特別なケースを除き、今でも進学校は8クラス、そうでなくても6クラス程度はある。大規模学級時代に合わせて教室数が作られていて、規模にあった募集数にする。(それでも中堅校以下だと、クラス数はかなり減らしている。)だから各学校あたりの生徒数はそれほど減らず、教員数は多いわけである。もっとも教員が多くても、クラスが多いので必要な担任の数も多い。でも、「3学級のうちの一人」と「8学級のうちの一人」では「(入学式における)休暇の取りやすさ」には大きな違いがあるだろう。

 また、高校と中学では授業の持ち時数の基準が違う。授業内容が専門性が高くなるし、また「専門学科」の高校は専門教科の教員が加配されていることが多い。だから教員数は高校にゆとりが多くなるわけである。以上は高校の方が教員数に余裕があるだろうから、入学式当日も代わりを頼みやすいという話である。では、その代わりの人がいっそのこと、一年を通じて担任をすればいいのではないかという点を検討する。まあその通りで、変更しても特に大きな問題もない場合も実際にはあるだろうと思う。でも、「担任を持ってない教員」にも理由があるわけで、そう簡単には変えられないことが多いだろう。「教科的な要因」「学校運営上の要因」「個人的な要因」に分けて考えてみる。

 学級担任は教師の基本的な仕事であり、基本的には交代交代で誰もが担当するものである。正課外の部活顧問などと違う。原則的には全員が順番で担当する。ところで、新入生の担任を決める前に、すでに上級生の担任がいるわけだが、基本的には「持ち上がり」だろう。特に2年から3年にかけては、生徒のクラス替えはあっても、進路を控えて学年担任団は変えない。(それなのに、最近は異動年限で自動的に異動対象にしてしまったり、2年終了時に管理職に「昇進」して生徒を置いて去ってしまう人もいないわけではない。病気や介護などもあるので異動を一概にダメとは言えないが。)上級生の担任が異動した場合は、後がまは「教科的な要因」が大きくなる。

 高校の場合、日本史は日本史、物理は物理しか教えないから学年に関係ないというケースも多い。でも(普通科高校の場合)国語、数学、英語などの基本教科、あるいは保健体育などは教員数も多いし、進路指導、生活指導の観点からも、各学年に必ず一人はいるものだ。8クラス規模だと同じ教科の教員が二人いることもあるが、まあ6クラス程度なら、同じ学年の担任に例えば理科が二人ということはない。誰かが途中で異動したとしても、教科バランスを考えて後がまが決まる。転任した人の代わりに新任できた教員が、年齢や経験が同じ程度なら、その人が学年に途中から入ることも多いだろう。

 一方「学校運営上の要因」というのは、高校の場合、担任以外の教員人事の方が重要だったり、もめることもあるということである。小規模の中学なら、教務主任、生活指導主任が学級担任を兼務せざるを得ない場合もあると思う。しかし、高校の場合、規模が大きいので、原則的には主任専任となるだろう。(授業時数の軽減も認められる。)また進路指導が重要なので、長い経験から進路先と深いつながりを持っている教員が、担任団に入れず「進路部専属」みたいに「塩漬け」になる場合がある。それは「教務」「生活指導」(生徒指導だけでなく、大規模な文化祭担当もある)にも似たような面があある。伝統ある大規模校になればなるほど、「余人をもって代えがたし」と「毎年希望してるのに担任にしてもらえない」人が出てきたりする。実力十分で「入学式の代役」など「やる気満々」だけど、学校としては他の仕事を割り当てる(と校長が判断した)ということである。

 最後に「個人的な要因」だけど、これは「担任をしたくない理由」と「担任をさせられない理由」に分けられる。そしてこの要因が最近は増大しているのではないだろう。「担任をさせられない」というのは、病気で休暇を取ることが多い、精神的に不安定といった教員である。「休職明け」で時間軽減を取ってる教員も担任には入れない。近年、教員の病気休職、特にメンタル面の休職が増大していると言われる。統計でみると、むしろ数年前よりは少し減っているようだけど、病休と精神疾患を合わせると1パーセントを超えている。だから大規模校なら1人ぐらいはいることが多い。年度当初から決まっていれば「代替教員」が配置されるが、臨時教員は勤務時間などは同じだが、来年以後いない可能性が高いので、普通は担任に入らない。

 「新規採用教員」も、今ではすぐに担任を持つことはないだろう。昔はすぐ担任に入る新採が結構多かったものである。現場も管理職も、そして本人も、周りに教えられながら担任を務めるのが「一番の研修」と思っていた。今は初任者研修が大変過ぎて、とても担任はできない。他県や私立で教員経験済の「30過ぎの新採」といった場合は別だが。(大体「期限付き採用」なので、来年必ずいるとも限らない。東京では、昨年の新採2740人中、正式採用となったのは2661人。2.9%、79人が採用とならなかった。)最近は新採教員がかなり増えているので、担任を任せられないのは、人員上かなり困るケースも多いだろう。

 そのうえ、まだ残る「10年研修」、あるいは導入されてしまった「教員免許更新制」なども、それに当たる年には担任をしたくない要因になっているのではないか。それを理由に担任を外れるのは難しいかもしれないが、逆に「3年担任時に当たらないように計算して、担任に入る」という要因としては大きいだろう。実際、3年担任時の「10年研修」は無理だと思うし、夏休みに行われることが多い「更新講習」も3年担任だと厳しいのではないだろうか。このような現場にしわ寄せする政策が多いので、担任決定は校長にとっても大変な仕事だろう。

 そういった事情を考えると、「自校の入学式が子どもの入学式と重なる教員」と言えど、その事情は「担任を外れる理由としては低い」と校長は判断するのではないか。子どもが高校生というのだから、新採でも「10年研修」にも関係ない。40代後半ぐらいで、担任としてはベテラン。今までに何回か卒業生を出した経験もあるはず。人事をいじりはじめると玉突きになってしまうし、教科の要因も大きいだろう。学校現場からすれば、余計なものがいろいろ入って担任の選び方が難しくなる一方。人事は校長の専権事項だとして意見も聞かず発令してしまう校長も多くなっている。どうしてそういう担任団になったのか、どうもよく判らないという場合も多いと思うけど、まあ、大体はそういう事情を勘案して、なんとか担任が決まっていくのである。
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「入学式と担任」問題②

2014年04月30日 00時49分53秒 |  〃 (教師論)
 学級担任が入学式にいなかったと批判されているが、「担任はどれほど大事な存在なのだろうか?」それは大事に決まってると言われるかもしれないが、では時々変わるのは何故だろう。いや病気や産休なら仕方ないだろうと言うかもしれない。そうではなくて、行政の都合で途中で変わることもあるのである。しかもよりによって、中学3年の担任が3学期から変わったという事例もあるのだ。担任をしていた主幹教諭が別の学校の副校長に発令されたのである。同学年に主幹が二人いたとも思えないので、担任だけでなく学年主任も3学期から変わったのではないだろうか。

 「週刊金曜日」の2014年1月24日号の「金曜日から」(いわゆる「編集後記」)に次のような記事が載っている。「学校も役所なんだなあ、と感ずることが最近あった。2月の受験を控えた中学3年の息子の担任が、1月1日付で副校長に昇進して別の学校に移られたのだ。どこかの校長のポストが欠員になり、結局玉突き人事になったらしい。集会で報告がされると、クラスはどよめきが起こり、涙を流す生徒もいたとのこと。異動された担任も後ろ髪を引かれる思いだったろう。(以下省略。)」

 東京の出来事とは明記されていないけど、副校長と書かれているから東京の学校だろう。それにあたる発令人事も、都教委のホームページに見つかる。2013年12月27日付の「東京都公立学校長及び副校長の任命について」という文書で、それによれば板橋の中学で新校長が発令されているが、副校長は一挙に4人も発令されている。だから単なる「玉突き」だけではなく、副校長の休職、退職、死亡などもあったのではないかと思う。そういうことも当然あるだろうが、でも「副校長昇任試験」に合格している主幹教諭は他にはいなかったのか。校名や人名を挙げる必要はないだろうけど、地名だけ書いておくと、大田区、文京区、東村山市、稲城市の中学に勤務していた人が副校長になっている。だから前記「金曜日」に出ている事例は、このどこかの学校ではないだろうかと推測できる。 

 どの学校の担任が大事と言って、比較は難しいが、やはり進路を抱えた「中学3年の担任」が一番重要ではないか。高校なら進学や就職に経験を積んだ進路指導部が存在するだろう。でも中学は人数が少ないため担任が進路指導に関わる部分が圧倒的に大きい。東京では1月末に都立高校の推薦入試があるので、新年早々から推薦書を作成する大事な仕事がある。そういう時期に、担任を代えるとは、どういうことか。入学式にいなくても、翌日以後に取り戻すことはいくらでもできるだろう。でも、受験と卒業を前に異動してしまうのは、いくら何でも「トンデモ人事」ではないか。入学式にいなくて批判されるのだったら、このような人事を行った東京都教育委員会は最大級の非難に値すると思うのだが、どうだろうか。(ところで、僕はこのことを1月に「金曜日」を読んで知っていたが、もう発令は元に戻らないし、受験前に外部で余計なことを言ってもまずいだろうと思って書かなかった。このブログに大した影響力はないけれども。もう新年度になったから書いているのである。)

 さて元の問題に戻り、入学式の日に担任が行うべきことは何だろうか。尾木直樹さんは「第一志望でなかった生徒はうつむき、表情が晴れない場合が多い。そんな生徒の表情を見逃さず、『これから頑張ろう』と声を掛ける。こうした心のケアは担任に限らず、この日で最も重大な教師の務めです」と語っている。もっとも今の言葉は朝日新聞4月23日付の引用なので、多少本人の言葉とは違っているのかもしれない。この尾木さんの言葉は本当だろうか。これが「観念的に書かれたタテマエ的な言葉」ではないとしたら、「尾木先生はやはりすごい」と僕は驚くしかない。やはりスーパー・ティーチャーなのかもしれないが、現場で実践できる教師はほとんどいないのではないだろうか

 と言うのも、全日制高校の場合、ほとんどの生徒が「表情が晴れない」のではないかと思うのである。それが第一希望ではなかったからか、初めての電車通学に疲れているからか、知らない人間ばかりの中で緊張しているからか、それとも親が教師で入学式に来てくれないのが淋しいからなのか…それらは今の段階では判らない。何か身体的、家庭的な問題があれば、後で入学式に来ている親から話があるだろう。明日以後に面談週間などがあるから、その時にじっくり話を聞きだして、今日のところは安易に頑張ろうなどとは声を掛けないでおこうという方が、むしろ普通の対応ではないか。

 中学までは、地元で知り合いの仲間の中で暮らしているものである。時には幼稚園から小中とずっと一緒だった親友もいたりする。いくら学校選択制であっても、また途中で私立に行ったり転校する生徒がいたりしても、やはり基本は「義務教育段階は地元の友人」であり、野球やサッカー、または塾なんかも知り合いの範囲でやってることが多い。高校になって、初めて「自分一人の人間関係」の中に放り込まれることが多い。その最初の日には、後で散々問題を起こすことになる生徒であっても、さすがに「猫をかぶっている」というか「本性を隠している」ものである。入学式が終わって下校の頃になれば、もうメールアドレスやLINEのIDを交換し始める生徒もいるかもしれないけど、担任が見てる範囲内ではまだ神妙にしている生徒がほとんどだと思う。だから、問題を抱えていそうだから今日すぐにでも声を掛けなければなどとという「心のケア」は僕にはとてもできなかった。
 
 一方、その逆はないことはない。つまり入学式の最初の日から、生活指導上問題だなという服装、頭髪、態度をしている生徒である。多くの教員にとって、入学式にチェックしないといけないのは、残念ながらこっちの方だろう。入試の日には真っ黒だった髪の毛が入学式にはもう茶髪っぽい生徒、明らかに勉強の意欲に欠けるムードの生徒、ひどい場合には入学式の日に喫煙で捕まる生徒。そんな場合もないことはないのである。そして、そういう生徒の指導は担任がまずするというより、最初は生活指導部で一括して対応すると思うから、担任が欠席していても指導はできるはずである。大変残念なことだけど、僕には入学式の日にあるとすれば、「心のケア」以前に「生活指導」である場合の方が想像しやすいのである。

 朝、生徒が決められた教室に集まる。10時開式なら、9時ころだろうか。最近の中学には、始業式の日の午後に、さっそく入学式を行う学校もあるやに聞くけど、高校では始業式の翌日がほとんどだろう。在校生は「自宅学習」にして、入学式には登校させない。初めてバスや電車で来るわけだから、遅れてしまう生徒も少しはいる。(それを心配して、教員より前に来ている生徒もいるものだが。)まず担任が行うのは、入学式の式次第の説明と「呼名」の確認。最近は難読人名が多い。願書に振り仮名があって、それをもとに資料を作ってあるけど、必ず最初に確認がいる。「跳」と書いて「リズム」と読ませるとか、「走」と書いて「らん」と言う名前だったとか。いや、これは実例を挙げられないので今僕が作ったもので、さすがにここまではいないだろうけど、とにかくそういう名前もある。「石田優奈(ゆうな)」の次が「伊藤優実(ゆうみ)」、次が「岩崎裕美(ゆみ)」だったりするので、とにかく要注意である。「大島優香(ゆうか)」なんて生徒がいると、読む方もあがっていると「大島優子」なんて呼んでしまうので、クラスで一度予行練習をして読み方も再確認するだろう。そうしているうちに、トイレに行かせれば、もう廊下に並ぶ時間。並び方、式場での座り方は説明してある。

 式が始まると、開式の辞、国歌斉唱のあとは、すぐに「新入生入学許可」で生徒の呼名である。それが終われば、後は校長や来賓の式辞を聞き流す。(まあ、式後のことを考えてしまうので、担任は聞き流しているでしょうね。)11時頃に式が終われば、親は会場に残して、生徒は教室へ。または写真を撮る学校は、写真撮影会場へ。その前後に「ロッカーの説明」をしないといけない。場所を教え、上履きや体操着を今日から入れていいけど、必ず鍵をするようにという話である。鍵を入学式の日に持ってくるように伝えてあるわけだが、やはり持って来ない生徒が多い。その間に鍵なしで使って無くなっても困るので、「鍵は学校でまとめて用意する」という学年も今まであったけど、そこまではしない時が多いのではなだろうか。ロッカーにも個人名を書かないなど、今は慎重な配慮が必要である。

 教室へ戻れば配布する印刷物が山のようにある。明日以後の予定。教科書購入の予定。(高校は教科書を自費で買うわけだから、業者が来る日に購入費を持って来させるのが大変である。)健康診断がすぐだと、問診票とか検便の用具とか。その間に、配布物を生徒は後ろに配るので、お互いに多少の会話を交わす。担任も自己紹介をしたり、多少クラス経営らしくなる頃に、親がやってくる。親はその間に、今年は「授業料に関する詳細な資料」、これは前に書いたけれど非常に複雑な制度に変えられてしまったので、その説明が事務室長(東京では「経営企画室長」という不思議な名前である)からあったはずである。また高校で親がほとんど来るのは、その後は卒業式までないことが多いので、PTAの役員決め、というか今はPTAと言われてきた組織に入るかどうかも保護者の選択という時代なので、是非入って欲しいというお願いなどが行われているのである。

 こうして、気が付けばもう12時過ぎ。時には12時半を過ぎている。長いなあ、お腹も空いたなあというムードが生徒はもとより親からも伝わってくる。だから、ここで長々と親子に向け「所信表明演説」をしたり、自分の教育論を語る時間はない。とにかく生徒には明日以後の面接でいろいろ話そうねということで、生活指導上特に問題な生徒がいなければ、「頑張ろう」などと声を掛ける暇もなくホームルームも終わっていくのである。それでも、「うちの子はこれこれで」という話を伝えたい親が必ず数組残るわけで、職員室に戻れたのは1時を過ぎているということになる。昼食をはさんで当初は1時頃より次の会議が予定されていたが、1年生が長くかかったので、では2時から「分掌部会」、3時から「教科会」などと時間を遅らせるというお知らせが職員室のホワイトボードに書いてある。前日までは「1年生の学年会」の時間が大量に必要だったわけで、その分、分掌部会や教科会が入学式以後に繰り越されたりする。昔は式後に学校内で「お祝いの会」などをやった時代もあったように思うけど、今は昔、そんな余裕もないし、そんなことは今では許されない。こうして入学式の日が過ぎていくのである。
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「入学式と担任」問題①

2014年04月29日 00時07分03秒 |  〃 (教師論)
 埼玉県の県立高校で、新入生の担任が自分の子の入学式に出席するために、休暇を取って入学式にいなかったという事例があった。該当者は4人いたという。多分、他県でもいたかと思うし、また休暇を取らずに我が子に淋しい思いをさせた教員もいたのだと思う。なぜ問題化したのかと言えば、出席していた県議がフェイスブックに書き込んだかららしい。それに対して、尾木直樹氏が「プロ意識に欠ける」と教師側を批判、大きな話題となってしまったわけである。この問題に関しては、あまり書きたくないと思っていたのだが、自分はちょっと違った観点で見ているので、やはり書いておこうかなと思った。まず「あまり書きたくない」と思う理由を書き、続いてこの問題に関する自分なりの見方を書きたい。その後、入学式における担任の仕事学級担任の決め方なども書ければと思っている。

 書きたくないというのは、「正解がない」「他人のプライバシーに踏み込まないと判断ができない」、「書くといろいろと傷つける人が出る」、そういう問題には触れないでスルーするのも「大人の知恵」ではないかと思うからである。でも書いてしまった人がいて、全国紙各紙に取りあげられてしまった。僕が書いても、まあいいのだろう。僕はその県議が誰だか知らないし、どの高校かも知らない。そのくらいなら調べていけばネットで判るかもしれないが、埼玉の事情を知らないから、知ってもあまり意味がない。さらに、その教師の子どもが進学した学校がどういう学校か、またどのような子どもなのかなどは、知りようがないし、知る気もない。だけど、判断するにはそういう点が一番大事な問題ではないかと思う。

 僕が書きたくないと思う理由がもう一つあり、それは「自分には全く起こりえない出来事」だったという事情がある。僕は子どもがいないから、子どもの入学式と勤務先の入学式が重なる事態は起こらない。様々な事情により、世の中には、結婚してるけど子どもがいない、結婚もしていない、あるいは離婚して子どもと疎遠になっているなどという人がたくさんいるだろう。そういう人から見れば、この議論自体が何か遠いというか、議論したくない、もっと言えばうらやましい問題ではないか。僕だって、だから入学式は(入学式そのものがなかった時は別にして)すべて勤務しているが、自分の子を理由に入学式に休暇を取ってみたかったとも思う。

 入学式などに参加している保護者はどういう人なんだろうか、皆が皆、専業主婦か自営業者なのだろうか。そんなことはないだろう。両親そろって出席している家庭も今は結構あるし、休暇を取って参加している人が多いだろう。そういう親も「プロ意識に欠ける」のだろうか。それとも、特に教師だけ、それも新入生の担任にだけ「プロ意識」が求められるのだろうか。でも、親は他にいないのだから、全員が「わが子の教育に関してはプロの親」なんではないのか。もし、入学式で保護者席がガラガラだったら、「出席する親がこんなに少なくていいのだろうか。もっと家庭の協力がないと、学校は良くならないのではないか。親なら何を置いても子どもの入学式に参列するべきではないのか。」などと書き込む来賓がきっといるに違いないと僕は思うのだが。

 ところで、僕がこの問題を聞いて最初に思ったことは、そんなことを言ったら「教師の子どもは、親が入学式に来てくれなくてもガマンせよ」ということになるが、そこまで言っていいのだろうかということである。親が自分の入学式に来てくれたというだけで非難されてしまった。来てもらってはいけなかったのだろうかと悩んではいまいか。一方、休暇を取らなかった教師の子ども(も多分全国にいることだろう)も複雑な思いを持っているだろう。批判を恐れず休暇を取った親もいると判ってしまった。どうして自分の時は来てくれなかったか、自分はそれほど大事にされていないということかなどと悩んではいまいか。そういう風に、子どもの心を想像すれば、この問題は触れない方が良かったんだろうと思うわけである。

 「担任が入学式を欠席してはいけない」と言っても、さすがの県議と言えども、「親の葬式」による忌引きなら問題視しなかったのではないか。(それとも最近は、親が死んでも学校に来いという人もいるのかもしれないが。)「権利ばかり言う」と批判しているようだけど、「年休」を申請して認められているので、「権利ばかり言う」というのは違うのではないか。確かに、年次有給休暇は理由を問わずに認められている。でも、自分の子どもの入学式と判っているのだから、事前に相談しているのである。そして、校長はその年休を承認した。さすがに「子どもとディズニーランドに行くので」といった理由なら、校長も「時季変更権」を行使したのではないだろうか。それでも子どもと遊びに行ったというのなら、確かにそれは「権利の濫用」ではないかと僕も思う。

 校長が年休を承認したのはどうしてだろうか。学校ごとの事情もあると思うが、学校の状態がうまく行っているのなら、「わが校なら入学式に担任が欠けても応援で乗り切れる」という判断もあったのかと思う。小中の場合、学校によっては教員数が少なく応援態勢が組めない場合もあると思うが、高校なら学級規模が大きい場合が多く、何とかやりくりできるのではないだろうか。もう一つは、自分の学校でも「保護者は全生徒分来る」を前提にしていただろうということである。体育館に設置する保護者席の椅子の並べ方、当日配布する書類の枚数…そういうものを「保護者は各生徒分は来る」ものとして用意しただろうと思う。こっちも親はみな来ると思っている以上、他校もそう思っているだろうから、行くなとは言えないのではないだろうか。もちろん、そういう事情がある教員を新入生の担任にすべきではないという意見も見受けられた。でも、それは次回以後に検討するように、難しい問題もあったのだろう。そうすると、子どもの入学式というのは、校長としても仕事を優先して欲しいとは言いにくいだろう

 要するに、「教師の代わりはある」けれど、「親の代わりはない」のだから、「まあ、あまり望ましいことではないだろうけど、やむを得ないのではないか」というあたりが僕の考えである。つまり、僕ももちろん、「学級担任はいたほうがいい」と思う。でも、この問題は「権利を優先する」という非難は当たらない事例ではないか。最初に問題化した県議は「権利ばかり言う教員」という言い方をしている。こういうのは、昔から保守系の政治家が教師などを批判するときの「定番的表現」である。だから、多分、これを言い出した県議は保守系で、昔の「教師聖職論」的な流れで言っているのではないかと思われる。それに対して、尾木氏の議論は「プロの職業人」という方向での批判になっている。これは「教師聖職論」というよりも、むしろ「教師労働者論」の流れの中で出てきているとも考えられる。古いタイプの組合闘士の教員だったら、入学式当日から「団結を乱す」「私生活優先」の教師に眉をひそめるのではないか。

 しかし、親にも事情がある。親が入学式に出る目的の一つは「担任の顔を見る」ことだから、確かにいないと困るのである。でも、事情は相互に同じだから、なかなか非難はできないだろう。入学式に親が来ないうちは限られている。何か事情がある家庭と思われてしまいかねない。これから以後は、保護者会の日時が重ならなければ出られるが、大体同じころに設定されるので重なることもあるだろう。そっちは担任が必須なので、抜けることはできない。要するに、入学式ぐらいしか子どもの学校に行けないのである。教師の子どもだから成績がいいとか、いじめに関係ないとか、そういうことはない。教師の子どもでも、成績が下位だったり、不登校気味だったり、いろいろと配慮を要するケースは多いだろう。スイミングクラブに通わせているから、髪がちょっと塩素で脱色気味になっているという子どもの場合、親が高校の生活指導の方針を理解していないといらざるトラブルが起こる。場合によっては黒く染める必要があるかもしれない。学校ごとによって違うので、最初に親が確認しておかないと、子どもがいじめられたりする恐れがある。

 親が入学式に出て、学校の方針を知る必要が昔に比べて格段に大きいのである。昔のように「学校にお任せ」ではやっていられない時代なのである。そのことは自分も教員だから、よく判っているだろう。だからこそ、自分の学校を欠席しても、わが子の入学式に出ざるを得ない。単に「子どもの入学を祝う」と言うだけの問題ではない。どうしてそうなったかと言えば、「親は教育サービスの消費者である」という教育政策を進めてきたからである。中学校やところによっては小学校まで、「学校選択制」を実施している地域がある。ましてや、高校は義務教育ではないので、留年もあれば退学もある。たくさんある高校の中から、自分で調べて選んだ高校を受験して合格した。でも具体的な生活指導方針や進路指導の状況は、入学してから初めて説明されるだろう。それを親に知ってもらい了承しておいてもらわないと、学校としては非常に困るのである。だから、もう何十年も入学式には親が来るということを前提にして、高校の指導が進められているのではないか。もちろん全員の親はそろわない。でも、よほど病弱や多忙か、何かないと入学式に来ない親はほとんどない。そういう状況になっているからこそ、休暇を取って子どもの入学式に参加するというのもやむを得ないのではないか…と思うのだが。

 この問題は、「権利か、仕事か」の対立ではなく、「親どうしの葛藤」の問題だろうと思う。そして、教育の本質は「贈与」だと思うので、担任がいなくて失望した親も多いだろうけど、「でも先生のお子さんからすれば、やっぱり来てほしいだろうなあ」と思って、事を荒立てないでいいかなと思う。そんなあたりがいいのではないか。なお、僕が唯一なりそうな立場としては「学年主任として、どうしようと相談される」というケースがある。その場合、まあ困ったなあとは思いつつも、何とかなるから大丈夫、みんなでフォローするからと言うだろうと思う。そう言いたいと思うけどなあ。
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教員の連帯を阻害するものは-早期退職補論

2013年02月03日 01時06分10秒 |  〃 (教師論)
 「体罰」問題をきちんと論じるのはけっこう大変なので、今日はこの間の「早期退職」や「いじめ」、あるいは部活動の問題の補論を書いておきたいと思う。

 「早期退職」問題は、マスコミが皆「駆け込み退職」と表現している。この表現には「悪意」が込められている。「駆け込み」と言っても、その日程を決めたのは行政側であって、労働者側は「駆け込んだ」のではなく、労基法で定められた事前の退職申し出を行っている。僕が見た中で「民間では仕事の途中で辞めることは許されない」という人がいたが、そんなバカな話はない。どんな職場であれ、14日前に申し出れば自己都合退職が出来なければならない。それができない職場は「ブラック企業」である。というよりも、僕が不思議なのは、定年退職が2か月後に予定されている人が、その人が抜けたら困る重要なプロジェクトに関わっていたりすることが、民間企業ではあるのだろうか。そんなこと、ないだろう。学校だって、昔は定年を迎える年の教員がクラス担任をしてるなんて考えられなかった。今は皆元気で昔と比較はできないし、「一緒に卒業」を考えて希望して担任に入っている人も多い。でも要するに、教育界の高齢化が背景にあって定年退職者が担任をしてたりする時代になったのである。「担任が途中で辞める」というより、「定年退職する教員が学級担任をしてる」という方が不思議だと思うんだけど、そう思った記者はいないのかな。

 データを紹介しておくと、8県で460人が退職予定だったという。(1.26付)行政職が54人、警察が232人、教職員が177人だという。この問題は教育の問題というより、警察の問題だったのではないか。ところで、朝日新聞では「子より金、信じたくない」という保護者の意見が見出しになっている。何で今さらそんなこと言うかなあ。一つは、これは行政が条例改正という形で決めたことであり、地方議会は住民の代表だから、住民の一員である保護者はこの条例を変えた側である。「退職金を年度内に削減することで財政の負担を減らす」というのは、一つの考えであって、それはそれでありうる考え方である。当然年度内に削減すれば、その時点で退職する教員もいるだろうが、それがあっても財政を優先するというのが、その地方の行政当局の考えである。保護者が批判するならば、その行政の考え方の方でなければおかしい。退職を選んだ教員は、経済原則に則って判断しただけなのだから。

 それでも「授業があるのに、年度内で替わる」ことはどうなのか。それは普通は替わらないほうがいいに決まってる。(普通じゃない教員もいるので一概には言えない。)でもいろいろな事情があって、授業担当者が途中で替わることは多いのである。例えば、こういう事例がある。桜宮高校の話を書いた時に、東京の某高校で入試情報を漏らしたということで校長が解任された話を紹介しておいた。その後任に某高校定時制の副校長が31日付で発令された。そこでその定時制副校長に、某高校主幹教諭が発令された。こうして、年度をあと2カ月残して、生徒を残して「出世」して去って行ってしまったわけである。そういう不祥事ではないと思うが、某中学校の校長も替わり、玉突きで同じようなことが起こっている。「年度内に授業担当者が替わっては大変だ」と真に思っているなら、都教委はこういう人事をしないはずである。特に高校の場合、定時制では校長がいない時間帯がいるから副校長がいないというわけにはいかない。大規模全日制高校で副校長が複数いる学校もあるので、そういう高校で適任者はいなかったのか。しかし、昇任試験に合格していて異動可能な人がいなかったのかもしれない。生徒にとっては迷惑な話である。こういう風に教育委員会の人事自体が授業担当者を途中で引き抜くということが結構あるものだ。今は病休や介護休暇も多いので、授業の教員が途中で替わることは相当に多いことだと思う。

 ところで大津市のいじめ問題の調査委員会報告が発表された。全文を見る機会がないのだが、いじめと認識して心配していた教員もいたが、校内でまとまって各教員の情報が生かされることがなかったようである。ところで、これだけでは、「言ってみれば当たり前」であると僕は思う。この間、文科省を初めとして、各学校では教員の一致団結をなくし、一人ひとりの教員の力を生かすのではなく、管理職や主幹教諭中心の学校運営をすすめてきた。ヒラ教員に何か意見があっても、学校運営の中心になるはずの教員が動かなければ、何も動かない。そういう学校がいい学校だとして「学校改造」に務めてきたのだから、何かきっけがあれば、どこの学校も同じようになってしまうはずである。この教育行政の流れを反転させない限り、いじめであれ体罰であれ、同じようなことが時々起こるはずである。「時々」と書くのは、大きな問題は生徒も関わってくるので、いつでも必ず起こるわけではないからである。

 学校の問題は管理職が中心に運営していく。では普通の教員は何をしていればいいのか。校長の学校運営方針に従って、授業等を充実させる(という作文をして、生徒や保護者のアンケートで高評価を受けられるように努める)ことで、それを校長が評価して成績に反映させ、給料が変わってくる。これで教員は頑張るはずだというので、「子より金」というのは紛れもなく教育行政側の大方針だったわけである。そういう流れで来ているのに、なんで今さら「学校内部で情報が共有されない」とか「子より金」とか言う人がいるのか、全然判らんというのが大方の教員の心のうちだろう。そういう学校を望んできたのは、文科省や教育委員会、というかいまどきありもしない「教員組合の教育支配」なんてものを標的にして教員統制強化を進めてきた極右政治家の方ではないか。

 ところで、部活問題を書いた後で思ったんだけど、本来は専任のコーチを雇うというアメリカのような方が正しいだろうと思う。アメリカの映画や小説では、アメリカンフットボールやバスケットボールの専属指導員というような人が出てくる。アメリカの教員自体が「勤務時間に縛られる」ということがない感じだが、このコーチも時間は縛られてないようだ。でもそれだけで生活できる給与を得ているのではないか。全部の活動にそういう人がいるのは難しいだろう。美術の教員が美術部を見ていて、美術系大学への推薦で大きな権限を持っているというようなこともあるらしい。教員以外の専任指導員がいるのは、学校対抗競技があって、大学スポーツへの推薦もある団体競技に限られていると思う。本当に強化するということなら、地方行政が予算をつけないといけない。でも、予算的に無理だと思うし、低賃金で非正規の指導員を雇うのもなかなか難しい。人間は将来の希望がなければ、意欲を持って働くことはできない。

 僕が思うには、いじめ問題で生徒指導が遅くまでかかる、部活指導で毎日が遅くなるなんて言うのも、限度はあるけれども、昔はそんなに苦に思わなかった。なぜなら長期休業中に「自宅研修」が認められていたからである。何時間が勤務時間だと細かく計算するよりも、夏休みさえ返してくれれば、後の時間やカネは問わず頑張って働くのに、と思っている人も多いのではないだろうか。
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部活動のあいまいな領域

2013年02月01日 01時13分02秒 |  〃 (教師論)
 間が空いてしまったけれど、「体罰問題」をもう少し考えたい。一番最初に「この問題は奥が深い」と書いた通り、日本中あちこちの学校で問題化し、さらにスポーツ界に問題が広がっている。これは「暴力事件」というべき問題だが、「パワハラ」と捉えると実は日本の会社で多数行われているだろう。奥が深いというのは、そういう意味で「日本の構造」を考えないと完全には理解できない。ただし、「根強い暴力体質」があるから「日本はダメだ」と言いたいのではない。他の国においては、声をあげたり問題を意識すること自体ができない社会も多いし、「むきだしの暴力支配」が日常化している軍事独裁政権なんかもある。日本ではそういうことはなく、「ある種の限られた特殊な空間」を除けば、「暴力的指導」がはびこっているわけではないだろう。

 いや、「体罰は絶えない」と言われるかもしれない。この10年ほど、毎年400人ほどが体罰で何らかの処分を受けているという。これには「暗数」(報告されなかった事件数)があるわけで、実際には数倍になるんだろう。でも、たぶん、「体罰は激減している」と思う。僕が生徒だった頃に比べて10分の1程度ではないか。僕の時代も、戦前に比べれば当然激減していたのだと思う。体罰問題で発言している桑田真澄氏は「生徒に聞くと半数程度が体罰を経験していて、自分の時代に比べて減っている」と語っている。少年野球の場でもそうなんだから、一般の授業などではかなり減っていると思う。親からも教師からも体罰を受けずに育った教師が今では大部分だと思うから、すぐに手が出るという発想にはならない。でも、「体罰事件」はある。減ったと言っても皆無にはならず、必ず一定程度は起きている。「日本社会の中の学校」という以上、このままでは問題が完全になくなることはないだろう。

 体罰事件が起きる状況を調べてみると、大体3つが多いように思う。部活動宿泊行事小学校である。小学校のことはよくわからないが、たぶん「学級王国」的な部分と「体格差」ということではないかと思う。中高になると生徒と教師の体格差はなくなっていくから、身体の大きさでは威圧できなくなっていく。戦前には「軍事教練」もあったし、中高は義務教育ではなかったから、教員の絶対支配権が確立していたので、体罰も可能だったかもしれないが。小学校の教員にけっこう体罰の処分事例が多いように思うが、まだ体格差があるので力で制圧しようとするとケガをさせやすいということか。一方、部活動と宿泊行事には共通な面があり、教師にとっても日常の授業と違った特別な時間だということである。

 体罰問題が明るみに出ると、いじめ事件の時と同様にやっぱり校長が出てきて事情説明をして謝罪している。学校長は学校の最高責任者だから当然で、部活動顧問も「校長から任命された校務分掌の一つ」ということになってしまう。でも、教員側からすると授業や学級担任なんかと違って、部活顧問を校長から任命されてやってるという意識は薄いと思う。各主任や学級担任は校長が教員の希望を無視して強権的に任命してしまうということが(今では)時々あると思う。でも部活顧問まで校長が決定している学校は多分ないだろう。各教員の希望を生活指導部の部活動担当が調整して、それをもとに校長が顧問を「委嘱」するといった学校が多いと思う。よほどもめた時(熱心だった顧問が異動してしまい、後を引き継げる教員が誰もいない場合など)を除けば、校長が顧問決定に乗り出すこともないと思う。授業や進路指導等、あるいは学級経営なんかでは、「年間指導計画」という「作文」を書かされることが今は多い。でも「部活動指導の年間計画」なんて作ってる学校もないだろう

 仕事というのはどんな仕事であれ、「仕事ではないもの」との「あいまいな領域」があるものだと思う。教員の場合は、特に「仕事」をはみ出る部分が常に存在する。「ボランティア」というか。「授業」そのものも、どこまで事前の教材研究、授業準備、事後の課題やテストの扱いなどをするかは、やりはじめていくとキリがないものだ。一回の授業に毎回全身全霊を込めるわけにもいかないけれど、教材を自分で買ってそろえたり、関連の書籍を読みあさったり、自宅で学習プリントを作ったり、教師は皆いろいろやったことがあるはずである。それでも授業自体は、教員の一番重要な仕事だから当然と言えば当然だろう。

 「教員の一番重要な仕事」などと言うと、それは学級担任ではないかとか、「こころの教育」ではないかとか言われるかもしれない。「いじめを防ぐ」とか「次代の国民を育成する」とか「やっぱり進学・就職の実績向上」とか、言い出せばいろいろ言える。でも、教員全員が毎年学級担任をするわけではない。担任ではない年もあるし、担任をしていても、進路決定に直接かかわる卒業学年は数年に一度である。校内には様々な仕事があるが、毎年必ず行うのは、採用試験時の教科の授業を担当することである。担任のない年はあっても、授業のない年はない。教員採用試験も教科ごとに行われ、合格者は各校に教科ごとに配属される。各校に配属されてから授業以外の仕事が割り当てられる。最後に部活顧問が決まる。学生時代によほど活躍した実績があれば別だろうが、各校にはすでに前年度の顧問をしていた教師がいるわけで、たまたま異動して空いてる部活を頼まれることが最初は多い。新人の間は言われた通りに部活顧問を引き受けるしかない。

 ただ、別格がある。例えば音楽の教員である。吹奏楽や合唱などは、普通音楽の教員しか専門的指導ができない。非常に熱心だった若い男性教員が年限で異動し、(音楽は女性教員が多いので)育休明けの女性教員が赴任してきたりすると、なかなか大変な事態が起きることがある。保健体育の教員もそうで、専門的指導ができるスポーツが必ずあるわけだから、必ず主要な運動部の主顧問になるだろう。でも、部活指導員という資格はない。教科で取るだけで、バレー部指導員、バスケ部指導員とかで取るわけではない。だから、誰が何の部活顧問をやってもいい。自分の生徒時代に経験のない運動部や文化部を担当することはとても多い。だからどうしても「部活顧問のボランティア的性格」が出てくる。これは本来おかしなことである。まあ、卓球部とか文芸部とかで活動中に死亡事故が起きることはないだろう。だけど、かなり危険がある部活もあるのである。陸上部で砲丸が当たったり、弓道部で弓が当たったり…。柔道部や体操部で頭を打ったり、サッカー部や野球部で真夏に過酷なランニングをさせて熱中症になったり…。毎年のように事故が報告されている。柔道部なんかは顧問をする資格が本来はいるんではないだろうか。

 本格的に強くしようと思ったら、土日も活動しないわけにはいかない。生徒や保護者も望むが、平日は時間も限られるし、他の部活もあるわけだから、例えばバスケ部が毎日体育館全面を利用するわけにはいかない。だけど、毎週のように休日に活動するという場合、教員の勤務時間はどうなっているのだろう。教員の私生活がなくなってしまうということもあるが、そもそも一週間に一日も休みを取らず働くということが労働法制上許されるんだろうか。だから、当然のこととして、土日の活動は校長が命令して行っているわけではない。命令したら労基法違反である。顧問の方から施設利用願いかなんかを出して、校長が許可してボランティア的に活動している。ただし東京では部活動の本務化が進んで、土日に4時間以上の活動をした場合、長期休業中に振り替えを取れるようにはなってきた。それにしても土日に出勤したら月曜に授業あるのに代休ということはありえない。

 また毎日遅くまで、時には朝練などもあったりして、部活顧問は時間外勤務になってしまうことが多い。もちろんこれも、勤務時間終了で活動をやめて帰宅しても、校長にはなんら止める手立てはない。毎日遅くまで活動し、土日も出て来る、それならものすごい額の時間外手当がもらえるだろうと思われるかもしれないが、それはもちろんない。教員には「時間外手当」そのものがない。(代わりに教職調整額4%が教特法で支給される。)校長が時間外勤務を命じることができる4条件というのがあって、「①生徒の実習、②学校行事、③職員会議、④非常災害、児童生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合等」ということになっている。部活動は入ってないから、毎日の顧問の指導は「ボランティア」の時間帯がある。

 今部活動で「体罰」があったというが、その体罰があった時間帯はいつだろうか。多分、その日の部活終了時の反省の時間、あるいはまとめて活動できる土日の活動が多いのではないか。その場合、その時間は本来の教員の勤務ではない時間帯になっていることが多いはずである。今「ボランティア」と書いてきたが、もっと正確に書くと「奉仕」である。自分は「奉仕」しているのに生徒がダラダラやってれば、それは怒るだろう。一方、土日に活動に出てきて指導する校長はまずいないから、管理職はなかなか休日の部活動の実情を把握することは難しい。この「部活動指導という領域のあいまい性」がある限り、「専門的技量を生かして奉仕しているという教員の意識」が存在し、その結果「体罰」ではないとしても一方的な暴言などが生じやすい。教師が来なければ学校の施設を使えないから、教師は開始予定時間に遅れられない。でも生徒は中には遅れてくるものがいる。殴らないまでも、「やる気がないならお前なんかやめてしまえ」「もうお前なんかいらない」と言ってしまうことが起きやすい。

 この問題はいずれ、部活を社会体育に移行させるということを聞いた時代もあるが、それは今思うと無理だと思う。東京都杉並区では、保護者が負担して土日の部活を業者に委託するという試みを始めているが、それが一つの方向だろう。でも公式試合はもちろん、練習試合に教員が立ちあわないわけにはいかない。また実際好きでやってる教員はいっぱいいるわけで、なかなか難しい。でもこの「あいまい性」にもいい面もあると思う。部活動は本来課外活動なんだから、生徒の趣味特技を伸ばすという意味で、教員の側も専門性だけでなく一緒に活動すればいいとも言える。だけど、この校内での「あいまい性」が、教員によっては「自分の王国」を作らせてしまい、誰にも立ち入ることができない領域を作ってしまう第一の原因である。どうすれば一番いいかは、誰にも結論は出ないと思うけど。
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埼玉等の教員「早期退職」問題

2013年01月23日 20時27分29秒 |  〃 (教師論)
 埼玉県で1月末に110人の教員が「早期退職」するという記事が出て、問題があるかのように語られている。部活の問題を書く前に、ちょっとこの問題を。ただし何かの主張をしたいわけではなく、事実を確認して事態の本質を確認したいという「頭の体操」である。この問題は、埼玉に限らず徳島、愛知、兵庫、佐賀など各地で同様の事例があり、中には警察署長が早期退職したところもあるらしい。徳島には教頭が退職して、3学期中は教頭不在になる学校があるとニュースが伝えていた。

 さて、このような事態が起こったのは「退職手当削減」の条例改正が行われ、2月1日から施行されるということがある。2月、3月の給与を貰っても、1月末日に辞めた時に支払われる退職金を貰う方が多くなるということである。給料がいくらか、各種手当がいくらかは人により違うけれど、おおむね70万程度は違っているという話である。そのため、埼玉では110人ほどが早期退職の予定で、これは3月末に定年を迎える教員の1割程だという。なお、このうち約20人が学級担任だという。

 さて、これをどう考えるかだが、「1月に辞めれば退職金が高い」という条例を作った以上、「1月末までに辞めれば退職金が高くなるという条件で希望退職を募った」というのと同じである。ところが、それで辞めるのは1割しかいないで、9割は辞めない。それは何故か?「110人も辞める」のではなく、これほど条件が違うのに圧倒的に辞めない教員の方が多い

 それほど教員は責任感が強いのか。一端受け持った授業や学級担任を年度途中で辞めるということに、抵抗感があるのか? それもあるだろうけど、辞めない理由は違うだろう。それは3月末に辞めた後に、再任用、再雇用教員として働き続けたいと思っているからである。年度途中で退職した場合、非常勤講師や産育休代替教員にはなれるけれど、必ず職があるとは限らない。一方、再任用、再雇用職員の場合は、(都道府県によって待遇は違うと思うけれども)、事実上5年程度の勤務をすることになるだろう。これは3月末まで勤務しなければ、採用されない。そこまで考えれば、退職金が削減された以上の生涯賃金を得ることになるから、経済合理性の点では今は辞めないという選択になる。

 つまり、この辞めると決めた110人というのは、その後は学校に残らないという人なのだと思う。そこには様々な意味があるだろうが、それでも1月末に辞めるというのは、「行政への抵抗」と言うことだと思う。「どうだ、辞めるか」と問われて、「金だけのために教員になったわけではない」と答える道もあるが、「辞めろというなら辞めます」というのも一つの抵抗である。行政当局が早期退職は困ると言うなら、条例施行を4月からにするはずだから、これは行政として「人件費削減の方を優先して、早く辞めさせる」と言う方針を取ったことを示している。「一つの抵抗」という言い方はおかしいかもしれないが、逆に考えて「誰も辞めなかった」としたらどうだろう。行政当局は、もう教員は何をしても「言いなり」だと考えるに決まってる。だから、この機会に辞めてしまうくらいしか抗議の手段がないのである。

 これに対して「残念」と言う声と「責められない」と言う声が載っているが、どっちもおかしい。県としては、2月、3月の賃金を払わなくて済むので、早期退職は行政の人件費抑制に協力していることになる。そっちを優先して早く辞めてもらって結構というのが、2月から削減という政策だから、早期退職者は行政の方針(事実上の希望退職募集)に応じているだけで、批判されるいわれがない。年度途中で辞めるのかという主張は「言ってはいけないこと」である。いつ退職するかは個人の自由で、それは働いた経験がある人なら判るだろう。退職したいのに辞められないというのでは、いよいよもって学校は「ブラック企業」と変わらないことになる。急に辞めるのではなく、たぶん昨年末までくらいだと思うが、事前に申し出ているはずで誰も批判できない。「担任が途中で変わってはいけない」と言われると、産休や病気休職を取れなくなる。実際にそういう批判をする保護者がいる場合もあるが、それは「言ってはいけない」ことだと思う。途中で変わると言っても、3月には退職予定なんだから卒業担任ではないんだったら、卒業前に途中で変わることには変わらない。ただし、卒業担任だったら、また話は違う。その場合はやはり最後までやりたいのではないか。

 ところで、一番の問題は退職金ではないだろう。そもそも退職金削減を行うなら年度替わりにするのが常識で、そんな配慮もない行政に傷ついたということだと思う。50代以上の教員のほとんどは、辞めてもいいなら辞めたい人ばかりだろう。この間、教育行政に振り回されてきて、つまらない事務ばかり増えているのに、何かにつけ教師が悪いと責められ続け、子どもの学費や家のローンなどの問題さえさければ、早く辞めて「自由」を実感したいという人も多い。退職金削減は確かに大きいが、それを2月からにするという「早く辞めてみろ」的な行政のあり方が、最後の「トリガー」(ひきがね)になったのだと思う。そういう行政への不信の声を感じられる人がいないことが問題だろう。

補記・東京はどうなってるのかと思ったら、1.24付東京新聞によると、1月から削減が適用になるのだという。そもそも「定年退職」の意味も違っているらしい。「60歳を迎える年度の年度末」の退職が「定年退職」ということになっているらしい。それ以前に退職する場合とでは支給率が変わるらしい。自分の時もそうだったのか、忘れてしまったけれど。何月から適用するかは、周知期間も必要なので議会の日程、労使交渉の様子などで変わってくるはず。3カ月分の給料を放棄するとなると、ほとんど金額的には差がないことになるだろう。それもおかしいと思うけれど。 
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卒業式と歌-卒業式⑥

2012年03月26日 23時54分38秒 |  〃 (教師論)
 卒業式に関する話を終わりにしたい。自分の経験した卒業式についても書こうかなと思ったけど、生徒の具体的なケースが書けないからやめる。大体、卒業式そのものは宿泊行事や文化祭に比べれば面白くないし、スリリングでもない。

 最後は「歌」の話で、「卒業の思い出の曲」のことでもあるし、「国旗国歌問題」でもある。僕が今まで書いてきたのは、卒業式に関して「現場感覚」とずれた言動が多すぎると思うからだ。特に大阪府で生じた事態。東京の事態もおかしいが、それは知事が任命した教育委員のイデオロギーに発する問題だと思ってる。つまり戦後ずっと続いてきた「教育をめぐる左右対立」の枠組みで理解できる。一方、大阪では「教員も命令で動く存在」「命令したものが守られないのはマネジメントの問題」という言われ方をした。この発想に見られる、教育というものに関する浅薄な理解には呆然とする。学習指導要領には「国歌を斉唱する」と書いてあるわけで、校長としてみれば式次第に入れないわけにはいかないという立場である。だけど、「先生方の中にもいろいろな考えがあり、そこからも生徒は社会や人生について学んでほしい」くらいのことを校長が言えなくてどうするんだろう。社会の中から「包容力」が失われてしまったのか。それを憂うべきは、むしろ「保守主義者」の方のはずである。

 しかし、僕は国歌斉唱に際して不起立で通そうと思ったことは実はないのである。あんまり起て、起てと職務命令まで出すから、かえって反発したくなる気持ちは僕にもある。でも、「謝恩の日」や「卒業生を出すということ」で書いたように、卒業式というものは生徒にとっても教員にとっても大きな意味を持った日である。その本質の中では、国歌にどう対処するかというのは、あまり大きな意味を持つ問題とは思えない。いや、そうではないと、歌わせたい側も、反対する側も言うかもしれないが、僕は学校というものが生きて働いて意味を持っている現場においては、国歌が自分にとって死活的に大切な問題とは思えなかった。

 高校の卒業式が終わると、まあ東京では会おうと思えば大体はすぐ会えるけど、地方では大都市へ進学、就職する生徒が多い。全国では半数近い生徒が高校が最終学歴となる。学校を怨みに思って出て行く生徒も中にはいるのかもしれないが、大多数の生徒はその学校で会った友達や先生に感謝して去っていくのだと思う。そしてその思い出が今後の厳しい実社会で挫折しそうになった時の支えになるわけである。毎日のように卒業後も学校に遊びに来る生徒もいるが、大部分はほとんど来ないし、来れない。関係がうまくいった生徒ばかりではないけど、最後に何か声を掛けたい。卒業アルバムに一言書いてほしいとやってくる生徒がいれば、何か書いてあげたい。不起立でもただ処分されるだけならまだいいけど、当日すぐに「事情聴取」があり、続いて都教委に呼び出される。それが面倒くさい。生徒との最後の日をジャマされたくない。そんなにうまくいってなかった生徒でも、「高いお金を親が出してくれたんだから、専門学校ちゃんと行けよ」とか「取ってくれた会社に縁があったんだから、3年間は頑張ろうよ」とか言っておきたい。それでなんとかなると思ってるわけではないけど。僕の言葉にそんな力はないし、学校だって会社だって辞めて正解みたいなとんでもない所はいっぱいある。でも、まあそういうことである。

 ぼくがそう思うのは、地域に密着した中学から始まって、単位制定時制高校に終わったという自分の教員経験によるところも大きいと思う。劇作家の永井愛さんに「歌わせたい男たち」という傑作があった。永井さんのお芝居は僕は大好きでよく見るけど、中でもこの作品は評価が高かった。僕も面白いと思うし、中で提出されている問題はとても大事だと思う。でも(このことは前にも少し書いたんだけど)、この劇の中で議論している教員のあり方に僕はあまりリアリティを感じられなかった。その先生は卒業生の担任なんだけど、音楽の講師の先生が君が代の伴奏をしないように保健室で説得を続ける。そのドラマが面白いんだけど、でもこの先生は卒業式の日だというのに、クラスの心配をしていない。僕が思うに、よほどの進学校で生徒がちゃんとした格好で時間通りに登校するのを疑っていないとしか思えない。僕が経験した学校では、卒業生が全員そろったことがない。まあ夜間定時制高校の時だけは、5分前にそろったけど、入学式に30人以上いたのが卒業式には半数になっていた。一方、服装や頭髪のルールがある学校では、異装や頭髪の違反がないかも頭が痛かった。荒れていた時期にとんでもない服装(いわゆる「ツッパリ」風)の生徒がいた年もあって、そういう時にどうする、こうするという事前の指導や教員間の共通理解が大変だった。そういう問題が出てこないと、僕には卒業式のリアリティが感じられないのである。だからこそ、僕の経験した学校では、卒業できた生徒の喜びも、卒業までお世話した教員の喜びも大きかった。君が代問題も、賛成、反対どっちであれ意見を言うような人は大卒で進学高校出身なんでしょうね、やっと卒業できた定時制高校の生徒の気持ちは判りますかと、僕なんかは言ってみたいのである。

 さて国歌問題そのものに戻って。最近は「強制するのは問題」という意見が結構ある。僕もそれはその通りだと思う。99年の国旗国歌法制定時の野中官房長官の答弁では「強制するものではない」と明確にされていた。約束違反である。当時、民主党は党議拘束をはずして採決に臨んだ。また委員会審議では、民主党から国歌部分をはずして「国旗法」とする修正案が出ている。当時はとても多くの人から、国歌が「君が代」でいいのかという議論があった。成立して10年以上たって若い人には記憶がないかもしれないが、けっして国民的共感があったわけではないのである。僕が思うに、国歌斉唱と学習指導要領にある以上、(いくら指導要領は「最低基準」とその後言われるようになったとはいえ)式次第から外すのは今では大変だろう。でも、式次第の中に「国歌斉唱」とあれば学習指導要領通りである。それ以上の措置は必要ない。むしろ弊害が大きい。

 でも、それで終わらない。本来は「君が代が国歌でいいのか」ということをちゃんと議論していかなければいけない。君が代はやはり「大日本帝国の国歌」であり、「日本国」の国歌というには歌詞内容も歴史的経緯も問題が多すぎる。それに仮に君が代を変えることに抵抗が大きいとしても、スポーツ競技向けの「第二国歌」があってもいいのではないかと思う。もっと奮い立たせるようなリズムとメロディと歌詞が欲しいと言ったらおかしいだろうか。

 だから僕は国歌自体を考えていくことが大事だと思うけど、それはそれとして国歌が別だったら卒業式で歌っていいのかというと、僕はそれにも疑問がある。まあ国立の学校は違うかもしれないが。僕は厳粛な式というもの自体は否定しない。もっとアットホームな「祝う会」があってもいいではないかというのは賛成だけど、卒業証書授与のときにパフォーマンスしたり爆竹ならしたり生徒が席をたってケータイで写真撮りまくるなどということはいけない。だけど一番大事な証書授与の前が「国歌」でいいのかとは思う。「日本の大部分」(琉球王国と蝦夷地を除き)は、古墳時代頃から大きな文化的な共通性があって、革命で現体制ができてそれを再確認していかないと国家的統合が危ういというような国ではない。何も学校で国歌を歌って国民的アイデンティティを確認させる必要は少ない。むしろその学校に対する帰属意識を再確認して、自分の出て行く学校をふり返ることが一番大切。それは校歌が本来は一番のはずである。高校では音楽が全員必修ではないから校歌をちゃんと覚えないまま卒業まで来るということがある。それはおかしいでしょ。

 だから僕はまず最初に全員で「校歌」、最後に全員で「式歌」というのがもっとも望ましいと思うのである。「式歌」というのは、まあ全員で別れに際して歌う歌で、伝統的には「蛍の光」か「仰げば尊し」だろう。「仰げば尊し」は名曲だけど歌詞が双方ともこそばゆいし、歌詞に問題もあるからやらない学校が今は多いだろう。でもまあムードはあるよね。最近は「旅立ちの日に」という名曲が生まれた。だからこの曲が式歌化していくのが全国で多いのではないかと思う。でも秩父の先生が作ったので、山の方の感じが強く、大都市の学校や海辺の学校では今一つ歌詞にリアリティがない。誰かが歌詞の別ヴァージョンを作ってくれるといいなと思う。

 そしてそこにもう一つ、卒業生だけで歌う「卒業生の歌」があるといいなと思う。アンジェラ・アキの「手紙」とか森山直太朗の「さくら」とか。これは卒業生の最後の表現活動である。僕にとっては、91年松江二中の思い出があまりにも鮮烈なので、もし歌えるなら「大地讃頌」が一番いいと思う。それが歌える学年であるといいなと思うけど、高校ではなかなか無理かなあと思う。全員でやる音楽の授業がないんだから。だけど、卒業生、在校生の「生きる力」を育て、高校を出る生徒に思い出を作るという意味で卒業式という行事をデザインしていくと、君が代なんかそもそも式になくていいのだと思う。学習指導要領自体を実態にあったものに変えて行く必要があるし、そもそも文部科学省の告示に過ぎなくて国会の議決も経ていないものが金科玉条のごとく語られることもおかしい。
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記念品は岩波新書だった-卒業式⑤

2012年03月25日 23時46分57秒 |  〃 (教師論)
 卒業式の話題も大体終わったかなと思ったら、「卒業記念品」のことがあったので、簡単に。大体僕らの時代は、高校卒業時にハンコをもらったもんだ。ずっと使わせてもらった。もっとも「もらった」と言ってもプレゼントではなく、今思えば親が出したお金が戻ってきただけなわけだが。また卒業生の名前で学校にテントとか緞帳などを新調するということも昔はよくあった。「第○○次卒業生寄贈」と書いてあるような物品である。これもよく考えれば、本来は公費で対応するべきものだということになるだろう。

 僕の関わった学校では、最後の頃はもう卒業記念品というものが特にはなかった。今でも全日制進学高校ではあるのだろうか。ハンコの広告が学校に送られてくるから、今でも作るところはあるんだろう。(大体山梨県の業者である。)不況と言われる時代が長く続き、「私費会計」にも監査が入るようになって、できるだけ少額にする、すぐに返金するという風になってきた。六本木高校のような単位制定時制ではそもそも、入学した生徒がバラバラに卒業することが前提になっているから、「卒業対策費」を集金しにくいという事情が大きい。また在校生から卒業生に花を贈ったりすることも今はできない。(本人に還元されるものしか私費では支出できない。)そういう原則も厳格すぎればちょっと淋しい。卒業する生徒や転勤する先生に、在校生として花を贈るなどというのは、みんなから集めたお金のもっとも正しい遣いかたではないか。

 91年の松江二中での卒業式では卒業記念品があった。学校へ残すものもあったし、自分たちの思い出の品もあった。そしてそれを教員だけで決めるのではなく、あるいは学級委員会あたりで決めるのではなく、生徒自らが決めて行った。自治意識を高める生徒会活動の活発化を進めてきた集大成として、生徒と教員で原案を作って、「学年総会」を開いて決めたのである。もっともこの総会が活発過ぎて原案が否決されてしまうという結果になってしまうのだが。(原案は「最後の行事である合唱コンクールのテープ」。それに対し、すぐに使える「テレホンカードやオレンジカード」がいいという修正案が通ってしまった。でもテープを残したいという女子リーダー層の強い希望もあって、結局は学年PTAの援助を得てテープも作ったのだった。)

 自分の高校時代には、ハンコの他に(きっとお金が余ったんだと思うけど)、担任団からの記念品があった。僕は事前に聞いていた記憶があるので、たぶん生徒会役員だったから相談みたいな話を聞く機会があったのかと思う。詳しいことは忘れてしまったけれど、結局本にしようというアイディアが先生から出た。各担任が1冊お勧めの岩波新書を選び、そこに生徒会推薦で早乙女勝元「東京大空襲」を加える。早乙女さんは高2の時の文化祭で講演に呼んだという縁があったのである。8クラスあったので、計9冊の中から各自希望の一冊を選んで、それをプレゼントとするというのである。これは今思うと、すごい傑作な企画ですね。でも、僕が何を選んだかはもう忘れてしまったんだけど。

 夏休みの宿題に新書を読むというのがあったのも覚えている。僕は今も新書をよく読んでる。歴史関係だけでなく、各分野に幅広く目を通すことは大事だと思ってきた。ここでも最近新書の書評を書いているが、今日は島田裕巳「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」 (幻冬舎新書)を読んでて、終わったので大村敦志「民法改正を考える」(岩波新書)を読み始めた。こういう風に新書を読むようになったのは、きっかけとしては高校時代の刺激だったのではないかと思うのである。
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卒業生を出すということ-卒業式④

2012年03月22日 22時10分42秒 |  〃 (教師論)
 教師にとって「卒業生を出す」とはどういうことだろうか?考えてみたいのは、そのことだ。入学式があり新入生が入ってくる。やがて授業が始まり、特別活動(行事や部活動等)も本格化してくる。そしてテストがあり評価がある。事件が起こったり、様々な事情で学校が続かない生徒も出てくる。毎年のほぼ決まったカレンダーの繰り返しである。耕し、種をまき、剪定し、収穫し、出荷する。農の営みに、それは似ているかもしれない。すべての素晴らしいこと、辛いことは通り過ぎてゆき、最後に「卒業」が来る

 学校は通り過ぎるところで、やがては上級学校を経て「実社会」に出て行く。その意味で「進路」が学校の本質である。ただし、いわゆるいい学校、いい会社にどれだけ入れるかという「競争」が学校の本質ではない。その「出口指導」、「狭い意味での進路指導」ももちろん大切である。でも、世の中は競争だ、学校ももっと競争を激しくせよ、教員も競争だ、授業も競争だみたいなことを言う人が最近は結構いる。それが正しいとは思えない。世の中はそんな強い人ばかりではない。実社会の競争は必ずしもフェアな戦いばかりではない。学校で身につけた力でフェアに戦って勝てる場合だけではない。負けた人の心の拠り所はどこにあるのだろうか。それは一冊の本かもしれないし、心を打つ一曲かもしれない。でも多くの人にとって、行事や部活動で経験した「連帯の記憶」が大きな力になっているのではないか。いや、行事や部活とか言わなくても、学校時代の友人との他愛ないおしゃべり、その大切さこそが「学校」が人生にとって占める一番大きいものではないのか。

 そのような学校の本質的機能を弱めてはいけない。今、競争重視、進路実績偏重の広がりとともに、学校の担ってきた大切な役割が弱められているのではないか。それは大変な事態をもたらすのではないか。僕が今言う「進路」とは、そのような「場」を育て、生徒とともに学校を作っていくことを意味している。つまり近年よく言われる「生き方指導としての進路指導」である。本人の自己認識の深化、社会認識の確立がないと、就職か進学か、大学か専門学校か、文系か理系か、推薦入学(AO等)か一般受験かなども決めようがない。そしてHR活動や行事、部活動などを通して、教員側も生徒理解を深め、学力だけでない本人の特質をつかんでいく。それを通して、保護者を含め、本人も納得のいく進路先を決めて行くわけである。大事なのは「狭義の進路指導」をするためには、広い意味での進路指導、「生き方指導」が必要だということだ。

 だから教師にとっては、学級担任として生徒の進路に関わること、そのために生徒理解を深めることがもっとも大事だと思うし、他のどの仕事にもましてやりがいがある。僕にとっては少なくともそうだった。もちろん授業で接した生徒が一番多いわけだけど、何十年も教師をしていると、卒業時の学年しか覚えてないことが多い。「卒業生を出す」ということが何といっても大きなことだからである。(ちょっと別の話になるが、僕が「民間人校長」という制度に違和感を持つのもその点である。学校経営というだけなら教員でなくてもいいかもしれないが、生徒からすれば今まで一度も卒業生を送り出したことがない人が校長先生だというのでは、何かと不安もあるのではないかと思うのである。)

 鳥取にホスピス「野の花診療所」を開いている医者、エッセイストの徳永進さんという人がいる。FIWC(フレンズ国際労働キャンプ)の先輩であり、ハンセン病に関する素晴らしい本「隔離」の著者でもある。1997年に「らい予防法廃止一周年記念集会」を僕が責任者になって開催した時にも、講演をお願いし圧倒的な感動で場内を包んだ。その徳永さんが医者の仕事、時に「新規外来のやりがい」についてこんなことを書いている。講談社ノンフィクション賞を得た「死の中の笑み」という本である。「自分が初めて診断することで、そのことによってその患者さんが今まで過ごしてきた日常生活が今後どうなっていくか、ということを展望できる面白さだと思う。そこに希望があるにしろ悲しみがあるにしろ、ぼくら医療者はその緊張を支えとして仕事を続けている。」これは学校の教員に限らず、人を相手に仕事をしている人には多かれ少なかれあてはまる名言ではないか。

 つまり、学級担任は学習や生活指導を通し、また行事、保護者面談などを通して生徒を理解していく。そして進路希望を聞き、生徒にとってふさわしいか、高すぎないか、もっと頑張れるのではないかなどを展望し、本人とともに微調整をしていき、一緒に考えていく。そして生徒は思いのほか活躍したり、途中で大きく変わったり、時には裏切られたりしながら、進路が決まっていく。そして卒業の日を迎える。その日のために今までの苦労があったので、担任としても一番うれしい日であるのはもちろんだけど、教員からすればそれも一つの通過点であり、新年度の人事がありすぐに新入生の対応へと気持ちは移っていく。日々「新しい患者」が外来に来るのである。そういう教師としての一つの到達の日であり、同時にまた通り過ぎる一瞬であるというのが「卒業式」というものであると思う。

 「生き方指導としての進路指導」と書いたけれど、これは学校側から見た言葉である。生徒からすれば、日々の人間関係や学習活動はいろいろ複雑で毎日が試行錯誤である。そんな中で「生き方」などというものを教師が大上段から教えることなどできない。だから「指導」というよりも「伝わる」ものなのではないかと思う。教師が持っている授業や部活動の知識や技術や経験、これを生徒が感じ取るのである。だから「伝わらない人」もいるし、同じ人間としては馬が合うとか合わないとかもあるのは当然で、どうもお互いの理解がうまくいかない場合もある。自分の生徒時代を思い出しても、学校の対応がなんだか納得できない場面はいっぱいあった。教師も様々だった。しかし、この「教師の多様性」が今になると人生勉強になったと思う。教師を一様にしようとするのは、だから全くの愚策で、現在の教育行政は将来に禍根を残さなければいいなと痛感する。

 上級学校に進学しても、就職しても、人生はまだまだ続く。「生き方」という意味では、人生の最後の日まで自分なりの試みや変化がある。学校の同窓会なんかも、何十年もたって皆が高齢になってからの方がよく開かれたりする。だから学校の役割というものを、短期的に測ってはいけない。株式会社じゃないんだから、「今期の営業実績」みたいにして、○○大合格何人などと言うのは教育の本質ではない。いやとりあえず進路実績という情報も公開されるのは当然だけど、それで「学校力」「教師力」を測ってしまうのは間違っている。教育は超長期的な営みであることを行政が理解しないで、短期的な目標を押し付けたら学校は間違った道を歩むことになる。

 卒業して何年もたってから、本を読んだら「恩人に手紙を書こう」とあったので、もう普段字も書かないんだけど僕に手紙を書いてみましたという卒業生がいた。班ノートに別の生徒への返事として書いたことが、他の生徒に大きな力を与えていたと卒業してから聞いたこともある。どちらも精一杯お世話したという中で起こったことではない。これが面白い、恐ろしいところで、何気ない一言、ちょっとした言動が生徒の力になっていることがある。それは自分の人生を思い出してもわかる。授業で教わったことを忘れても、教師の人生そのもの、趣味や生き方からこそ大きな影響を受けてきたんだと思う。だけど、それは裏返していえば、何気ない言動が生徒を傷つけていたことも同じくらいあることを暗示しているだろう。別に抗議するほどのことでもないけど、「この先生では」と思うことは僕も何度もあった。そういうことも含めて、だから最後には教師の人間としての力が試されてしまう
 
 そういうのが「卒業」というものであると思う。だから「卒業式」という日が終わっても、生徒の心の中で学校は終わっていない。何十年も生きていて、心の拠り所になり、担任なり誰かの言葉が支えになっている。だけど実人生の中では、どこかでケリをつけるしかない。儀式を行って一端中締めとするが、卒業式を終えても「卒業」という期間はもっと長いのである。そしてそういう生徒に関わったということが、「卒業生を出す」ということで、教師にとっては一番の仕事なんだろうと思う。
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卒業式の時期と大阪のある卒業式-卒業式③

2012年03月19日 23時23分19秒 |  〃 (教師論)
 大阪府立高校で17人の教員が国家斉唱時に不起立だったとして、9日に戒告処分が発令された。このニュースを聞いて、「エっ、大阪はもう終わっちゃったんだ」というのが最初の感想だった。卒業式の日取りのことである。2月中には終わってるらしい。東京では、2月中の卒業式は許されない。年間行事計画が都教委に受理されない。今年の卒業式一覧を見ると、1日から23日に及んでいる。全日制普通科高校は大体10日前後が多い。職業高校ではひとケタの日付が多い感じ。でもさすがに大体は終わっていて、この段階で終わっていないのは6校である。春分の日に卒業式を行う学校もある。

 まだ終わってないところは「単位制高校」だからである。学年制高校なら、進学校はもちろん夜間定時制高校でも2月上旬には授業を終えてしまう。早めに年間の成績を出して卒業の可否を判断するためである。でも、完全な単位制高校では、各年次の生徒が混ざって授業を受けている。卒業予定生徒と1年が一緒に受けている授業がある。卒業生だけ早めに終えることができない。卒業生を3月にテストするんじゃいくらなんでも遅すぎるということで、なんとか工夫を考えて見たけれど、どうもうまくできない。「単位制」というのは、不登校生徒が学校になじんでいくにはふさわしいけれど、世の中にはこれが絶対という仕組みはないものだ。他の学校の生徒がもう授業がない期間に、よりによって不登校生徒向けの高校が生徒を延々と登校させ続けなければならない。

 高校を出ると、就職や進学で実家を離れて下宿する人も多い。また、職場によっては4月1日入社までに自動車免許を取っておいてほしいという会社もある。早生まれだと夏休みには教習所に通えないから、冬休みから2月、3月に取得することになる。それどころか、3月中に入社式をやってしまうとか、研修と称して実質働かせてしまう会社も多い。そういえば、プロ野球の高卒ルーキーなんかも、2月中にキャンプインしている。本来は3月31日までが年度だから、卒業式を終えても学校の指導はありうる期間に働かせていいのか。でもアルバイトすると思えば同じなわけだけど。こういう社会実態があるので、特に大都市に進学、就職する生徒が多い学校では早めに卒業式を終えるんだろう。東京が2月中の卒業式をやらないのも、ほとんどの生徒が自宅から進学、就職するという現実によるのだと思う。

 さて、大阪の事態だけど、いろいろの派生事態が起こった。例えば、大阪府議会議員の西田薫(維新の会)という人が母校の卒業式に参列して、不起立教員を目撃、来賓挨拶で生徒に向け、「皆さん、ごめんなさい」と発言し、自分のブログに「残念な卒業式」という記事を掲載した。これに対し、生徒や保護者と思われる人から「おめでとうの言葉もないなんて。非常識な挨拶だ」といったコメントが殺到した。この件は一部で報道されたが、知らない人も多いと思うので簡単に紹介しておく。

 本人のブログでは、「いつもなら『卒業生の皆さん、卒業おめでとう~』っと大きな声で一言話しますが、本日は『皆さん、ごめんなさい』。『社会の常識、社会のルールを教えるのも学校なのに、そのルールうを守れない教員がいることをお詫びします。ほんとうにごめんなさい。』と…。」と書かれている。

 これに対して現在1000件以上のコメントがあるのできちんと読んでいられないが、最初の方にある「卒業生」と名乗るコメント。一部省略。行を詰めた。
 「この度は、私たちの卒業式にご来賓賜りまして誠にありがとうございました。ただ、申し訳ございませんがはっきり言わせていただきます。あの場での「ごめんなさい」という挨拶。なぜ、あそこであのような自己主張をされたのですか?いくら条例で決まっているからとはいえ、あたしたち卒業生におめでとうの挨拶もなしなのですね。

 まず第一に、昨日の卒業式での主役はあたしたち卒業生です。たくさんの方々に感謝して抱えきれない思い出を持ってとても良い学校だったと胸を張って言い切れます。その最後の最後の思い出となる卒業式を、あのような形で雰囲気をぶち壊したのは西田さん、あなたです。

 答辞をきちんと聞いていただけたでしょうか。あの答辞は、私たち生徒自身で考え出来上がったものです。あれを聞いても、私たち生徒が、どれだけ先生方に感謝しているか、どれだけ学校の友達や先生すべての方を大好きなのか、西田さんには、伝わっていなかったのですね。とても残念です。(後略)」

 一方、「保護者」のコメント
 「今日の卒業式に参加した保護者です。こんな失礼な挨拶をされた人を見たのは、初めてです。あなたの意見は、式後、校長に言えばいいのではありませんか。

卒業生は三年間、先生方にお世話になり、今日感謝の気持ちでいっぱいだったと思います。充実した学校生活を送れたのではないでしょうか。答辞での卒業生の涙でも明らかです。

あなたは、子供たちの三年間、先生たちほど関わったのですか。「皆さん、ごめんなさい」とあなたに謝っていただく筋合いはありません。(中略)子供たちを直接教育された人を公の場で辱めていいんですか。祝いの席で言うべき言葉だったのでしょうか。」

 PTAからの正式な抗議があったようだが、その後ブログには「卒業生の皆さんへ」と題する文章を書いている。それよりも「不起立はマネジメントの問題」などという発想とまったく無関係に、学校が教師と生徒の「協働」によって生き生きと活発に活動している様子がよく伝わるではないか。これが全国のほとんどの高校の実際の姿だと思う。それは前回書いたように、卒業式が「謝恩の日」として生徒の心の中で昔以上に大きな意味を持っている現実を証している。こういう「教師と生徒の協働性」というものこそ、今まさに崩されていこうとしているものである。学校現場のジャマばかりする教育行政によって。
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「謝恩の日」-卒業式②

2012年03月19日 00時12分14秒 |  〃 (教師論)
 卒業式というもの、あるいは学校そのものも時代とともに少しずつ意味が変わっていく。僕が最後にいた単位制高校では、生徒がバラバラに卒業していく。原則4年の定時制だが、3分の1くらいの生徒は3年で卒業して大学などへ主に推薦制度を利用して進学する。4年で出られず、5年、6年と掛けて卒業する生徒もいる。ついに卒業まで至らず、退学、転学していく生徒も多い。ほとんどの生徒が中学不登校、高校中退経験生徒で、単位制で1科目ずつ積み上げて行って卒業に到達する。全日制の進学校などと全然違う、「卒業の重み」というものを僕は教員生活最後で痛感することになった。

 教師は卒業式の日に卒業生や保護者から「お世話になりました」と挨拶をうける。どの学校の卒業担任の時もまあ確かに「お世話した」のは間違いないが、5年、6年かかった生徒などは、確かに自分でも「お世話しました!」と言いたい感じがする。このような「教師に感謝の意を伝える日」というのが、卒業式の持つ機能の一つだけど、最近では特に東京ではこの側面が強まっているのではないか。僕が生徒だった頃は、それほど教師にお世話になったという感じを持たなかった。高校も大学も「一般受験」という形式しかなかった。大学の説明会などというものもなかった。(もちろん都立高校にあるわけない。)高校卒業後は「大学浪人」なので、卒業式の日に教師に格別の謝恩の気持ちがあるわけない。受けたいところを受けて受かったり落ちたりするだけで、書類を作ってもらう以外には進路指導は特にない。むしろ授業で刺激を受けた先生への感謝の気持ちの方が大きかった。

 昔は卒業式という日は、「クラスメートに最後に会える日」という「クラス解体式」という性格が強かった。自分の中学の時はなかなか団結力があるクラスだったので、式後にお別れ会を開いたり、よく集まったりした。2年から3年になるときにクラス替えがなかったので、2年間の思い出があった。(大卒後に赴任した新採教員が担任で、卒業をもって退職して英国留学をするという事情も大きかった。)しかし今時の高校生は今後も会いそうな友人なら全員、携帯電話にアドレスが登録してある。やがて仕事や勉強が忙しくなってしまうけど、最初のうちは一斉メールで来れる人を集めて「ミニ同窓会」をよくやってる。昔は一人ひとり家に電話したことを思えば、大きな変化である。

 今は進学指導が複雑怪奇で、特に推薦で進学を考える生徒などは「担任のお世話」になる度合いが昔の比ではないと思う。就職などは昔も学校の世話という側面が強かったけど、今のような「就職氷河期」が続くと就職希望生徒と担任、進路部は、ハローワークの担当者も加えて、いわば「同志関係」で闘っている感じになってくる。今年は特に被災地の就職希望生徒などは本当に大変だったと思うけど、報道等で見ても教員側の苦労も例年に数倍して大変だっただろう。生徒の方でも大変感謝しているに違いない。今は進学も就職も情報はほとんどWEB上で公開される。だから家でインターネットを見られる生徒は自分でここに決めましたというケースもあるけど、家で見られない生徒は大変である。学校の進路部やパソコン室あっての進路活動なのである。そういうような事情があるので、推薦進学生徒や就職生徒にとって「学校にお世話になった感」は昔よりもはるかに大きいわけである。進学実績を競うことばかりが重要視される風潮が強い昨今、「学校は死んだ」などという人もいるけど、そういう人は現実が見えていない。日本の高校生の半分以上は、推薦で進学したり学校あっせんで就職しているのである。

 卒業式に関して昔と違う事情が他にもある。昔はクラスメイトが全員そろうのは二度とないという感じだったけど、一方教師にはいつでも母校を訪れれば会えるという感じを持っていた。もちろん昔も異動や退職はあったわけだけど、多くの先生は10年以上はいた。いられた。いわゆる「強制異動」制度そのものがなかった時代である。だから実際文化祭に行けば大体の先生に会えたし、数年後に教育実習で母校の高校に通った時も教えてもらった先生がたくさん残っていた。そういう先生を中心に飲み会を設定してくれたりしたものだった。今は、4月に行くと担任の先生には会えない確率が昔よりはるかに高い。卒業させてすぐの異動は今も少ないかもしれないが、教えてもらった先生のかなりが転勤する可能性は高い。卒業式では異動が発表にならない。20日過ぎに卒業式があるような高校では、卒業式後に先生と話しておかないともう二度と会えない可能性もある。

 別に会わなくてもいい、年賀状であいさつをすればいいと思うかもしれない。でも、今ではPTA会員名簿というものが作れない。(大体PTA自体が全員参加ではない。)生徒名簿というものを校内で作成することもできない。クラスごとに担任が作ることはあるが、生徒には配布できないし、教員も家には持ち帰れない。生徒の住所は「S1情報」(セキュリティ重要度第一位の情報)で校外持ち出し禁止である。校外行事の時だけ、持ち出し簿に書いて管理職の承認を受ける。だから生徒からの年賀状というものも、昔に比べてめっきり減ってしまったのである。担任の住所が判らないのだから。(それでも「年賀状出したいから教えて」という生徒はいるので年賀状ゼロにはならない。)この情報管理がどれだけ文面通り行われているかは知らないけど、僕は「もう家から保護者に電話しなくていい」という指令だと受け止めて、規定通りやっていた。でも担任が家から生徒宅に電話できなくていいんだろうか。バカらしいほど厳しくて、震災でも連絡網がなかったりしたので少し見直したかもしれない。

 ということで、卒業式という日が生徒どうしの別れの日であるとともに、教師に謝恩の意を伝える日という意味が昔より大きくなってきたと僕は思っているのである。卒業式後に暴れるなんて昔の話で、今は親子でやってきて教師に感謝して一緒に写真を撮って帰る。
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卒業証書の作り方-卒業式①

2012年03月18日 01時11分02秒 |  〃 (教師論)
 大震災関連で「ガレキ問題」「自衛隊評価」について書こうかなと思ってたけど、社説みたいな話を時期を逸して書いても仕方ないからやめます。で、しばらく「卒業式」について、いろいろと。え、卒業式の話題も時期遅れでは、という人もいるかもしれないけど、そうではないです。最後の学校だった六本木など単位制の高校では大体これから。もちろん小中もこれから。僕の経験による卒業式シーズンは20日前後という気持ちなわけ。この「時期の問題」はまた別に書きます。

 今日は、「卒業証書の作り方」。なんでかというと、東京でそれで「事故」が起こったから。17日の東京新聞朝刊に「校長印なく卒業証書無効 都立忍岡高、父母らに謝罪 作り直し郵送へ」という記事が載ってました。都教委のホームページを見ると、16日付で「都立高等学校における卒業証書に関わる事故について」という文書が。この「卒業証書」というものは、僕はもらった後で一度も見たことがない。普通二度と使わないでしょ。まあ破った記憶もないから、どこかにはあると思うけど。都のHPには「すぐに卒業証書を必要とする場合には個別に対応する」などと書いてあるけど、必要とする人はいないはず。いるのは「卒業証明書」の方です。卒業したことが証明されればいいのであって、あんな大きな証書を見せろという大学や企業があるわけないよね。

 で、ほとんどの人は卒業証書がどうやって作られているか知らないと思うので、少し紹介しておこうかなと思ったわけ。「卒業証書」の紙そのもの(と「卒業証書フォルダー」)は、(都立高校では)都教委から来ます。何枚いると申請します。外国籍生徒の場合、西暦を選べます。(日本籍では選べないのがおかしいのではないか。)定時制高校だと「学び直し」の生徒がいることがあるので、生年が「昭和」の場合がある。よって、「平成」「昭和」「西暦」各何枚と申請するわけです。

 そうやって厚紙に基本条項(「本校所定の全教育課程を修了したことを証する 東京都立○○高等学校長 ○×△□)とか書いてあるわけです。この下に校長公印が押されるわけです。それ以外に「卒業証書」の横にもっと大きな「学校印」、上に「割印」と三つ押します。その前に。卒業生が確定しなければ作りようがありません。進学校なら何の問題もないでしょうが、中堅以下の高校だと成績不振や出席不足で卒業できない生徒が出ます。卒業生が確定して初めて証書作りになります。でも、中には「追試」「課題」をクリアできれば、卒業が追認されるという生徒がいるときも。待ってると証書が作れません。そういう時は作るだけ作っておいて、「卒業生番号」を最後に回すことにすると思います。
 
 押印の前に、まず個人情報を書き入れなくてはなりません。「氏名」「生年月日」「卒業生番号」ですね。これは担任が書いているわけではありません。そんな恐ろしいことはできません。ちゃんと「筆耕料」が公費で予算化を認められています。大体は書道の講師の先生だと思います。芸術科の中に「音楽」「美術」「工芸」「書道」とあるのですが、書道は講座数、生徒数の関係で大体は非常勤講師にお願いすることになります。その先生に証書の名前書きを依頼することが多いでしょう。もちろん校内、特に担任の中に能書家がいれば書いてもらうこともあるかも。でもそれだとタダだし、今はあまりないと思う。

 そうして押印の段階になるのは、10日から一週間前頃。都立高校の入選前後の空いてる時間を使って押印作業をするわけです。僕にとっては、ものすごく面白い仕事ではないけど嫌いではない、という仕事でしょうか。面白くないない部分は、その後ほとんど役に立つわけではないのにハンコの押し方などの決まりが面倒くさいから。曲がっていたら嫌な感じを持つ生徒もいるだろうし、けっこう気を遣うわけです。でも嫌いじゃないのは、いよいよ学年団の最後の仕事、一年間の大団円という気分の仕事だからですね。基本、同じことの繰り返しの肉体作業。リズムに乗れば楽しくないこともない。ハンコそのものは、経営企画室(事務室)にあります。公印は基本的に校長か室長しか押さないものだけど、証書作りだけは担任がやるしかないので、今は公印持ち出し簿みたいなのがあると思います。先ほどの「事故」の件は、本来この段階で気付いていないとおかしいと思います。そして「位置合わせ機」みたいなものに乗せて押していくわけです。もっともこの「位置合わせ機」というのは六本木で初めて使ったんだけど。別に担任がクラスの生徒を押すということではないので、誰が押したかはアトランダム。
 
 その前に「卒業生台帳」作りがあります。本来はこちらが重要で、永遠に残る卒業の証明。卒業生をその年の生徒番号順に書き並べた書類。これは学級担任が書きます。多少字が下手でも内部だけの書類だし、生年月日とかの情報は担任しか判らない。その台帳で卒業生に順番を振ります。それが卒業生番号になり、卒業証書の番号となります。で、台帳と証書を「割印」するわけです。最後に押印が終わった証書を乾かす。どこか誰も来ない部屋に並べてカギを掛けておくことが多いでしょう。こうしてやっと出来上がり。追認生徒が出たら、番号を最後にして同じ作業。

 今回の誤押印問題は、それ自体は生徒・保護者には「言われるまで感づかない」(言われてもピンと来ない)問題だと思います。生徒にすれば、「どっちでもいいよ」という話。学校印は押してあるんだから、それでいいんじゃないかという気もします。細かい話をすれば、卒業を認定したのは誰かという問題。「校長」です。「学校」や「教育委員会」ではありません。だから校長名の下に「校長印」がないとまずいわけ。「生徒にすれば、どっちでもいい話」だと思うけれども、教師とすれば「プロ的には信じがたい」話だと思います。ただし、校長印にも二つあって「公印」と「私印」、その「公印」の方です。「東京都立○○高等学校長」とハンコ特有の読めない文字で書いてあるものです。普通読めないから、読まない。よってどっちでもいいと僕が言ったわけ。「私印」は普通のハンコで、つまり鈴木校長なら「鈴木」とあるもの。「生徒指導要録」という大事な記録に押すハンコは私印。

 こうやって、卒業式の準備がウラで粛々と進んで行くわけです。最後に、乾いた証書を確認して順番に並べ、金庫にしまい当日を待ちます。難読人名にポストイットでルビを振ったりもするかな。途中でミスを見つけるとどうなるかとか、いろいろエピソードもあるけどやめておきましょう。「ケータイ大喜利」見てたら時間が遅くなってしまったな。とにかく、こういう裏仕事があるんだということを、ちょっと都立高の「事故」をきっかけに書いてみました。
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「指導力不足教員」の「役割」

2011年05月15日 23時53分03秒 |  〃 (教師論)
 教員免許更新制度は準備不足のまま作られてしまったので、いろいろ不備が多くあります。文科省は「資質向上」が目的というけれど、そもそも最初に考えられた時には、間違いなく「不適格教員の排除」がもくろまれていたと思います。しかし、大学で行う座学中心の講習では(仮にやろうと思っても)「排除」は不可能だし、「私的資格の更新」とされてしまったので、結局「資質向上」なんて言ってるわけでしょう。

 そもそも「指導力不足教員」に関しては、文科省のガイドラインがあって各都道府県で、「認定」「研修」の仕組みができています。(「指導力不足教員」という呼び方をしないところもあるらしいけど、一応文科省の呼び方を使う。)その認定については、管理職や教委ともめたりしてる例も多いし、いろいろ問題もあると思うけど一応そういう仕組みができてます。

 東京都の場合は、公表資料によると昨年度は12人が認定されていて、研修中に3人が退職、残り9人は研修を受けた後で、4人は指導が不適切と認定され退職、4人は研修継続。解除されたのは1人となっています。また新規採用者は「期限付き採用」ですが、1年たって2919人中で86人が正式採用になりませんでした。自主退職以外に19人が正式採用不可になっています。

 ちょっと細かい数字を挙げたけど、何が言いたいかというと「ダメな先生はやめさせろ」と言う人がいるんだけど、もうそういう制度はできてるんですよ。そして、一人ひとりの事情は全然知らないけど、せっかく教師になれたのに、こんなに1年目でやめていく人がいる。それが実情です。

 僕が今までやってきた中では、やはり「問題がある先生」はいると思うけど、その大部分は「心を病む教員」を別にすると、「熱心すぎて生徒・同僚がついていけない教員」と「性格の偏りがあって付き合いづらい教員」だと思います。でも、学校から「排除」すべきだと思うほどの教員はほとんどいないのではないでしょうか。生活指導が厳しい先生とか、事務的にルーズでよく生徒に連絡をし忘れる先生とか、いろいろ「あの先生は…」という声が聞こえてくる場合もあるけど、まあ、生徒の方でなんとかうまく対処しているように思います。

 そこが大事なところです。最近は「教育はサービス」という観点が強調されすぎだと思います。学校の時間の大部分は授業だし、学力向上はもちろん大事。しかし、誰だって解の公式とか古文の文法は忘れてるけど、初恋やケンカ、行事や部活の思い出は今も鮮やかに残ってる…というのが学校なんじゃないですか。

 学校は、生徒が(起きてる時間の)「一日の半分」を過ごす「生活の場」です。だから、生徒も教師もある程度多様なメンバーがいる必要があるんだと思います。そして、世の中に実際に出てみれば、「指導力不足上司」なんてざらにぶつかるわけです。そういう時の対処法は誰に教わるの?

 実際アルバイトしている生徒に聞くと、「変な会社」「トンデモ店長」だらけみたいな感じがするけど、そこは生徒の方でテキトーによいしょしたり、うまくスルーして行き抜いているようです。そういうのは人間に生得的に存在してる処世術でもあるだろうけど、学校でいろんな先生に教わって「ちょっとヘンテコな大人」への対処法を身につけているのではないでしょうか。

 もちろん好き好んで指導力不足であるのは恥ずかしいことです。校内事情で今まで教えたことがない科目を担当する年なんかもあるわけですが、やはりそういう時は緊張するし自分で普通より勉強して臨むわけです。また相性もあるし、生徒指導で失敗したなと思いだす事例はどの先生にもあるでしょう。

 長くなってしまいましたが、教師の資質を向上させろとか、指導力不足教員はやめさせろとか言う前に、学校の持つ機能をきちんと考え、生徒の人間力アップのために何が必要かを考えて欲しいと思います。教師のそれぞれの持ち味がうまく生きるような学校なら、生徒もそれぞれの持ち味が生かせる学校になるでしょう。一方、教員統制が厳しくなれば、それは生徒に跳ね返る。そういうものです。

 4番バッターばかり集めれば優勝できるというような発想が教員免許更新制には潜んでいます。バント名人も守備要員も組織には必要なんだという観点で、学校作り、教員養成を進めるべきだと思います。
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「資質向上教員」ばかりの学校?

2011年05月13日 22時37分06秒 |  〃 (教師論)
 来週は沖縄へ行くので、書きたいことをまとめて書いてしまいます。(それでも全部は書けない。)
 まずは「教員免許更新制」がらみの話を2回ほど。

 教員免許更新制の目的は、文部科学省のサイトにこうあります。
 「教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。
 ※不適格教員の排除を目的としたものではありません
 ご丁寧にも※が書いてあるけど、そこの問題は明日以後にでも。
 
 別にいい目的じゃないか、何の問題もないでしょうという感じですね。いや、その通り。なんで更新しないと失職するのか、なんで免除される教員がいるのか、なんで自費で大学に自分で申し込まないといけないのか、自分で自主的に研修するんじゃ資質向上は計れないのか等々、そういう根本的な制度設計が間違っているけど、制度の目的(としてタテマエ的にここに書かれていること)自体は別に異論ありません。

 で、果たして今の大学等の講習でこの目的は達成されるのかという問題もあるけど、それは今置いておきます。(ついでに書いておくと、毎年数万人も行う講習で一斉に資質向上するわけもなく、でもいいんだよね、だってホントの目的は教師への嫌がらせなんだもん、ってことなんでしょう。)

 そうすると、10年立つと全員更新講習を受けて(新採10年以内を除き)、「資質向上教員」だらけになります。今全国で校長による業績評価に基づく勤務評定が給与に反映するようなシステムが作られて来ています。するってーと、「資質向上教員」が自分の給料を上げたくて校長に評価されるようにみんな頑張る、ってことになるわけだ。それが文科省の考える理想の学校なんかい、ということです。

 そんなご立派なセンセーばっかりが個々バラバラに頑張るという学校がどんなに息苦しくて恐ろしいか。3分の2位の生徒は、よーくわかると思います。が、3分の1くらいの生徒と親は、所詮世の中はそんなもの、進学だけが大事なんだし、自分は自分で頑張ってるから関係ないよと思うんでしょう。そして、政治家や官僚や大企業幹部やマスコミ人なんかは、大体その3分の1なんだろうね。

 前にも書いたけど、教師がどんなに優れていても、個々バラバラに勝手に頑張る学校は最悪です。生徒はそういう「指導力過剰教員」によって、完全に傷つけられます。

 だから問題は「教師の資質向上」だけじゃダメなんです。「現場力向上」がセットじゃないと逆効果なんです。ところが現場力を向上させると、愚かな教育行政にたてつくから、現場で協力して仕事できないように教員をバラバラにしていこう、とこの間ずっと国や教委はやってきたわけで…。それを変えずに教師の資質向上だけ目指しても効果は上がらないはずです。

 まあ、でも仕方ないから嫌がらせに耐えて受けるしかない更新講習では資質向上もしないだろうし、何だったんでしょうね、この制度ってことになるんだと思うけど。
コメント
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